慰み者
つい数時間前、少年の家をサンブルク町長が訪れた。後ろには鎧と剣を身につけた屈強な男が立っていた。
少年は幼い頃に両親に捨てられ、今は自分を拾ってくれた義理の姉・レイスと2人で暮らしている。
レイスは歳はそれほど離れていないが、美しく聡明な女性だ。その顔に惨たらしく刻まれた奴隷の証を除けば。
彼女のヘンテコは『物体に水分を与える能力』という一見くだらないものに思えるが、これが農業にこれでもかと役立った。灌水作業の全てを瞬間的に、それも正確に行えるのだから当然だ。
わずかだが貯蓄もあり、少年はスマホも買い与えられていた。ホーム画面には、姉弟で撮った自撮り写真が設定されている。
写真の中のレイスは、白い小花を手にほんのりと頬を紅潮させて微笑んでいた。その斜め後ろで、少年は照れくさそうに笑顔を浮かべていた。
出会ったばかりの頃には考えられなかった、どこか慣れない、不自然な笑顔だ。
さいわい、2人はサンブルクの住人の中ではまともな生活を送れていた方だろう。
……サンブルク町長が訪れた、この時までは。
「レイス嬢。本日、冒険者ギルド『エーデルブラウ』がサンブルクにやって来たことは知っているな?」
「え、ええ、もちろん」
「ギルドマスターのブラウ様がお前さんをギルドに招きたいようだ」
「……私をギルドに?」
レイスは訝しげな表情を浮かべる。
「正確には『この町の一番美しい女を』とのことだ。希望の年齢も加味したところ、お前さんが選ばれた」
「……そういうことですか。ギルドの一員としてではなく奴隷……いや『慰み者』といったところでしょうか」
「察しがよくて助かるよ。いけすかないガキだったが、実力は確かだ。逆らえば私の首が跳ぶ。ああ……察しがいいなら気づいているだろうが、これは『お願い』じゃない」
町長が背後にいる鎧の男を一瞥すると、彼はその視線に反応して、腰に差した剣に右手を添える。
「命令……あるいは脅迫だ。拒否すれば殺す」
やり取りを見ていたレイスの弟──少年が飛び出す。
「ね、姉さんを連れていかないで!」
町長は目を細め、少年に視線を落とす。
そして次の瞬間──そのお腹を勢いよく足の爪先で蹴り上げる。
少年はうめき声をあげてその場に倒れる。
「……連れていくな? それは命令か? 奴隷でヘンテコ保持者のお前が、ギフトを授かった私に命令をしたのか?」
何度も何度も、その体に蹴りを入れる。
「奴隷の絆なんぞ何の役にも立たんな。お前らみたいなヘンテコが一丁前に意思など持つな。ああ、だがちょうどいい」
町長は下卑た笑顔を浮かべ、背後の男に視線を向ける。
すると男は剣を抜き、少年の髪を掴んで無理やり立ち上がらせる。そして、その首元に刃を当てる。
「断れば、こいつの頭と胴体を切り分けよう」
「よしなさい!」
レイスが叫び声をあげる。
「……わかりました。私に抵抗の意思はありません。エーデルブラウの元へ連れていってください」
その言葉を聞いて、男は少年から手を離す。
「ね、姉さん……ダメ」
「農業の心得はすべて伝えましたね? これからは1人で生きていきなさい。……貴方は優しいけど強くありません。どんな境遇であっても強く気高く、そして美しく生きなさい。そうすれば……決して心までは奴隷にならない」
レイスは少年の髪に触れ、微笑みかける。その手から紫色の電気が走り、すると一瞬にして少年の髪は潤いを得て、艶々しく輝く。
ヘンテコ『水分付与』……物体に水分を与える能力。
それは大好きな姉さんのおまじないだった。
「──貴方は私に似て美しい」
その言葉を最後に、レイスは町長に連れられていくのだった。