第14話 末路
巫女様、この度は私の孫を救って頂き、本当に、本当にありがとうございました。
私の息子はすでになく、あの子がこの家跡取りだったのです。
本当に、何とお礼を言ってよいやら…。
息子ですか?
…3年前に亡くなりました。ある初夏の朝に、湖に浮いている所を発見されたんです。
暫く経って、副町長の息子も同じく水死体で発見されました。
前日の夜、息子は副町長の息子に呼び出され、出かけていきました。まさか、それが最後になるなんて…。
二人が発見された時、湖の中程には、誰も乗っていない副町長の船が漂っていました。おそらく、息子を呼び出した後、船で湖の中程まで行き、何か話をしていたのでしょう。
実際に、秘密の話がしたい時、船をそういう風に使う事は時々ありましたから…。
そこで、息子は襲われた!必死に抵抗し、もみ合ったまま湖に落ちたんです。そうに違いありません!
息子も、副町長の息子も、泳ぎは得意だった。それが水死体で発見されるなんて、もみ合ったまま湖に落ちたとしか考えられません。
え、その時何の話をしていたか、ですか?
……。
わた、私は…、ちが、違う…。
こ、この町の未来について、話を、していた…はずです。
この町は、とても豊かです。
それは…マ、マヨイグサによるものです。
マヨイグサは、初夏の頃に花を付けるのですが、その花の一部からとある薬を作る事ができるのです。この薬を少しでも摂取すると、不安がなくなり、とても幸せな気分になります。ですが、クスリが切れると強烈な不安や吐き気に襲われるなど、非常に強い依存性があり、必ずまた欲しくなるのです。売れば売るほど、ますます売れてゆく素晴らしい薬なのですよ。
もちろん、この町の中での使用は厳しく管理し、町自体が壊れてしまわぬよう、細心の注意を払っています。
20年ほど前に偶然湖畔の森で発見され、それからは組織的に栽培してきました…。そして町は飛躍的に豊かになったのです。
ですが、息子はマヨイグサの栽培に反対でした。私もその事であの子と何度も喧嘩をしました。時期町長候補であった息子は恐らく、自分達の世代で栽培の終わらせるため、次の副町長になるであろう、副町長の息子と話をしたんだと思います。
そこで何があったのかは分かりません…。
もちろん、マヨイグサは禁制品です。このアカネイシア王国では、栽培していることが分かれば関係者は火炙り。その富も全て没収されます。こんなのずっと続く訳がないと、そう息子は言っていました。
何故やめなかったか、ですか?
そんな、昔のような貧しい生活には、もう戻れません。
見たでしょう?この素晴らしい町を。立派な石畳の広場。宝石店もある。食べ物や衣服も他所から買い漁った。そこんじょそこらの町には決して負けない、すごく素敵な町だと、そう思いませんか。
ここは、私たちの故郷です。それを、この繁栄を捨てるなんて…そんなこと私にはできません。
薬を使った人たちについて…?
まぁ、最後には薬を買うお金が無くなり野垂れ死ぬでしょうが、良い夢が見られて良かったのではないでしょうか?こちらにお金も入るし、お互い良い取引ができた、と思いますよ。
わ、私は悪い事なんかしていない!あなたには分からないんだ。あの惨めな、貧しい生活が!
売って欲しいと言ったから売ったんだ!ガ、ガキじゃあるまいし、売った方がわ、わ、悪いなんてそんな馬鹿な話があるかい!
私は悪くない!み、見つかったら、私はひ、火炙りかもしれないが…それでも…。
多分、うちと、副町長と、いくつかの家の人間は全員火炙り…。ぜ、全員…。
駄目だ!ギルはまだ子供だ!あの子は見逃しておくれ!
あああぁぁ。ギルが!ギルが燃える!やめて、やめてくれぇ!!!
あ、ア゛ア゛ア゛ァ ァ ァ ァ!!
守護主神官の胸倉を掴んだまま睨みあっていた管理神官は、名状し難い叫び声と共に激しく打ち鳴らされる鈴の音に我に返った。
「巫女様!?くっ、いいか、二度と巫女様を危険に晒すなよ!」
管理神官は守護主神官を放り出して天幕まで駆けだす。飛び込んだ天幕の中で、町長が椅子ごと仰向けに倒れ、泡を吹いていた。
それを介抱するナァラが、管理神官を見上げて叫ぶ。
「町長さんが、突然倒れて!」
町長の様子を確認し、管理神官が天幕の外に叫ぶ。
「おい、主神官!告解者が倒れた。担架を持ってこい!」
「俺が直接運んだ方が早い!」
言うが早いか、守護主神官が天幕の中に入ってきた。
「む、そうだな。では町長宅まで運んでくれ。おい!青の守護神官!町長宅で医者の場所を聞いて急いで呼んできてくれ!」
「承知しました!」
守護主神官に運ばれていゆく町長を見送り、管理神官はナァラに向き直った。
「巫女様はご無事でしょうか?」
「え?私は大丈夫です。でも、町長さん、最後の方は何か幻覚を見ていたような感じでした。大丈夫でしょうか?」
「幻覚ですか…。告解の儀は極めて精神的な儀式である為、時に幻覚を見ることがあると聞きますが…。」
「あの、管理神官さん。町長さんなのですが…」
管理神官は、手のひらでナァラを制する。
「今からお話しされる内容は、告解の儀の内容と関係ない話でしょうか?」
見つめ合う目と目。
暫しの沈黙ののち、ナァラは目を伏せた。
「ごめんなさい。うっかり儀式の内容を話してしまう所でした…。」
管理神官は頭を下げる。
「いえ、巫女様の苦しみを分かち合うことができず申し訳ありません。…一旦椅子にお掛けください。」
椅子に座ってみたものの、心がざわついて落ち着かないナァラ。
「あの、これからどうしましょうか…?」
管理神官は、スッと顔から表情を消して答えた。
「…町長の容体は医者に診てもらうしかありません。今、こんなことがあって動揺されている中、大変申し訳ないのですが、告解の儀を続けさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
ナァラは驚いて管理神官を凝視する。
管理神官は、極めて冷静を装ってはいたが、顎に力が入り、顔が強張っているようにも見えた。
蝋燭の炎を背にした彼の顔は陰になり、その半面の奥の瞳を窺い知る事はできない。
初めて会った時に感じた、底の見えない井戸を覗き込んでいるような感覚。
しかし今、その井戸の底に、僅かに水面が見えたような気がした。
「…分かりました。」
「ありがとうございます!すぐに準備に取り掛からせて頂きます。」
頭を下げる管理神官。
振り返り、天幕から出てゆく彼の背中を見つめるナァラ。
彼女は、彼の心の水面に波紋のようなものがたつのを感じたが、背中越しでは、彼の表情が苦悶に満ちたものに変わっていたことを知る由は無かった。
「わああああァァァァ!!」
叫びながら天幕から逃げ出した副町長の背中に手を伸ばしつつ、ナァラは呆然としていた。
副町長が告解者として現れた時、ナァラは単刀直入にマヨイグサについて質問した。
初めははぐらかしていた彼も、次第にその事実を認め、様々なことを語り始めた。
この町が塀に囲われている事も、町の入り口が一か所しかないのも、宿屋が無いのも、余所者が町に入り込むのを防ぎ、マヨイグサを栽培している事実を隠すため。
ギルが森に入った時に捜索の人出が足りなかったのは、奉献の徒に町を嗅ぎまわられるのを防ぐ目的で町中に男たちを配置していたため。
この町に来た旅人には、必ず複数の見張りを付けていたこと。
この町から他の町に移り住むことは認めていないこと。
薬を売るために行商に出る者は、必ず子持ちで、戻ってこないと子供を殺すと脅していたこと。
町長の息子が、禁制品の栽培を辞めようと画策していたのが腹立たしかったこと。
自分の長男が彼と一緒に死んでしまった時は、町長の家に怒鳴り込んだこと。
ギルが亡き者になれば、次の町長は自分の次男が最有力候補になること。
「この町は、マヨイソウと共にあり、その秘密に深く身を浸すほど強い権力を握る事ができる…」
虚ろな瞳で満面の笑みを浮かべ、彼はそう言っていた。
その彼も、途中から言動が怪しくなり、最後は何かに取りつかれたように叫ひ、錯乱して逃げ出してしまった。
とても美しい町だと思った。路地裏に浮浪者もなく、皆が豊かで、全てが日に照らされている町だと。
しかし、事実は違っていた。
あまりにも、自分勝手な、虚栄に満ちた町。
誰も彼もが鎖に縛られ、刹那的な慰めで自分たちを欺き、自分の子供たちをも巻き込んで肥大化してゆく、醜悪な生き物。
この小さな町が世界そのものだと信じ、人としての理を忘れ、欲望に身をやつした哀れな彼らの進む先には、いずれ破滅が訪れるだろう。
ギル達の笑顔を思い出すと、思わず目に涙が滲んできた。
(あの子たちは、何も知らない。けれど、無関係ではいられない…。)
巫女は、私は、彼らを裁くことはできない。そして、彼らを救う事もできない。
では、一体告解の儀とは何なのか。
先の宿場町で告解者は、身勝手ながらも、その罪を悔い改め、良き道を進もうと誓ってくれた。
だが、この町はどうだ。
そもそも、罪を罪とも思っていない。都合の良い自己弁護に終始し、自分たちは正しいと言い切った。
…ただ、彼らも罪の意識は持っていたのだろう。会話の中で良心の呵責からか、次第に苦悶の表情を浮かべ、最後には幻覚に襲われていた。
町長も副町長も、告解者になりたいと願っていたようには見えない。
告解者とは、どのように決まるのだろうか?
懺悔を望まぬ者と語り合う。
不思議なことに、彼らはその悪事については素直に認めた。これはどういうことなのだろう?
(秘密を抱えきれなくなって、誰かに話したかった…?)
釈然としないものを感じつつ、暗澹たる気持ちでこの町の、ギル達の行く末を思う。
町長の息子が、一度はやり直すきっかけを作り出した。
けれど、誰もその手を取らず、彼は冷たい湖の中に沈んでいった。
その時、この町自体も、すべての町の人々と共に、暗く、深い暗闇に沈んでゆく事が決定付けられたのだ。
これは、自分たちで選んだ、結末…。
天幕の中を、蝋燭の炎が静かに照らしている。
テーブルの向こうには、先ほどまで副町長が座っていた椅子が横たわっていた。
整えられたこの天幕の中に横たわる椅子は、まるで、今日の告解の儀を象徴しているかのように、滑稽で、無様な姿をさらしている。
ナァラは頭が締め付けられるような感じがして、目をつむり、両手で顔を覆った。
瞳を閉じた暗闇の中、やるせない気持ちを抱え、まるで、自分が深く、暗い所へ落ちてゆくような錯覚を感じたが、そのまま微動だにせず、じっとそれに耐えていた。
守護主神官は、叫びながら走ってくる副町長を見て、半身を引いて道を空けた。
副町長は勢いを緩めることなく、彼の横を通り過ぎようとする。
だが、すれ違うその瞬間、守護主神官が足を出して副町長の足を引っかけた。
「あっ!!」
前のめりに走っていた副町長は、顔面を強打しながら激しく転倒した。
うめき声を上げながら顔を押さえる副町長に、守護主神官は白々しい声を掛ける。
「おお、アンタ、大丈夫か?」
守護主神官は屈みこみ、傍から見れば介抱でもしているような体制で、副町長だけに聞こえる声で囁く。
「覚悟もない癖に禁制品に手を出すなんて、ダセェ真似しやがって。そろそろ、お前たちの行動の、その責任を取る頃合いだろうよ。
お前たちは葉っぱを上手く扱っていたつもりなんだろうが、葉っぱに上手く扱われていたのはお前たち自身だったって訳だ。」
副町長の脇に手を入れ、自身が立ち上がると同時に彼を強引に立たせる。
恐怖に染まったその顔を見つめながら、その肩を掴み、進行方向を向かせる。
「思い残すことが無いようにしておけ。」
そして、背中を叩いて送り出す。
副町長は、先ほどまでの勢いを失い、よろけながら歩いて行く。
時に夜空を見上げ、鼻をすすりながら歩くその後ろ姿はやがて、石畳の道の先の暗闇に溶けて見えなくなった。
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【次回】第4章 街
第15話:旋律 9/15(月)19:02頃 更新予定です