第12話 失踪
町長の家というよりは、ちょっとした貴族の館と言われた方がしっくりと来るような、そんなお屋敷。そこであてがわれた一室で、守護主神官と管理神官が応接机を挟んで向かい合っていた。
「おかしいだろう!?俺たちの格好をして、一体何の目的だあるんだ?
名前や顔は知らないが、俺たちは互いに見れば知り合いかどうか分かる。そんな変装は意味がない!
しかし、あれは完璧な変装だ。まねて作ったというよりは、同じものを持ってると言って良いレベルだった。だが、誰も装備を奪われてはいない。
俺たちのまねをするという事は、巫女様絡みだろうが、それにしても釈然としない…。」
「・・・」
管理神官は、腕を組みながら、守護主神官が必死に話す内容に黙って耳を傾けている。
「俺の意見はこれで全部だ。…どう思う?」
一気に話し終え、テーブルに置かれた水の入ったグラスに手を伸ばしながら守護主神官が問いかける。
管理神官は、顎に手をやりながら考えを巡らせていた。
一気に水を飲み干した守護主神官は、ソファの背もたれに体を預け、顎を引いてぐっと管理神官を睨みつけるように見つめる。管理神官は一言も発さず、黙って考え続けていたが、守護主神官は辛抱強く待った。
管理神官は目を瞑り、右手で目元を覆うようにしてこめかみを押さえる。
そして、その手をどけて守護主神官を凝視してこう言った。
「そんな事をする奴がいる訳がないだろう。見間違えだ。」
「…は?」
予想外の返事に、思わず守護主神官は呆けた顔をしてしまった。
「な…。ちょっ、おま…」
「お前は職務に真面目過ぎる。見えない危険を常に警戒するその心意気は素晴らしいが、見えないものまで見えてくるとなると、ちょっと問題だな。少し休んだ方が良い。」
涼しい顔で視線を逸らす管理神官。
「て、手前!」
守護主神官が激高して立ち上がった。しかし、管理神官は目を合わそうとせず、胸元で自分の指を交差させ、小さなバツ印を作った。
「あ?」
管理神官の謎のジェスチャーに戸惑い、彼を見つめる守護主神官。管理神官は、そちらを見ず、ひたすら同じ方向を見ている。守護主神官もその目線を追うが、その先は、ただ、隣の部屋とを仕切る壁があるだけだった。
「大体、お前はちょっと神経質すぎる…。」
管理神官はスッと立ち上がり、荷物の中から一冊の冊子を取って戻ってきた。
「そういう時はこれでも読んでみろ。」
机の上に置かれた本。それは、教団の教義が書かれたものだ。
当然内容は守護主神官も知っている。この旅に持ってくる程信心深くもないが。
「お前の方が真面目過ぎだろうが。こんなものまで持ってきてるのかよ。」
管理神官の意図を汲みかねて、守護主神官はどう動いてよいか分からず、戸惑いながら言葉を返す。
「例えばここだ。」
「え?…お?」
彼が指さしたのは文章の途中の、何の意味も持たない部分。「お」と書かれている。
ご丁寧に二本の指で挟んで他の文字が見えないようにしているので、「お」なのだろう。
訝んで管理神官を見つめると、彼は自分の口に人差し指を立てた。
「他には、そうだな、これなんかどうだ?」
(ぼ…)
「ここもいいぞ。」
(ろ…)
(朧!)
目を見開く守護主神官。その瞳を受けて、管理神官は無言で頷いた。
はっとして守護主神官が先ほどの壁を見る。
(隣の部屋に朧がいる!?我々の会話は、聞かれているのか…?)
「まぁ、そんな訳だ。ありもしない脅威なんだから、今回は巫女様に危害が及ぶことは絶対に無い。」
再び見つめ合い、頷きあう。
(朧がちょろちょろしているのは想定内だが、まさか、こんな入り口が一つしかない町にまで入り込むとは…。)
そこまで考えて、守護主神官は、管理神官が以前言った言葉を思い出す。
(ネズミがいるぞ)
奉献の徒の中に、朧が混ざっている!?
(あいつら、一体何を警戒してるんだ?奉献の徒の中にスパイを送り込むなんて。普段、姿を見せずに周囲から常に監視しているとは聞いていたが…。)
向かいの管理神官は穏やかに微笑んでいる。
「分かってもらえたか?」
(朧の奴らが何に興味を持っているのかは知らねぇが、今、コイツは「今回は巫女様に危害が及ぶことは絶対に無い」と言い切った。とすれば、巫女様とは関係ない話なんだろう。朧にとって変装なんて朝飯前だろうから、話の辻褄も合っている。だから偽物の件は良しとしよう。そもそも巫女様の安全を守るという点において、奉献の徒と朧が競合することはない筈だしな。
だが…、何故朧が奉献の徒の中にいるんだ?一体、何が起こっている。お前は、一体何を企んでいるんだ!?)
「…ああ、良く分かった。俺はちーとばかし疲れてるってな。」
そして、鬼の形相で管理神官を睨みつけた。
(朧と化かし合いなんて、正気の沙汰とは思えねぇが…。巫女様に害をなすなら、朧だろうがオマエだろうが関係ない。全員ぶっ潰すまでだ…。)
管理神官と守護主神官が打ち合わせを終えて部屋から出て来ると、日は既に傾き、窓から差し込む光は、階下へと続く白磁の螺旋階段を茜色に染め上げていた。
「告解の儀の準備を始めないとな…」
「安全からすると、広場だな。湖の畔も悪くないが、もしかすると夜霧が出るかもしれん。安全上は好ましくない。」
そんなやり取りをする二人を見つけ、なにやら心配そうな顔でナァラが駆け寄ってきた。
「あの、町長さんのお孫さんが戻らないようなんです…。」
「あの兄妹が、ですか?」
守護主神官が、逃げてゆく二人の後ろ姿を思い出しながら訪ねる。
「いえ、妹さんは戻ったのですが、彼女が言うには、お兄ちゃんは森に入ってしまったと。」
「森?…確か見張りがいたと思いますが?」
「ええ、ですが、まだ小さいからでしょうが、草に紛れて、見張りの目を盗んで、森に入ってしまったみたいなんです。さっきから町の人が探しているのですが、見つからないみたいで。」
管理神官は、ちらりと窓の外を眺めてから、冷静に口にする。
「まもなく日没でしょう。ですが、町の人間以上にその森に詳しい者はいません。下手に我々が探し回っても足手まといになります。町の人間に任せるのが賢明ではないでしょうか。」
「そう…ですね。」
目を伏せて答えるナァラ。それを見つめながら、管理神官は続ける。
「私は告解の儀の準備に取り掛かります。まだ暫く時間はかかりますが、準備ができたらお呼びしますので、食事を終えたら部屋でお待ちください。」
「…あの、私も森の入り口まで行っても良いでしょうか?」
ナァラは、再び顔を上げ、管理神官を真っ直ぐに見つめてそういった。
彼女の真剣な瞳にあてられ、管理神官はため息をつきつつもそれを了承する。
「…分かりました。入口までですよ。ですが、守護主神官を同行させること。そして、日が落ちたら戻って来ること。…これで良いでしょうか?」
「ありがとうございます!」
満面の笑顔で答えるナァラ。
管理神官は、少し眩しそうにその微笑みを受け止め、他のメンバーに準備の指示を出した後、階下へと続く階段を降りて行った。
森の入り口はでは、人だかりができ、町長の老婆が大声で金切り声を上げていた。
「もう日が沈むよ!このボンクラども!子供一人森に入るのを防げないどころか、見つけ出すこともできないのかい!」
「いや、しかし町長。今日は人手が他に取られていたから捜索に回す人員が多くないんだ。仕方ないだろう。」
「仕方ないだって!?あんたうちの孫を見殺しにする気かい!」
「落ち着けって町長。だれもそんな事は言ってないだろ…。」
捲し立てる老婆を、何人かが必死に宥めている。
「あー、ありゃ面倒そうな状況ですね。」
日中に頭に拳骨をもらった青の守護神官が呟いた。
彼は、日中にもらった拳骨がまだ痛いのか、盛んに自分の頭を撫でながら様子を見ている。
「騒いだって問題は解決しないのに…」
もう一人の、背の高い方の青の守護神官が溜息を吐きながら目を細めた。
今回、ナァラの周りには守護主神官と守護神官全員の計4名で警備にあたっている。日中に警戒に必要な情報は集め終わっており、時間に余裕があることから、皆でナァラの警備として付いて来たのだ。
心配そうに顔を曇らせるナァラ。
「見つかりますかね…」
「正直、分かりません。この森は、町の広場から見下ろした際も奥行きが見通せない程大きなものでした。宛もなく彷徨えば、間違いなく道を見失うでしょう。」
守護主神官は、楽観的な憶測は混ぜず、素直に答える。
その時、森の奥から獣の遠吠えが響き渡った。
一斉に静かになる人々。
誰もが耳をそばだてつつ、しかし、お互いがお互いの様子を伺い、誰も口を開こうとはしなかった。
「狼だ。」
ぽつり、と守護主神官が呟くと、一斉に周りがそちらを向いた。
老婆が憎悪を滾らせた目で守護主神官を睨んだ。
「ふざけるな!狼なんて関係ない!孫を探すんだ…!」
それを遮るように、一人の恰幅の良い老人が叫ぶ。
「駄目だ!狼の遠吠えが聞こえた以上、捜索はできない。捜索は明朝まで打ち切りだ!」
「なんだとー!この爺!これを機会に私の孫を亡き者にする気か!」
「自分の孫の不始末だろうが!お前さんが甘やかした結果じゃないのか!そのために他の者を死なせるつもりか!」
「町長も、副町長も落ち着いて!」
取っ組み合いになりそうな老人二人を、慌てて周りの男たちが引き離す。
そうこうしている内に、捜索に入っていた男たちが森の奥から戻ってきた。
「想定される7か所の内、6か所の捜索は完了した。だが見つからない。狼の声が聞こえたから戻って来たんだ…。」
「さぁ、もう一回だ。あと1か所だろ!行っといで!」
町長は盛んに行かせようとするが、誰も森に入ろうとはしない。
「町長だって知っているだろ!もう10年近く前に、森で狼に襲われて何人も亡くなったじゃないか!」
町長はうっ、ど喉を詰まらせたように押し黙り。それから、涙を流し始めた。
その様子を見て、堪り兼ねたナァラは守護主神官を見上げる。
「守護主神官さん…」
「…なんでしょうか?」
「あの子たちを、助けてあげられませんか…。」
守護主神官は、ナァラの目を見つめ、諭すように答える。
「できません。我々の任務は、巫女様を無事に神殿に送り届ける事。それはつまり、巫女様の身の安全を確保する事です。それ以外の事に干渉することは認められておりません。」
「そんな…」
失望の瞳に心を痛めつつ、守護主神官は目を瞑り、首を振った。
「俺が、ギルを探しに行く!」
意を決したように、くせ毛の若者が大声を上げた。
「ワーケン!お前!ありがとう…!」
老婆に抱き着かれそうになって、慌ててワーケンは身を捩ってそれを避け、声を張り上げる。
「一緒に行ってくれる奴はいないか!」
しかし、その声に応えるものは誰もいない。
「そんな…」
副町長ががぜん大声で騒ぎ始める。
「そりゃそうだ、誰だって命は惜しい。狼相手に無駄死にすることは無い。」
「私が行きます。」
「だろう?夜の森で狼に襲われたら人間なんて…え?」
「私が、行きます。」
全員の視線の先、そこには、控えめに手を挙げて全員の視線を受けて立つ、ナァラの姿があった。
「巫女様!!」
度肝を抜かれて守護主神官が叫ぶ。
「ふざけるな、余所者をこの森に入れて良い訳無いだろ!」
「そうだ!この森に余所者を入れると天罰が下るぞ!」
「汚ねぇ手で巫女様に触るんじゃねぇ!!!」
ナァラを押し返そうとする男たちを一喝する守護主神官。
強烈な殺気に当てられ、周りの群衆が一斉に後ずさると同時に、ナァラの周りを守護神官が固める。
静まり返る中、守護主神官がナァラに説明を求める。
「巫女様、どういう事でしょうか?」
守護主神官の視線を真っ直ぐに受け、ナァラは思わず下を向く。が、首を振り、勇気を振り絞って再びその視線を受け止めた。
「私は、皆さんの代表である、生贄の巫女です。今も、色々な人々の思いを背負ってここに立っています。今日、私はあの子の思いを受け取りました。
…あの子は、今暗くなりつつある森で一人、泣いています。私は、あの子を助けたい。もう一度あの笑顔を見たいんです。お願いします!」
「駄目です!」
「嫌です!!」
「ぬぬぬ…」
守護主神官は、眉間に皺をよせ、黙ってナァラを見つめる。
ナァラも、負けじと守護主神官を見つめ返す。
やがて、守護主神官が鼻で笑った後、ナァラにこう語りかける。
「…分かりました。私と二人の青の守護神官で行方不明者の捜索に加わりましょう。
ただし、貴女は管理神官と町長の家に居ていただく!貴女が安全な所に居なければ、我々は子供の捜索よりも貴女の護衛を優先します。」
ナァラは、飛び切りの笑顔を見せる。
沈みゆく太陽の、その最後の光を受け、彼女の横顔は輝いていた。
彼女の背後に広がる湖のオレンジ色に輝く水面を風が走り抜け、煌めきながらそこに彩を添える。
そんな幻想的な雰囲気に包まれながら、ナァラは真剣な面持ちで、その小さな口から再び守護主神官に自分の気持ちを告げる。
「あなたの優しさに感謝します。
ですが、どうかお願いです。私も行かせてください。
生贄の巫女として、この森、森の生き物、そして男の子の無事をこの目で見届けさせてください。私が生贄の巫女として歩んでいくために、あらゆるものをこの目に焼き付け、心に刻みたいのです。どうか、どうかお願いします。」
あっけにとられる守護主神官。
そこにいた全員が、言葉を失い、守護主神官の様子を伺う中…
「はーっはっはっはっ!!!」
突然笑い始める守護主神官に、再び周囲が困惑する。
ひとしきり笑い、ようやく彼は返事をする。
「分かりました、巫女様。巫女様が森へお散歩される、その護衛をいたしましょう。
おい、巫女様はどうしても夜の森の散歩をご所望だ。これは仕方ないな。うん。護衛が必要だ!」
突然、誰に向けてしゃべり始めたのか分からない様な事を言い出す守護主神官に守護神官たちは戸惑いつつも、下された決定に笑顔を見せ、気力を漲らせる。
すると、突然真顔になった守護主神官が副町長に話しかけた。
「…ああ、それと。さっき余所者が森に入ると天罰がどうとか言ったな。
上等だ。この大陸の全ての人々の思いを受けて神殿を目指して旅をされる生贄の巫女様に天罰を下せる存在がいるなら見てみてぇなぁ?そんなのがいたら間違いなく鬼神の怒りに触れるだろうがな。
で、もっかい言ってくれないか。巫女様が森に入るが何か文句あるか?」
引き攣った顔で言葉を継げない副町長の横から、町長が深々と頭を下げて応える。
「どうぞ、どうぞ孫をよろしくお願いいたします!」
いつもありがとうございます。感想、お待ちしています!
【次回】 第13話:夜の森 9/8(月)19:02頃 更新予定です