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2-11 嫉妬のその先

「そのハンカチ、何?」


 底冷えするような声。いつの間にか私の背後にいたクロヴィスは、真顔で私のことを見ていた。


 見たことのないその表情に、声を失う。クロヴィスは、そんな固まってしまった私の手から、すっとハンカチを抜き取った。


「叔父上と、何話してたの?」


 カツンと靴音が鳴って、クロヴィスが一歩私に近づく。あまりの近い距離に思わず一歩後ずさると、とんっと背中に本棚があたった。それを感じた時にはもうクロヴィスの身体がすぐ近くにあって。私を本棚とクロヴィスの間に閉じ込めるように、クロヴィスの腕が伸びる。


「アーシェ?」


「――っ、」


「……俺には言えない話?」


 クロヴィスの人差し指が、そっと私の顎の下を撫でた。表情は相変わらずの真顔。怒ったようなその様子に気圧されながら、何とか口を開く。


「そ、そんな変な話は……」


「じゃあ教えてよ」


「っ、そ、れは、」


 あなたに婚約者がいると聞いてショックで泣いちゃったので慰められていました。……そういえば良いのだろうか。困らせる未来しか見えず、言葉が続かない。


 クロヴィスはすっと目を細めて顔を近づけると、私の頬を撫でた。


「…………やっぱり、ずっと離宮に閉じ込めておこうかな」


「………………は?」


「他の男が近づくだけで、こんなにむかつくもんだとは知らなかったよ」


「っ、ク、クロヴィス?」


「アーシェは俺のだって、どうやったら知らしめられるのかな」


「は!?な、待って……落ち着いて、」


「大丈夫、俺はもの凄く落ち着いてるよ」


 薄く笑ったクロヴィスの顔が怖い。私はほんのり震えながら何とか頭を働かせた。


 どうしてこんなに怒ってるんだろう。


 まさか、いや、でも……まさか……もしかして……


「し……嫉妬?」


「は?」


 途端にクロヴィスは怖い顔になった。ひぃっと慌てて否定する。


「ご、ごめんね!そうよね、私にそんな嫉妬心を持っていただくなんてそんなこと、」


「嫉妬なんて軽い言葉で片付けないでくれる?」


 被せるようにクロヴィスはそう言った。意味を捉えきれず見返すと、クロヴィスはギラリとした何かを瞳の中に宿し、私を見つめ返した。


「正直、嫉妬の黒い炎でこの周辺一帯を焼き尽くしたい気分だよ」


 あまりの表現に目を丸くする。クロヴィスは、そうして驚く私をドロリとした熱を孕む翡翠色の目で見下ろした。


「叔父上は俺より女性の扱いも心得てるだろうからね。アーシェが心奪われるのも仕方がないかもしれないけど」


 つ、とクロヴィスの手が胸元に伸びる。そっとずらされた服の下。咲き誇ったマグノリアの花の印を、綺麗な指がなぞる。


「アーシェは俺のだろ」


 想像以上の深い嫉妬。怒りの中に悲しみが混ざったその表情が、嫉妬だけじゃなくて、少し拗ねたように見えて。


 急に愛おしさがこみ上げてきて、私は思いっきりクロヴィスに抱きついた。


「――っ、なに、アーシェ、」


「ごめんね」


「っ、やっぱり、叔父上が、」


「違うの。――私も、嫉妬、しちゃって」


 その言葉を紡ぎ出した時には、もう涙が溢れていた。愛しい。大好き。その気持ちが叶わないと思ったから、私はこんなに悲しかったのに。


「クロヴィスと、他の女の人の話を聞いちゃったから……ほんと、馬鹿みたいなんだけど、その……悲しくなっちゃって」


「…………それで、泣いてたの?」


「うん。何だと思ったの?」


「……てっきり、叔父上が好きなのに俺に囲われて逃げられなくて泣き出したのかと」


「なにそれ、そんなわけ無いじゃない」


「いや……だって、ずいぶん叔父上との距離も近かったし……それに、皇太子とか面倒だろ、いろいろ。だから、嫌になったのかなって」


 いろいろと面倒な皇太子……もしかして、暗に婚約者の話をしているのだろうか。やっぱりそうなのかと、きゅっと己の気を引き締める。


「ごめんね。本当は、弁えなきゃいけないのに。覚悟が足りなくて……ごめん」


「そうだよ。ちゃんと分かって」


 クロヴィスがぎゅっと私を抱きしめ返す。


「俺には、アーシェだけなんだから」


「え?」


「は?」


「あ……ごめん。そうよね、うん、分かった」


 そう納得したように言うと、クロヴィスは明らかに困惑した顔で眉をひそめた。


「いや……今のが分かってるとは到底思えないんだけど」


「だ……大丈夫、ちゃんと分かってるわ」


 これはもう、きちんと話した方がいいだろう。私は深呼吸をして、しっかりと微笑んで、クロヴィスに言葉を返した。


「クロヴィスは、愛人にもちゃんと愛を注ぐよって、そういうことでしょう?」


 とたんにクロヴィスはぽかんとした表情になった。何か、間違っただろうか。違和感を感じながら、あれ?と首を傾げる。


 クロヴィスは、時が止まったように固まってから、油の足りない機械のように口を動かした。


「あいじん?」


「う、うん?」


「あいじんって、何?」


「えっ……愛人?えぇと……その……一般的には正式な妻や恋人以外に特別な交わりをもった異性を指すことが多くて」


「いや待ってそうじゃなくて」


 クロヴィスは混乱した様子でぎゅっと私の肩を掴んだ。


「俺は愛人なんて作らない」


「っ、そ、っか、じゃあ私は……と、友達、かな?」


「…………何言ってるの?」


 クロヴィスは信じられないという顔で私を呆けたように見つめた。


「俺は、恋人も妻も、アーシェ以外を選ぶつもりはない」


「え……?」


 言葉の綾だろうか。それとも、嘘なのだろうか。嬉しい気持ちが湧き上がりそうになるけれど、でも、だって――


「――クロヴィスには、婚約者が、いるんでしょう?」


 自分で言ったその言葉に、自分で傷ついて涙がまた溢れ出す。クロヴィスは、目を丸くして私を見下ろしていた。できれば、こんな風に受け入れたくなかった。もっとかっこよく、私は大丈夫だよって――


「いないけど」


「……………………いない?」


「いない」


「えっ、婚約者だよ?」


「だからいないって」


「……さっきいたじゃない」


「…………誰?」


「可愛らしくて上品なご令嬢がいたじゃない!」


 そう半ば叫ぶように言い返す。そんな私を見て怪訝な顔をしたクロヴィスは、次いで目を宙に向けて何かを必死で考えると、ボソリと口を開いた。


「………………………………あぁ」


「っ、ほら!」


「婚約者じゃないよ」


 その言葉をきょとんとして聞く。


 婚約者じゃない……?


「えっ、内定してるってさっき……」


「そういうこと……してないよ。ただの噂か、さっきの令嬢の父親か誰かが流した噂だろうね」


「うそ……」


「ほんとう。よくあるやつだよ。外堀から埋めて娘を送り込もうとしてるんだろ」


 そう言うと、クロヴィスは何か期待のこもった視線で私を覗き込んだ。


「……もしかして、俺に婚約者がいると思って泣いてたの?」


「――っ、だって、イザーク殿下が……!」


「叔父上は噂好きだからね」


「や、夜会は!?今夜、さっきのご令嬢をエスコートするって……」


「あぁ……確かに打診はあったけど、普通に断ったよ」


 目を丸くして驚く私に、クロヴィスはふっと笑った。


「アーシェ、俺が夜会で女性をエスコートする意味、分かって言ってるんだよね?」


「わ、分かってる、わ……」


「ふぅん?」


 皇太子の隣を歩けるのは皇太子妃だけ。皇太子がエスコートする女性は、皇太子妃となる女性だけだ。


 クロヴィスは、何故か私の顔を嬉しそうに覗き込んだ。


「……昨日も一昨日も夜会があったけど、誰とも連れ立ってない。だから、皇太子になった俺の隣を歩いた女性はまだ誰もいないよ。ついでに、離島から帰ってきてからは誰とも踊ってない」


「踊って、ない?」


「それぐらいは別にしてもいいんだけど、気分の問題かな」


 確かにダンスは皇太子妃となる者以外と付き合いで踊っても問題なかった。それでも踊らなかったというクロヴィスの言葉に不思議な顔になった私を、クロヴィスは甘さのある表情で優しく見つめた。


「――俺と夜会に行きたかった?」


 ひゅ、と息を呑む。本当は、望んでいたこと。でもそれは、望んではいけないことだった。


 皇太子の隣を並んで歩く意味。宮殿の広場でクロヴィスに会った時に、それは私には出来ないことだと、身を持って知ったはずなのに。


「ごめ、ん……大丈夫、それは、分かって、」


「アーシェを着飾って連れて行く準備はもう出来てるよ」


 意味を飲み込めずクロヴィスを見返す。クロヴィスはふぅ、と息を吐きだしてから、ほんのりいたずらっぽく笑った。


「……まさか望んじゃいけないことだとでも思ってた?」


「あ、当たり前でしょう!?意味わかってるの!?」


「分かってるよ」


「だったら、」


「アーシェこそ分かってない」


 強く言葉を遮られて口を閉じる。まさかと、緩く首を振った。


 髪が一房乱れて顔にかかった。それをクロヴィスはそっと手にとって、優しく私の耳にかけた。


「――俺の隣を歩けるのは、アーシェだけだ」


「だ、めよ……」


「だめじゃないよ。言っただろ、アーシェとの未来を諦めたくないって。俺は最初からそのつもりだった。……もう父上の了承も取ってる」


「な……」


「……俺がアーシェを連れて歩かないのは、アーシェの最後の逃げ道を残してあげてるだけだよ」


「にげ、みち……?」


「一緒に夜会になんて行ったら、アーシェは絶対に俺から逃げられないからね。……だから、これは最後の逃げ道」


 唖然とする私に、クロヴィスは少し寂しそうに微笑んだ。それから、ゆっくりと私の手を持ち上げた。


「後は、アーシェが覚悟するだけだよ」


 恭しく持ち上げられたその手に、クロヴィスの口づけが落とされる。


「俺の妻に――皇太子妃になって、アーシェ」


 その言葉は、まるで幻のように私の耳に響いた。


 ほんの少しの沈黙。それから、不意にコンコン、と棚の向こうからノックのような音が聞こえた。はぁ、とため息を吐いたクロヴィスは、私を抱き寄せて額にキスを落とすと、身体を離した。


「時間だ。もう行くね。ゆっくり休んで」


 そう言うと、クロヴィスはまるで何も無かったかのように雰囲気を切り替えると、さっとその場を離れていった。

なんと!アーシェは帝国の頂点の女になるのか!??

「うおぉぉぉ!いけ!イエスと言えアーシェ!!!」と盛り上がってくださった読者様も、

「やっと言ったかクロヴィス!おせぇんだよ!」と頭の中でどつきを入れてくださったあなたも、

二人がどうなるのか!?引き続き見守ってくださると嬉しいです!


いいねブクマご評価ご感想ありがとうございます!!とても嬉しいです!

読んでいただいてありがとうございました。

また遊びに来てください!

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― 新着の感想 ―
[一言] 今日も書かせてください。感情のジェットコースター!起承転結が巧みでメリハリが効いていて、毎回ワクワクしながら読み、次回に向けて期待が膨らみます。今回、皆が心配したであろう「婚約者」、との悪魔…
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