1-9 治癒
クリフ視点です
「いやー今日は大量だったね。さっすがクリフさん」
「茶化すなよ、ケビンさん」
「えっ……さん付けやめて?怖い」
本当に嫌そうに腕をさするケビンを横目で見ながら、ぼんやりと窓の外を眺める。既に日は暮れ、木々の間の夜空には小さな無数の星が瞬いていた。
「とりあえず、これだけあれば一週間ぐらい食べられそうだね。じゃあお前はお役御免?それともアンナちゃんと楽しくお料理の日々?」
「……国に帰ったら溜まった仕事全部お前に任せようかな」
「ごめん、いつもありがとうクリフ。君が素晴らしい関係構築をしてくれているから、穏やかに船が修理できてるよ」
「ケビンは今日、うっかり窓ガラス割ってた」
「っバカ!言うなよ筋肉男!」
にや、と笑って腹筋を続けるジョイにケビンがポコポコと腕を振り上げる。けれど、大したダメージは無さそうだった。それはそうだ。本来ケビンは肉体労働派じゃない。
皆の顔を頭に思い浮かべる。本来、この離島で暮らすには難しいメンバーが多かったかもしれない。それでも、船には修理技術を持つ者が乗船していたのは幸いだった。後はその者の指示通りに船を直せば出航できる。
「……あとどのぐらいかかるかな」
「うぅん……二週間ぐらい、かな。もしかしたらもう少しかも」
「そう」
「…………帰りたくなくなった?」
「ばか言え」
そう言い捨てて、もう一度窓の外を眺める。
早く帰らなければ。変わらずにその焦燥感はある。それは、間違いない。
――それでも、穏やかな島の暮らしに癒やされ、後ろ髪を引かれている。それは、否定できなかった。
「まぁでも、ある意味良かったよ。お前働き過ぎだったし」
「そんなことない」
「そうか?こうやって気を休めるのも大事だぞ」
ごろーんと床に転がったケビンは、思いっきり大の字になった。ジョイが筋トレの場所を取られて少し迷惑そうに部屋を出ていく。その後姿を一貫してるなと面白く眺めてから、もう一度窓の外に視線を戻した。
星の光以外何も見えない外の景色は、ただただ静かだ。
「…………どうしたのお前」
ケビンが天井を見上げたまま、ぽつりと問いかけた。その言葉にほんの少し考えた後、静かに言葉を返す。
「アンナは聖女だ」
「は!?」
目をひん剥いてガバリと起き上がったケビンは、珍しく真面目な顔で思考を巡らせた後、周囲に誰もいないことを確認してから静かに口を開いた。
「まさか。この国の聖女といえば、国で厳重に保護された稀有な光魔法の使い手だろ。なんでこんな離島にいる」
「……事情は知らない」
「確かなのか」
「…………」
その言葉に、半日ほど前の出来事を振り返った。
***
「――いやぁ、凄いねぇ。こんな簡単に税の計算ができるとは」
「仕組みさえわかれば誰でもできるよ」
「いやいや、その仕組を理解するのが大変なんだって」
ドム爺の家の中。村の者たちに囲まれながら一通り税金の計算を教え終わった俺は、アンナを待つ間みんなとお茶を飲んでいた。実際には、飲んだふりだけだったけれど。それでもこうして色んな人の輪の中で話をするのは新鮮で楽しい。そうしてのんびりと話をしていた。
そんな俺が、ふと疑問に思ったのは、ドム爺の一言だった。
「アンナに目も治してもらったけどよ。やっぱり文字を見るのは辛いなぁ」
「――目を?」
「おうよ、今日は肩と腰と目を治してもらったのさ」
ドム爺は、嬉しそうに目を細めた。
「最近よく目が霞んでたからなぁ。アンナがほぐしてくれて、良く見えるようになったよ」
「……どんな薬で?」
「薬?いや、手で揉んでくれただけさね」
――まさか。納得したふりをしながら、他の者の様子を見る。
「アンナはすごいよなぁ。ウチのばあさまも最近までリウマチが酷いと言っていたけど。アンナが来てからは幾分かマシになったと言ってたよ」
「旦那の古傷の痛みも和らいで漁に行けるようになったよ。アンナには本当に感謝だねぇ」
「違いねぇ」
朗らかにアンナを賛称する言葉を聞きながら、聞いた内容を整理していく。
目、リウマチ、古傷。症状を和らげるだけの対症療法は存在する。ただし、それらを治療し、今よりも改善できるもの。そんな治療をこんな島で行うとしたら。
――トルメアの聖女の光魔法。その治癒の力を使う以外、考えられなかった。
トルメアの聖女には、下級から上級、筆頭聖女までその力には大きな差がある。しかし、国防と治癒を効率的に担えるその存在は、トルメア国にとって重要であり、下級であっても国お抱えの聖女として王都で保護という名の管理下に置かれるのが常だった。
その聖女がなぜこんな離島に?
何かざわざわとしたものが胸の中に広がる。
淑女の礼。上品な食べ方。慣れているようで、おぼつかない島での暮らし方。アンナの一つ一つの行動の違和感が繋がっていく。
トルメアの聖女は、その血筋から、貴族の子女であることが多い。なぜここにいるのかは分からないが、アンナが貴族の娘で光魔法の使い手であること――つまり、トルメアの聖女であることに、違和感は無かった。
嬉しそうに荷車に食べ物を積み込むアンナを観察する。
もし、何らかの事情で、王都で暮らしていた貴族で聖女のアンナが、たった一人でこの離島に来ることになったとしたら。なにかの事情で、聖女であることを隠しここにいるのだとしたら。魚釣りが下手で、家畜も畑も持たず、庭の果物だけが手に入る状況で、何とかして生きているのだとしたら。
――違和感が少ないほんの少しの光魔法で島民を癒し、物々交換として食料を手にして生きながらえる。それは、至極当然の流れだっただろう。
夕暮れの中、荷車を押すアンナの楽しそうな声を聞きながら考える。
離島の穏やかな暮らし。アンナは既にこの島に馴染み、幸せに暮らしている。事情は分からないが、自分がアンナの過去を暴き、アンナの人生に手を出しても仕方がない。
きっと、自分がこの島を離れた後も、アンナの穏やかな島の暮らしは続いていくのだから。
「王都にいた時には、ただ感謝の祈りを捧げてただけだったわ。お兄様と庭の木の実を採った事はあったけど――……」
そう口を滑らせたアンナの言葉に、あぁやっぱりそうなんだと思う。
トルメアの聖女。きっと由緒正しい貴族の娘だったのだろう。
だからこんな風に目を引くのだ。聖女が、しかも貴族令嬢が、こんな離島にいるはずがないのだから。
「別に話さなくていいよ。なんとなく、分かってたし」
前を向いて荷車を押したまま、そう答える。アンナは、驚いたようだった。
「……なんで、」
「なんでって。パンは綺麗に千切って食べるし、歩き方や姿勢も綺麗だし。島育ちでそんな風にはならないだろ」
「…………盲点だわ」
「その割には、逞しいし部屋に鍵かけないけどね」
振り返ってニヤリと笑うと、アンナは俺をじとりと睨んでいた。
「逞しくて悪かったわね」
「いや、いいと思うよ、逞しいのは。鍵はかけてほしいけど」
「……かけるわよ」
「絶対だぞ」
そう言ってから、なんとなく振り切るように視線を外した。
金に波打つ水田。夕陽に輝くその上を、白い鳥が悠然と飛んでいく。
――自由に、思い通りに生きられたら、どんなにいいだろう。
「この島なら、自分が何者かなんて、大したことじゃない。そういうことでいい?」
それは多分、自分に向けた言葉。
俺は、船が修理を終えたらすぐに、この島を離れる。
アンナとは、本来出会うことは無かった。何も聞かず、大人しくここを去るのが一番アンナのためになるだろう。それが、自分の結論だった。
***
「……でも、納得いったよ。貴族令嬢っぽいもんな、アンナちゃん。聖女っていうのも納得できる」
簡単に俺の話を聞いたケビンが、ぽつりと答えた。確かなことだと確認はしていない。でもきっと、真実だろう。
「……どちらにしろ、この離島で暮らすにはいい能力なのかもな」
「まぁ、そうかもしれないけど。で、どうするの?」
「どうもしないよ」
そう答えて、ふぃ、と窓の外に視線を外した。
「……クリフ?お前、」
「ただ黙って島を出る。無闇に深入りはしない」
何かを言いかけたケビンの言葉をピシャリと遮る。少しの沈黙。風がざわ、と木を揺らす。
「…………いいの?それで」
「手助けしたからって幸せになるとは限らないだろ」
「でもさ、」
「俺達のことを知らせずに助ける訳にもいかない。そもそも助けが必要かも分からない。安易に手を出すのはただの偽善だ」
「……そうだけどさ」
少しの沈黙の後、俺のムカつく幼馴染は静かに言った。
「国への影響や俺達の身の安全より――アンナちゃんを『助けたい』んだな、お前は」
一瞬、思考が止まった。
そう、本来の目的は、アンナの幸せじゃない。アンナが自分たちに悪影響がないか、調べることだった。
思わずその声の主に視線を向けると、俺の幼馴染は時々見せる寂しそうな表情でしょうがねぇなと笑った。
「まぁ、でもそうだよな。わかったよ、俺も深入りはしない。俺も無闇に手を出すべきじゃないと思う。……突っ込んで聞いて悪かった」
それから、よいしょっとわざとらしく声を上げて立ち上がったケビンは、イタズラっぽい笑顔でにやりと笑った。
「まぁ、そうはいっても鍵をかけたかは心配だ。ちょっと今から行って確かめに、」
「止めろ」
「ちょ、怒るなって!嘘ですごめんなさい!」
いつもの調子に戻ったケビンをどつきながら、ため息を吐き出すように笑い飛ばす。
この島を出るまで、数週間。
その後もきっと、アンナの離島の穏やかな小屋暮らしが続くように。
その時の俺は、何も知らず、ただそんな未来を祈っていた。
読んでいただいてありがとうございました!
クリフさん、ちょっとずつ変化が……!
「あらあらまぁまぁまぁ」とニヤニヤしちゃったあなたも、
「そんな平穏に済むかな」とドヤ顔したあなたも、
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