第10話 夜語り
暗闇に、パチパチと焚火から弾けた火の粉が、まるで生き物のように舞っては消えてゆく。
空を覆い隠していた雲も、夕方から吹いてきた風に乗って飛ばされ、今では星空に夜更けの月が輝いている。
巫女の小さなテントを中心に、その入り口を警戒するように赤の守護神官が座り、赤の世話人、青の世話人、管理神官、青の守護神官、守護主神官と、円を描きながら少しずつ離れて陣取っていた。毛布を使い、思い思いの格好で眠っている。
「血の匂いにつられ、獣がやってくるかもしれない。野営地点はなるべく襲撃地点から遠くに、そして、夜は焚火を絶やさないようにしたい。」
という守護主神官の提案により、今夜は焚火に火をくべ続ける必要がある。
見張り当番の赤の守護主神官は焚火に薪をくべながら、ぼんやりと星を眺める。
そして、包帯を巻かれた自分の手や腕を見やり、己の未熟さに思わずため息をつく。
日中の戦闘。盗賊崩れのあの男を相手に、一人では完全に負けていた。互角ですらなく、守護主神官が応援に駆け付けなければ、惨めな死体を晒したのは彼女の方だったろう。
「初陣にしては良い出来だ。最近は平和で実践の機会も少ないから、貴重な経験ができたな。色々思う所はあるだろうが、次に活かせばいい。」
守護主神官はそう言っていたが…。
「はぁ~。」
ついつい、盛大なため息をついてしまうと、背後のテントの中でごそごそと動く音が聞こえた。
しまった、と思い、息を殺してテントの様子を伺っていると、中からナァラがそっと顔を出した。
声を殺して赤の守護神官が謝罪する。
「巫女様、起こしてしまいましたね。すみません。」
「ううん。私も眠れなくて…。」
「そうですか…そうですよね~。すみません、うちの主神官がガサツで変なものをお見せして…。」
「あの…隣に行ってもいいですか?」
「どうぞ、それから、敬語はやめてくださいね。」
赤の守護神官が自分の隣の小石を手で払いのけて場所を整えると、ナァラは毛布をかぶったままさっとテントから飛び出し、まるで小動物のように赤の守護神官の隣に収まった。
「それじゃぁ、そうするね。」
にひひ、と年相応の笑顔を見せるナァラに、赤の守護神官は心底ほっとする。
この娘は、あまりに年不相応な運命を背負わされている。せめて、自分といる時だけでも、年齢らしい振舞いをさせてあげたいと彼女は思った。
「実は私、巫女様より少し下くらいの、年の離れた妹がいまして、ついつい巫女様と重ねてしまう所がありまして…って不敬ですね?」
「ううん。私も、守護神官さん位のお姉ちゃんが欲しいなって、思ってたの。」
「あらあら、じゃぁ私の事はお姉ちゃん…とは呼べないですね。」
「そうね…。怒られるね。」
二人の頭に、管理神官の仏頂面が浮かんだ。
「じゃぁ、巫女様の事、ナァラ様とお呼びしましょうか?」
「…ごめんなさい、その名前、あんまり好きじゃないの。」
「あらら、これは失礼しました。じゃぁ巫女様のままで。」
その意外な答えと、ナァラの沈んだ瞳に驚きつつ、何事もなかったように答える。
ひときわ大きい風が通り過ぎ、焚火から多くの火の粉が舞う。
その火の粉が空の闇に吸い込まれるように消えてゆくのを見つめながら、守護神官が語り始める。
「護衛なのに、役に立てなく申し訳ないです。」
「え?そんな…。身を挺して守ってくれてありがとう。こんなに怪我をして…あなたがいなかったら、その傷をおったのは私だったかもしれないでしょう?…って、ずっと怖くて隠れていた私が言うのも何だけど…。」
「いやいや、そう言っていただけると元気が出ますね。
でも、実際、主神官がいなかったらあんな野盗でもてこずってしまうという事実に、実力不足を感じている訳です。って、巫女様を不安にするような事言っちゃダメか。まぁ、結局主神官がいるから問題ないんですけど。」
「あの叫び声も凄かったよね。」
「いや、ほんとにもう。戦闘中なのに全員そっち見ましたからね。
で、戦いが終わった時に、主神官が尻もちついてる私に手を差し伸べてくれたんですけど…返り血を浴びていて微笑んでるもんだから、ちょっと人ならざるものというか、あ、コレ鬼神様かな?みたいな。」
「ふふふふ」
「しー。駄目ですよ、みんな寝てるんですから。」
「わ、分かってるけど…ふふふ。」
「主神官に聞かれたらヤバいんですから、声は小さくお願いしますよ。」
「はーい」
「でも、めちゃめちゃ強かった。いるんですね、ああいう”格が違う”人って。」
ふと、ナァラが顔を伏せて沈黙する。そして、少し迷うそぶりを見せ、それからそれから再び顔を上げる。焚火を映し出すその瞳は、揺れているように見えた。
「…守ってもらった事、感謝してるの。」
「え?」
「でも、同時に、私たちを襲って、守護神官さんたちに切られた人の事を思うと、どう考えて良いのか分からなくて。」
「…誰だって、人が死ぬのを見るのは怖いです。」
「それはそうなんだけど…そうじゃなくて。あの人達、痩せて、身なりもみすぼらしかった。あの人達は、あの町で見た路地裏の人達と一緒なんじゃないかなって…。」
「…あ~。まぁ、確かに、食べるに困って盗賊に身をやつした、って雰囲気はありましたね。バリバリに稼いでいる盗賊団って感じでは無かったです。」
「でしょう?そしたら、考えてしまうの。守護神官さんたちが、あの路地裏の子供たちに剣を向ける姿を。」
「えぇ!?」
思わず出た大声に、慌てて自分で自分の口をふさぐ赤の守護神官。
思わず見つめたナァラの横顔は、焚火の揺らめく炎に照らされて、何だか切なそうに見えた。
「だって、路地裏の人たちも、一歩間違えば盗賊になっているってことでしょ?ただ、生き方が違うだけ…」
「…守護神官はそんなことしません。」
「でも、もしあの町で落としたパンが私の物だったら、守護神官さんはどうした?」
「それは、まぁ、取り返そうとしますかねぇ。巫女様のものだし。」
ナァラは星空を見上げる。夕食の時から比べて、月は大分傾いたようだ。
「どうして殺したり殺されたりしなくちゃいけないのかな?」
巫女様よりもはるかにやんちゃな自分の妹が言ったとしても胸を抉られるような言葉。それを、こんなにおとなしい14歳の少女に言わせている。その強烈な罪悪感を感じながらしかし、彼女は自分の守護神官としての矜持を胸に、背筋を伸ばして答える。
「巫女様。主神官が日中言った言葉を覚えていますか?」
「え…?」
「行動には責任が伴う。その責任から逃れる術は存在しない。」
守護神官がナァラを見つめると、ナァラも見つめ返す。
「彼らは、落ちたパンを拾って生きる道を選ぶ事も出来た。けれども、違う道を選択した。
彼らが、武器を持って我々を襲った時点で、その責任から逃れることはできなくなりました。それに対して、私たちも武器を持って応戦し、彼らにその責任を取らせた訳です。人の命を狙う以上、どんな理由であれ相応の結果を迎える可能性はあると。」
「…」
「だって、落ちたパンを拾うのと、人の命を脅かして荷物を奪うのに、同じ責任な訳が無いじゃないですか。」
再び焚火に向き直り、薪をくべる守護神官。
ナァラは黙ってその様子を見つめる。
「そして、それと同時に、私たち守護神官たちも、相手の命を奪ったという責任を負ったんです。だから、今日戦った誰かの家族だとか、仲間だとかが私たちを襲ってきても、逆恨みだとなんだとかではなく、淡々と受けて立つだけなんです。それが、人の命を奪ったという責任だから。もちろん、やられるつもりはないですけどね。」
「そんな!みんなは私の為に…」
「主神官とはこの任務で初めて会ったのですが…、初めに私たち守護神官たちに言ったんです。剣を持つ以上、その責任の連鎖からは逃れられない。それでも、その痛みを抱えつつ、胸を張って生きろと。」
ナァラが見つめる中、守護神官は恥ずかしそうに笑う。
「だから、なんです。
武とは誇るものではなく、隠すもの、攻めるものではなく守るためのもの。ただし、一旦振るうと決めたなら徹底的に。相手の牙を折るまで止まらない、みたいなこと言ってたでしょ、あの人。つまり、自分からは手を出さないんでしょうね。」
「…」
「こんな言葉がスラスラ出てくるなんて、普段からずっと考えてる、もしくは考えていたんでしょうね。どんだけ真面目なんだ!」
風でなびいた髪を手で抑えながら、赤の守護神官は続ける。
「まぁ、なんとなく守護神官をやってた私にとっては、結構大きい一言でした。だから今日、彼らに責任を取らせ、自分が責任を背負ったことは、巫女様を守るためにやったことだと、誇りに思っています。」
ナァラは、何気ないその一言に衝撃を受ける。
彼女たちに責任を負わせた自分が偽物の巫女であることがあまりに苦しく、呼吸が浅くなるのを感じた。
(私のために人の命を奪って、実はそれが偽物だったなんて分かったら、みんなの誇りまで奪ってしまう…。そんな…。ど、どうしよう…。)
「まぁ、なんだか大層な事言いましたけど、実際は自分の妹みたいな巫女様の事が、みーんな大好きなんですよ!」
思考の暗い海に沈みこもうとしてナァラは、赤の守護神官に抱き着かれてふとそこから引き戻される。
「え?わ、私!?いや、私、皆さんと違って、何の取柄もないし、なんか、巫女ってことになってるけど、多分何かの間違いで…」
「ふふふ。ご謙遜。めっちゃ頑張ってるじゃないですか。巫女様。こんな14歳見たことないし、てか、比べたらうちの妹なんかただの野ザルですよ。」
「の、野ザルって…ぷっ」
「あ、笑った。ひっどーい。」
「いや、今のは守護神官さんが!」
「って、ちょっと騒ぎ過ぎです!お静かに!」
「ちょ、そっちだって!分かってまーす!」
どちらかともなく、笑い声が漏れる。
「ふふふ」
「あははは」
静かな森に、二人の笑い声が響いた。
ナァラは、ともすれば憂鬱な気持ちになってしまう自分の感情を扱いかね、一旦自分の罪悪感に蓋をすることとした。そして、赤の守護神官の優しい言葉に身をゆだねる。
胸がチクチクと痛いし、色々不安なことはあるけれど、この人達と一緒にやっていこう、とナァラはそう思う事にした。
(今、私は生きている。いまは、それだけでいい…)
巫女と赤の守護神官の話声で目が覚め、しかし、良い雰囲気であることから水を差すこともできず、奉献の徒の一行は、ただ、風に吹かれ、星空を見上げながら、彼女たちの言葉に耳を傾けていた。
宵空に一筋の星が流れたが、静かに語り続ける二人だけが、その存在に全く気が付かなかった。
翌朝は風の少ない一日で、順調に旅は進んだが、皆眠そうで、特に守護神官たちのテンションがおかしかった。
「やっぱりお前、今度酒を奢らせてくれ!」
突然守護主神官に絡まれて困惑する赤の守護神官。
「え?そんな機会、無いですよね?しかも、やっぱりって何の話です?」
何故か乗っかってくる青の神官達。
「俺たちも行きます!」
そして管理神官は、それを見ても何も言わず、渋い顔をしながら、黙々と先頭を歩いていた。
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これにて2章は終了です。
【次回】第3章:湖畔の町、第11話「兄妹」 9/1(月)19:02頃掲載予定。