闇《アインス》の意志
樹木に囲まれ、石畳で整備された空間。ぽっかりと空いたその場所に、レンガ調の隠れ家は建っている。2階建てで急勾配の三角屋根が特徴的だ。
扉の前では仲介人デミスと、戦闘員として雇われたフーゴが話している。
「デミス……今の見たかァ」
「ああ。何かが壁を突き破って家に入っていったな」
「放っておいていいのか」
「問題ない。あれは捕えられた勇者か、銀髪の少年の位置を特定するような能力だ。敵は必ずここにやってくる」
「ロルフかァ?」
デミスは答えない。
不確定要素について話す必要はない、という判断だ。
「来たぞ」
樹木から2つの影があらわれる。どちらも小柄なもので、1人は月の光を反射する美しい金髪の少女。その右手には巨大な両刃剣が握られていた。
もう1人は、闇に溶け込む黒髪の少女。両足の太ももに短剣を差しており、どこか不気味な雰囲気がある。
デミスは表情ひとつ変えず、2人を観察する。
ロルフ・ローレンスはいない。樹木に潜んでいる可能性はある。
デミスは『白銀の翼』の隊員の顔をすべて記憶しているが、この2人は誰にも当てはまらない。討伐隊の他のメンバーか、あるいは……
2人の少女はデミスたちの目の前までたどり着く。
「君たちは何者かね」
デミスの問いに、黒髪の少女が答える。
「アインス。こっちはツヴァイだ」
明らかな偽名だ。用心深い女だとデミスは察する。
「アインスくん、名前を聞いているのではない。君たちは何者かと──」
アインスはデミスを指差し、彼の問いかけを遮る。
「君は私たちの正体を知らないが、私は君たちのことをよく知っている。ベンヤミン・シュバルツの指示でヤンとウドを雇った仲介人……デミスだ」
アインスはデミスの表情を観察するが、感情の変化は見られない。
「正体について教えるつもりはない、ということかね。では質問を変えよう。ここに何をしに来た?」
決まっている。
仲介人であることを知っているということは、この2人はロルフと繋がっている。当然、勇者の救出が目的だ。
普通であればそう考えるが、デミスはもう1つの可能性を予感していた。
そしてその予感は当たっていた。
「私たちに戦闘の意思はない。交渉しよう。私たちは誰も損をせずにこの場をおさめられるはずだ」
アインスは続ける。
「私たちの目的は『銀髪の少年の救出』、ただ1点だ。リタ・リーデルシュタインは君たちの好きにすればいい」
ツヴァイは唇を噛む。
何よりも優先すべきはフィアの救出。ここで戦闘すら行わず交渉が成功するなら、それが最も安全な救出方法になるのだ。
リタを見捨てる、という選択はツヴァイにとって苦渋だった。しかしその後はロルフがリタの救出に動くはず……アインスの考えた計画に、ツヴァイは乗らざるを得なかった。
フーゴが一歩前に踏み出し、アインスとツヴァイを睨みつける。
「『戦闘の意思がない』だァ? その大剣は戦闘の道具だろうが」
「君がメイスを持っているからだ。交渉とは対等の立場で行わなければいけない」
デミスがフーゴの動きを静止させる。
「よせ、フーゴ。この交渉は我々にとって都合がいい。まだロルフという本命との闘いを控えているのだから……ね」
そしてデミスはアインスへと視線を向ける。
やや顎を前方に傾けて、無意識に相手を見下しているような視線だ。
「アインスくん……と言ったか。我々もあの少年の扱いには困っていた。交渉は成立だ。この家の2階に上がり、彼を連れ帰ってくれ」
「ふふっ。冷静な男で助かるよ」
アインスとツヴァイが歩き出したそのとき、デミスは手のひらを2人に向けた。
「待ちたまえ、足を踏み入れていいのはアインスくん1人だけだ。ツヴァイくん、君はここで待機したまえ」
ツヴァイは叫ぶ。
「なんですって!? そんな話に乗れるわけないでしょ!」
「君こそ何を言っているのだ。交渉とは対等の立場で行わなければならない……と言ったね。2階には勇者と少年と、ヤンがいる。アインスくんに我々が同行して3対3、これで対等というワケだ。どちらかが数的有利になることなんて許されない」
「屁理屈こねてんじゃないわよ!」
アインスはツヴァイの肩を掴む。
「落ち着け、ツヴァイ。私なら大丈夫だ」
「で、でもあんたに何かあったら!」
「君はフィアの心配だけしていればいい」
そう言って、アインスはデミスたちの元に歩み寄る。
「さぁ、フィアの元に連れていけ。約束を反故にしたら……容赦はしない」
特殊なメイクに加えて、この暗がりだ。頬の焼き印は見えていない。
無防備に近づいたアインスに対し、強力なギフトを保持している可能性を疑うのは当然だ。だからこそ、このハッタリは通用する。
しかしデミスはその場を動こうとせず、アインスの顔をまっすぐに見つめている。
「何してる?」
「……アインスくん、この国は歪んでいると思わないか?」
「何の話だ」
「この国はバカに寛容だ。人権など与え、バカでも生きていける『制度』を与えている。弱者救済など掲げている種族はおよそ人間だけだろう」
「歪んでいるのは君の『ものさし』だ。この国は弱者救済なんて掲げていない。ヘンテコ保持者から人権を剥奪したのがその証左だ」
「立場によって見解は異なる。どちらが正しいかを決めるのは誰かね?」
「社会的正義という意味であれば『王』だ。王が正しいとした立場が生き残り、対立する思想は淘汰されていく」
「その通り。ベンヤミン王子はね、この国から弱者という異分子を消したいのだ」
「差別主義者に、王になる資格はない」
「取り繕えばいいものを……意外と正直者だね、アインスくん」
「──アインス!!」
ツヴァイの叫び声を聞いて、アインスは咄嗟に地を蹴る。空を切る音。先ほどまでアインスの立っていた地面をフーゴのメイスが抉った。
なんとか回避したアインスだったが、その身体は無防備にもデミスの前へと晒されてしまう。
デミスは無感情に、その頬に裏拳を打ちつけた。
「ぐっ……!」
地面に倒れ、切った唇から流れる血をぬぐうアインス。
「君たちがヘンテコ保持者であることは容易に想像できた。あの銀髪の少年の仲間だからだ。さて、ギフトとヘンテコ……我々は本当に対等の立場か?」
フーゴは地面にめり込んだメイスを上げ、肩に担ぐ。
「交渉とは対等な立場で行わなければならない……これもバカの思考だ。本当の交渉とはね、相手の喉元に剣を当てて、己の要求を呑ませる行為のことを言うのだよ。無防備に1人でやってきて、君は私たちに要求を呑んでもらえると思ったのか? 私と同類かと思ったが……意外と子どもだね、アインスくん」
デミスは足元のアインスを見下ろす。
「国とは、人の集合体ではない。1つの生き物なのだよ。我々はそれを構成する細胞に過ぎない。それぞれに……それぞれに役割がある。そして異分子を取り除かなければ、国はやがて死滅する。ヘンテコが人権を剥奪されるのは自然の摂理だ」
冷徹に言葉を投げかける。
「男として生まれたなら女に欲情し、女として生まれたなら男に恋焦がれる。ヒトという種はそれゆえ生き永らえてきた。遺伝子というプログラムに則って。……『例外』は認めてはならないのだ。ヘンテコという劣等種として生まれたなら、ギフト保持者に歯向かってはならない。交渉を持ちかけるなどもってのほかというわけだ。理解できたかね? ヘンテコの要求を呑むなど、ハナから私の選択肢にない」
「……ふふっ」
不気味な笑い声に、デミスは目を細める。
アインスはゆっくりと立ち上がる。
「人とは国の細胞……なるほど。君のありがたい教示を聞いて、私はこんな感想を抱いたよ」
そしてデミスを指差した。
「『この細胞は不要だ』ってね」
その目が、深く、どす黒く濁っていく。
「私はこれから君のすべてを奪う。何もかもを失ったとき、君はそれも『自然淘汰』だと受け入れられるかな?」
「その願いが叶うことはない。摂理とは変わらないから摂理というのだ」
「違うね。それを変えるから『革命』だ。歴史が証明している。絶対に変わらないものなんて存在しない」
「言ってもわからぬバカだったか」
「交渉は決裂。君は生き残る最後のチャンスを逃した」
アインスはデミスに差していた指を自分の唇に当て、妖艶に笑う。
「仲介人デミス……君という細胞を抹消してやろう」




