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2-27 皇太子妃

「アーシェ様!成功しました!!!」


「ほんとうに!?見せて見せて」


 喜んで若い聖女の元に駆け寄る。


 目の前の瓶の中には仄かに光る魔法薬。そこに宿る光魔法と薬液を見て、私はわぁっと声を上げた。


「完璧ね!これで下級聖女でも固定化の光魔法の解毒薬を作れるわね。さすがじゃない、ミーリア」


「アーシェ様がたくさん教えてくれたからですよ」


 照れたように微笑む若い聖女ミーリアの手元を、遅れてやってきたメイアが覗き込んだ。


「わぁ、本当にできてる!これでトルメアに帰っても安心ね」


「いっぱい輸出してね、メイア」


「ふふ、お任せくださいアーシェ様」


 メイアはそんな私ににこりと笑った。



 あれから、数ヶ月後。落ち着きを取り戻したアストロワ帝国には、トルメア王国から複数の聖女が留学をしに来ていた。


 その留学一期生かつ次期筆頭聖女となったのが、追放された日に林の中で私を助けてくれたメイアだった。メイアは、ガラス瓶の中で揺れる新しい光魔法薬を見つめてのんびりと呟いた。


「まさかこんな結末を迎えるとは思いませんでしたよ。宰相の刺客と林の中で戦った時には、どうやったら平穏なトルメアに戻るんだろうって絶望してたのに。平穏に戻るどころか、帝国との強固な繋がりができて安泰も安泰ですよ……アーシェ皇太子妃殿下」


「その仰々しい言い方やめてよメイア……それに、まだ『次期』だから」


「うふふ、クロヴィス殿下の寵愛っぷりをみたら次期もなにも関係ない気がしちゃって」


 ニヤニヤと笑うメイアから目を逸らす。メイアとは以前から仲が良かったのだが。そのせいもあってか、メイアは帝国に留学に来てから事あるごとに私とクロヴィスの事をからかうのだった。


「でも、本当にやり手ですよね、クロヴィス殿下。まさか禁術を開放して新しい治療法を普及させた上で、術を発見して無効化する手段も普及させて、更に全部国家間の利益源にしちゃうなんて」


「さすがアーシェ様の旦那様ですね」


 魔法薬を完成させたミーリアが若々しいキラキラとした笑顔で私を見上げる。なんと返していいかわからず、頬を染めて「そうね」とだけボソリと返すと、二人は可笑しそうに顔を見合わせて笑った。


「ほんと、アーシェ様は色恋の話になると奥手ですね」


「あら、でもアーシェ様だって言うときは言うじゃない。クロヴィス殿下としか踊らないって」


「それ!!生声で聞いてみたいです!お願いします!」


「やめて……国に送り返すわよ」


「「ごめんなさい」」


 そうして二人は真面目に作業に戻った。その背中をやれやれと見守る。


 ――アストロワ帝国とトルメア王国をかき乱した光魔法の禁術。かつて大聖女が人の為に生み出したその術は人々を苦しめ――そして、新しい時代の流れの中で、再び人を救うために動き出した。


 固定化の光魔法は当初の目的通り難病の治療のために研究が開始された。それと同時に世間に流通し始めたのは、固定化の光魔法を解除する魔法薬と、霧の水魔法による治療法、そして光魔法付与を感知できる魔道具の流通だった。両国が共同で立ち上げたこの取り組みは、トルメアの光魔法に加え、帝国の資金力と魔道具の技術力、そして流通網に支えられていた。


 つまり、両国間で良質な仕事がたくさん生まれたと言うわけだ。


 きらりと光る魔法薬をゆらしてミーリアが呟く。


「これも今後アストロワ帝国とトルメア王国の間で取引されることになるわけですよね……やっぱり凄いですね、クロヴィス殿下」


「当然ですわ。あのクロヴィス殿下ですもの」


 一つに結んだ金の縦ロールを揺らしてオリビアが現れた。動きやすい、でもパリッとした気品あるドレスを着たオリビアは、ニヤリと悪そうな顔で笑うと帳簿を一つ私に差し出した。


「ご確認下さい、アーシェ様。今月の収支です。我が家の資金が潤沢になりすぎて恐ろしいですわ。国に寄付金を送っても?」


「まぁ、ありがとうオリビア。もう完全に事業家のようね」


「うふふ、楽しくて仕方ないわ」


 新しく始まったこの禁術開放事業では、オリビアの家の貿易網が非常に役に立った。さらに暇つぶしにと手伝い始めたオリビアが、きめ細やかな采配とクロヴィスも舌を巻く交渉力を発揮し、おかげで恐ろしい勢いで新しい魔法薬市場が活性化している。


「そうそう。この間行ってきたわよ、トルメアの王宮。アーシェにバッサリと振られた第二王子、『王子』と名乗るのを禁じられた上で粗末な机と椅子だけの部屋に閉じ込められて、大根の皮のスープを啜っていましたわ」


 そうオリビアがニヤリと笑って言うと、聞いていたメイアがギョッとしたように目をひん剥いた。さすがの酷さに驚いたのだろうかと、メイアの様子を窺う。メイアは、怒ったようにガタリと席を立ち上がった。


「贅沢じゃないですか!?アーシェ様にあんな酷いことしたんですもん、カビの生えたパンでいいのに!」


「えっ!?」


 そっち!?と驚く。まさかもっとひどい想像をしていたなんて。


 驚いていると、隣のミーリアもメイアに同意するように怖い顔で深く頷いた。


「禁書庫の塵でも食べさせたらいいんですよ!」


「それいいわね。後は屋根付きも贅沢だから、離島じゃなくて砂漠に放りだしましょう!」


 二人がすごい勢いでギャーギャー怒り出した。慌ててどうどうと落ち着かせようとしたが、逆にメイアが目を三角にして私に怒りだした。


「アーシェ様こそもっと怒って下さいよ!みんなの前でクソ王子って殴って肥溜めにでも蹴り落としてきたら良かったのに!」


「ドラコスみたいに髪の毛剃り落としちゃえば良かったんですよ!」


「そ、剃り……ううん、大丈夫よ、私は。それにローランド殿下はちゃんと公的な処罰も受けたでしょう?」


「まじめ!まじめ過ぎですアーシェ様は!」


 メイアがガチャンと薬瓶を鳴らして荒ぶった。その圧にたじたじになりながら、メイアの話を聞く。


 メイアは腰に手を当てると、ビシィ!っと私を指さした。


「いいですか!?アーシェ様も、皇太子妃教育だけじゃなくて追加で自分を褒めるお勉強をしてください。アーシェ様はイマイチ自覚が足りませんが、高い能力も然ることながら、お美しいんですからね!クロヴィス殿下も言ってたでしょう?あんな胸フェチドスケベアホ王子の言う事なんて真に受けないで、私たちが褒めたことはそのまんま受け取ってくださいよ!?お世辞で言ってるんじゃないんですからね!?」


「わ、わかった、わかったわメイア……ごめんなさい」


「絶対分かってない!!」


 そう言うと、メイアは目に涙をためて私にキッと視線を送った。


「私たちが尊敬するアーシェ様が、あんなクソ王子のせいで自分のことを卑下してたら悔しいですもん。何度でも褒めるんで、当然よ!ぐらいの気概で受け取ってください!」


 そのメイアの言葉にはっとする。確かに、これから皆の上に立つ私が、自分を誇りに思えなくてどうするのだろう。


 それに、みんなが認めてくれた事を否定したら、みんなの目が節穴だということになってしまう。それに、受け取ってもらえなかったら、きっと悲しい。


 メイアが言っているのは、そういうことだろう。


「……そうね、ありがとう、メイア。ちゃんと自分のやってきたことを誇りに思って突き進むわ!」


「そう!そうですよ、アーシェ様。後はクロヴィス殿下にいっぱい可愛い可愛いって言われて幸せになってくださいね!」


「――っ、そ、うね……」


 うふふと笑うメイアに、少し赤くなりながらも頷く。確かに、それは私には必要なことなのかもしれない。


 そんな私を微笑ましく……でも悪役顔でニヤリと眺めたオリビアは、更に悪そうな笑みを深めると私に言った。


「で、そのクソであると連呼されている王子様ですけれど。なんと謹慎部屋の中で、淡々とお勉強してたわよ」


「はあぁぁ!?あのローランド殿下が!?」


 メイアがまるで信じられないニュースを聞いたように驚いた。オリビアがメイアにニヤリと笑いながら先を続ける。


「色々ありすぎて価値観がひっくり返ったらしいわ。それに、とてもおばかだけど、お父親とお兄様のことは大好きだものね。痩せ細った二人のために何かしたいって頑張ってるらしいわ。まぁ、まだまだひよっこで帳簿も間違いだらけだし歴史なんて壊滅的で、臣下には影で『おこちゃま王子』って呼ばれてるらしいけど。せっかくだから役に立ちそうなものを色々売り込んできてやったわ」


 オリビアは、勝ち気な笑顔で隣のエミリーの肩を叩いた。


「でも、別に嫌がらせでおこちゃま王子様に売り込んできたわけじゃないわよね、エミリー」


「えぇ、寝たきりで関節が弱ってしまった国王様に使っていただく保護用の帯をお渡ししたの。……私がこんな風に役に立てる日が来るなんて思わなかったわ」


 エミリーはぽっと頬を赤らめて手元の器具を握りしめた。エミリーは、固定化の光魔法付与の魔法薬で新しい治療法を見つけていた。それは、自身がずっと悩んできた足の痛みに対して始まった治療法で、今では色々な骨や筋肉の悩みに応用されている。


「いろいろな方から感謝されるんです。自分の足も痛くないし……あんなに必死で踵の高い靴を履いて必死でドレスを着ていたのが嘘みたいよ」


「えぇ……本当に良くがんばったわよね、エミリー。あなたの努力の結果よ」


 そう言って涙ぐむエミリーを労う。その様子を温かく見守っていたオリビアは、次いでふふ、と耐えきれずに笑った。


「でも、一番に飛躍したのは何と言ってもグレースよね」


「そうね……まさか、こんな事になるなんて」


 そこにいる全員が深く頷き、そして壁に貼られた絵姿を見上げた。


 マシュマロのような豊満ボディに辛口のアーティスティックなドレス。泣く子も黙る美的な化粧を施したグレースが、絵の中で不敵な笑みを浮かべ、格好良く魔道具を構えていた。


「まさか国家を跨ぐ有名モデルにまで上り詰めると思わなかったわ……」


「踊りも歌も凄まじいしね」


「ステージのチケットは三ヶ月先まで売り切れらしいわよ」


 皆で一躍時の人となったグレースを不思議な気持ちで見上げる。


「帝国魔道具の広告フィーバーね」


「……いくら光魔法を発見する魔道具を普及させなきゃって、こんな奇抜なことする必要あったのかしら」


「とにかくインパクトが大事だって陛下が仰って……」


「クロヴィス殿下は反対しなかったの?」


「クロヴィスよりハイラスが青筋立てて怒ってたわね」


「あぁ……」


 みんなそれを想像し、ついで顔を合わせると、可笑しそうに笑い合った。


「アーシェお姉様!!!」


「あれ、ローラちゃん」


 バァン!と扉を開けてケビンさんの妹のローラちゃんが転がり込んできた。


「そんなに怒ってどうしたの……?」


「お兄ちゃんが家の仕事サボって逃げたのよ!貴族の仕事は俺には無理だって、全部私に押し付けて!!!」


「えっローラちゃんの探知の魔法でケビンさんを見つけられないなんてことあるの?」


「あるわよ!全属性持ちだもの!ムカつく!!!」


 キーキーと喚いたローラちゃんは、あたりをキョロキョロと探ってからまた部屋を出ていこうとした。が、急にピタッと止まると、私を振り返った。


「アーシェお姉様……あの約束ちゃんと守ってくれる?」


「もちろんよ、次のお休みにはクロヴィスと一緒にご飯食べましょう?」


「!!うん!」


 ぱぁ、と笑顔になったローラちゃんは、少し機嫌が直ったようで、嬉しそうに走り出していった。


「凄いわアーシェ……遂にあのローラ様を手懐けたのね」


 びっくりした顔でオリビアが私に言った。確かに、暫く睨みつけられる日々が続いたのだけど。幼馴染のクロヴィスお兄さんを取られた気分なのだろうと思って一緒にご飯を食べる提案をしたところ……その後何故か懐かれた。


「……ローラはお姉様にも憧れてたからね」


「!??」


 突然声がして、びっくりして真横の戸棚から飛び退く。ギィ、と開いた扉から、みっちりと戸棚に詰まったケビンさんが現れた。


「ちょっ……こんな所で何してるのケビンさん!?」


「しっ……気付かれる。とにかく俺のことはいいから。ローラの機嫌を直してくれてありがとう、アーシェちゃん。あいつクロヴィスに『俺は変わらずローラのお兄様だろ?だから俺の妻になるアーシェはお姉様じゃないか』って言われて更に目覚めたらしい。阿呆な実兄よりお兄様とお姉様は魅力的だって」


「…………泣かないでケビンさん」


「風当りが強いんだよぉぉ」


 戸棚に詰まったまま、ケビンさんはらはらと泣き始めた。どう慰めようと思った所で、呆れたように何かの書類の束を抱えたクロヴィスが現れた。みんながハッとした顔で頭を下げる。それをやめさせてから、クロヴィスの方に顔を向けた。


「クロヴィス、どうしたの?こんな時間に。今日はずっと会議じゃなかったっけ……」


「通りがかり。今日はケビンに休み取らせてたのに声が聞こえたからさ。みんなごめんね、とんだ邪魔が入ったよね」


 そう言って申し訳無さそうにみんなに声をかけたクロヴィスは、次いで渋い顔をすると、背後に控えていたムキムキのジョセフさんに声をかけた。


「ジョセフ、やれ」


「御衣」


 ジョセフさんはみっちりとケビンさんが詰まった戸棚ごと、全部一気に持ち上げた。


「うわぁ!?ちょ、クロヴィス!頼む!見逃してくれ!」


「アーシェの事務部屋に不法侵入した奴を許すと思うか」


「連行します」


 そう言って軽々と戸棚ケビンさんを持ち上げたジョセフさんは、クロヴィスと一緒に部屋を出ていく。が、廊下からギャーギャーとケビンさんの声が聞こえる。


「頼むジョセフ!おろして!見逃してくれ!」


「次期皇太子妃殿下の事務部屋に忍び込むなど言語道断です」


「たのむぅぅぅぅ」


「あっ!いた!!!お兄ちゃん!!!」


「うわぁぁぁぁまってくれぇぇぇ」


 すごい形相でローラちゃんが追いかけていったのが見えた。きっとただでは済まないだろう。みんなで合掌して見送る。


 そして、メリッサが静かに扉を閉めた。


「皆様申し訳ございません。いらぬ鼠が入りこまぬよう、今後警備体制を強化致します」


 そうしてきっちりと礼をしたメリッサを見て、オリビアはにこりと不敵な笑みを浮かべた。


「さすが、次期皇太子妃殿下お気に入りの最強メイドね。首尾が完璧だわ」


「恐れ入ります、オリビア様」


「いいわねあなた。アーシェのところが飽きたら私が雇ってあげるわ」


「ちょっと、引き抜かないでよオリビア」


「ふふ、冗談よ」


 ニヤリと笑ったオリビアに困った笑みを浮かべる。ほんのりきょとんとした顔になったメリッサは、次いで仄かに微笑むと、オリビアに丁寧に頭を下げた。


「申し訳ございません、オリビア様。私は生涯アーシェ様をお守りすると決めておりますので」


「まぁ、すごい忠誠心ね、メリッサ」


「……表情の乏しい私に安らぎを感じてくださるのは、アーシェ様ぐらいですから」


 そう言ったメリッサは、表情が乏しいと言う割には、優しく微笑んでいた。


「ねぇ、ところで式の準備は順調なの?アーシェ」


 オリビアがニヤリと笑って私に問いかけた。そう、私とクロヴィスの結婚式までもう少し。壁にかかった暦を眺めながら、少し先の予定に思いを馳せた。


 もう少ししたら、私とクロヴィスは夫婦になる。その時は、ついに私も皇太子妃だ。


「新婚旅行も行くんでしょう?でも、そのために先にやらなきゃいけない政務がたくさんあって大変だって聞いたわ。大丈夫?アーシェ」


 エミリーが心配そうに私を見上げる。ここのところ私もクロヴィスも怒涛の忙しさだった。落ち着いて日中を過ごせない日々に、確かに少し疲れ気味ではあるけれど。


「大丈夫よ、夜にはゆっくり会えるもの」


「本当に?無理してない?」


「うん、本当。夜はちゃんと休んでるし――それに、今すごく楽しいの。色んなことが充実してるし……みんなもいるし」


 そう言って微笑むと、やっぱりオリビアが赤くなった。そして、みんなにからかわれながら「倒れないように気をつけてくださいまし!!」と私に言ってプイと顔を背けた。


 大変だけど、幸せな日々。皇太子妃教育も新しい光魔法の事業もなんとか片付けてプライベートなリビングに戻る。寝支度を終えてふぅとソファーに沈むと、遅れて湯浴みをしていたクロヴィスが髪の毛を拭きながら部屋に入ってきた。


「お疲れ様。ケビンさん、大丈夫だった?」


「ローラに縛られて連行されていったよ」


「やっぱり……」


「ケビンのやつ、次期当主をローラに譲ろうとしてるらしい」


「えっ……いや、アリね。むしろいいかもしれないわ」


「アーシェもそう思う?」


 クロヴィスが笑いながら私の横にドサリと腰を下ろした。湯上がりのクロヴィスの、優しい匂い。ほっとしてぽふっとクロヴィスの肩に頭を預ける。


 クロヴィスはそんな私を見下ろすと、優しく微笑んだ。


「疲れた?アーシェ」


「ううん、安心しただけ」


 そう言って目を閉じてクロヴィスの肩に気持ちよくすり寄る。すると、仄かに胸元が温かくなった。


 マグノリアの花の印。今日も満開に咲くそれが、ふわりと熱を持っていた。


「……ねぇ、クロヴィス。時々これがあったかくなるんだけど、何?」


「…………俺が近くにいると温かくなる時があるんだ」


「そうなの?」


 不思議に思って首を傾げる。普段次期皇太子妃としてクロヴィスと社交に赴く時にはあまり温かくならない。どちらかと言うと、こうして夜に寄り添っている時が多い気がする。


 なんだか怪しい。そういえばと思って、むくりと起き上がってクロヴィスをじっと見つめた。


「クロヴィス」


「……何?」


「何か隠してるわね」


「…………何を?」


「そういえばちゃんと聞いていなかったわ。このマグノリアの印の秘術について」


 クロヴィスがつ、と視線を外した。怪しい。ここのところの激動の日々ですっかり忘れていたが、確か『微塵も咲かなかったら身も心も死ぬ』のではなかっただろうか。


「クロヴィス?」


「……だから、印で繋がってるから、アーシェのところにすぐ転移ができるんだよ。その目で見ただろ?」


「……花の咲き具合の条件は?」


「…………俺がアーシェを愛してるからこんなに満開なんだよ」


「……私が万が一クロヴィスを愛してなかったらどうなったの?」


 そう突っ込むと、クロヴィスは若干目を泳がせながらほんのり苦笑いをした。


「アーシェ……愛してないなんて、そんな事無いだろう?」


「クロヴィス、これは事実の話ではなく条件の話よ。理論立った明確な説明を求めます」


「…………仮定の話はわからないな」


「……………………そう」


 あくまでしらを切り通すつもりのようだ。そう来るならこちらも別の手段を取ろう。


 ふと先日グレースから聞いた助言を思い出す。いい機会だ。ちょっと試してみよう。


 私は、ちょい、とクロヴィス服をつまんで、グレース直伝のちょっと照れた意味深な顔(?)でその顔を見上げた。


「……ねぇ、クロヴィス」


「!??」


 クロヴィスがはっとして私を見下ろした。良く分からないが効いている気がする。よし、このままこの作戦でいこう。


 そして、私はほんのり恥じらった顔のまま、グレース直伝の『殿方を思うままに操る術』なる一言を繰り出した。


「ね、クロヴィス、教えて?……今夜、何でも一個、言う事聞いてあげるから」


「!!!」


 クロヴィスはカッと目を見開いた。


「なんでも?」


 想像以上の反応に、思わず引きながらなんとか答えを返す。


「えっ、な……なんでも。なんでもよ」


「ほんとに?」


「ほ……ほんとうよ」


 めちゃくちゃ食いつくな。なんかやばい気がすると冷や汗を流しながら、しかし次期皇太子妃たるもの、二言はないと頷く。


 クロヴィスは、私の返事をしっかりと確認した後、はっきりと言った。


「秘術をかけた時点で、相手に愛されてなかったら死ぬ」


「…………は!?死ぬ!!???あれって例え話じゃなくて本当のことだったの!?」


 ギョッとして目を剥く私に、クロヴィスは淡々と告げた。


「蕾もつかないほど微塵も愛されてなかったら即死だね。蕾がつく程度なら……魔力が半分ぐらい永遠に無くなるけど死ぬまではないかな」


「はぁ!???」


 想像以上の危険度だった。なんて無謀なとクロヴィスに食ってかかる。


「ちょっと、なんでそんな危険なことしたのよ!?」


「それで死んだらもう本望かなって」


「何言ってるのよ!?万が一があったらどうするのよ」


 怒ってそう言うと、クロヴィスは何故か嬉しそうに、ちら、と私を見た。


「万が一?」


 なんで嬉しそうなんだ。問いかけの意味もわからず、そのままクロヴィスに怒りをぶつける。


「そうよ!死ななくたって、魔力が半分になったかもしれないじゃない!万が一そんなことになったらどうするつもりだったのよ!」


「……ふふ」


「何笑ってるの!?」


 クロヴィスは今度こそ嬉しそうに笑った。それから、私に手を伸ばすと、怒り続ける私をよそに、幸せそうに私を抱きしめた。


「ねぇ、ちょっと!??クロヴィス!?」


「……万が一、だったんだなって」


「え?」


 繰り返されるその言葉に首を傾げる。クロヴィスは、少し腕の力を緩めて私の顔を覗き込むと、ほんのりからかうように、甘やかに微笑んだ。


「――満開、だったもんね」


「え……?」


「愛の大きさで咲き方が変わるんだ。蕾が『万が一』だって言うぐらい、アーシェが俺のこと思ってくれてたってことだろ?」


 は、と気が抜けたような声が出た。呆けた私を見て、クロヴィスは甘やかに笑った。


「俺のこと、そんなに好きだった?」


 ぼっと顔が熱くなる。そうか、そう言うことなのか。確かに、『万が一』だとおもったからそう言ったけれど。改めて指摘されると恥ずかしくて、叫びたくなる。


 クロヴィスは嬉しそうに私の頬を撫でた。


「ふふ、赤い」


「〜〜〜っ、か、からかわないでよ!」


「いいだろ、これぐらい幸せ噛み締めたって」


 抱き寄せられて、ぼふ、とクロヴィスの胸元に顔が沈む。


 寝間着越しに分かる、クロヴィスの鍛えられた身体。湯上がりの優しい石鹸の香りと、クロヴィスの甘い匂い。


 思わずどきりとして何も言えなくなってしまった私を、クロヴィスは柔らかく抱きしめた。


「ほんと……よく我慢してるよ」


「何を……?」


「ずっと、こうしたかったんだ……島にいた時から」


 そう言うと、クロヴィスは熱の籠もった離島の明るい海のような瞳で、私をじっと見つめた。


「ねぇ、アーシェ」


「な、なに……?」


「もう一つ、教えてあげるよ」


 そう言うと、クロヴィスは私のマグノリアの花の印に、つ、と指を這わせた。


「ここ、暖かくなる時があるって言ったよね」


「う、うん……」


「それはね」


 クロヴィスは、盛大に色気を振りまきながら、甘く微笑んだ。


「――俺がアーシェに触れたいときに温かくなるんだ」


 絶句した私を、クロヴィスが嬉しそうに見つめた。


「あ、あの、」


「ん?」


 啄むような優しい口づけが降ってくる。頬に触れるクロヴィスの手が、甘く私の頬を撫でた。


「可愛い」


「――っ」


 柔らかく、何度も何度も唇が触れる。少しして、息が続かなくてくらくらしてきた頃。クロヴィスはとろりとした翡翠色の目で私を見つめた後、どさっと私を押し倒した。


「!??」


「アーシェ」


「ちょ、ちょっと!待って!」


 首筋やマグノリアの花の印にちゅっと口付けを落とすクロヴィスを、息も絶え絶えに止まらせる。焦ったような私に、クロヴィスはこれでもかと色気を振りまきながら、ふっと微笑んだ。


「なんで止めるの?」


「っ、なんでって、」


 まっかになってワナワナと震える私に、クロヴィスは恐ろしいほど妖艶な顔で微笑んだ。


「――何でも言うこと聞いてくれるって言ったよね?」


「まっ――――っ」


 ……残念ながら、私はそれ以上、何も言う事が出来なかった。


 二度とグレースの『殿方を操るノウハウ』は聞かないぞと心に決めて。


 私は忙しく巡る日々の中、クロヴィスとのひと時を、なんだかんだ幸せに噛み締めていた。


***


 そんな皇太子と次期皇太子妃がいちゃつく夜のリビング。部屋の隅では、無表情のメリッサが、そろそろ止めるべきかとソワソワし始めていた。それを真顔のジョセフが止めている。


 あともう少しぐらいいいだろう。最悪、自分たちが二人を引っ剥がせばいいのだから。


 そうして、二人の幸せそうな姿を見て、ジョセフは優しく目を細める。


 目に浮かぶのは、瑞々しく濃い緑と、白く輝く砂浜、エメラルドグリーンに輝く海。


 それは、いつまでも美しい思い出として二人に寄り添って。


 これから重責を負う二人の未来に、穏やかな幸せを導いてくれる気がした。

次で最終話です!まもなく投稿します。

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