2-17 寝室
「残念だが、クロヴィス。それは認められない」
皇族専用の重厚な団欒の間。分厚い絨毯にアンティークの調度品。
部屋の奥に繋がる重厚な扉を前に、皇帝アイゼン・アストロワは、厳しい表情をクロヴィスに向けた。
「何故ですか、父上」
対するクロヴィスも譲らない。威厳漂う皇帝を前にしてもなお揺るがない立ち姿。その腕は私の腰を優しく、しっかりと抱き寄せている。
重苦しい空気。耐えかねた私は、恐る恐る手を挙げた。
「発言しても宜しいでしょうか、陛下」
ぴり、とした空気の中に私の声が響く。ゴクリと飲み込んだつばの音まで響くようだった。すっと向けられた皇帝の視線に思わず怯みそうになりながらも、覚悟を決めて美しいエメラルドグリーンの目を見返す。
皇帝アイゼンははぁ、と重い溜息を吐いてから頷いた。
「アーシェ・フェルメンデ。話を聞こう」
「ありがとうございます」
本来ならこんな近くに寄ることなど出来ない雲の上の人。ほんの少し震える足を叱咤してなんとか立ちながら、腹に力を込めて進言した。
「わたくしも、寝室は分けるべきだと思います」
「なっ」
クロヴィスが信じられないという顔で私の方に顔を向けた。
「なぜだ!?」
「当たり前でしょう……」
急にクロヴィスがポンコツになってしまって心の中で頭を抱える。
目の前にはきょとんと目を丸くした皇帝陛下。あ、この顔クロヴィスが驚いた時にそっくりだ。そう思ったのはほんの一瞬。次の瞬間には、皇帝陛下は目に涙を浮かべて爆笑していた。
「っ、はははははははは!!だそうだクロヴィス、諦めろ!」
「なんでだよ……いいだろ?アーシェ」
「そんな顔しても駄目です」
「………………」
クロヴィスはムスッとしてしまった。
――時は遡り、ほんの少し前。あっという間に夜会を退出したクロヴィスは、有無を言わさず私を皇族専用の奥の宮へ連れて行った。いきなり侵入して怒られるのではと思った矢先、間髪入れずに皇帝陛下がやってきた。
ものすごい勢いで立ち塞がる皇帝陛下。最奥へ繋がるドアを厳重に塞ぐ皇帝直属の護衛。物々しい空気の中、皇帝陛下の口から真っ先に飛び出したのは、驚きの言葉だった。
「既成事実を作ろうったってそうはいかないぞクロヴィス」
「なんの事でしょう?」
「とぼけるな。お前のことだ。アーシェ嬢を逃さない為のありとあらゆる作戦を練っているはずだ。……手っ取り早いのが既成事実を作ってしまうことだ。そうすれば誰も反対できない」
なんですって?驚いてクロヴィスを見ると、クロヴィスはすっと目を細めて皇帝陛下に冷たい視線を送っていた。
「……分かっているなら通して下さい」
「駄目に決まっているだろう」
「まさか今更反対する気ですか?」
「それはない。でも、今手を出すのは駄目だ」
「お互いの合意の元であればいいでしょう?」
「……そんなこと言って、アーシェ嬢にどんなに反対されても甘々のドロドロにしてなし崩し的に合意に持っていく気だろう」
「………………なぜ分かったのです」
えっそうだったの!?ポカンとする私をよそに、ここは通さんと両手を大きく広げた皇帝陛下は大真面目な顔で言った。
「血は争えんと言うだろう。……エターシャも同じことをした」
エターシャ――皇后エターシャ・アストロワ。氷の美貌を持つ賢后と呼ばれる皇后陛下。少し遅れて部屋に入ってきたエターシャ様は、皇帝陛下の右後ろに立ち……白魚のような肌をほんのり紅く染めた。
聞き間違いだろうか。これではエターシャ様が皇帝陛下を誘惑したことになるのだけど。
混乱している私の横で、クロヴィスははぁとため息を吐いた。
「母上らしいですね」
「そうだろう」
「……で、父上は母上の誘惑に負けたと」
「くっ……」
今度は皇帝陛下が悔しそうに頬を染めた。……私は一体何を見せられているのだろう。
心がついていかない私をよそに、クロヴィスは大真面目な顔で皇帝陛下に言った。
「母上がそうしたのなら別にいいじゃないですか」
「駄目だ。密室で二人きりになるのは禁止。結婚するまで寝室も別だ」
「は?」
クロヴィスの口から聞いたことがないぐらい不機嫌な声が聞こえた。えっと思ったのと同時に、腰に回された手にきゅっと力が入ったのを感じる。
「当然ですが、寝室は一緒でしょう」
「……なんで嫁入り前の令嬢と同じ寝室でいいと思ったんだ」
「護衛もしやすいし、そもそも公的に皇太子妃になるのに駄目なんてことありますか?寝室は一緒にします」
「残念だが、クロヴィス。それは認められない」
皇帝陛下は威厳を漂わせ、はっきりとそう言った。
……そして、冒頭に戻る。
寝室を分けるべきだと言ったを私に詰め寄るクロヴィス。ほんのり頬を染めたまま、無表情で私たちを見守る皇后エターシャ様。そして、まだヒーヒー笑っている皇帝陛下。
クロヴィスは私が駄目だともう一度言ったのを聞いてから、笑い転げる皇帝陛下を睨みつけた。
「うるさいクソ親父」
「だって!お前、こ、断られてるじゃん!あははははは」
「だから何も言わずに連れ込もうとしたのに」
「ははははは、残念だったなクロヴィス。親には何でもお見通しなんだよ」
クロヴィスは、ニヤつく皇帝陛下にムッとした表情になった。あまり見かけないその姿が随分と子供っぽくて思わず吹き出す。
「……笑うなよアーシェ」
「だって子供みたいで」
「こっ……」
「あははははは!」
また皇帝陛下のツボに入ってしまった。ここに来るまでは本当に緊張していたのだけど。何だか吹き飛んでしまって私も笑う。クロヴィスも諦めたのか、ふふ、と笑い始めた。
「せっかくアーシェが格好良くプロポーズしてくれたのに台無しだよ。まぁいいや……とりあえず疲れただろ。アーシェの部屋に案内するよ」
「いや待てクロヴィス、なにさらっと部屋に連れ込もうとしてるんだ」
さっと復活した陛下がまた前に立ちふさがる。
「お前アーシェ嬢の部屋どこに作った。どうせお前の部屋と部屋続きにしてるんだろ」
「……そろそろ子離れしないと気持ち悪いですよ、父上」
「巣立つまでが子育てだと言うだろう」
「なんですかそれ」
なんとクロヴィスは諦めていないようだった。これはどうしたものかと困り果てていると、スッと皇后エターシャ様が手を挙げた。
ちょいちょいと手招きをして、後ろに控えていたメリッサを呼び寄せ耳打ちをする。
メリッサは丁寧に了承の会釈をするとクロヴィスと私の方に体を向けた。
「……僭越ながら、エターシャ皇后陛下のご意見をお伝えします」
さっとその場の空気が変わった。クロヴィスも、皇帝陛下でさえも、静かにエターシャ様とメリッサの方へ視線を向ける。
メリッサは氷の表情のエターシャ様の前で、同じように無表情のまま、一歩前に出た。
「クロヴィス様……アーシェ様の美しいウエディングドレス姿を見たくはありませんか?」
「!」
ハッとしたクロヴィスに、じり、とメリッサが近寄り、声を落として進言する。
「万が一ご懐妊された場合、ウエディングドレスの形に制限が出る可能性がございます。悪阻等でアーシェ様の体調も万全とはいかないでしょう」
「――っ」
「気をつけるにしても、殿方の我慢には限界がございます。この魅力的なアーシェ様と共に夜通し居続けることになるのですよ?――ご英断を、殿下」
ガクッと項垂れたクロヴィスは、ぺし、と額に手を充てると、少し掠れた声で静かに言った。
「…………寝室は、分けよう……」
萎れたような姿。えっどうしようと思ってから少しして、クロヴィスはがばっと顔を上げた。
「でもリビングは共通だからな」
「リビング……?」
「大丈夫です、アーシェ様。皇太子と皇太子妃のために準備されたリビングですが、見える所に護衛がいますので」
「安心しろ、俺は気にしない」
「いや気にして!?」
「とりあえず落ち着こうかクロヴィス、アーシェと話をさせて」
混乱の中、皇帝アイゼンの――いや、クロヴィスの父親のアイゼン様の優しい声がした。少し雰囲気の変わったその声にあれ、とそちらを見ると、アイゼン様はにこりと笑って私に手を差したした。
「ようこそアーシェ。私がクロヴィスの父、アイゼンだ。クロヴィスの隣を選んでくれて嬉しいよ。これからよろしくね」
きゅっと私の手を握ったその手は大きくて温かくて。
笑った顔は、やっぱりクロヴィスにそっくりだった。
ポンコツクロヴィス回でした。
「ちょっと落ち着いて!」と浮かれるクロヴィスを笑ってくださった方も、
「受け入れてもらえて良かったね」とほんわかしてくださった優しいあなたも、
やっと結ばれそうな二人を最後まで見守ってくださると嬉しいです。
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