2-13 薬と光
「……様、アーシェ様!」
「はっっ!?」
現実に引き戻されて、パチパチと瞬きをする。目の前には無表情のメリッサ。が、よく見ると若干の心配が滲んでいるように見えた。私も遂にメリッサの表情が読めるようになってきたようだ。
「アーシェ様……?」
「あっ、ごめんね、何?」
「……まずは確認です。大丈夫ですか?」
「もちろんよ。何か心配?」
「そうですね……」
メリッサのその問いかけに首を傾げる。メリッサは、無表情に更に心配の空気を上乗せして、私に静かな視線を向けた。
「…………アーシェ様は、先程から紅茶に砂糖を入れ続けています」
「えっ?あ、わぁ!?」
手元には紅茶だったらしい湿った砂糖だらけのティーカップがあった。全く大丈夫ではない。
「ごめん!せっかく淹れてくれたのに……」
「それはいいのですが……」
カチャリと新しいティーカップが目の前に置かれた。その中には琥珀色の紅茶がゆらゆらと揺れている。その水面に目を落としたメリッサは、少ししてから顔を上げた。
「本当に、今日も外出なさいますか?」
「もちろんよ。立ち止まってなんていられないもの」
どちらかというと、立ち止まるのに耐えられないというのが正直なところだけれど。私は紅茶をクイッと一口飲んでから立ち上がった。
「さぁ、行くわよ!準備をお願いできるかしら」
少し心配そうなメリッサと、今日もニコニコとしたカーラに手伝ってもらってドレスを選ぶ。この日クローゼットにあったのは、シンプルな色合いながらも、形が綺麗なドレスが多かった。
「相変わらず素敵なドレスが多いわね……」
「それはそうですよ。クロヴィス殿下が一生懸命選んだものですもの」
にこやかに答えたカーラのその言葉に、手にしたドレスをバサリと落とす。カーラはあらあらと笑いながら私が落としたドレスを手に取ると、そのまま私の身体に充てがった。
「私達からは特に何も言っていないんですけどね。きっとアーシェ様を良く見てらっしゃるんですよ、クロヴィス殿下は」
「お……お礼、しないとね」
「ふふ、刺繍でもしますか?」
刺繍……できないこともないが、正直皇太子殿下に献上できるほどの腕前ではなかった。渋い顔をした私を見てクスクスと笑ったカーラは、私の身支度を整えると柔らかくお辞儀をした。
「いってらっしゃいませ、アーシェ様」
穏やかな光の中、離宮の庭に出る。背が高い葉の先に白い小花がゆらゆらと揺れ、陽の光を浴びた若葉が明るい緑色に輝いていた。
クロヴィスは、どんな気持ちで、私をこの離宮に――優しいアストロワの小屋に住まわせてくれているのだろうか。
「アーシェさん、ごきげんよう!」
そうしてなんとか準備をして出かけた先。腑抜けのような私に、たわわに実るボディをビシッと着飾ったグレース様が、どしどしと私の方へ迫りガシッと手を取った。
「来てくださって嬉しいわ!」
しっかりと手を掴まれて上下に揺さぶられる。グレース様は今日も気持ちが良いほど勢いが良かった。
「それで、診て欲しい方とは……?」
そう言うと、グレース様は途端にしょんぼりとした顔になった。
「病気じゃないんだけどね……お姉様の婚約者がある意味病で」
「ある意味病?」
「そう……恋の病って言うでしょう?まぁ……幸せな方の恋の病じゃないのだけど」
はぁ、とため息を吐いたグレース様は、私を屋敷の奥の方へ案内してくれた。豪華な壺や高そうな絵画が飾られた廊下の奥。重い扉を開けたその先には、ぐるぐる巻にされた高そうな服の男と、その隣でさめざめと泣くグレース様そっくりのお姉様がいた。
「お姉様!連れてきたわ。アーシェよ」
「あぁ、ありがとうアーシェさん……」
はらはらと涙するグレース様のお姉様グロリア様は、ガシッと私の手を握ると上下にブンブンと振った。
「あの、もしかして……恋の病にかかった方というのは」
「えぇ……ここにいるサミュエル様よ」
その視線が向かった先のぐるぐる巻の男は、私の方を見るとはらはらと泣き出した。
「早く、早くこの縄を解いてくれ!俺はキャサリンのところへ行かないといけない!」
「キャサリン?」
「街の娼婦ですわ……」
グロリア様は大粒の涙を拭いてから、遠くの敵を射抜くように鋭く宙を睨みつけた。
「以前は穏やかでいつも私のことを気にかけて下さるような素敵な方だったのです。それが突然、キャサリンという街の娼婦に入れ込んだかと思えば散財し始めてこのように……」
「キャサリンの所に行かせてくれ!」
サミュエル様はグロリア様の言葉を聞いて更に激しく喚き始めた。恐らくグロリア様の放ったキャサリンという言葉に反応したのだろう。そのサミュエル様をグロリア様は悲しみと憎しみをドロドロに混ぜたような表情で見下ろした。
「あんなに優しい方だったのに……どうしてこんな事に。起きてもキャサリン、食事中もキャサリン、仕事も湯浴みも夜寝る前でもキャサリンキャサリン……」
「そんなに……?」
あまりのキャサリンっぷりに流石にギョッとした。女性に入れ込むのはよくある事だけど、そこまで四六時中となるともはや病的だ。キャサリン中毒ではないだろうかと不安になる。
「そのキャサリンという娼婦はかなり人気のある方ですか?」
「少し前までは鳴かず飛ばずの娼婦だったと聞いているけど、最近は羽振りが良いらしいわね。どうやら何人かサミュエル様のようにキャサリンに入れ込んでいる上客がいるみたいなんだけど……」
「なるほど……?」
しかめっ面のグレース様の説明を聞いて、胸にふわりと違和感が湧き上がる。
サミュエル様の急な変貌、中毒のような女性への入れ込み、同じように娼婦キャサリンへ入れ込む者が同時期に出ていること。
娼婦の仕事はあまり良く知らないが、急にそんなに複数人から激しく好かれるようなことがあるのだろうか。
「アーシェ、何か分かったの?」
「いえ……まだ」
喚くサミュエル様に近づき瞳の状態を見る。開いた瞳孔。荒い息や体温に、興奮状態であることがわかる。キャサリンを求めるその様子は、明らかに禁断症状だった。
「…………サミュエル様は何か飲まされたりしましたか?」
「何!?毒!?」
「いえ……毒ではないのですが。あることにはあるのです、光魔法による精神操作……いわゆる惚れ薬ですね」
そう、その様子にかなり似ていた。光魔法を付与した魔法薬に、惚れられる対象者の魔力を混ぜ、惚れさせたい者にその魔法薬を飲ませることで、相手の魔力にどうしても触れたくなってしまうという精神操作。
ただ、この状態はそれとは明らかに違う。なぜなら、光魔法による惚れ薬の効果はごく短時間だった。こうして拘束されている間に解けてしまうはずだ。
「効かないかもしれませんが、光魔法の惚れ薬と仮定して解毒してみましょうか」
サミュエル様へ両の手のひらを向ける。解毒の光魔法は、他の光魔法と比べて複雑だ。特に薬を介在させない直接の光魔法は、薬の効果を高め相乗効果で効果を出す魔法薬よりも圧倒的に難しい。
それでも、原因が分からない症状を分析しながら治療するなら、この方法が最も適している。意識を集中し、サミュエル様の身体の状態を確認しながら光魔法を組んでいく。
「――――何も、無い……?」
何分経っただろうか。心当たりのある光魔法付与の惚れ薬は調べ尽くしたのに、光魔法どころか、他の薬の反応すら見当たらなかった。そんなはずは無いと深く調べていく。
横で見ていたグレース様が、ポロポロ涙をこぼすグロリア様の背中を擦りながら、苦い顔で呟いた。
「またなのね……一体何なのかしら。眠り続けるロマネリコ卿も、サミュエル様も、こんなにおかしいのに何も見つからないなんて。まるで異常が好き放題隠れているみたいで不気味だわ」
「――――異常が、隠れて、る……?」
はっと顔を上げる。
まさか、と全く違う光魔法を探る。相手から探知をされにくくする光魔法が存在する。大きい場合はかなり難しいが、小さいものであれば相手の目を誤魔化せる程度の光魔法。
もし、ごく小さな薬の成分にこの光魔法をかけたらどうなるだろうか。
「見えた!」
探知阻害の光魔法を消し去ると、身体中に一気に反応が出た。間違いない。これは、光魔法が付与された惚れ薬の反応だ。でも、それだけじゃない。
「――――この、光魔法は、何……?」
見たことのない魔法陣が浮かび上がる。一つ一つの理論は簡単だ。でも、これは――
「……薬の、固定化の、光魔法……?」
混乱しながらも、一つ一つ解除していく。そうして、少しして。最後に薬の成分の解毒を行うと、サミュエル様はスッと憑き物が落ちたように平常心に戻った。
「サミュエル、様……?」
「グロリア……」
縛られたまま、呆然とグロリア様を見上げたサミュエル様は、一拍置いて物凄い勢いで頭を下げた。
「すまない……すまない、グロリア!私はなんていうことを……!」
「っ、サミュエル様、正気に戻られたのですね……!」
「戻った……戻ったが……許されないことを……」
「いいのです、薬のせいですもの」
グロリア様は今度は感涙を流しながらぐるぐる巻のサミュエル様に抱きついている。
グレース様が、がしりと私の手を掴んでぶんぶんぶんと激しく上下に振った。
「アーシェ……!ありがとう!なんてお礼を言ったらいいのか……!」
「お役に立てて良かったです」
「役に立ったどころじゃないわ!お礼!お礼よ!何が欲しい!?宝石!?店!?山!?」
まさか山が出てくるとは思わなかった。お礼まで激しいなと驚きながらも、私は静かにグレース様の手を握り返した。
「……では、一つ協力をお願いしたいのですが、宜しいでしょうか」
「協力?」
首を傾げるグレース様に、こくりと頷く。それから、サミュエル様とグロリア様とも目を合わせると、覚悟を決めながら口を開いた。
「今ここで見たことを――サミュエル様が惚れ薬の影響で異常な状態になっていて、そして私の光魔法で治癒したことを口外しないで欲しいのです」
「え?それは……いいけど……」
「ありがとうございます」
その言葉を受け取ってから、私はさっと後を振り返った。
「メリッサ、クロヴィス殿下に出来るだけ早くお会いしたいの。何とかできる?」
「わかりました、すぐに手配致します」
メリッサはいつもの無表情に硬さのある雰囲気を乗せて頷いた。
ざわざわと強い風が窓の外の木を揺らす。
私は今目にした見たことのない光魔法を頭に描き、誰かの恐ろしい思惑がじわじわと人々を犯すその危険性をひとつひとつ計算し始めていた。
ついに、怪しい光魔法が……!?
「えっ何!?怖い!!!」と恐ろしい陰謀の気配に震えた読者様も、
「難しい光魔法をサクッと使えるアーシェかっこいい」と思ってくださったあなたも、
遂に動き始めた今後の話の展開を見守ってくださると嬉しいです!
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