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2-18 夜のリビング

「やっと開放された……」


「ふふ、お疲れ様」


 夜のリビング。皇族専用の上品な部屋で、柔らかなソファーにクロヴィスと並んで座る。目の前にはお酒……ではなく美味しそうなお水。煌々と照らされた広い部屋の端には、メリッサとジョセフさんが立っている。


 つまり、何事も起こらない健全な環境が準備されたというわけだ。


「なんだか徹底した環境ね」


「ここまでしなくていいのに……」


 クロヴィスは不満げだったけど。楽な格好になったからか、雰囲気が柔らかくなっていた。


 夜会の騒ぎからこの後どうなるのだろうと少し心配していたけれど、皇帝陛下にも皇后様にも歓迎され、至極順調に皇族が住まう奥の宮に落ち着いた。


 というか、いつの間にか私の荷物まで運び込まれている。


「その……一応確認なのだけど、クロヴィス」


「ん?」


「私ここに住むの?」


 きょとんとしたクロヴィスは目をパチパチした後、くわっと私に詰め寄った。


「当たり前だろ!?」


「そ、そうなの?」


「もうどこにも帰さない。今この瞬間からここがアーシェの家だ」


「でも……厳密に言えばまだ結婚してないし……婚約もしたのかしてないのか、」


「ジョセフ」


「はっ」


 突然ジョセフさんが物凄い勢いで広い部屋の端からこちらへやってきた。そしてずいっと紙とペンを差し出される。


「婚約届だけど、ちょうど準備ができたところ。あとはここにアーシェがサインをするだけだよ」


「は……早いわね……」


 トルメアでさえ婚約届の書類を整えるのに数日かかるのに。これは恐らく事前にある程度準備してたなと予想しながらサラサラとサインを書く。それを書き終わると、クロヴィスはキッとジョセフさんを見た。


「迅速に処理するように」


「はっ、明日の朝一番に提出致します」


 ジョセフさんがビシッと書類を持って立ち去ると、クロヴィスはまた大真面目な顔で私に言った。


「荷物も運んだしアーシェの寝室も希望通り整えた。鍵もかかるから俺が突然侵入することもないし、守りも離宮より格段にしっかりしている。当然ながら全て父上の許可を得た。他に何か気になることはある?」


「ありません……」


 半ば呆れながらそう答えると、クロヴィスはふぅ、と気が抜けたように息を吐いて、ぽす、と私の肩に頭を乗せた。


「……じゃあ、ここにいてくれる?」


「いいの?」


「うん。というより、ここにいてくれないと駄目だ」


 腰に回った腕が私をぎゅっと抱き寄せる。いつもよりずっと薄手の布越しに、クロヴィスの引き締まった身体を感じて思わずどきりとした。


 柔らかな石鹸の香り。洗ったばかりの、無造作な髪の毛。それはそうだ、あとは寝るだけなのだもの。

 

「アーシェ」


 耳元で柔らかな声で囁かれて息を呑む。もちろん私もお風呂上がりだ。香油で丁寧に梳いた髪の毛はさぞかし良い香りだろう。


「っ、クロヴィス、あの、」


「ちょっとだけ」


 メリッサとジョセフさんが見ているだろうと部屋の端に目を向けると、二人とも視界に入るか入らないかの場所で物凄く気配を消していた。これは気にするなということなのだろうか。


「ちょっとアーシェ」


「え?」


「いや……ここはいい雰囲気になるところだから。何よそ見してるの」


 少しムッとしたクロヴィスがぐいっと私の顔の方向を変える。急に綺麗なクロヴィスのご尊顔が目の前にいっぱいになって、思わずボッと赤くなった。


「ふふ、今日も赤い」


「っ、からかわないでってば!」


「からかってない、喜んでるだけ」 


 にこにこと機嫌を取り戻したクロヴィスは、コツンと私の額に自分の額をくっつけると、はぁ、と安堵するように息を吐き出した。


「……ここまで長かった」


「そう?」


「ずっと、我慢してきたから」


 なにを?と聞こうとしたけど。間近に見えたクロヴィスの翡翠色の目が想像よりずっと情熱的で、思わず言葉を飲み込んだ。


 息がかかるほどの近い距離。金の髪の間から、クロヴィスが私を見つめているのが見える。


「――好きだよ、アーシェ」


 今まで一度も言われたことなかった、直接的な言葉。


 目を丸くした私に、クロヴィスはふわっと甘く微笑んだ。


「そんなに驚くなよ」


「っ、だって、今まで言わなかったじゃない」


「あぁ」


 ちゅ、と軽くキスをしたクロヴィスは、間近で甘く目を細めた。


「――言ったら抑えが効かなくなると思ったから」


「えっ――」


 ちゅっともう一度唇が重なる。それは、啄むように何度も降ってきて。うまく息が吸えなくて、溺れるようにクロヴィスにしがみつく。


「っ、クロ、ヴィス」


「……好きだよ、めちゃくちゃ」


 そう呟いたクロヴィスは、どさ、とソファーに私を押し倒した。


「!?」


「アーシェ」


「ちょっ……ちょっと待って!ちょっと待って、クロヴィス、」


「なんで?」


 首筋にちゅ、とキスが落とされて、驚いて思わずひゃあと声をあげる。


 これは、これは……そういう流れでは!?


「待って……待ってってばクロヴィス!」


「どうして?アーシェも俺のこと好きだろ?」


「すっ……」


 ぼっと赤くなって覆いかぶさるクロヴィスを見上げる。


 クロヴィスは期待のこもった熱い眼差しで私を見下ろしていた。


 それが、思ったより必死そうで、何だか妙に愛おしくて。気がつけばその顔を見上げて言っていた。


「――好き」


 ぽろりとこぼれた言葉は小さかったけど。それを聞いたクロヴィスは、一瞬固まってからふわりと幸せそうに笑った。


「……幸せすぎて溶けそう」


「ふふ、言い過ぎよ」


 それから、とろりと見つめ合って。何だか、凄く幸せで。クロヴィスの顔が、ゆっくりと降りてくる。


「はい、終了です」


 真横にドーンとメリッサとジョセフさんの顔が現れた。クロヴィスはピタリと止まるとうんざりと二人の方に顔を向けた。


「もうちょいいいだろ」


「残念ながら、お二人が『いい感じ』になったら止めろとの皇帝陛下の命です」


「最悪の命令だね」


 クロヴィスはため息を吐いて起き上がった。少しいじけた姿に思わず噴き出す。


「……笑うなよ」


「だって、あんまりにもムスッとしてるから」


「当たり前だろ」


「そんなに焦らなくても、ずっと一緒にいるわ」


 そう言って起き上がってにこりとクロヴィスに笑いかける。クロヴィスは、何だかぽかんとした不思議な顔で私を見つめた。


「……格好良すぎるだろ、アーシェ」


「そう?」


「なんか俺より男前な気がしてきた」


「まぁ、光栄ですわ」


 ふふ、上品にと笑うと、クロヴィスも釣られたように綺麗に笑った。


「これは立派な皇太子妃になりそうだね」


「もちろんよ、任せて」


 勝ち気な笑みを見せてふんぞり返る。クロヴィスはそんな私を見てまた可笑しそうに笑った。その様子を見ながら、少し真面目な顔をクロヴィスに向ける。


「……ということで、クロヴィス」


「ん?」


「ちゃんと教えて。――私が皇太子妃になるために、どうしたらいいか」


 ぴた、と笑い声を止めたクロヴィスが意味深な目を私に向ける。それを受け止めながら、私は一つ深呼吸をした。


「大丈夫よ、こんな属国の令嬢のくせにあなたの隣にいることを選んだんだもの。めちゃくちゃ大変な思いをする事ぐらい、覚悟済みよ」


「……ほんと男前だね、アーシェ」


「それぐらいの勢いがないとあなたの隣になんて来れないわ。ぶら下がって引っ張ってもらうなんて嫌だもの。私だって早く対等に役に立って、あなたを幸せにしたい」


 ぐっと手を握ってそう言う。恐れていないかと言うと、そんなことは無い。正直言って、今でもとても怖い。でも、それでも守られているだけじゃ駄目だと、腹に力を入れる。


 だって私は、帝国の頂点に独りで向かっているあなたの「隣」に立ちたかったんだから。


「……どれだけ俺を惚れさせれば気が済むの」


「え?私今そんな可愛らしいこと言ったかな」


「うん……このアーシェの絶妙にズレてるところも好き」


「なにそれ」


 良く分からず首を傾げると、クロヴィスはふふ、と目を細めて柔らかく笑ってから、静かに私の手を取った。


「皇太子妃教育の準備はできてる。信頼できる教師も手配したし、落ち着いたら各所への挨拶も一緒に行こう。皇家の図書室も自由に使っていいし、知りたいことがあったら言って」


「ありがとう、クロヴィス」


「……心配しなくても、アーシェは勝手にいろんな味方をつけていきそうだけどね」


「え?」


 首を傾げると、クロヴィスはメリッサの方に何か合図を送った。メリッサはサッとお辞儀をすると、幾つかの手紙を私に手渡した。


「これは?」


「お祝いでございます」


「お祝い?」


 見ると複数の便箋には正式な家紋の封蝋がしてあった。


 最も存在感を放っているのはロマネリコ家の家紋。それから、オリビア様やエミリー様、グレース様の家の家紋もあった。ただの個人的な手紙ではない。どれも、正式な貴族家当主からの手紙だった。


「皇太子妃内定を祝う手紙だよ。帝都にいる主要な貴族家は制覇したね、アーシェ」


「制覇……?」


「ただのお友達ごっこじゃこの手紙は届かない。帝国の貴族は馬鹿じゃない。アーシェの振る舞いや過去も調べた上で、アーシェにつくと判断したからこの内定の段階で祝いの手紙が来てるんだ。しかも、内定したばかりの今日届くということは、事前に調査済みだってことだよ」


 はっとして息を呑む。確かに、それは納得のいくことだった。大事な娘たちに関わる他国の女。仮に皇太子が連れ帰ったその者が皇太子妃となるなら、明確に各貴族家の勢力や帝国内の均衡に関わる。


 調べるのは当たり前。そういう事だった。


 不敵に笑ったクロヴィスは、真面目な顔をして考え始めた私の手に、もう一つ冊子のようなものをぽんっと乗せた。


「皇家のアーシェの調査結果も高評価だったよ。父上が唸ってたよ。アーシェは希少な光魔法を使いこなすばかりか、トルメアの多くの聖女を束ね、王家や他の権力者とのバランスもうまく取っていた。特に聖女教会の立場だけじゃなく、広くトルメアの国益を考えた振る舞いは素晴らしかった」


「待って、こんなに細かく調べてくれたの!?」


 手元の冊子には私が手掛けた聖女教育のしくみや王宮結界の管理体制の整備、光魔法使用の規律や若い聖女達の街での活動支援など、多くのことが書かれていた。


 どれも、必要だと思って試行錯誤しながら頑張ってきたことだったけど。


 ――どれも、ローランド殿下に出しゃばるなと言われていたものだった。


「……これを、認めてくださるのね」


「当たり前だろ」


 当然のように認めてくれるクロヴィスの言葉にぐっときて、思わず書類を握りしめた。それから、誤魔化すようにペラペラと書類をめくる。


 後ろの方には、私のことでは無い調査結果が挟まっていた。


「こっちの書類は?」


「あぁ、これはアーシェの周辺の者たちの調査結果だよ。……それについては、後でちゃんと話し合いたい」


「……何かあるの?」


「そうだね。……でも、それは後だ。もっと大事なことがある」


 そう言ったクロヴィスは、私の手から冊子をぱさりと抜き取った。それから、何故かギラリと光を宿した視線を私の方に向けた。


「っ!?なに!?」


「……父上とも話してたんだ。トルメアは、よくもまぁこんなに素晴らしい女性をみすみす逃がしたなぁって」


 じり、と私に詰め寄るクロヴィスの圧が強い。なんなんだと冷や汗を流していると、クロヴィスはぞわりとするような冷たい笑顔を見せた。


「――アーシェに婚約者がいたなんて知らなかったよ」


「…………あ」


 そう言えばそうだった。完全に記憶の彼方に飛ばしていたその事実を思い出す。


 目の前には恐ろしい笑顔のクロヴィス。私はダラダラと冷や汗をかきながら震える口を動かした。


「こ、婚約破棄、されてるから!」


「知ってる。良かったよ、ローランドが阿呆で」


「あっ……あほ!?」


 まさかこんな汚い言葉がクロヴィスの口から出てくるとは思わず、ギョッとして叫ぶ。そんな私を見たクロヴィスは――今度は笑みを消した。


「…………ねぇ」


「っ!?」


「ローランドが俺に阿呆呼ばわりされるの、嫌なの?」


「えっ……!?は!?いや、違うわ!?そうじゃなくて、」


「ねぇアーシェ……ローランドとは婚約者時代はどんな関係だったの?」


「は!?かんけい!?」


「ローランドとは踊ったの?」


「それは、まぁ……」


「ふうん?」


 再びにこりと恐ろしい笑みを浮かべたクロヴィスは、じり、とその顔を私に近づけた。


「――詳しく聞かせてもらおうか、アーシェ?」



 この夜、私はクロヴィスにあの手この手で尋問を受け、息も絶え絶えに洗いざらい全て話すことになったのだった。


 どんな尋問かって?それはあなたのご想像にお任せします( ^ν^)

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