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2-20 愛憎

「リ、チャード……?」


 オリビア様が呆然とリチャード様を見上げて呟く。無機質な部屋には血の匂いが充満し、ぴり、とした殺気が漂っていた。


 入口を塞ぐように立つリチャード様は、冷徹な顔をハイラス元老院議員に向けると、鋭利な剣を振り上げた。


「下がって!」


 オリビア様を壁際に無理やり下がらせ、痛みにぐらりとよろけたハイラス元老院議員を避けるように手元にあった椅子を思いっきり投げつける。椅子はガンッという派手な音を鳴らしてリチャード様に強く当たった。が、残念ながら動きを封じるには至らす、椅子はリチャード様の手でガタンと床に叩き付けられた。


 ギロリと殺意のある目が私に向けられる。


「どう、して……リチャード……?」


 蒼白になったオリビア様が掠れた声でリチャード様に呼びかけた。ピクリとその声に反応したリチャード様は、その鋭い視線をオリビア様に向けた。


「……黙って塔の外にいれば、死なずに済んだのにな」


「な、に、言って……」


 カタカタと震えるオリビア様をほんの少し黙って見つめた後。リチャード様はもう一度手にした剣を振り上げた。


「私たちを殺しても、貴方の犯した不貞も損害も帳消しにはならないわよ」


 リチャード様を糾弾するような強い言葉を投げつける。リチャード様は、その私の言葉にピタリと動きを止めた。そして、再び鋭い視線が私に向けられる。


 私はふぅ、と一つ息を吐き出すと、居住まいを正してにこりと微笑んだ。


「まぁ。まさか……ここで私たちを殺した後も、何事もなく自分の地位を積み上げていくつもりだったの?」


「……どういう事だ」


「どういう事って?あなたの事は調査済みだからよ。――クロヴィス殿下が全て調べてくださったわ」


 ハッとしたようにリチャード様が目を丸くする。


 皇太子妃となるための私の調査結果。その後ろに書かれていた関連者の情報のなかに、リチャード様のことが書いてあった。散々たる内容に、まさかと思っていたけれど。


 ちらりとオリビアの表情を盗み見る。その蒼白な顔に一瞬口にするのを躊躇いながら、黙っている意味はないと再び口を開いた。


「あなたが腕に傷を負って私の治療を受けたのは、最初から私のことを探るためだったのね。ロマネリコ卿の屋敷にタイミングよく現れたのも、思えばあなたが私を監視していたからでしょう?だけど、私たちをここで殺しても、何も帳消しにはならないわ。あなたの背後にある陰謀も――そして、貴方が地方遠征であちこちの娼館に入り浸って借金を作っていたのも、村の女達に乱暴を働いていたのも、全部ね」


 オリビア様が目を丸くして私の方を見た。本当は、こんな事をオリビア様の前で言いたくなかったけれど。


 でも、今ここで全て明らかにする以外ない。身を切るような気持ちになりながら、先を続ける。


「……金になると言われて手を出した事業も失敗して、膨らんだ多額の借金の返済に充てたのは、村の女を売り飛ばして得た人身売買の資金ね。そんな酷い状態でも確固たる地位を築いてこれたのは――その扉の向こうにいる、あなたが言いなりになっている権力者のおかげかしら?」


 そう言って、閉まっていた扉の向こうに声をかけた。


「――まさか、僕のことまで調べがついてるの?」


 穏やかな声とともに、ギィ、と扉が開く。そこから現れた人物に、私は静かに言葉を返した。


「……いいえ。もしかしたらとは思っていましたが――イザーク殿下」


 無機質な部屋の中。カツカツと足音を鳴らして入ってきたのは、皇弟イザーク殿下だった。


 イザーク殿下は薄く笑いながら後ろ手で扉を閉めると、カチャリと鍵をかけた。


「ハイラスが僕やリチャードのことを嗅ぎ回っていたからついに結託して僕が黒幕だと結論付けたのかと思ってたけど。ここにハイラスがいるのは偶然?」


「いいえ。ハイラス元老院議員は、ずっと私に警告してくれていたわ。あなた達に近寄らないようにって」


 傷の痛みに顔を歪めていたハイラス元老院議員が、驚いた顔で私の方を見た。


 そう、ずっとおかしいと思っていたのだ。いろいろな理由付けはされていたけれど、言われていたのは一貫して『出歩くな』。


 きっと、なんの証拠も確証もまだ掴めていなかったのだろう。それでも、ハイラス元老院議員は、最初からこの事態を避けようといていたのだ。


「残念だよ……ずっとハイラスが君たちに敵対していると思われるように誘導していたのに」


「印象操作が失敗して残念でしたね」


「本当だよ。しかもなんで僕がリチャードの背後にいるってわかったの?」


「騎士団長であるリチャード様のあれこれをもみ消せるほどの権力者なんてそういませんわ。あとは……勘でしょうか」


「勘?」


「えぇ。私のような女に興味を持って近づいてきたんですもの。理由があると思うのが普通ですわ」


「ふふ……本当に魅力的だとは思ってたよ?」


 イザーク殿下は妖艶に微笑んだ。クロヴィスによく似た顔に、何か黒いドロリとしたものが混じる。じとりと嫌な汗をかきながらイザーク殿下と対峙する。イザーク殿下は、薄く笑いながらもう一度口を開いた。


「ねぇ……なんで解呪できるのを黙ってたの?君はロマネリコ卿を目覚めさせただろう?その流れで他の者も解呪したら英雄になれたのに」


 既にあの光魔法を解除したことがバレていた。恐らく、それを知ったからこうしてリチャード様を動かし私を殺しにかかってきたのだろう。ゴクリと唾を飲み込みながら、勝ち気な表情を崩さないように言葉を返す。


「黙っているに決まっていますわ。犯人はこれ幸いにと私の自作自演だと吹聴するでしょう?それがクロヴィスの予想よ」


「はは、さすが僕の甥。良くわかってる。残念だよ、君が失墜してクロヴィスが悲しむのを見たかったのに。こんなことになるなら、トルメア王宮で確実に君を殺させるべきだった」


「――宰相ドラコスと繋がっているのはあなたね」


 そう言うと、イザーク殿下は妖艶な笑みをさらに深めた。


「ふふ、そうだよ?ドラコスは光魔法の秘薬なんて面白いものを持っていたからね。あいつの悪知恵も使い勝手が良かった。まぁ、トルメアで君を取り逃がすほど無能だとは思わなかったけど」


「トルメアで私を殺せと命令したのは、あの眠り薬を私が見つけてしまうのを阻止したかったのね」


「御名答。それで、殺せといった女が逃げて全然捕まらなくて、奴らの無能さに辟易していたらさ……海で死んだはずのクロヴィスが、その女を連れて帰ってきた。このときの僕の気持ちわかる?」


 イザーク殿下はクロヴィスそっくりの美しい顔を傾けた。きらめく金の長い髪がさらりと揺れる。


「……じゃあなぜ帝国に現れた私を直ぐに殺そうとしなかったの?」


「なぜって?」


「あの薬を解毒できる私をすぐに殺そうとしなかったのはなぜ?それに、なぜこんなことをするの?あなたは皇太子の地位を狙っている様子もない。それどころか、普段のあなたの動きには明確な目的が無いわ。殺すつもりなのか、違うのかも分からない……一体何がしたいの?」


「あぁ……そういう事」


 イザーク殿下は美しい笑みを浮かべた。それは、とても美い表情だったけれど。底に憎しみが充満しているような、そんな闇を感じた。


「――強いて言うなら、嫉妬、かな」


「嫉妬……?」


「クロヴィスが君に執着しているのなら、殺してしまうよりクロヴィスから君を奪いたいじゃないか。そのほうがクロヴィスは悲しむだろう?」


 イザーク殿下は淀んだ笑みを深めた。その表情に体の芯が冷たくなるのを感じながら、もう一度問いかける。


「クロヴィスを、憎んでいるの?」


「――憎んでる、だって?」


 イザーク殿下は急に笑みを消した。それから、何かを呪うように宙を見た。


「憎んでる?憎んでるのかな。そんなことないよ。憎んでなんていない。僕は、クロヴィスを愛してるんだ」


 そうして再び笑みを浮かべたイザーク殿下は、宙の向こうに愛しい何かがあるようにとろりと目を細めた。


「知ってるかい?クロヴィスは本当に可愛いんだよ?小さかった頃は、僕のことをイザーク兄様と呼んで追いかけてきてくれて、大好きだって言って僕にくっついてきてね……」


 イザーク殿下はその美しいエメラルドグリーンの目を細め、本当に大切な壊れ物を取り出すように、美しい彫刻が施された煙管を取り出した。


「これ、クロヴィスが僕の誕生日にくれたんだよ。僕は煙管は吸わないんだけど、でも綺麗だろう?僕のイメージにぴったりだって、クロヴィスが選んでくれたんだ。その時、クロヴィスなんて言ったと思う?――イザーク兄様大好きって、ずっと一緒にいようねって、そう言ったんだ」


 イザーク殿下は、そう言うと煙管を大切なものを扱うように優しく撫でた。


「小さい頃のクロヴィスは、僕の後ろばっかりついてきてた。イザーク兄様、イザーク兄様って追いかけてきて、転んで泣いて、僕に抱っこされてた。怖い夢を見たって言って、僕のベッドで一緒に寝たこともあったよ。イザーク兄様大好きって、クロヴィスは何度もそう言っていた。本当に、何度も何度も言ったんだ。――皇族の秘術を使えずに、腫れ物のように扱われる、この僕に」


 語りだしたイザーク殿下は、懐かしむように柔らかな表情をしていた。それは、幼子を慈しむような表情に一瞬見えたのだけど。話が進むにつれ、次第にどろりとした淀んだ感情が溢れ出していく。


「……それなのに、あっという間に、クロヴィスは大きくなってしまった。僕が使えなかった術を十歳には使えるようなって、あっという間に皇太子になってさ。それから、皇太子の仮面をつけて、僕を叔父上と呼び出して。立派に対等に会話もするし、政までしちゃって。僕の可愛いクロヴィスはどんどんいなくなってしまった。それでも、皆は皇族の術を使えない出来損ないの僕を腫れ物のように扱うのに、クロヴィスだけは違った。あくまで、対等だったんだ。だから、諦められなかったんだよ――そんな僕に、一身に向けられていたクロヴィスの愛が、また戻ってくるんじゃないかって」


 そうして私の方に向けたイザーク殿下の表情は恍惚としていて、そしてどろりとしていた。


「きっと、成長して何でもできるようになっちゃったからいけないんだよね。だから、子供のように弱らせたら、また僕のところに帰ってくると思うんだ。だから、不幸になって貰えばいいやって思うでしょう?」


「何を……言ってるんですか?」


「分からない?想像してみなよ。大切な仲間も恋人も失って、心が折れたクロヴィスがどうなるか。悲しみと憎しみに綺麗に染まって、きっとまた弱くなる。――そして、また僕に助けを求めて、依存してくれるようになる。クロヴィスに、僕しかいなくなれば、ね」


 恍惚と宙を眺めたイザーク殿下は、その濁った目をもう一度私に向けると、シャン、と剣を抜いた。どろりとした何かが、私に向けられる。


「だから、クロヴィスが不幸になるならなんだっていいんだ。本当は君を利用して悲しい思いをさせたかったんだけど……思った以上に上手く立ち回られちゃったからね。トルメアを利用した秘薬はバカな奴らが惚れ薬なんかで小銭稼ぎするから君にバレちゃったし。このまま君を放っておいたら、そのうちレオナルドもみつけちゃうだろう?この僕の誘惑にも靡かないしさ……クロヴィスもノリノリだし、もう潮時かなって」


 そうして、イザーク殿下はとても綺麗な顔で笑った。


「でも、ちょうどいいや。ここにハイラスがいるし、君とオリビアを邪魔に思ってハイラスが殺したってことにすればいいよね。そこで恋人を追いかけてきたリチャードがハイラスに反撃して、ハイラスも死んでしまう。美しい筋書きだろう?――だから、僕とクロヴィスのために、ここで死んでくれる?アーシェ」


 そう言って、イザーク殿下はゆっくりと一歩前に出た。それに合わせ、じり、と一歩下がる。


「……例えクロヴィスが不幸になったとして、あなたに依存することなんてないわよ」


 ぴた、とイザーク殿下の足が止まる。


「そんなことはない」


「あるわ。――クロヴィスは、強くて優しいから」


 どんなに私を欲しても、クロヴィスはそれを強制することはなかった。ただ私を喜ばせる為に、気付かれないまま私に花を贈り続けていた。


「きっと、ここで私が死んでも、クロヴィスは道を踏み外さない。私はずっと信じてるわ。道を踏み外したあなたの所に、クロヴィスはもう帰らない。――ただ、あなたを外れた道から助けようとするだけよ」


「……君にクロヴィスの何がわかるって言うんだ」


 イザーク殿下がゆらりと動き、その手に持つ刃が日の光を反射して怪しく光る。


「これでも、諦めようとしたんだ。――航海士の家族を人質に、クロヴィスを遠くの海で葬るように言ったんだ。クロヴィスのことは、綺麗な思い出にしようって。そして、航海士は言う通りにしてくれたみたいだけどね……でも、やっぱりクロヴィスは帰ってきた。しかも、君を連れて」


 ハッとして息を呑む。あの季節、離島の近くの航路を通る長距離の船はない。そんな所をクロヴィスの――皇太子の船が通ったのは、イザーク殿下の仕業だったということになる。


「クロヴィスを、殺そうとしたの……?」


「……僕の想いが遂げられないなら、見えないところでいなくなればいいって思ったんだ。クロヴィスとのことは、きっと美しい思い出になる。でも、それは間違いだった。――まさか、他の女に執着するようになるなんて」


 ゆっくりと、もう一歩が踏み出される。


「――君が、いなくなればいいんだ」


 笑みを消したイザーク殿下の、どろりとした青の目が私に向けられる。剥き出しの刀身が、ゆるりと持ち上がった。


「愛を向ける相手がいなくなれば……あの頃みたいに弱くなれば、きっと元通りになる。だから――死ね、アーシェ」


 狂気じみた青の目が、殺意をまとってどろりと見開かれる。


 その次の瞬間、私の間近で、ひゅっと鋭利な剣先が宙を切り裂く音がした。


「――俺はそんな簡単に不幸になんてなりませんよ、叔父上」


 キィン!と金属音が部屋に響く。突如として剣を手にしたクロヴィスが目の前に現れた。足元には輝くマグノリアの花の魔法陣。それに呼応するように、胸の印が熱く熱を持つ。


 衝突する二つの剣。ギリギリという金属音に合わせるように、イザーク殿下は苦々しく歪んだ笑みを浮かべた。


「マグノリア……クロヴィス、まさかもう秘術の印結んじゃったの?やりすぎじゃない?」


「早いか遅いかの違いですよ、叔父上」


「それ、君の胸に微塵も咲かなかったらどうしてたの」


「身も心も死ぬだけですから問題ないです」


「狂気だね」


「あなたに言われたくない」


 胸の印について穏やかじゃない事実が語られて一瞬固まる。でも、それを考え続けられるほど事態は甘くなかった。魔法が使えない塔の中。クロヴィスとイザーク殿下の撃ち合いが続く。


「まさかその印から僕の話を全部聞いてたの?」


「そうですね、大体」


「酷いなぁ、最初からこのつもりだったんだ」


 打ち合いは互角のようだった。剣がぶつかるたびに、切り裂くような金属音が鳴り響く。


「俺の周囲の者達を眠らせたのは何故ですか」


「クロヴィスを愛している者は僕だけで十分だろう?それに、皇太子の呪いで眠り続け徐々に死んでいくなんて、素敵じゃないか。君を孤立させるのにぴったりだ。奇病なら、犯人が誰かなんて分からないだろうしね」


「……なぜトリムに誤った航路を選ばせたんですか」


「トリム?あぁ、クロヴィスの船の航海士か」


「回りくどいことをせず、さっさと俺を殺したら良かったのに」


「嫌に決まってるだろう?目の前でクロヴィスが死ぬのなんて見たくない」


 キン!と激しい剣撃が鋭い音を立てる。


「――それでも、お前を生かしておいても苦しいだけだから……僕の見えないところで、死体も上がらない海で命を落としてくれたら良いと思ったんだ。だから、お前の航海士を使ったのに、生きて帰ってきちゃって。いや、生きて帰ってきてくれる気も、してたんだけどね。そう、僕はお前を殺しきれなかったたんだ。でも――まさか、こんな許しがたい事態になるなんて思わなかったよ。なんで、他の女を連れ帰ってきて、僕に向けるはずの愛を捧げちゃったの?」


 イザーク殿下の表情は、穏やかだったけれど。でもそこには、隠しきれない狂愛が滲んでいた。


「……だけど、これで良かったのかもね。結局、何もかも叶わないんだ。――クロヴィスをを殺して、僕も死ぬよ」


「……いいえ、あなたは生きて罪を償うべきだ」


 何度も激しい金属音を鳴らして剣を交えながらクロヴィスとイザーク殿下が言葉を交わす。互角だろうかと思った時、真横からリチャード様がクロヴィスに切りかかった。


 クロヴィスはイザーク殿下を弾き飛ばすように距離を取り、リチャード様の強い剣撃を受ける。その背後からもう一度襲いかかるイザーク殿下に、私は真横の棚の扉をもぎ取って思いっきり投げつけた。


「っ、ちょっと、乱暴すぎない?クロヴィスの婚約者」


「可愛いでしょう」


「意味がわからない」


 不覚にも思いっきり扉の角があたったイザーク殿下は、痛みに顔をしかめながら私を睨みつけた。


「よし、じゃあこうしようかな。――クロヴィスの目の前でアーシェを殺してあげる」


 ハイラス元老院議員が血を流したまま私の前に焦ったように這い出てきた。


「そんな簡単に殺させるわけがないだろう!」


「はは、老いぼれに何が――」


「リチャード!」


 ハッとしてその声の方に目を向ける。


 オリビア様が、必死の形相でリチャード様の背後に抱きついたところだった。


「やめて!こんな事をして何になるの!」


「離せ!ここで全員殺して俺は、」


「もう、めんどくさいな……」


 イザーク殿下がさっと何かを投げた。美しい形の小さな仕込みナイフ。それがぐさりと抱きつくオリビア様の腕に刺さる。


「っ、」


「オリビア様!」


「ふふ、隙あり」


 ハッとして顔を上げる。


 目の前には、イザーク殿下が振り上げた、鋭利な剣先があった。思わず、その冷たい金属の輝きに目を見開く。


 瞬間、パァン!と風が弾けた。イザーク殿下が壁に吹き飛び、同時にリチャード様の剣が宙を舞って床に突き刺さった。


「終わりだ」


 冷徹な声でクロヴィスがそう言った。リチャード様の喉元にはクロヴィスの剣が突きつけられている。


 ぐ、と呻き声を上げて半身を起き上がらせたイザーク殿下は、痛みに顔を歪めてクロヴィスの方を見た。


「なぜ……魔法が、」


「使えないと思い込むからいけないんだ」


「なに、を……」


「――俺は独りで来たわけじゃない」


 そうクロヴィスが言ったのと同時に、何か地響きのような音が聞こえた。ハッとして外を見ると――そこには、四階と同じ高さで宙に浮かぶ、ケビンさんとローラちゃんがいた。


「魔力制限装置の出力低下!お兄ちゃん、まだ!?早くして!」


「う、うおぉぉぉぉぉ!」


 ギラギラに輝く魔力を纏いながら、ケビンさんが血管の浮く両手を持ち上げる。それと同時に、ガゴゴゴゴゴゴ!と派手な音がして、天井が持ち上がって空が見えた。


「いい感じ!もう少し持ち上げて西の方向の庭園の空中でストップ!」


「んがぁぁぁぁぁ!重ぉぉぉいぃぃぃ!」


 トンガリ屋根が天井ごと持ち上がり、グラグラと揺れながら西の方へ飛んでいく。呆気にとられてそれを眺めていると、今度は下の方からうおぉぉぉ!という声が聞こえてきて、がん!と扉が開いた。


「ご無事ですか、クロヴィス殿下!」


「アーシェ様!お怪我は!?」


 ムキムキのジョセフさんと黒装束に身を包んだメリッサが同時に部屋に飛び込んできた。背後には沢山の護衛たち。良く見たら島でお世話になっていたクロヴィス専属の護衛騎士達だった。


 あっという間にリチャード様が拘束され、オリビア様とハイラス元老院議員が保護される。そして床にうずくまるイザーク殿下に、クロヴィスの剣が向けられた。


「……ご同行願えますか、叔父上」


「はは、何を言ってるんだい。――このまま殺してよ、クロヴィスの剣で」


「…………そんなことはしません」


「甘いなぁ、クロヴィスは」


 イザーク殿下はそう言うと、クロヴィスを慈しむように微笑んだ。それからおもむろに煙管を取り出した。美しい彫刻が施されたそれを、慈しむように撫でる。


「……まだ、持ってたんですね、それ」


「クロヴィスこそ、良く覚えてたね。これをくれた時、あんなに小さかったのに」


「叔父上が馬鹿みたいに喜んだじゃないですか。覚えてますよ」


「……そんなんだから、諦められないんだよ」


 そう言うと、イザーク殿下はぐっと煙管を握りしめた。


「何を言ってるんですか。安心してください、これからしっかりと罪を償ってもらいますから」


「……ふふ、そうだね」


 イザーク殿下はそう言うと、綺麗な顔に少しの悲しみを乗せて、静かに笑った。


「……じゃあね、クロヴィス」


 ハッとした。流れるようにイザーク殿下の口元に向かう煙管。それは、今まで一度も吸われたのを見たことがなかった。


 ほのかに香る淀んだ香り。直感でわかった。恐らく、その吸口には、ひと舐めで即死する強い毒が仕込まれている。


 持ち上がったその煙管は、もう口の寸前だった。


『止まれ』


 キィン!と魔力を帯びたクロヴィスの声が響く。イザーク殿下の手から、ころりと煙管が転がり落ちた。


 煙管から、さらさらと毒がこぼれ出る。しかしそれは宙に浮くように止まっていた。すんでのところでかけた光魔法が、煙管から漏れ出る毒を包みこんでいた。


「……ふたり、そろって、おひとよし、だね」


 術がかかったイザーク殿下が、術に抗いながら掠れた声でそう言った。辺りにはクロヴィスの張り詰めるような魔力の圧がかかっている。皆が青い顔をしてその圧に耐える中、イザーク殿下は汗を流して震えながら、寂しそうに笑った。


「――寿命を、縮めてまで、僕の命を、救う理由なんて、ないのに」


 その言葉に目を丸くしてクロヴィスを見る。クロヴィスは、私に背を向けていてその表情はわからなかったけれど。静かなその背中には、重みのある何かが乗せられているようだった。


 ひりついたクロヴィスの魔力の中、静かに光魔法を発動する。長い、白く輝く光の綱を編み上げて、イザーク殿下を拘束していく。


「……クロヴィス」


「うん……ありがとう」


 拘束を見届けた後、クロヴィスは術を解いた。立ち込めていた重い圧力が消え、皆がどっと息を吹き返す。


 クロヴィスは、ふらりと膝をついた。


「クロヴィス!?」


「っ、だい、じょうぶだ」


「でも、」


「……同じ血を持つ皇族にその術を使えば、反動が強いのは当たり前でしょう」


 手当を受けたハイラス元老院議員が、顔を歪めクロヴィスに厳しい視線を向けた。


「…………だから、そんな術を使えることが皇帝の条件となるのは反対なのです」


 ハイラス元老院議員は、初老の顔に厳しさと深い悲しみをにじませ、ぽつりと呟いた。


「言っているでしょう。皇帝となるものこそ、己の身を大事にしなければならないと。先々代の悲劇を忘れてはならない。次こそ皇帝の条件を見直してくれますね、クロヴィス殿下」


「……分かったよ、ハイラス」


 そう言ってハイラスを振り返ったクロヴィスの顔はよく見えなかったけれど。その声には少しの安堵と、深い悲しみがあるように感じた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 怒涛の回! [一言] ハイラスがあえて憎まれ役に徹していると初めの方で気づいた読者がいたら、人生の機微を知っている人でしょうね。前回の後半でもしやと思いましたが。
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