幸せの総量
サンブルクにたどり着くには、まだ開発されていない荒れた土地を歩く必要がある。
山や崖があちこちに存在し、狭い隙間道を通らなければいけないこともある。これらは奴隷が簡単に逃げ出さないための工夫だ。
このあたりの土は非常に柔らかく、雨が降ればぬかるみもできる。よって、乗用車でサンブルクにたどり着くことは非常に困難である。大きな車輪を取りつけた専用の馬車を使う必要があった。
エーデルブラウの4人はレイスを連れて、町の入り口に停めてある2頭の馬が引く馬車へと向かいながら町の雑踏に耳を傾ける。
「なんだぁ? 騒がしいな」
「ブラウ、早く行きましょう。こんなところでチンタラしてる暇はないわ」
「そう急かすなよ、ハンナ」
そのときだった。
突然飛び出してきたうら若い少女が、ブラウの体にぶつかる。
頬に焼き印の刻まれた少女は、エーデルブラウの姿を見て恐怖に顔を歪める。
「……も、申し訳ございません……わ、わたし……前方不注意で…………どうか慈悲を……」
ブラウは口を開く。
「服に泥がついたぞ」
その様子を見ていた通りすがりの青年が駆けつける。
「ブ、ブラウ様! 彼女は見ての通りまだ幼い。私が代わりに罰を受けます!」
「お前が責任を取るのか?」
ブラウの言葉に、青年の体が硬直する。少女は青年の服の裾を掴み、恐怖で震えている様子だ。
「は、はい……どんな罰でも」
「そうか」
次の瞬間──ブラウの体から激しい赤色の電気が放たれる。
その光景を見ていた町民たちは悲鳴をあげる。
ギフト……世の理を覆す超常能力。
青年は死を覚悟し、目を閉じる。
「……」
しばらくの静寂ののち、目を開く。
そこには変わらずブラウの姿があった。既に赤色の電気は消えている。
……何も起きていない。町民たちは押し黙る。
ブラウは青年の肩に手を置く。
「冗談だ」
そう言って笑い、青年の横を通り抜けていく。
その場にいた誰もが安堵で息を漏らす。
慈悲をいただいた──そう思った瞬間。
青年の首が、落ちた。
ゴト、と鈍い音を立てて地面にぶつかり、転がる。
頭を失った胴体の切り口から血が噴き出し、青年の服を掴んでいた少女の体へと滝のように降り注ぐ。
「──────」
この世のものとは思えないほどの絶叫が轟いた。
悲鳴、咽び泣き、嘔吐……その場は一瞬にして地獄絵図へと塗り替えられた。
レイスは膝から崩れ落ち、喉へと込み上げてきた吐しゃ物を必死に押さえる。
その腕をハンナが掴み、強引に立ち上がらせる。
「歩きなさい」
ハンナは思考する。
……レイス、という名前だったか。容姿の美しい女だ。
ブラウはきっと彼女を犯すために連れていくのだろう。
ハンナは、ブラウに対して特別に恋愛感情のようなものを抱いているわけではない。ただ、彼の夢と圧倒的な強さに魅入られた1人でしかなかった。
「人間は平等じゃねぇ。幸せになるやつと、不幸になるやつ、キッチリ分かれてる。俺は、俺のことを好きでいてくれるやつらが幸せならそれでいいんだよ」
幼い頃、彼はそう言った。
それは願望ではなく、ブラウの夢だった。
……戦争は金になる。
他国を侵略すれば、土地と資源が手に入る。そうすれば国は潤う。
ブラウという才能に国が目をつければ、シュバルツ王国は今以上に躍進することになるだろう。最強の軍事国家としてだ。
国が潤うということは、国民の幸せの総量が増えるということ。
ブラウもハンナも、そう信じて進み続けてきた。
国から目をつけてもらうには、冒険者としての名声が必要になる。そのためにギルドも組んだ。
ブラウは駆け出し冒険者にして、今や王国最強という大層な噂まで流れるほどになった。
しかし、名声というのは人を変えてしまうらしい。
先ほどの2人やレイスに、ハンナは同情の念を抱かないでもなかった。しかし彼の夢の『尊い犠牲』だと思うことで自分を納得させていた。
ブラウは世界を変える。その力がある。
──私はただ彼の夢を支援するだけだ。
町の入り口へとたどり着く。
エーデルブラウはレイスを連れて馬車へと乗り込んだ。
「さぁ、いくぞお前ら」
ブラウの声に反応して、馬が歩き始める。
奴隷の町・サンブルク。
彼が幼い頃に言った『不幸になるやつ』が集まった町。
ハンナはため息をつく。
立ち寄るべきではなかった。早く忘れよう。
そうしてようやく、エーデルブラウはサンブルクを出発する──
「ん〜? なんだアレ? 人がいるぞ」
しばらく進んだところで、お調子者のカールが口を開く。
彼の視線の先──崖横の道に1人の女が倒れているのがわかる。
「死んでんのか〜? いや、ちょっと動いてるな」
黒髪で、ボロボロの服を着た女だ。
彼女はこちらの接近に気づいて顔をあげる。その左頬にはヘンテコ保持者の証である国章の焼き印が刻まれている。
やがて馬車は女のすぐ前までたどり着き、馬が足を止める。
カールが立ち上がり、声をかける。
「おい、ヘンテコ女〜。そこをどけ、通れないだろ」
「……あ、ああ…………冒険者様ですか?」
女はか細い声で、縋るような視線を向ける。
「水を……水を恵んでもらえませんか」
「ああ〜? なんで俺たちがヘンテコに恵んでやんなきゃいけないんだよ。雨が降ってくることでも祈りな」
女とカールのやり取りに業を煮やし、ブラウが馬車から顔を覗かせる。
「何やってんだ。早くその女をどけろ」
すると女はおもむろに立ち上がり、天を見上げて、祈るように手を合わせる。
「ああっ! 神様、どうかこの奴隷に天の恵みを!」
その奇行に、エーデルブラウの4人全員が顔をしかめる。
「薬でもやってんのかぁ〜? もういい。ブラウ、こいつ殺しちゃっていいか?」
「構わん。とっととやれ」
カールが自身の武器──槍に手を伸ばそうとしたそのときだった。
視界にうつる景色が、数トーンだけ暗くなる。
馬車に、影が差したのだ。
目の前にいる女は、指を空に向けて差し、口元を歪ませて笑う。
「──祈りが届いたみたいだよ」
咄嗟に、エーデルブラウの4人と、レイスが頭上を見上げる。
巨大な何かが空に浮かんでいた。
岩。
岩だ。
あれが日光を遮り、影が差したのだ。
全長10m以上はあるその巨大な岩は、紫色の電気を纏いながら突如として空に出現した。
全員が呆気に取られる。
その瞬間。
その隙を、黒髪の女──アインスは見逃さなかった。
地面を蹴り、馬車へと駆け出す。太ももに差していた双剣を抜くと同時に、大きく跳躍する。