2-25 霧
「何このメガネ」
「ふふふふ、アーシェ様特製の『イケてない風に見えるメガネ』よ!」
「イケてない風に見えるメガネ……?」
「これがあればクロヴィスが誰なのか分からないでしょう?かけてみて!」
「ほんとだ!スッゲー!クロヴィス様、そのへんの影の薄い従者みたいですよ!」
ケビンさんが嬉しそうに飛び跳ねる。そしてクロヴィスに逆にメガネをかけされられて、お前は変わらないなと一刀両断されて項垂れた。
そんな楽しい作戦会議をしたのが、数日前の船の上。そう、私たちが立てた作戦はこうだ。
第一の作戦。追放聖女アーシェが、突然ドラコスとロザンデの目の前に現れる。きっとドラコスは飛んで火に入る夏の虫とばかりに私を捕らえようとするだろう。そこでよくある舌戦を繰り広げ、ドラコスの悪巧みの証言を一気に引き出してやろう。それが第一の作戦だった。
そして、第二の作戦。イケメン皇太子が現れたら、きっとロザンデは第二王子ローランド殿下からクロヴィスに乗り換えようとする。クロヴィスはそこでイケメンっぷりを発揮してお色気大作戦としてロザンデからの証言も引き出しちゃおう。
……というのが私達の立てた楽しい仕返し大作戦だった。
「そんなにうまくいくかなぁ?ベタ過ぎない?」
「大丈夫だってアーシェちゃん。調べた感じだと二人ともコテコテの悪役じゃん」
「俺のお色気大作戦とかいるか?まずネーミングが最悪だ。変更しろ」
「これぐらいの遊びがないとみんな楽しくないでしょ!」
悪ノリし始めたケビンさんを抑えきれず、結局まぁいいかとこの作戦で乗り込んだのだけど。
今、私はそれを激しく後悔していた。
「――貴様がアーシェを語ることは許さない。次に口にしたらこの場で首を刎ねる」
庇われた私ですら凍りつきそうなクロヴィスの怒り。拘束され青くなってうなだれるロザンデを横目に冷や汗をかきながら、私も宰相ドラコスの方へ視線を向けた。
作戦は想像以上に上手くいった。まさかローランド殿下が窮地に陥っているとは思わなかったけど、おかげでドラコスが霧の魔法を使えることもはっきりと分かった。
だから、このままドラコスを捕まえることができると思ったのだけど。
ドラコスは、凪いだ表情でクロヴィスの方を見ていた。
「言い逃れ、でしたか。そうですね。率直に言わせて頂ければ、私は何もしていません」
「……何もしていない?」
「えぇ、殿下は私が何をしたとお思いで?」
ドラコスは呆れたように余裕を持って笑っていた。
「あぁ、先程の薬、でしたかな?『元気になるお薬』だとそこの女が言ったので、であれば元気になって頂こうと体に取り入れやすい霧の形にしたまでです。それが何か問題がございましたかな」
「……あれが違法な薬物だとは知らなかったと言うんだな?」
「違法な薬物!?それはそれは、存じ上げませんでした。未然に防いで頂きありがとうございます」
胡散臭い笑顔でドラコスは微笑んだ。
自分が関与したという、確固たる証拠はない。そう言いたいんだろう。
クロヴィスは、静かにドラコスを眺めた後、もう一度口を開いた。
「水魔法は得意なのか?」
「いいえ、とんでもございません。私めの水魔法など、生活魔法に毛が生えた程度のものですよ。魔術師様のように高い攻撃力もありませんからなぁ」
「液体を霧にするなんて面白い技を持っているじゃないか」
「なんの役にも立ちませんよ。あぁ、先程のように嫌がる子どもにお薬のをませることはできるかもしれませんがね」
「強制的に薬を飲ませることもできるだろう?例えば、眠る国王やレオナルド王子に薬を与えることもできるはずだ」
変わらぬ穏やかな口調でクロヴィスがそう言った。それでも核心を突く話題に、ぴりっとした緊張が走ったのがわかる。
ドラコスは、変わらぬ作り笑顔でそれを笑い飛ばした。
「はは、何をおっしゃいますか。私がやったとでも?」
「――…………違うのか?」
「えぇ、勿論です。逆になぜ私がお二人に毒の霧を与えたと言うのです?」
「――――……」
クロヴィスは、すっと目を細めた。ドラコスは愉快だと言わんばかりのいい草だった。それから、意地の悪い歪んだ表情で、もう一度口を開いた。
「霧の魔法はごく簡単な魔法です。私以外でも多くのものが使えるでしょう。他の者の霧魔法である可能性は排除できないはずです。その女が誰かと組んでレオナルド殿下に魔法薬の霧を吸わせたのかもしれませんよ?先程私がローランド殿下に『元気になる薬』の霧を飲ませようとしたからと言って、私を犯人扱いするのはやめて頂きたい」
「……つまり、君はレオナルドや国王には何もしていないと?」
「もちろんです。霧の魔法は誰にでも使えるのですから。誰かが魔法薬を霧にしたのでしょう」
そう言い放ったドラコスは、勝ち気な笑みを浮かべた。
ドラコスの言うとおり、液体を霧にする魔法はそこまで難しくない。用途はあまりないが、ごく初歩的な水魔法だった。だから、ドラコスが霧の魔法を使えることは、なんの証拠にもならないのだけど。
クロヴィスの方をちらりと見る。そんな私に静かに頷き返したクロヴィスは――綺麗な顔でにこりと笑みを浮かべた。
「そうか、ドラコス。ありがとう。――お前がレオナルドと国王に禁術の魔法薬の霧を吸わせたんだな」
「は?だから私では、」
「――ではなぜ『病に倒れた国王』と『失踪したレオナルド』が、実はどちらも『魔法薬の霧を吸い込んで眠っていた』のを知っている?」
ぴた、と動きを止めたドラコスの目が、ほんのりと開いた。クロヴィスが、冷たく目を細めた。
「もう一度言う。俺は『強制的に薬を飲ませることもできるだろう?例えば、眠る国王やレオナルド王子に薬を与えることもできるはずだ』と言った。――普通であれば、『確かに、それなら眠る国王様に目覚めのお薬を飲んでいただける。そして、レオナルド殿下はどちらに?』という発想になるんじゃないか?レオナルドが眠り続けていたことをなぜお前が知っている?」
しん、と静まり返る。顔色を悪くしたドラコスが、掠れた声でもう一度口を開いた。
「……知りません」
「…………知らない?」
「……普段からお二人は日々の薬を霧で飲まれていたのです。侍女が霧にして飲ませていたりしました。だ、だから別に私は、今お二人の身に起こったらしい毒の霧の話をしたのではありません」
苦しすぎる話の展開に眉をひそめる。じとりと汗がにじむドラコスに、クロヴィスは淡々と容赦なく質問を浴びせかけた。
「飲みやすいように、ドラコスが国王と第一王子に霧の薬を飲ませてあげていたということか?あのレオナルドが『必要な薬』を嫌だと言って飲まなかったと言うのか?子供のように?」
「っ、そ、そうです。レオナルド殿下は、お薬が苦手で」
んなばかな。言った本人も苦々しい顔をしている。おまけに近くで床にへたり込んでいるローランド殿下までもがぽかんとしている。
クロヴィスが、思わずといった感じで吹き出した。
「く、薬が苦手か。そうか。ふ、ふふふ、いいのか?レオナルド。反論があれば聞くが」
「ありがとうございます……心外です。薬ぐらい普通に飲めますよ。『必要なもの』であれば、ですがね」
物陰から、レオナルド殿下が現れた。やせ細り心配したが、きちんと身なりを整えたその姿は、半年ほど前にお見かけした威厳をちゃんと取り戻している。
そして、それに続いて現れたのは――長い間眠りについていた国王陛下だった。
ローランド殿下が目を丸くして呟く。
「ち、ちうえ……」
「何を呆けた顔をしておるのだ阿呆が。半年も寝かせおって」
「っ、ご、ご無事なのですか!?」
「死ぬ寸前だったわ。いいように騙されおって、このバカ息子が!」
「ち、ちちうえ〜~~!!!」
ローランド殿下は感極まったようにハラハラと泣き出した。陛下はそれを見て残念な表情となったが、諦めたようにため息を吐き出した後、宰相ドラコスの方へ顔を向けた。
「さて、ドラコス。……どうしたものかな?」
「…………っ、陛下、」
「私もレオナルドも、薬を霧にして飲んだことなどないぞ?」
笑える話だが笑えない。わなわなと震えるドラコスに、国王は追い打ちをかけた。
「私もレオナルドも、眠る前に見たものは同じだ。金の混じった濃い霧。あれが我らを永遠の眠りに誘う魔法薬だったのだろう?」
「――金の交じる魔法薬は、間違いなくロザンデ嬢の作り出したものじゃな。光の魔法薬にはその者の魔力の色が交じるからなぁ」
ドムさんが穏やかな声でコツコツと杖を鳴らして現れた。その身は賢者の称号がついたローブに包まれている。穏やかな表情だったが、その目には鋭い光が宿っていた。
「あの術は使い方次第で毒にも薬にもなる。このような使い方をしたのは……この聖女と呼ぶにもおこがましい脳みその足りない下賤な女の考えではなく、狡猾でずる賢いおぬしの入れ知恵だな?」
「っ、それは、」
「あぁ、証拠だよね?あるよ」
冷たく微笑んだクロヴィスが、一枚の紙を取り出した。多くの貴族が固唾をのんで見守る静かな夜会会場で、取り出された紙の音がいやに大きく響く。クロヴィスは、穏やかな口調でドラコスに言った。
「読めるかな。これは、俺の兄上の部屋にあった『禁術の眠り薬』が届けられた際の手紙だ。――ドラコス・カザイノフ。お前のサインだ」
「そ、れは……」
「それは、なんだい?あぁ、他にも罪があるだろうって?そうだね、調べきれていないけど、きっと余罪はあるだろうね。例えば、アーシェに裁判もなく呪印を刻んだこととかね」
ざわ、と貴族たちがどよめいた。呪印の無許可の行使は厳罰だ。更にいつの間にか近くに来ていたお兄様も、厳しい視線をドラコスに向けた。
「まだあるぞ、宰相ドラコス。呪印を刻んだアーシェに私兵団を送り込んで殺そうとしたよな。俺のところにも刺客が来たぞ?……冤罪でっちあげて殺そうなんて、下衆なことしやがって」
余計にざわつきが大きくなっていった。クロヴィスはそのざわめきに手を挙げ静かにさせると、静かに言った。
「殺人に、禁術の睡眠薬と狂化の薬を使った殺人未遂。虚偽報告に、呪印の無許可の行使、そして無許可の魔法薬の売買。他にも余罪があるだろうな」
しん、とした静寂が訪れる。遠巻きにこちらを見ていた夜会会場の貴族たちが、目を丸くしたり口を覆ったりしてこちらを見守っていた。
クロヴィスの声が静かに響く。
「――ドラコス・カザイノフ。罪を認め、償え。それがお前にできる最後の役目だ」
誰も、何も言わない。しかし、ほんの少しの間をおいてから、ドラコスは急に笑い出した。
「あぁ、すみません。まさか、こんなことになるとはね。帝国の皇弟殿下という大物を捕まえて安心していたのですが。まさか、もっと上をいく大物が私を捕まえに来るとは」
そう言うと、ドラコスは酷く歪んだ昏い笑みを浮かべた。
「――もはやこれまで」
背後の木箱がガタガタと音を立てる。それから、一気に大量の霧が吹き出した。
「惚れ薬に、狂化の薬に、永久の眠り。作り溜めたものを全てを霧にした!さすがに全て混ざったものを浄化することなど筆頭聖女の力を持ってしてでも不可能だろう。――みな、狂い眠るが良い!!!」
会場の天井を覆うように、金と桃色が混ざりあった濃い霧が充満していく。あちこちで貴族達の悲鳴が上がった。
「っ、アーシェ!」
「えぇ!――中級・上級聖女は第一層目に固定化解除の光魔法を展開!下級聖女は解毒薬をありったけばら撒いて!」
会場には一気に複数の聖女がなだれ込んだ。ドラコスが巻き起こした禁術の睡眠薬の霧の下に、沢山の輝く光の層が現れる。その下で、下級聖女達が大量に解毒薬をばら撒いた。
「ケビンさん!」
「あいよ!全属性魔法の使い手ケビン様の実力を見せつけてやろう!」
ケビンさんが無詠唱で大量の魔法陣を呼び出した。解毒薬が一気に霧と化し、光の層の下に霧の二層目が出来上がる。さらに風が巻き起こり、禁術の薬の霧を誘導し、一層目二層目へと順に移動させていく。次第に金と桃色が混ざりあった怪しい輝きの霧はその色を失い、淡い光に溶け込むように消えていった。
ドラコスは、呆気にとられたように目を見開き固まった。そのドラコスに、最後の引導を渡すように、光と霧の層を指さして示す。
「わかるかしら?一層目で固定化解除、二層目で魔法薬を無毒化しているわ。あなたがくれた『霧』というヒントのおかげで、筆頭聖女でなくても禁術の魔法薬を無効化することができるようになったのよ。これで永遠の眠りについた人々も、霧の魔法と解毒薬があれば、誰でも眠りから起こすことができる」
「な……んだ、と……」
「皮肉なものね」
呆然と私に目を向けたドラコスに真っすぐに向き直り、長旅で少しくたびれた筆頭聖女のローブをシャンデリアの灯りに輝かせて宣言した。
「固定化解除の光魔法を多くの聖女に覚えさせたわ。もう禁術を使った魔法薬で悪さをすることはできないわよ、ドラコス」
「貴様ぁぁぁぁ!!!」
口から泡を吐き出すように叫んだドラコスは、胸元からナイフを取り出し振りかぶった。鬼のように乱れた姿にぎょっとしながら、光魔法を展開しようとして――次の瞬間、私は己の目を疑った。
ドラコスの髪の毛の上の部分が跡形もなく吹き飛んでいった。次いでスパン!と上等な服が切れ、脛や腹がむき出しになる。そして、ドラコスはあられもない姿で、風魔法の風圧でべしゃりと床に叩きつけられた。
「――次は身体だ」
底冷えするようなクロヴィスの声が響いた。頭頂部の髪の毛が完全に無くなったドラコスが、青ざめた顔でクロヴィスを見返す。
クロヴィスは、笑みのない表情で前に進み出ると、冷たい視線をドラコスに向けた。
「分かっているか?お前は今ここで、俺を含む多くの者を、禁術を使用した魔法薬で害そうとした。つまり、正当防衛が成り立つ。――俺に今ここで殺されても、何も文句は言えない」
そうしてゆっくりと手を持ち上げて親指を立て、すっと首元でその手を横に切った。
「――――ひと思いに、首でいいな?」
「ひっ……ひぃぃぃぃ!!」
尻餅をついたドラコスの股間に滲みが広がる。そして、白目を剥いたまま倒れたドラコスは、まるで地にめり込むように、頭を床に落とした。
ドラコス、無惨……
「生ぬるいわぁぁ!殺せぇぇ!!!」と目を血走らせたあなたも、
「アーシェもクロヴィスも素敵!!」とスッキリしてくださった方も、
残り三話!ぜひ最後まで見守ってくださると嬉しいです!(本日午後完結予定です)
いいねブクマご評価ご感想、いつもありがとうございます!
誤字脱字等報告も大変助かりました!!
引き続きなんでもいいので応援していただけると嬉しいです。
読んでいただいてありがとうございました!
また遊びに来てください!