1-7 魚釣り
「……解せないわ」
「全然釣れてないけど……今まで本当にご飯食べれてた?」
「うるさいわね!」
渋い顔で海面を睨む。
クリフさんのバケツの中には何匹もの魚。そのうち三匹はかなり大きい。
そして、その隣の私のバケツの中は――残念ながら空っぽだった。
「……普段は釣れるのよ?」
「どのぐらい?」
「………………二、三匹」
「それ、丸一日でだろ」
「………………」
遠い目で水平線を眺める。正確には丸一日で一、二匹だった。
そんなしょげた私を見て、クリフさんはクックと可笑しそうに笑った。
「まぁいいじゃん、船の食料もあるんだし、他の奴らも魚釣ってくれてるし」
「……陸の人間が船の人間に食べ物を恵んでもらうって、なんかさ……」
「別に魚ならいいだろ、沖でも釣ってるんだから。陸でしか採れない野菜や果物との物々交換ってことで」
「確かにそうだけど……」
「寝床まで提供してくれてるんだから、まだまだお礼としては足りないんだからな?」
そう言えばそうかと思いつつ、何となく格好悪くてしょげる。離島暮らしの先輩として、ここは格好良くキメたかった。
あれから一週間。船の修理をさせてもらえないクリフさんは、こうして私と食料調達や料理をして過ごしている。といっても、皆様律儀なので、何もかもお世話になるわけにはいかないと食事の準備は今ではざっくりとした分担制になっている。
船には当然のように食料があり、そして料理人さんもいる。初日こそ船から荷下ろししなければならず、料理の環境も整っていない中だったので、私のご飯は大変喜ばれたのだけど。三日目になる頃には、お礼として立派なディナーをご馳走になってしまった。浜辺にはラフながらもテーブルが並べられ、船の乗組員さん達と一緒におしゃれなソースがかかったお魚を食べた。サンセットを眺めながらのディナーはものすごく完成された味がした。
「……プロのご飯って、美味しいなって思ったよ」
なぜ私は庭で採れた茹でた青果なんぞ提供しているのだろう。力の差に悲しくなる。
「俺はアンナの料理も好きだよ」
「……フォローしなくていいわよ」
「ほんとだって」
もう一匹魚を釣り上げたクリフさんが、バケツに魚を入れながらしょげた私を見下ろした。
「そりゃあプロの味は非の付け所がないけど。誰かが自分たちの為に頑張って作ってくれた料理って、それだけでめちゃくちゃ旨いだろ」
「そう……?」
「うん、味も旨いし。俺あの葉で包んだ米とおかずのやつ好きだよ」
「ほんと?」
「ほんと。同じ料理なのに日によって絶妙に味が違うのもいい」
「…………それ、褒めてる?」
「褒めてる褒めてる」
ムッとした顔でクリフさんを睨むと、クリフさんは可笑しそうにクックと笑った。この人とは随分打ち解けたけど。微妙にいじめっ子だなとじとりと眺める。
「いじけるなって」
「いじけてない」
「もしアンナの料理が嫌なら、とっくに三食料理人に作ってもらってるから」
その言葉に、ぴた、と手が止まる。
確かにその通りだ。私からは食材と寝床を提供し、お礼は他の食材やお金を貰えばいいのだから。
クリフさんは、あれ、と考え始めた私ににこりと笑いかけた。
「でも船の修理もあるし、一食でも作ってくれるのは本当に助かってるよ。収穫は俺達じゃできないし島民との交流も必要だから、アンナにはこのまま協力してもらえると嬉しい」
「それは構わないけど……いいの?こんなに良くしてもらって」
「あのね。いつも言ってるけど、逆だからねそれ」
苦笑するクリフさんを、そうかなぁと見上げる。王都では誰かのために働くことが多くて、私自身が尽くしてもらえることはあまり無かった。客観的に見れば食材提供有りの宿で十五名を泊めているのだから、クリフさんの言う通りなのだけど。
「ということで。魚もたくさんとれたわけだし、料理するか。今日は俺が主導で作るよ」
「えっできるの!?」
「もちろん。まぁ……ほとんど教えてもらった料理そのままだけどね」
広い砂浜には大きめの石でかまどが作られていた。既に火がおこされていて、パチパチと気持ちの良い薪の音が聞こえる。
「おーい!」
「あ、ケビンさん」
海の方からケビンさんが手を振りながらこちらに走ってくる。手には大きな魚。満面の笑みのケビンさんは、胸を張って私達にそれを差し出した。
「みたまえ、本日の釣果だ」
「すごい、大きい!」
「そうだろう、そうだろう」
得意げなケビンさんの鼻は今にも長く伸びそうだ。人懐っこいケビンさんは、いつもとにかく明るい。
「……いや、クリフ。睨まないでよ」
「睨んでない」
「まぁ俺の魚のほうが大きかったのは否めないけどな?」
ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべたケビンさんがクリフさんの顔を覗き込む。クリフさんはちょっとムッとしたようにケビンさんを睨みつけた。
「沖釣りと岸壁の釣りで張り合うのも変だろ」
「そうかなぁ~」
やっぱりクリフさんはちょっとムッとしていた。クリフさんは時々子供っぽい。ふふ、と笑うとクリフさんはじとりとした視線を私に向けた。
「笑うなよアンナ……」
「だって、そんな顔して」
「悔しいだろ」
「やっぱり悔しいんじゃない」
「クソ……」
「やだぁクリフ、汚い言葉使わないで?」
「やめろ気持ち悪い」
くねくねし始めたケビンさんから大きな魚を奪い取ったクリフさんは、そのまま調理用のテーブルに向かった。
「ムカつくからこのまま一刀両断してやる」
「ふふ、おっきいからみんなで食べれるね」
「…………次は沖釣りにするか」
遠い水平線を眺めるクリフさんは本当に悔しそうだった。可笑しくてまた吹き出す。
「負けず嫌いね」
「……そうかも」
「ケビンさんあっちで嬉しそうに踊ってるわ」
「……あいつら、金賭けてやがったな」
どうやらクリフさんより大きい魚を釣ったら勝ちだったらしい。クリフさんは諦めたようにナイフを握った。
「切り刻んでやる」
「よっしゃ、やったれ!」
私も笑いながら隣でナイフを握った。
鱗を落として、内臓を取って水でよく洗い流す。それから、全体に塩をふって、出てきた水分を丁寧に取り除いていく。下ごしらえの済んだ魚は皮に飾り切りをしてから、大きな緑の葉に乗せた。
「これは?」
「スパイスと混ぜた塩。ちょっとピリッとするけど平気?」
「実は結構辛いの好きなのよ」
「それは良かった」
白いシャツをざっくり腕まくりしたクリフさんが、木製のスパイスミルをゴリゴリと回して、魚に満遍なくスパイス入りの塩をかけていく。
何となくその姿が絵になって。いいなぁと、目を細める。
「これは美味しそうだね」
「だろ?」
パラパラと細長い硬そうなハーブの葉を散らしたクリフさんは、大きな葉で魚を包むと、それを焚き火の上の網に乗せた。
いろんな大きさの魚が、大きな葉に包まれて蒸し焼きにされていく。波の音と、パチパチという焚き火の音が気持ちがいい。
「砂浜で料理するのもいいわね」
「あまりやらなかった?」
「うん、ずっとあのキッチンを使ってたよ」
「……その前は?」
その問いに、ぴたりと口を閉じる。ちら、とクリフさんを見ると、クリフさんもこちらを見ていた。
ほんのり探るように私に視線を注ぐその翡翠色の瞳を見返して――それから、にっと笑った。
「ここに来る前は、自分で料理はあまりやらなかったわね。趣味の野営料理はしてたけど。慣れて無さそうだった?」
「……いや、何となく聞いただけ」
「ほんとかなぁ」
ふ、と静かに笑ったクリフさんは、薪を火の中に放り込むと、パチパチと火の粉を上げながら薪の位置を変えた。
――これ以上は聞かない。そういう事だろう。
「……クリフさんこそ、島を出られたら自分で料理するの?」
「…………しないだろうね」
「そうよね」
そう返事をして、私ももう一つ薪をくべる。
「――じゃあ、ここにいる間に、いっぱい料理楽しんでね」
パチン、と新しい薪が大きな音を立てて。そうだね、と答えたクリフさんの声は、波の音にさらわれそうな、ため息のような小さな声だった。
徐々に日が暮れていく。砂浜に作られた大きな焚き火が炎を上げ、パチパチと火の粉を巻き上げる。篝火のような光を砂浜に落とすそれは明るくて。波の向こうの修理されている船にまでその火の粉が届きそうな気がした。
「うおー!俺の魚うまい!」
「……やや大味では」
「はぁ!?んなわけないだろ!?」
ケビンさんがジョイさんや他のお仲間達とワイワイ盛り上がっている。「確かに!?いや、うまいからな!?」と怒るケビンさんを眺めながら、私も目の前の大きな葉を開いた。ふんわり蒸し焼きにされた魚とスパイスの香り、そしてハーブの香りが混ざり、湯気とともになんとも言えない美味しそうな香りがあたりに漂う。
ふかふかの白身魚をすくい取るように口に運ぶ。ハーブとスパイスの香りが優しく口に広がった。
「――っ!クリフさんの魚、美味しい!」
「だろ?そうだと思った」
「お店開けるよ!」
「もっと言って」
ニヤリと笑ったクリフさんが、得意気にケビンさんを挑発する。
「くっそー!クリフ!ガキ臭いぞ!」
「俺の魚のほうが美味かった」
「くぅぅー、むかつく!お前、覚えてろよ!」
「次は絶品焼き魚対決だな」
「受けて立つ!」
日が暮れていく離島の砂浜は、今日もみんなの笑い声が満ちている。
沢山の仲間がいる暮らし。お皿に山盛りの料理や、船を修理するノコギリや木槌の音。それから、絶え間ないみんなの笑い声。
少しの間だけど、賑やかで穏やかなこの時間を楽しもう。そう思いながら、火の粉が立ち上る空を見上げる。
みんながいなくなったら静かだろうな。ふと湧き上がったその気持ちを消し去るように立ち上がった。
「お芋食べるひとー!」
はーい!とたくさんの手が上がる。私は満面の笑みで、わかりましたー!と返事をして、屋敷の方へと足を向けた。そんな私にクリフさんが声を掛ける。
「アンナ、あいつら甘やかし過ぎじゃない?」
「そう?でもみんな身体大きいし、フルーツと魚じゃもの足りないでしょう?ジョイさんなんて、あんなに身体大きいんだから」
「まぁ……」
「茹でるだけだから」
そう言って屋敷に戻ろうとする私に、クリフさんは甘いなぁと笑った。
「しょうがない、手伝うよ」
「ほんと律儀ね。いいのよ、任せてくれたって」
「俺も食料係だから」
防風林の小道にさしかかり、私の横を歩くクリフさんはオイルランプに火を付けた。
「別に一人でいいのに」
「だめ。アンナは警戒心がなさ過ぎる。こんな人気がない道を一人で歩くとか無いから」
「離島なんて人に会うほうが少ないけど」
「そういうとこだよ。油断してると危ないぞ?鍵もちゃんとかけて寝てるんだろな?」
「……もちろん」
「…………確認しに行っていい?」
「ダメ」
「おい」
日が暮れて。ランプが照らす道に、虫の音が響く。
少しの間の、楽しい思い出。直ぐ目の前には、ランプに照らされたちょっと呆れ顔のクリフさん。
この姿は、来年にはきっと見ることは出来ない。
ほんのり、胸が痛みを覚えた気がした。
この思い出は、ちゃんと大切にしよう。そう思いながら、私はしかめっ面のクリフさんに、鍵が大きすぎてはまらないのがいけないのよと、ツンとして言い返した。