1-8 離島の村
「……そろそろ行かないとだよね」
食料庫を眺めながらそう呟く。
十日ほどが経った。保管していたお米や庭の果物、そして船の食料や釣った魚でお腹を満たしてきたが、流石に食べ物が尽きてきた。ほとんど空っぽの倉庫を前に、頭を悩ませる。
もちろん魚や果物は自分で採ったりもしていたけれど、実際のところ、私の食べ物のほとんどは光魔法での治療との物々交換で成り立っていた。
村のみんなへの治療も少し期間が空いてしまった。急に悪くなったりはしないだろうけど、そろそろみんなも待っているだろう。腰の治療に肩の治療、古傷や切り傷まで。漁や農作業を営む村の人々は、何かしら悩みを持つ人が多かった。
「……きっとついてくるよね」
問題は、治療に光魔法を使うことだった。荷車を引いて村へ行く私に、食料係のクリフさんがついてこない訳が無い。そして、私がみんなの治療をしているところを見れば、クリフさんならきっと光魔法を見破り、私が聖女だったとわかってしまうだろう。
私が追放された聖女だとバレてしまったら。国では私の行方を探しているだろうし、クリフさん達は私を国に差し出すしか無いかもしれない。私の身の安全もあるけれど、クリフさんたちに迷惑をかけてしまう。
どうやったら、誤魔化せるだろうか。
「何してるの、アンナ」
「うわっ!びっくりさせないでよ!」
突然のご本人登場に驚いて飛び上がる。クリフさんは怪訝な顔をして首を傾げた。
「普通に声かけただけだよ。なにボーッとしてたの?考え事?」
「うん……そろそろ村に行こうかなって。物々交換しないとお米とか手に入らないから」
「そっか、そうだよね。俺らも調達しないとだよな。ちなみにアンナからは何を交換するの?」
やっぱりそうくるよね。私は必死で頭を回転させながら、にこやかに答えた。
「ちょっとした傷の手当てとか、肩や腰の状態を見て湿布を貼ったりしてるの。医者の助手の真似事みたいなやつね」
「へぇ、アンナそんな事できるんだ」
「前の仕事で少しだけね」
そう言いながら倉庫から軟膏を取りだす。光魔法が付与された軟膏はここで自作したものだが、王都でも購入することができる。これなら違和感はないはずだ。
いつも持ち運んでいる籠や麻袋を荷台に乗せ、クリフさんに大した事が無いような雰囲気で提案をもちかける。
「クリフさんも一緒に村に行く?治療しているところは、患者さんに配慮しないといけないから見せられないけど」
「そうだね、行こうかな。俺も何かできるかもしれないし。それにこの荷車、米とか野菜とか沢山貰って積んでくる気なんだろ?」
「そうなの、助かるわ」
喜びながらも、自分の胸の中でぐっと緊張の糸が張ったのが分かった。
誘わないのは怪しまれるだろうと思って誘ったが、やっぱり少し疑問を持たれている気がする。でも、ついてくるなと言うほうが怪しまれたはずだ。
治療の場面は見せないと先手は打ったし、致命的な事は起こらないはずだ。そう信じたい。
「じゃあ行こっか」
「わかった、荷車押すよ」
「ありがとう」
二人で荷車を押しながら、大きな緑の葉や背の高い木に囲まれた小道を進む。目が覚めるような青に黒い縁取りが入った蝶が二匹、目の前を飛んでいった。その先には、幾つもの大きな赤い花がゆらゆらと風に揺れている。
青い蝶を追うように、クリフさんはのんびりと顔を上げた。
「この島は、鮮やかな色の生き物が多いね」
「うん、蝶も花も鳥も、綺麗な色が多いよね」
「なんでだろう、天敵にすぐ見つかりそうなのに」
言われてみればそうだな。不思議に思って首を傾げる。この離島にはとにかく色の濃い生き物が多い。蝶も、鳥も、人でさえも。
「……日焼けみたいなものだったりして」
「日焼け?」
「ほら、島の人ってみんな日焼けして色黒じゃない。それって太陽から身体を守るためでしょ?色は違うけど蝶や鳥も一緒なのかなって」
「……なるほど。あるかもね。色が薄いと天敵に食べられる前に太陽に殺されちゃうのか」
「そう考えると鮮やかな色も好ましく見えてきたわ」
そう言いながら、青い空に向かって沢山の真っ赤な花をつけた低木を見上げた。その近くを緑色の鳥が甲高い声を上げて飛んでいく。
「アンナは、もうすこし控えめな色が好きなんだ?」
「そうね……花だったら、柔かい色が好きかな。薄紫とか、少しくすんだオールドローズとか。服の色だとちょっと似合わないんだけどね」
「そうかな?着れば似合いそうだけど」
「似合う色ってのがあるのよ……クリフさんこそ何でも似合いそうだけど」
「それこそ似合う色があるだろ」
「そう?万能っぽいけどな」
「ないない」
とりとめもなく話しながら歩く道は穏やかで、時折見える海が美しく輝いている。島に来て最初の一ヶ月は少し不安な気持ちでこの道を歩いた。それが、数ヶ月後には拾った男とのんびりと荷車を押してるなんて。人生何が起こるか分からない。
「クリフさんが帰ったら寂しくなるな」
無意識に言ってから気がついた。
何を言ってるんだ。そう言われたクリフさんも返答に困るだろう。心の中で苦笑しながら、急いで返しやすそうな話を付け加える。
「クリフさん、この島にいる間はのんびりしてってね。きっと帰ったらお仕事忙しいだろうから」
「――……そうだね」
ぽつりと答えたクリフさんの声が思ったより静かで思わずその顔見た。
クリフさんは私の視線に気がついて、ハッとしたように苦笑いを浮かべた。
「帰ったら絶対大変だろうなってうんざりしてた」
「やっぱり。偉い人も大変ね」
「この島にいる間に好きなだけ魚釣りするよ。俺がいなくなった後、アンナはあんまり魚食べれないだろうし」
「失礼ね。毎日大量に釣り上げるから心配無用よ」
「そうか。じゃあ俺が心配しないで帰れるように次は沢山釣ってくれよ」
「見てなさい!今度こそ悔しがらせてあげるわ!」
「楽しみだ」
笑い合いながら、見えてきたドムさんの家の方向へ足を向けた。
クリフさんは一時の仲間だけど。すこしは、私が一人になった後を心配してくれているみたいだった。ちょっとイラッとしながらも、そうやって気にかけてくれていることが少し嬉しかった。
「ドムさん〜!ちょっと時間空いちゃったけど、来たよ!」
「おぉ、アンナ。待ってたよ」
午前中の農作業を終えて休んでいたドムさんが家の中から出てきた。しわくちゃのその顔を優しく緩ませたドムさんは、私の後ろにいたクリフさんを見て笑みを深めた。
「おぉ、おぉ、あんたも来てくれたのか」
「はい、島の皆さんには本当にお世話になっています」
「いやいや、困ったときはお互い様だよ。嵐の日は大変だったねぇ。さぁ中に入りな」
ドムさんはいつも本当に優しい。ほっとした気持ちで木の床板と藁葺き屋根が気持ちの良いドムさんの家に入る。家の中にはジェムさんがいて、なぜか頭を抱えていた。
「あれ、ジェムさんどうしたの?」
「アンナか……ほら、もうすぐ年に一回の税の報告の日だろ?俺この計算苦手でさ……ドムさんに教えて貰ってた」
「儂は慣れたもんだが、目が悪くてなぁ。歳にはかなわんわ。肩も腰もギシギシ言うしよぉ」
二人とも目頭を押さえたり腰を叩いたりかなり辛そうだった。来て良かったと心から思う。
「よし、今日は張り切って治療するね!ドムさん、別の部屋でやっていいかな?帳簿付けの邪魔したくないし」
「あぁ、わかった。あっちの部屋でやろうか」
すんなり別室に移ることができた。ホッとしながらクリフさんの様子を窺う。クリフさんは、頭を抱えたジェムさんの横で帳簿を覗き込んでいた。この様子なら放っておいても大丈夫だろう。
別室でドムさんの肩や腰を治癒していく。普段とは違う無理な姿勢だったからか、少し状態が悪くなっていた。年齢もあって、腰の痛みは完治は難しい。それでも光魔法で丁寧にほぐしながら、身体に負担にならない程度に癒やしていく。
「いやぁ、楽になったよ。ありがとうアンナさん。もしできたら目もお願いしたいんだけど」
「わかったわ。そこに横になって」
ゆったりと横になったドムさんの目の周りを指圧でほぐしながら、ほんのり光魔法を乗せて癒やしていった。老眼は難しいが、疲労感はかなり軽減されるはずだ。
「どう?」
「おぉ、ありがとう!かなりスッキリしたよ」
喜ぶドムさんと、次いでやってきたタニアさんの治療を終えてもう一度元の部屋に戻る。が、様子がおかしい。なぜか人だかりができている。
「なんじゃあ、どうした!?」
「おぉ!ドム爺!こいつはすげぇよ!見てみろよ」
他の村人に手招きされて輪の中を覗き込むと、そこには紙の束を手に目をキラキラさせたジェムさんと、次は俺だと順番待ちする島のみんな、そして真ん中にはさらさらとペンを動かすクリフさんがいた。
「ほら、この見本通りに書いたら簡単だよ」
「すげぇ!一発で終わるじゃねぇか!」
「そんでここを足せばいいんだよな?」
「そう、見分け方はこれね」
「神か!!!」
にこりと笑ったクリフさんが、ぺらりと書き上がった紙をジェムさんに渡した。ジェムさんはものすごく嬉しそうに顔を輝かせた。
「ありがてぇ!これで毎年憂鬱だった税の報告も楽勝だ!額縁に入れて飾っとくわ!」
「額縁は使いづらくない?」
「いいんだよ!」
ジェムさんが掲げる紙を見上げる。そこには帳簿付けしやすそうな手作りの記入用紙と、わかりやすい解説が書いてあった。
「わぁ、凄いねクリフさん。こんな事できるんだ」
「商団やってたら自然とね」
「なるほど」
まだまだ島民からの教えて攻撃は止まなさそうだった。私はそのままクリフさんを残して、他の家の治療へ向かう。これなら光魔法を見られなくて済みそうだ。心配する必要は無かったのかもしれない。
そうして暫くたった後。やることを終えた私とクリフさんの目の前には、御礼の品が山積みになっていた。想像以上のお礼の量に開いた口が塞がらない。
「どうやって持って帰ろうか……」
「とりあえず積めるだけ積んで、残りはジョイにでも取りに来させるよ」
「ジョイさん荷車二台ぐらい動かせそうだもんね」
来た道を満杯の荷車を押して戻る。土の道に私達二人の長い影が伸び、道の両脇には黄金色に輝く水田が、風に吹かれて金の波のように揺れていた。
「この広い土地に、あの腰の曲がったドムさん達が一つ一つ苗を植えたんだよな」
「うん、田植えはみんなでやるんだって言ってたけど。それでも、凄いことだよね」
「……生きるって、大変なんだな。こうやって育てても、収穫するまで食べられないし。嵐や洪水で駄目になるかもしれないし」
「そうだよね……みんな、逞しいよね」
荷車には、ドムさんからもらったお米やタリアさんが育てた野菜、他の島民達からもらった魚の干物や干し芋、きのこや海藻が山積みになっていた。
食べることに、こんなにリアルに感謝の念を抱いたことはあっただろうか。
「王都にいた時には、ただ感謝の祈りを捧げてただけだったわ。お兄様と庭の木の実を採った事はあったけど――……」
そう言ってから、ハッとして口を噤んだ。
兄を『お兄様』と呼ぶのは、貴族の娘ぐらいだった。言い訳も思いつかず、少しの沈黙が流れる。
「別に話さなくていいよ。なんとなく、分かってたし」
前を向いて荷車を押したまま、クリフさんはそう言った。
「……なんで」
「なんでって。パンは綺麗に千切って食べるし、歩き方や姿勢も綺麗だし。島育ちでそんな風にはならないだろ」
「…………盲点だわ」
「その割には、逞しいし部屋に鍵かけないけどね」
振り返ってニヤリと笑うクリフさんをじとりと睨む。
「逞しくて悪かったわね」
「いや、いいと思うよ、逞しいのは。鍵はかけてほしいけど」
「……かけるわよ」
「絶対だぞ」
目を細めて笑ったクリフさんは、眩しそうに遠くの方に視線を向けた。
さわさわと風が吹き、金に波打つ水田の上を大きな白い鳥が羽を広げて飛んでいく。
「アンナ」
「ん?」
「この島なら、自分が何者かなんて、大したことじゃない。そういうことでいい?」
「うん……ありがとう」
そう言って、私も笑ったけれど。
そのクリフさんの言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるような言葉に聞こえて。水田を眺めるクリフさんの横顔が、少し寂しそうで。私は暫くその姿が、頭から離れなかった。
読んでいただいてありがとうございました!
食べるって大事ですよね。
次回から朝晩更新しようと思います!
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