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2-16 隣

「やぁ、今日も綺麗だね、アーシェ。今日はクロヴィスは一緒じゃないの?」


 クロヴィスそっくりの顔に綺麗な笑みを浮かべ、イザーク殿下は人垣を割って私の方へやってきた。驚いた顔をする人やあからさまに嫌な顔で私を睨みつける人もいる。そりゃあ属国の良く分からない娘が皇太子殿下と皇弟殿下の両方に目をかけられていれば面白くないだろう。ほんのり冷や汗をかきながら、丁寧に頭を下げる。


「ごきげんよう、イザーク殿下。帝国の夜会は本当に美しいですね」


「うわぁ、随分と他人行儀だね。もっと楽にして欲しいんだけど」


「……お戯れを」


「戯れてなんてないよ。……少なくとも、僕が君をどう思ってるのか、何となくわかるでしょ」


 更に周りのざわざわとした声が大きくなった気がした。勘違いを生みそうな物言い。恐らくそれは、わざとだろう。


 イザーク殿下は揺れる周囲の人に目を向けた。美しい、けれど何か言いたげな表情に、少しずつ周りが静かになっていく。


「よし、これでいいかな?ごめんね、騒がしくて。みんなアーシェに興味津々なんだよ。大丈夫、胸を張っていい。君は間違いなくトルメアの由緒正しい貴族令嬢で、類まれなる光魔法の優れた使い手だ」


 皆に聞こえるようにそう言ったイザーク殿下は、次いで困ったような表情を浮かべると、私に明るい青色の目を向けた。


「今日はケビンがアーシェをエスコートしてるんだね」


「はい、僭越ながら」


「……じゃあ、いいか」


ふふ、と笑ったイザーク殿下は、もう一度私を青い目で見つめると、そっと手を差し出した。


「とりあえず、僕と踊らない?アーシェ」


 動きを止めたまま、イザーク殿下を探るように見返す。イザーク殿下は毒気の無い明るい顔でさらりと長い髪を揺らし首を傾げた。


「大丈夫、変な意図はないよ。踊るのも交流の一つだろう?それに、今僕と踊っておいたほうが陰口を叩く奴らの牽制にもなっていいと思うよ。僕の派閥はクロヴィスの派閥と違うからね……残念ながら」


 そう言って、イザーク殿下は一歩私に近づいた。


「ね?アーシェ」


 甘い笑みと、優しい雰囲気。周りでは可愛らしい令嬢たちが頬を染めている。ダンスは一つの交流の手段というのも、間違いでは無かった。


 下ろしたままの私の手に、イザーク殿下の手が伸びる。私はその様子を少し冷静に眺めて――そして、一歩引いて頭を下げた。


「申し訳ございません、イザーク殿下」


 どよりとその場が揺れる。それはそうだ、属国の一介の貴族令嬢が皇族の誘いを断ったのだ。状況次第では不敬を問われても文句は言えない。


 それでも。仮に、この場で首を刎ねられたとしても。私の心は、もう決まっていた。


「本日踊るのは、クロヴィス殿下だけと決めています」


 より辺りがざわついた。信じられない、と非難する声。殺されるのではと悲鳴じみた恐れる声。それから、おぉ、いいぞ、という、思い切りの良い私を、手に汗握り応援してくれる声。それらを全身に受けながら、強気の笑顔を貼り付ける。


「お誘い頂きありがとうございました。いつかまたお願いします」


「……まさかここまで気持ちよく振られるとは思わなかったな。しかも『いつかまた』って永遠に訪れない断り文句だよね」


「まぁ、ばれましたか」


「うわぁ怖い」


 わざとらしく驚いたイザーク殿下は、ふふ、と笑って雰囲気を和ませると、もう一度明るい青色の目で私を見下ろした。


 仄かに剣呑な光を宿したそれに、ハッとして後退る。


 イザーク殿下は、美しい顔で微笑み私に顔を寄せると、耳元で静かに囁いた。


「――なら、命令しようかな」


 ぞっとして、まさかと間近にあるその顔を見る。


 イザーク殿下は、薄く目を細め、冷たく笑っていた。


「戯れが過ぎますよ、叔父上」


 急にぐいっと腰を抱かれ、イザーク殿下との距離が離れた。その腕の感触に、どっと緊張が抜けていく。


 振り返るように私を抱く人を見上げると、ぱちりと目が合った。上品に正装を着こなしたクロヴィスが、私を優しく見下ろしてにこりと笑った。


「途中から聞こえてたけど。格好良すぎるでしょ、アーシェ」


「クロヴィス殿下ほどではございませんわ」


「そうかな……俺はアーシェに惚れ直しちゃったけど」


 ふふ、と機嫌が良さそうに笑ったクロヴィスは、イザーク殿下の方に顔を向けると、外向きの綺麗な顔で微笑んだ。


「ということで、申し訳ありません、叔父上。今日のところは甥の我儘だと思って譲って下さい」


「……そうか、クロヴィスも遂に僕に我儘を言ってくれるようになったんだね」


「たまに言うと聞いてあげようかなって気になるでしょう?」


「いや、どっちかっていうとショックだよ?ちっちゃい時にはあんなに可愛かったのに。僕のこと追いかけ回して、良く分からない虫をくれたり、ひどい似顔絵をくれたり……僕が吸えもしない煙管をプレゼントしてくれたのもクロヴィスだったよね」


「……いつの話をしてるんですか」


「僕にとってはついこの間のことだよ」


「知りません」


「甥の成長は早いなぁ」


 肩をすくめたイザーク殿下は、少し物思いに耽ってからからりとした雰囲気で笑うと、横にいたハイラス元老院議員の方に顔を向けた。


「僕たちまた邪魔しちゃったね、ハイラス。退散しようか」


「……畏まりました」


 恭しく頭を下げたハイラス元老院議員は、踵を返して爽やかに去っていくイザーク殿下に続いて離れていった。


 でも、その少し前の去り際。ハイラス元老院議員は、私の方に視線をを向けた。


 変わらぬ厳しい表情。そして、じっと私の何かを見定めるような動き。


 あれは、一体何を思っていたのだろうか。


「アーシェ?」


「はっ!ごめん、何?」


 私の腰を抱くクロヴィスを慌てて振り返る。


 クロヴィスはじとりと私を見下ろした。


「何、じゃないだろ。あんなに啖呵切っておいて俺のこと忘れないでよ」


「忘れてないわよ!」


「ほんとかな」


 クロヴィスは、訝しげに私の顔を覗き込んだ。その距離が近くて思わずどきりとする。


 クロヴィスの少し長い髪はいつもよりきっちりと整えられ、形のきれいな耳が見えていた。思わず赤くなると、クロヴィスはきょとんとした後、ふふ、といたずらっぽく笑った。


「なんで赤くなったの?」


「――っ、それ聞く!?」


「普通に気になるから」


「本当にやめて」


「嫌だ」


 甘く笑ったクロヴィスは、私の腰を抱いたまま私の手を持ち上げると、その手の甲にちゅ、と口付けた。


「来てくれてありがとう、アーシェ。今日……すごく、可愛い」


「――っ、」


「ふは、真っ赤」


 クロヴィスはそう言うととても嬉しそうに笑った。その顔が、離島で見たあの時の自然な笑顔と重なる。


 そうか、と急に腑に落ちた。


 私、クロヴィスが好きなんだ。きっと、めちゃくちゃ。


「クロヴィス」


「ん?何?」


「踊ってくれる?」


 そう言うと、クロヴィスは一瞬動きを止めた。それから、綺麗な翡翠の目で私を見下ろして。ふわりと嬉しそうに、柔らかく微笑んだ。


「――もちろん。楽しみにしてたんだ。踊ろう」


 一緒にダンスフロアの中央に出る。明るく、気持ちの良い曲が流れ始める。お互い丁寧にお辞儀をして、その手を取って、一緒に曲に乗る。


 別に、そんなに難しい曲じゃない。特別上手な訳でもなければ、絶世の美女でもない。


 それでも、二人でくるくる回って笑い合いながら思う。


 私があげられるものは殆ど無いけれど。こうしてあなたを笑顔にすることなら、できるだろうか。


 曲が終わって、始まりと同じように丁寧にお辞儀をする。一曲なんてあっという間だった。楽しい時間は、もう終わりだ。


 曲の合間に沈黙が流れる。水を打ったように静かになったホール。ケビンさんが私を迎えに来てくれた足音が嫌に響く。


「……クロヴィス」


「…………分かってるよ」


 ふ、とクロヴィスは少し寂しそうに笑った。


「ありがとう、アーシェ。楽しかったよ」


 そうしてまた行儀の良い皇太子の顔に戻って、踵を返した。


 それは、クロヴィスの優しさだ。


 帝国の頂点に向かう険しい道のりを、クロヴィスは今、独りで歩いている。


「クロヴィス殿下」


 クロヴィスに呼びかけた私の声が、静かなホールに響いた。ぴたりと止まったクロヴィスの靴が、カツンと音を立てる。


 大きく息を吸い込んで、静かに吐き出す。


 それから、私は覚悟を決めて、顔を上げた。


「あなたの隣を歩いてもいいですか」


 はっと息を呑んだクロヴィスが、目をふわりと大きく開いて私を振り返った。


 少しの沈黙。誰も何も話さない。


 それから、暫く私を見つめていたクロヴィスは、溢れ出すように幸せそうな笑顔を浮かべてから、私に手を差し出した。


「――うん。待ってたよ」


 その表情があんまりにも嬉しそうで、何だか無性に愛おしくて。私も思わず満面の笑みを浮かべながら、その手を取った。


「ありがとう、クロヴィス」


 クロヴィスは、私の手をその腕に乗せた。それから、嬉しそうに微笑んで、その一歩を踏み出した。


 クロヴィスの隣を歩く人。皇太子の横を歩ける人。皇太子が腕を組みエスコートできるのは、ただ一人、皇太子妃だけ。


 気がつけば、皆がこちらを見ていた。唖然とする人。手で口を抑えている人。みんな、びっくりした表情で固まっていたけれど。突然、背後から大きな拍手が聞こえた。


「おめでとうございます、皇太子殿下、次期皇太子妃殿下」


 オリビア様が迫力のある満面の笑みで拍手をしていた。そして、エミリー様とグレース様も、興奮したような顔でパチパチと手を叩いている。


 それから、その場は一気に大混乱になった。同じように、興奮したように拍手喝采してくれる人。ショックを受けて崩れ落ちる人。しかめっ面で呆然とする人や、はらはら泣く人、そして、影で何かを囁く人。


「ほんとによかったの?」


 その様子を見ながらクロヴィスが私の耳元で囁いた。少し心配そうなその顔をちらりと盗み見てから、もう一度強気の滲み出た顔を前に向ける。


「もちろんよ。私が決めたんだもの。これからめちゃくちゃに反対されても、目の眩む手切れ金を積まれても私の決意は変わらないわ」


 それから、にやりと笑ってクロヴィスの方に顔を向けた。


「クロヴィスこそ、途中でへこたれないでよね?」


「俺がへこたれる訳ないだろう」


「どうかしら」


 真っ直ぐに向かうのは皇族席。ざわざわと興奮が冷めやらぬ人々の中を背筋を伸ばして堂々と歩く。


 今私にできることは、覚悟を示すことだけだ。


 クロヴィスの腕に沿わせた私の手に、反対側のクロヴィスの手が乗って、きゅっと握られる。


「アーシェ」


「何?」


「分かってる?」


 その問いの意味が分からなくて、きょとんと首を傾げる。クロヴィスはそんな私を横目でじっと見てから、もう一度視線を前に戻した。


「――俺、もうアーシェのこと逃さないからね」


 その念を押すような言葉に思わず吹き出す。ケラケラと笑う私にクロヴィスは少しムッとしたような照れた表情を浮かべた。


「笑わなくていいだろ」


「だって。心配しなくても、ここまで来たらもう逃げないわよ」


「ちゃんと言葉にして伝えるのは大事だろ。――これから夫婦になるんだから」


 その言葉に思わずどきりとしてクロヴィスの方を見る。クロヴィスは、ちら、と私を見下ろすと、少し照れたように前を向いた。


「なんだよ、違う?」


「……違わない」


「じゃあなんだよ」


「なんか……じわっと胸にくるというか」


「…………それは俺も同じ」


「言葉に出すって大事ね」


「だろ」


「ねぇクロヴィス」


 私はクロヴィスの腕をきゅっと握って、その顔を見上げた。不意に立ち止まったクロヴィスを、じっと見上げる。


「大好き」


 は、と気に抜けたような声にならない声を出したクロヴィスは、途端に真っ赤になった。


 それが面白くて、思わず吹き出す。


 ざわつく会場。飛び交う思惑。


 それでも私は、自分で踏み出したその一歩を誇るように、クロヴィスの隣を真っすぐ、前を向いて歩いた。 

 

ついに!アーシェが覚悟を決めましたよ!

「よかったねぇぇぇ!」と二人を祝福してくださった読者様も、

「友達っていいな……」と三人娘の祝福にぐっときたあなたも、

残り12話!最後まで見守ってくださると嬉しいです!


いいねブクマご評価ご感想、いつもありがとうございます!

なんでもいいので引き続き応援していただけると嬉しいです。

読んでいただいてありがとうございました!

また遊びに来てください!

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