プロローグ
突然、村長から告げられた。
「お前は、生贄の巫女に選ばれたんだ。」
生贄の巫女。毎年、春の始まりとともに、この大陸から一人の少女が神様から選ばれる。彼女は、神殿までお供と旅をして、道すがら人々の懺悔を聞き、やがて、そのすべての罪を背負って生贄として散ってゆく。
「巫女様のおかげで、私たちは平和に暮らせているんだ。」
小さいころから、よくそういう話は耳にしたし、14歳になった今でもそれは変わらない。
「これは、大変名誉なことだ。」
名誉って、何だろう。何も感じない。
「この村から巫女様が出るなんて、皆も凄く喜ぶだろう。」
ああ、なんだか、お義父さんとお義母さんに会いたくなってきた。
とても優しかった二人は、私が7歳の時に流行り病で亡くなった。他に身寄りのない私は、お義父さんの甥にあたる、村長の家に引き取られた。村長さんは私を見た時、すごく嫌そうな顔をして、お義父さんの悪口を言っていた。
悲しかったけど、私には何もできなかった。
それから私は使用人として、村長の家で朝から晩まで働くことになった。食べ物は残り物しかもらえなくても、固い床で眠ることになっても、面倒を見てもらえるだけありがたい、感謝しなきゃいけない、って自分に言い聞かせた。
同い年だった村長の娘さんは、よく私に意地悪をした。彼女のやった悪戯は全て私のせいにされ、悔しくて、一度「やったのは全部彼女だ」って言ったら、怒った村長さんに何度も殴られて、恥知らずだと罵られた。だから、私は二度とそんなことは言わなくなった。
でも、時々お義父さんお義母さんの事を思い出してしまい、悲しい気持ちがおさえられなくなって、その度に寝床で声を殺して泣いた。
「おめでとう。明日は朝早くに迎えが来る。今日はもう寝なさい。」
今まで聞いたことのないような優しい声で村長さんは言った。
「ああ、それと、お前は明日からナァラと名乗るんだよ。」
…どういう事だろう。ナァラは村長さんの娘の名前だ。冗談でもナァラなんて名乗ったら、また打たれるかもしれない。
「お前の名前は?ほら、言ってみなさい。」
村長さんは私の両肩に手を乗せてきた。
私が戸惑って何も言わないでいると…村長さんの指が、私の肩に食い込んだ。
「お前の名前は何だ、言え!」
突然の激しい痛みと恐怖にうまく声が出せず、それでも必死に、やっとのことで声を絞り出す。
ナ、ナァラ。ナァラです!私はナァラです!
「まったく、どん臭い奴だ。いいか、本当はナァラじゃ無いなんて事、絶対にばれないようにするんだぞ。もしばれたら、これは、神に対する裏切り行為だ。そんなことになれば、お前は鬼神の裁きを受ける事になるだろう。ただでは済まない。楽に死ぬこともできない。いいか、絶対だぞ。絶対に誰にもばれないようにしろ!…分かったらさっさと寝ろ!」
台所の床の上に敷いた薄い布団にくるまりながら、きつく閉じた私の両目から、止めどなく涙が溢れてきた。
誰にも必要とされず、他人の身代わりにされ、果ては、神様まで騙してしまって、そして、生贄として消えていく。
私は、一体何なんだろう。何のために生きているのだろう。
全然眠れなくて、涙が止まらなくて、まんじりともせず夜明けを迎える。
頭がぼうっとしたまま、ついに迎えの使者が到着した。
私は、村長に腕を引かれて家の外に出る。朝早いからか、村人は誰もいない。
山間から覗く朝日が鋭く目を刺した。春の朝の凛とした空気に、身震いする。
思わず、目の前の風景に目を奪われた。
玄関先の、小さな村の早朝の風景。それがとても美しいものに見えた。
理由は良く分からなかったけれど、村長に引き取られてから、私の事は他の人には見られちゃいけないと言って、ずっと家から出してもらうことはできなかった。
ああ、ずっと出たいと思っていた家の外。こんなにあっけなく、外に出ることができた。
こんな時に、何だかワクワクしてしまう自分を少し残念に思いながら周りを眺める。
そして、すぐそこに異様な一団がいることに気が付いた。
旅用のマントに身を包んだ10人ほどの集団は、半数が腰に剣を佩いていた。
そして、その全員が、目元を隠す半面を着けており、表情の見えない瞳でこちらを見つめている。
先頭の男と目が合った。
何も言わず、じっとこちらを見ている。何だか、底の見えない井戸を覗き込んでいるようで、心がざわついてしまう。…もしかして、私が偽物だってことに気付いているの?急に息が苦しくなる。互いに一言も発さず、永遠とも思える時間が流れる。
あ、あの…
声をかけようとしたけれど、声になったのかどうか怪しい程のかすれ声しか出なかった…。
それに反応したのか、そうでないのか。ふと、男がこちらに近づいて来た。ひっ!ご、ごめんなさい!
男は私の少し手前で止まり、顔の前で手を組んで、よく響く声でこう言った。
「私は今回の奉献ほうけんの徒との責任者を務める、管理神官です。貴女のお名前をお伺いしても?」
心臓の音が酷く大きく響く。口の中が乾いてうまく言葉が出ない。わた、私は…
「こちらがナァラです。この度はどうぞ…」
隣の村長がそう言いかけると、突然男が、仮面の下からでも分かるほど形相を歪ませて村長を一喝した。
「黙れ!貴様には聞いておらん。下がっていろ!」
村長は慌てて後ろに飛び退いて扉に背中をぶつけ、そのままその場にひれ伏した。
私はびっくりしてしまい、その場で硬直してしまった。やっぱり、ばれている…?
男の人はこちらに向き直り、咳ばらいをした後、表情を和らげて再び口を開いた。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、失礼致しました。貴女のお名前をお聞かせ願えますでしょうか。大変申し訳ないのですが、私たちは職務の関係上、自分たちの名前を名乗ることができません。それでいて、貴女のお名前をお伺いすることをどうかお許し頂きたい。これは、巫女様を確認する上で必要なやり取りなのです。」
やっぱりばれてはいない?私に怒ってはいないようだけれど、何故村長さんが怒られたのかさっぱり分からなくて、混乱する事ばかりで…ようやく絞り出した、その名前。
「ナァラ。…私の名前は、ナァラです。」
管理神官さんが片膝を地面につき、再び顔の前で両手を組んで高らかにこう告げた。
「巫女様。我々がこの度の旅路のお供をさせていただきます。不安な事もあろうかと思いますが、巫女様が少しでも心穏やかにその任を果たせるよう、我ら全身全霊を持ってお仕えさせて頂きます。」
そして、私が生贄になるための旅が、始まった。