第9話 武力
足元に突き刺さった矢に反応して、管理神官が飛び退くと同時に、守護主神官が剣を鞘から抜き放ちながら叫んだ。
「世話人は馬の間で巫女様を囲んで肉の盾になれ!守護神官は敵の数を報告しろ!」
睨みつけたその先に、木の陰からこちらに矢を放った二人の男。そして隠れていた敵も姿を現す。
「右翼、敵5名!」
守護主神官が再び叫ぶ。
それに応える声。
「左翼、4名!前方敵なし!」
「後方2名!」
管理神官と守護神官たちが剣を構え、辺りを睨みつける。
敵の身なりはみすぼらしく、恐らく野盗の類だろう。得物は剣と…半数が弓を引いてこちらを狙っている。雰囲気から察するに、右翼にいる体格のいい男がリーダーだろうか。
守護主神官がチラリと巫女を確認すると、ナァラは、訳も分からず地面にうずくまり、その周りを世話人たちが体を覆うように囲んでいた。
(5対11。姿を見せ、威嚇をしてきたという事は荷物狙いか。)
唐突に、リーダーらしき男が叫んだ。
「死にたくなきゃぁ馬と荷物、そして女を置いてとっとと逃げな。」
それに応えて、管理主神官が吠える。
「貴様ら、我々が生贄の巫女様をお守りする奉献の徒と知っての狼藉か!」
生贄の巫女-その名を聞いた途端、盗賊達に動揺が走った。
互いが互いの顔を見つめあい、最後にはリーダーらしき男に視線が集まる。
その男も、驚きのあまり咄嗟に声が出せずにいた。
「生贄の…」
戦場において、一瞬の隙は命取りとなる。
「殲滅しろ!」
守護主神官が叫び、放たれた矢のような勢いで右翼の敵に突進した。
動揺していた男たちは慌てて弓を引き絞って矢を放とうするが、一人は守護主神官の投擲したナイフが喉に突き刺さり、もう一人は赤の守護神官の放った矢に腹を貫かれてその場に崩れ落ちた。
「なっ!?」
低木を蹴散らしながら、動揺する相手との距離を一気に縮めた守護主神官が勢いをそのままに切りつける。必死の形相で剣でそれを受けようとした哀れな男はしかし、一気に押し切られ、肩から斜めに、一振りの下に切り伏せられた。
「ああああぁぁ!」
響き渡る悲鳴。
先程弓を放った赤の守護主神官は、敵に向けて走りながら二射目の矢を番えるが、敵の反撃の方が早い。相手の視線と矢先からその軌道を読み、身をよじりながら矢を避けると、後方で何かを穿つ音と共に女の悲鳴が上がった。歯を食いしばって振り向くのを耐え、上体が傾いたまま応射。そのまま弓の反動で倒れ込み、横に二度回転して木の陰に転がり込むと、鈍い音とともにその木に矢が突き立った。
休む間もなく木陰から飛び出し、敵に向かって弓を投げつけてそのまま敵に突っ込んだ。
咄嗟に飛んできた弓を剣で払ってしまった男は、突っ込んでくる赤の守護神官を躱しきれない。抜剣し、跳躍した彼女は、そのまま相手に激突した。
下敷きになって倒れた男は、自分の胸に突き立った剣に目を見開く。赤の守護神官は、突き立ったままのその剣を支えにして立ち上がったが、目の前の血だまりに思わず目が釘付けになる。
目の前の惨状に呆然とする赤の守護神官はしかし、一瞬膝が震えたことで我を取り戻し、荒れた呼吸を整えながら剣を引き抜き、先程悲鳴の上がった方に目をやった。
彼女が躱した矢は、馬の背に乗せた荷物に刺さっていた。怪我人がいないことに安堵していると、守護主神官の鋭い声が響いた。
「後ろ!」
彼女が慌てて振り返ると同時に剣で斬りつけると、リーダーらしき男の袈裟斬りとぶつかり火花が散った。
「赤の神官!すぐに行く。持ち堪えろ!」
守護主神官は、列の後方で2人の敵を相手に苦戦している管理神官の方へ走りながら赤の守護神官に叫ぶ。
赤の守護神官は、重い一撃に体勢を崩しながら、守勢に回りつつ隙を伺う。
(この男、できる。傭兵崩れか何かか…?)
数度剣を受け流した後、反撃に転じる。
円運動を中心とした流れるような剣さばきで、息をつかせぬ猛攻に出た。
「くっ!」
必死でそれを迎え撃つ男。
だが、攻撃はことごとく防がれてしまった。攻めきれない赤の守護神官は、一旦距離を取って様子を伺う。
男は、ニヤニヤしながら言い放つ。
「お前、実戦は初めてか?上品な連続攻撃だが、攻撃が浅すぎるぜ。」
「黙れ!」
事実、赤の守護神官が命のやり取りをしたのはこれが初めてだった。見透かされた、という思いが、剣に迷いを生じさせる。
その隙を見逃さず、猛攻に出る男。
「ははっ、どうしたどうした!」
赤の守護神官は必死で防御するが、ジリジリと押され始める。
「今度は急に直線的になったぞ!」
相手の言葉を意識すればする程、どう動いて良いのか分からなくなり、赤の守護神官は動きに精彩を欠いていく。
雑になった一撃にうまく力を合わせられ、彼女の剣が宙を舞った。
「あっ!」
「今度はこっちの番だぜ!」
加虐心に満ちた瞳で睨み、男は口元を歪めると、大きく振りかぶった一撃を叩き込んだ。
「オラァ!」
あっと言う間に守護主神官に切り伏せられた男は、ふらふらと歩きながら、馬の横でバタリと倒れた。二頭の馬の間で巫女に覆いかぶさるようにしていた赤の世話人が短い悲鳴を上げる。
守護主神官が次に向かうべき赤の守護神官の方を向くと、彼女は既に得物を失い、敵から距離を取ろうと必死だった。しかし、低木が密集する足場の悪さに、思うようにそれが叶わず、鞘を掴んで凌いでいるが、敵の攻撃に腕がみるみる傷だらけになってゆく。
相対する男の方も、獲物を嬲るように、わざと浅めに攻撃を入れて楽しんでいる様子が、その恍惚とした表情からありありと見られた。
守護主神官が鬼の形相のまま大きく息を吸い込む。
「オオオオォォォ!!」
そこにいた誰もが、岩が爆ぜたのかと思うようなその凄まじい咆哮に一斉に釘付けになる。
何が起きか良く分からずそちらを見つめていた野盗のリーダー格の男は、呆然としつつも、猛烈な勢いで突っ込んでくる巨体の男を認識して慌ててそちらに向き直って迎撃態勢を取った。
大きく振りかぶったその体勢を見て、男は咄嗟に剣を前に出し、体重を乗せた振り下ろしに備える。が、実際放たれたのは手首を返した下からの強烈な振り上げだった。
必死で腰を引いて体を逸らし直撃を避けつつ、前に出していた剣で顎を狙ったその斬撃を受け止める。強烈な一撃に力負けそうになるが必死で剣を支え、何とか堪えるが、僅かに体が浮き上がった。
「シィッ!!」
守護主神官が掛け声とともにその体勢から後ろ足を大きく蹴り進み、男の首の前で均衡を保っていた剣が、真っ直ぐその首に吸い込まれ、ゴッ、という鈍い音とともに、男が後ろの木の幹に縫い留められた。
「右翼殲滅!状況を報告しろ!…む?抜けん。」
赤の守護神官は思わずヘロヘロと尻もちをついた。
目の前で敵を串刺しにした剣は、若木という事もあったが、完全に幹を貫通し、貫かれた男は空中で縫い留められており、一目で絶命しているのが見て取れた。
「左翼も殲滅です!」
「後方、殲滅!」
守護主神官は、串刺しにされた男の体に無造作に片足を掛けて突っ張り、その体を潰しながら剣を引き抜いた。
「よし、戦闘終了!」
守護主神官は、笑顔で立てないままの赤の守護主神官に手を差し出しす。
「大丈夫か?よくやった。すぐに傷の手当をしてもらおう。」
彼女は、血に濡れたその凄みのある笑顔にこの世のものでは無いものを見ているような気がして、一瞬寒気が走ったが、気を取り直してその手を掴んだ。
「あ、有難う、ございます…。」
「巫女様、もう危険は去りました。驚かせてしまい申し訳ありません。野盗による襲撃でした。が、守護神官達により撃退いたしました。」
管理神官に声を掛けられ、彼女を守っていた世話人たちがよろよろと立ち上がる。
彼らの下でうずくまっていたナァラは、そっと顔を上げる。
「ひっ!」
馬の脚の向こうに、土のような顔色をした男がこちらを向いて倒れていた。だらしなく口を開け、視線は明後日に方向を見ている。
ナァラは、目を逸らすことができず、その姿勢のまま男を見つめる。ナァラ自身はこの男を見たのはこれが初めてだ。だが、先ほどまでは生きて、自分たちを襲っていた筈の誰か。
けれど、今目の前に見えるそれはまるで、良くできた人形のようで、それが一層気味悪く、どう受け止めていいのか分からなかった。
「巫女様、さぁ、立ち上がりましょうか。」
ナァラが何を見ているのか気づいた、痩せた方の赤の世話人が声を掛ける。
一瞬、彼女の顔を見上げた後、再びナァラは物言わぬ男を眺めた。衣服はボロボロで、痩せた体からは、とても裕福な暮らしをしていた様には見えない。
物思いにふけるナァラ。すると、馬の脚の向こうから、誰かの足がこちらに近づいて来るのが見えた。その足は、倒れた男の傍らで立ち止まると、おもむろにその首に剣を突き立てる。
「!!」
「主神官さま!!」
噴き出す血潮。咄嗟に叫ぶ赤の世話人。
「ん?…あ!申し訳ありません!巫女様から見えているのに気が付きませんでした。」
守護主神官は慌てて男の首とナァラの間にしゃがみ込み、自分の体を挟んで視線を遮ると、さらにマントを広げて完全に男をナァラから隠した。
「巫女様、大丈夫ですか?」
ナァラは赤の世話人に支えられて、よろよろと立ち上がり、そのまま彼女にしがみつく。ナァラの顔色は悪く、足に全く力が入らなかった。
その状態のまま守護主神官の方を見ようとするが、彼の背中は馬に遮られて見えなくなってしまった。
「非常識です!一体何をしているのですか!」
痩せた赤の世話人ががなり立てる。
「…何を?見てのとおり、息の根を止めていた。」
「野蛮な!もう戦いは終わったのでしょう!なぜ態々命を奪う必要があるのですか!」
赤の世話人は、見えない相手の背中を睨みながら怒りを隠そうともしない。
ナァラは、姿の見えない守護主神官の声色に、少し寂しさが混じっているように感じた。
「ははは、野蛮か。そうかもな。
だが、我々は任務として確実に仕留めなければならん。一人でも生きていたらどうなる?次の宿営地で襲われるかもしれん。または、仲間を呼びに行くかもしれない。」
「捕まえればいいでしょう!」
「捕まえる?我々はこの国の警吏でも何でもない。想像してみろ、この奉献の徒が罪人を連れて歩くのか?そんな資材も、人材も足りていないぞ。我々の任務は何だ。」
守護主神官の言葉に、悔しそうに赤の世話人が答える。
「…それでも!無暗やたらに命を奪うのは承服しかねます!」
「承服しかねる?お前さんの無責任な感情論などどうでも良い。しかし、彼らは我々を襲わなかったとしても、他の誰かを襲っただろう。当たり前だが、行動には責任が伴う。ましてや武器を手に取った以上、その結果の責任から逃れる術など無い。
今回に至っては、巫女様を襲ってしまった。それはつまり、神へ、世界へ楯突くことと同義。お前さんが気にするとか、そういうレベルの話では無い。」
赤の世話人は歯噛みするが次の言葉が出てこない。
「それともあれか。鬼神様にでも始末してもらえってか?自分の手を汚さなくていい、大変結構な提案だな!次襲われた時は是非頼むぞ、巫女様に危害が及ぶ前にな。」
ふと、馬の背の向こうに守護主神官の背中が見えた。どうやら立ち上がったようだ。
振り返らずに、彼が告げる。
「巫女様、配慮が足りず申し訳ありませんでした。」
そのまま少しためらった後、再び口を開く。
「…我々にとって、武とは誇るものではなく、隠すもの。攻めるものではなく守るためのものです。ただし、一旦振るうと決めたなら徹底的に、相手の牙を完全に折るまで止まりません。そもそも我々は警吏ではなく、相手を捕縛するという選択肢は無いのです。
我々は、常に最悪の事態を想定します。目の前の弱そうな敵は、隠れた強敵から目を逸らすための囮の可能性もあります。
あらゆる最悪から、貴女をお守りする為に、我々は存在しているのです。
…失礼いたします。」
そのまま、何かを抱えて遠ざかってゆく。
彼の立ち去った後には、そこに横たわっていた誰かの姿は無く、ただ、血だまりだけが残されていた。