回想 〜美しく生きる貴方へ〜
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フィアの最古の記憶は、夕闇にその輪郭を溶かした隘路。
親に捨てられ、奴隷の町で働き、寮で僅かな食にありつく。
サンブルクの奴隷はギフト保持者に管理されていた。歯向かう者だけじゃない……文句を口にした人、仕事を怠った人、たとえそれが子どもであろうと制裁を受けた。
労働、罵倒、暴力、飢え……それだけが日常だった。
ある時、寮を管理するギフト保持者の男性から呼び出された。
彼はフィアの体を欲した。
服を剥ぎ取られ、無理やり犯そうとした。
これは仕方のないこと──そう学んできたはずなのに、フィアはそれを拒絶した。
走って、逃げて、路地裏にたどり着いて、1人で泣きじゃくった。
もう寮には戻れない。家も職も失った。この奴隷の町ですら、僕は生きていけない。
いや……元々生きる意味なんてなかったんだ。
ヘンテコに未来なんてない。
僕たちは不要な存在で、無価値で、何もかも奪われていく人生。
自ら命を絶つのは許されないことだと、人は言う。
だけど……それを口にするのはどうしていつも僕たちを追い込んだ人たちなんだろう?
もう終わりにしたい。何もかも。
そんな時だった。
「貴方の名前は──」
美しい女性に声をかけられた。
容姿だけじゃない。佇まい、仕草、発声、そのどれもが美しく、彼女の人生そのものを表しているようだった。
左頬には焼き印が刻まれていた。
彼女も奴隷だった。
フィアは驚いた。自分と同じヘンテコで、奴隷なのに、こんなにも美しい人がいるのだと。
「──そう。私の名前はレイス」
レイスは、目の前の少年の髪に触れ、ヘンテコを発動させた。
紫の電気が薄暗い路を照らした。
瞬く間に少年の髪は艶々しく輝いた。
「貴方はとても綺麗な顔立ちをしています。私によく似て──美しい」
そう言って、レイスは微笑んだ。
どうして彼女が僕を拾ってくれたのか、それは一緒に過ごしていてすぐに気がついた。
レイスの行動原理はすべて『美しくあること』だった。
彼女の言う美しさとは、心の美しさ。
人は生きているうちに何度も選択を迫られる。
分かれ道に立たされたとき、人は自分の信念に基づいて道を選ばなければいけない。それは損得であったり、世間に対する体裁であったり、時代の流行であったり、人によって様々だ。
そんなとき、レイスは必ず『美しい』と思う道を選ぶ。
恥じない自分であるために、自分を嫌いになってしまわないように。
たとえ損をしようと。
それが彼女にとっての『闘い』だった。
僕を養うためにレイスは必死に働いた。何度も体を壊して、倒れて、それでも立ち上がってお金を稼いだ。
レイスは聡明で美しく、才能があった。
僕なんかに出会わなければ──そう思わずにはいられなかった。
レイスの農園の隅に、小さな花の種を植えた。
レースフラワーと呼ばれる花だ。ただ名前が似ているから、というだけの理由で選んだ。
恩返しじゃない。僕にとっての贖罪だった。
芽が出ては、何度も枯らした。
それでも根気よく育てた。
ようやくその花を咲かせて、レイスにプレゼントした。
「……ごめんなさい」
そう言葉を添えて。
レイスはその花を見つめた。
きっと偶然だったに違いない。
繊細で可愛らしく、けれど優雅なその白い花は『感謝』という意味を持つ。
違う──レイスは思う。
謝罪なんていらない。
だって私は、貴方にずっと救われて──
きっと言葉では伝わらない。
この抱えきれないほどの感謝と、貴方という存在の価値は。
それほど彼の心は傷つけられている。
だから、レイスは笑った。
どうかこの気持ちが少しでも彼に伝わるように。
大好きな弟に──
その笑顔を見たとき、フィアは初めて、自分が生きる意味を見つけた。
そうか。僕は、この笑顔を──
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