第13話 夜の森
一行は、ワーケンという若者を先頭に、完全に日の落ちた森の中を進む。
ワーケン、青の守護神官の一人、巫女、そのすぐ後ろに赤と青の守護神官。そして、少し離れて最後尾を守護主神官が歩く。
村長に用意させた、人数分のランタン。守護神官たちは、これまた別に用意させた人の背丈ほどの木の棒の先に、そのランタンを括りつけて、杖の様にして歩いている。
歩くたびに木の棒とランタンがぶつかってカン、カラン、と音を立てる。
「いいか、夜のピクニックについての講義だ。」
守護主神官は妙に機嫌よく、冗談めかして前を歩くメンバーに声を掛ける。
「この夜の森で、一番大事なものは何だ?」
前から二番目の、拳骨を喰らった守護神官が振り返りながら元気よく答える。
「明かりです!」
「そう、明かりだ。これくらい深い森だと月明かりも限定的だ。俺たちは明かりが無ければ殆ど何も見えない。もし明かりがなくなれば、案内がいても森から出ることはできないだろう。
だが、奴らは違う。狼からは俺たちが良く見えている。
常に最悪を想定する我々としては、狼の群れと一戦交える可能性を排除することはできない。そして明かりが無ければ間違いなく狼から巫女様を守り抜くことはできない。」
ちらりとナァラが振り向く。
ランタンに照らされた顔は、心なしか、不安そうな顔に見える。
それを見て、赤の守護神官は、非難がましい視線を守護主神官に送った。
(怖がらせるような事、言わなくていいのに…!)
守護主神官はまったく動じることなく続ける。
「だから、もし奴らが現れたらこの棒を地面に突き立てて戦え。それならば両手が自由に使えるし、ランタンを落として火が消えてしまう確率を減らせる。
まぁ、非戦闘員はそんなことしなくていいから棒なしランタン、という訳だ。」
赤の守護神官が質問を投げかけた。
「しかし主神官、巫女様にまでランタンは必要ないのでは?巫女様も重いですよね?」
守護主神官は、じっと赤の守護神官を見つめる。
「…え、何ですか?」
「お前な。巫女様が何と仰ったかもう忘れたのか?
巫女様は、あらゆるものを目に焼き付け、心に刻みたい、とおっしゃられた。
ランタンの重み、自分の手の中にある炎の揺らめきとその熱、臭い…。そういうものを含めて、巫女様の知る機会を最大限確保する。その上で、必要かどうかは巫女様にご判断いただくべきなのではないか?
…お前のそれはただの過保護だ。」
赤の守護神官は、守護主神官の言葉があまりにもスッと自分の中に入ってきたのを感じて酷く驚いた。そして、己の不明を恥じた。
彼女は体全体で後ろに向き直り、胸の前でランタンを持つ自分の拳を反対の手で包み込んで頭を軽く下げた。
「不見識なことを言って申し訳ありませんでした!」
「よい。お前の巫女様を慕う気持ちとその貢献に疑う余地は無い。ただ、護衛として、近すぎる距離感は時に判断を誤らせる。それだけ覚えておけ。」
守護主神官は手をヒラヒラさせて、赤の神官が再び歩くのを促した。
(俺としたことが、少し喋りすぎたな…。)
守護主神官はそう思い、喋るのをやめると同時に、周囲の森へとその意識を集中させた。
一行はカチャカチャと音を立てながら森の奥へと進んでいく。
ナァラは、息切れを感じつつ、必死で歩いていた。
ランタンから微かに香る油の臭い。そして、体に伝わる熱。
ふと、自分の手の中のランタンを見つめる。
ランタンから光が溢れ、周囲の森の様子を描き出す。そして、その光はランタンから離れるほど力を失い、最後に森の闇に吸い込まれ、そこから先はもう何も見えない。
6つのランタンが人間の揺れに呼応しながら、森の姿を浮かび上がらせる。その光の外側の闇があまりに深く、まるで、その明かりの周りにしか世界が存在しないのではないかと錯覚する。
闇からこつ然と現れ、再び闇に消えていく小さな虫たち。
草を踏む音と、足の裏で土を受け止める感覚。
ナァラは、唐突に、未知の世界を歩いているという実感に、全身を覆われる。
頼りないかもしれないけれど、この足で地面を踏んで、前に進むことができる。
このリアルな実感。
突然足元がなくなって、真っ逆さまに落ちてしまうことは無いと、信じることができる。
人生は、いつも突然で、一方的だ。
それに対して、自分は全くの無力で、毛先ほどの影響も与えられはしないと、そう思っていた。
けれど、今、自分の意志で、この夜の森を歩いている。
信じられないような、現実感の無い気持ちで、大地を踏むリアルな感触を感じながら、夜の森を渡る。
そして、我儘に付き合って、自分を守ってくれる仲間たち…。
(私、今、幸せかもしれない…)
その時、狼の遠吠えが響き渡った。
一行は思わず立ち止まる。
一瞬で現実に引き戻されたナァラは、恐怖を感じて後ろを振り返る。
その瞳を真っ直ぐに受け止め、守護主神官は頷いた。
「そう遠くはないな…」
二度、三度と続く遠吠えを聞きながら、先頭を歩くワーケンが青い顔で振り向いた。
「もう少し先からが未調査区域だ。ここからギルに声を掛けながら進みたい。狼は近くにいるようだが…」
「了解だ。だが、その前にこっちも吠えておく。」
「は?」
「おおおおおおぉぉぉぉ!」
守護主神官の突然の咆哮に、ワーケンが驚いて尻もちをついた。
狼の遠吠えもピタリと止み、周囲が静寂に包まれる。
「主神官、今のは…?」
恐る恐る尋ねる青の守護神官に、管理神官が答えた。
「どのみちこちらの位置は相手にバレている。そちらがやる気ならこちらも負けるつもりは無いと、気持ちを伝えてみた。」
「えぇ・・・」
ナァラは、しりもちを付いたワーケンに手を差し出し、起き上がるのを手伝う。
立ち上がり、ふう、とため息をついた彼は、小声でナァラに尋ねた。
「巫女様の所の大将は、いつもあんな感じなのかい?」
「大将…?ああ、守護主神官さんね。ふふ、そうですね。いつもああかも。」
ワーケンは、信じられない、というような顔をする。
「まぁ、俺が狼だったとしても、自分たちよりヤバい何かがいるって思うかもね…。」
再び前に向き直ろうとするワーケンに、ナァラは質問した。
「ギル君とは、仲が良いんですか?」
「はは、仲?もちろん悪くないけど、俺、あいつの父親と幼馴染なんだ。」
「お父さんは今どこに…?」
ワーケンは苦しそうな顔をして、ふと前に向き直る。
「3年前に死んだよ。ある朝、そこの湖に浮いている所を発見された。小さい子供を残して、何やってんだか…。」
「ご…ごめんなさい。」
ワーケンは構わず歩き始める。
「ギル~!迎えに来たぞ~!」
ナァラも負けじと声を張り上げた。
「ギルくーん。迎えに来たわよ~!」
守護主神官は、最後尾を歩きながら周囲を警戒する。
狼は、間違いなく近くにいるはずだ。
襲ってくるかどうかは別として、彼らの縄張りへ侵入した者たちの様子を見に来ない訳がない。
意識を集中し、聞こえる音の中から、聞く音を選別する。
(人の声ではなく、足音…草の音)
目から入る情報が邪魔と判断し、目を閉じ、立ち止まってさらに集中を高めてゆく。
前を歩く人間が草を踏みしめる音…。
2、3…5。5人の足取りが聞こえる。
足音は前に進み、次第に遠ざかる。
瞳を開き、集団から遅れた距離を速やかに詰める。
そして、再び立ち止まり、瞳を閉じた。
(幸い、今は風が吹いていない。純粋に、踏みしめた草の音を聞くことができる。)
何度繰り返しただろうか、自分たちとは明らかに異なる方向から、小さな草を踏む音が聞こえた気がした。
(横…)
更に神経を研ぎ澄ませる。
確かに、人よりも小さな何かが草を踏んでゆっくりと移動しているの音がする…。
よく聞けば、それは一つではない。
(3…いや、2か?右側方、そして後方の2か所の音が聞こえる。…まずは様子見といったところか?)
その時、前方で歓声が上がった。
集中していた守護主神官は反応が遅れたが、どうやら子供が見つかったようだ。
見覚えのある小さな男の子が、ナァラに抱き着いて泣いていた。
彼は、離れた場所からそれを見つめながら、額の汗を拭う。
「これで、折り返し地点か…。」
守護主神官は、正直、この森の探索について明確に巫女の安全を確保できる確証は持っていなかった。野生の狼の群れと、ましてや夜の森で戦ったことなどないし、彼らの習性も詳しく知っている訳ではない。
もちろん、自分が弱いとは思わないが、自分ならば狼の群れを退けられるなど、そんな自惚れもない。
(最悪のケースで考えるならば、全滅だろう。自分も、巫女様も喉を食い破られて死ぬ…。)
では何故、彼女の願いを聞き入れ、夜の森へ入ったのだろうか…?
子供を抱きしめているナァラの横顔と、その足の紐飾りを見つめながら、彼は知らずに物思いにふけっていた。
(そうだ、俺は、後悔だけはしたくない。死ぬのは全く怖くないが、後悔だけは二度と御免だ。)
理不尽に死の運命を背負わされた少女。
彼女が見たいと願った風景。
彼女の全ては命懸けだ。彼女は遠くない未来に死を迎える。
その死が、今日この森であろうと、神殿の儀式であろうと、もはやそんな事は問題ではない。
生憎、自分は世界の平和と目の前の少女の命を天秤にかけてその重さを測るなど、その気もなければそんな立場でもない。そういうのは偉い奴にやらせておけば良い。
死が避けられぬ確定事項であるのならば、後はどう生きるかだけだ。
避けられぬものを避けようと足掻くのも道。それを否定するつもりもない。
しかし、彼女は、今この時を生きる事を選んだ。
ならば、自分の成すべき事は一つ。
その生き様の、その死の瞬間まで、彼女の傍でその身を守るのみ。
最後に、もし生贄としての最後を迎えたとしても、彼女が生きていた事を決して忘れはしない。
だからこそ、絶対に後悔しないように…。
漸く子供が泣き止んだ頃合いを見計って、守護主神官はナァラに声を掛けた。
「巫女様。巫女様の分のランタンは灯を消して置いて行きましょう。その代わり、その子の手を引いてあげてください。」
「そうですね。ありがとうございます。」
力のこもった瞳で頷くナァラ。
「さぁ、帰りましょう!戻りましたら、巫女様にはまだお勤めがありますよ。」
それからも、確実に2つの足音が付いて来た。
あまりに順調に進むので、守護主神官はふと、6人と2匹のグループで森を歩いているような錯覚を覚えた。
(さすがにそれは…油断しすぎだな。)
皮肉気に笑いながら、しかし、小さな足音から脅威は感じられない。
この森が豊かで、食べ物には困っていないのかもしれない。
ただ、縄張りに紛れ込んだ異物がおかしなことをしないか監視しているのだろう。
気が緩んだのだろうか、目に意識が回った。
ランタンの明かりが照らす先に目をやると、ふと、整然と並ぶ植物が目に入った。ギザギザとした葉を着けたそれは、整列して植えられており、自然に群生したものではなさそうだ。
(何か育てているのか?…こんな森の奥で?)
見上げると、そこは木々の枝が払われているようで、森にぽっかりと空いたその穴から、星空がこちらを覗き込んでいた。
見張りの立つ”帰らずの森”で、部外者が立ち入ると祟りがあると噂される森の奥で人工的に育てられている植物。それは、一体どんなものだろうか?
「朧が探していたのはこいつか。…度し難いな。」
この夜の森も、様々な人々、生き物の思いを乗せて生きている。
老いも、若きも、清きも、濁りも。
人も、獣も。
生きるのは大変だ。
みんな、自分の事で手一杯。
綺麗事だけでは生きられない。
それでも、生きてゆかなければならない我々は、選択する。
願わくば、選択する勇気を。そして、その結果の責任を受け入れる覚悟を。
もし、覚悟がないなら、その選択はすべきではない。
どのくらい歩いただろうか、行く道の先に、小さな明かりが無数に瞬いているのが見えた。
どうやら森の出口が近いようだ。
守護主神官が立ち止まると、追跡者の足音もピタリと止まる。
彼は、静かに振り返り、軽く頭を下げた。
「…邪魔をした。」
大きなリスクを冒して、彼自身が得たものは何もない。
だが、子供の命、そして、それをやってのけた我らの巫女様の得たものを思えば…
(全く、後悔は無いな。)
「良い、夜だった。」
そう独りごち、森の出口に向かう仲間の背を追って、再び歩き始めた。
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【次回】 第14話:末路
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