焼きそばの思い出
廊下から誰かのお見舞いに来たらしい子供の声が響く。
「ねぇお母さん、病院の前の公園で焼きそばフィスティバルやってるから焼きそば食べてから帰ろうよ」
焼きそばかぁ……食べたいなぁー。
でももう無理だ。
私が寝かされているのはナースステーションの直ぐ隣にある通称『臨終室』、末期癌で臨終間近の患者が収用されている病室。
ベッドの周りには妻や子供たちと妹が詰めかけている。
焼きそばが食べたいなぁと思っていたら、次から次に焼きそばの思い出が心の底から湧き上がって来た。
皆んなは覚えているかなぁ?
小学生のとき妹と分け合って食べた焼きそば、妻と始めてのデートで食べた焼きそば、キャンプに行った時に家族皆んなで食べた焼きそば、焼きそばの思い出が次々と蘇る。
あぁ……段々と思い出が遠のいて行く。
孫の声が病室に響く。
「お爺ちゃん! フィスティバル会場で焼きそば買って来たよ、食べて」
私の鼻腔に焼きそばの香ばしい匂いが届く。
それを最後に私の意識は途絶えた。
葬儀場の祭壇の前に置かれている御棺に横たわっている男性を見下ろしながら、男性の家族が焼香に来た方たちと話しをしている。
「ご覧になって、それまで痛みで顰め面だったのに、孫が買って来た焼きそばの匂いに気がついたらしく、最後の最後に微笑んで逝けたのよ」
「兄さんとの焼きそばの思い出は小学校低学年の頃の事だわ。
両親がその日は用事で遅くなるから此れで夕ごはん食べなさいってお金を渡されたんだけど、私は馬鹿だからお小遣いが増えたって喜びお菓子を買っちゃったの。
それで夕方になって兄さんが焼きそば食べに行こうって誘って来たけどお金が残って無くて項垂れてたら、兄さんが焼きそばを1パック買って来て半分以上分けてくれたのよ」
「私の焼きそばの思い出は、夫と始めてデートした大学に入学して最初の夏だったな。
花火を見に行こうって誘われて、大学近くの駅前に出店していた屋台で焼きそばを買って連れて行かれたのは、駅から少し離れた雑居ビル。
私が入学する前年に卒業した、雑居ビルの中のクラブで黒服のアルバイトをしていた先輩に教えて貰った、花火が見れる穴場だって言ってね。
ビルとビルの間から小さく見える花火を肩を寄せ合って見物しながら、2人で焼きそばを食べたの」
「僕の父との焼きそばの思い出は、キャンプに行った時にバーベキューの締めで父さんが作ってくれた焼きそばだな」
「あ、俺もそれが親父との焼きそばの1番の思い出だわ。
キャンプで食べる焼きそばって事で美味しく感じたけど、半分くらい焦げてたよな」
「そうそう、父さんも中華料理店豚丸の2代目マスターの焼きそばを焼く手つきを真似たんだけどなって言ってたけど、プロの真似は無謀だったかって笑ってたよね」
「3代目になったとき豚丸が店を改築しちゃって、かぶり付きで見れていた焼きそばを焼くところが見えなくなったのは残念だったな」
「でも父さんが言ってたじゃないか、3代目になったら焼きそばの味が変わり不味くなったって、だから豚丸で修行して独立して郊外に店を出したラーメン大丸のマスターが作る焼きそばが、豚丸の味を今に残してるって」
「そうだった。
大丸は焼きそばのお持ち帰りをして無いから、食べたくなるとお袋や兄貴や俺んとこのガキ共を連れて良く食べに行ってたな」
「あぁ、そうだったね」
葬儀会社の係員が御棺の前で思い出を語り合っている遺族に声を掛ける。
「そろそろ出棺の時間なのですが、御遺族の方は皆様お揃いですか?」
御棺の前にいる兄弟が周りを見渡して会場にいる面々の顔を見渡した。
「アレ? うちの長男がいないな、何処に行ったんだ彼奴」
その時、会場の出入り口からいないなと言われた若者が駆け込みで来る。
「何処行ってたんだ?」
「ラーメン大丸に行って焼きそばを買って来た」
「え? 彼処は持ち帰りやって無いだろ?」
「うん、だから、お爺ちゃんの御棺に大好物だった大丸の焼きそばを入れてあげたいんだって言ったら、そう言う事ならって普通の焼きそばと野菜焼きそばが半分ずつ入ってる特注品を作ってくれたんだ」
「そうか、ありがとうな」
若者は御棺の中の男性の脇に焼きそばのパックを置いて、目を瞑り合掌するのだった。