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2-3 印

「ヒマだわ」


 ぐったりと頬杖をつく。目の前には山積みの本。しかし、どれも全て読んでしまった。


 離宮に来てから三日。ほとんど動きのないまま、時だけが過ぎた。あったことといえば、カーラと仲良くなったことと、クロヴィスから大量のドレスが届いた事ぐらい。そして、今のところ着て行くところも無い。


「…………私、軟禁されにきたんだっけ?」


 離島で必死で生きてきたところから、一気に至れり尽くせりの退屈な日々。


 そう、私は暇を持て余していた。


「腐るわ…………」


「それは困った」


「わぁ!!?」


 急に背後からクロヴィスの声が聞こえて飛び上がる。バクバクと心臓がうるさい。クロヴィスは、いたずらが成功して嬉しそうにニヤリと笑った。


「暇そうだね」


「……お陰様で」


「ごめんって」


 私のじとりとした視線を受けて一転して苦笑いになったクロヴィスは、カタンと隣の椅子に座った。


 開け放った窓から、そよそよと穏やかな風が吹く。二人で並んで眺めた窓の外は、柔らかな日差しが降り注いでいた。


「……ちょっとは落ち着いた?」


 クロヴィスにそう問いかけると、クロヴィスは揺れる庭園の緑を眺めたまま、ほんのり首を傾げた。


「まぁ……ちょっとは?」


「やっぱり大騒ぎだった?」


「そりゃあもう」


 三日ぶりに会うクロヴィスの顔には疲れが見えていた。きっと本当に大変だったのだろう。


 クロヴィスは少しの間、何か考えるようにぼんやりと窓の外を眺めたあと、テーブルの上に視線を動かした。


「この本、まさか全部読んだの?」


「もちろんよ」


「……半分冗談で聞いたんだけど」


 クロヴィスは少し驚いた顔をした。そんなクロヴィスににこりと笑みを返しながら、わざとらしく胸を張る。


「冗談じゃなく、読んだわ。ここにいるなら、この国のことちゃんと知っておかないとでしょ?」


「すごいね」


「光魔法だけで国を守れると思うな、光魔法をどう使うかも学べっていうのが私が後輩たちに教えてることよ」


「有能な先輩だ」


 そう言ったクロヴィスの横顔を盗み見る。


 その表情は、気安い言葉とは裏腹に少し影が見えた。


「…………どうしたの?」


「何が?」


「浮かない顔してるわ」


「………………」


 何も返さないクロヴィスの顔を黙って見つめる。一体、どうしたというのだろう。それは、何か思い詰めたような表情だった。


 クロヴィスは少し黙ってからちらりとこちらを見た。


「……外に出たい?」


「もちろんよ。今か今かと待ってたわ」


「どうしても?」


「うん」


「……だよね」


 はぁ、と小さくため息を吐くクロヴィスは、やっぱり浮かない顔だった。その表情の裏にあるものに思いを馳せる。


 二ヶ月近く行方不明だった皇太子。そりゃあ大変だろう。その姿を想像しながら、ほんのり心配の滲む顔をクロヴィスに向けた。


「問題だらけなんでしょう」


「え?」


 私の言う意味が良く分からなかったのか、クロヴィスは首を傾げた。もしかしたら困った状況を自分では言いにくいのかもしれないと思い、頭に浮かんだことを説明する。


「何があったんだって質問攻めに合って、嫌味ったらしいハイラスにネチネチ言われて、挙げ句あの女は誰だって騒がれるしでヘトヘトなんじゃない?更に離島まで暗殺者が来たぐらいだもの……ここでも命狙われまくりでしょう」


「まぁ……そうだね」


「ということで、さっさと私を泳がせて怪しいやつを片っ端から炙り出しましょ」


「………………」


 クロヴィスは返答の言葉を言わず、不安が滲む瞳で、何故か私をじっと見つめた。


「……クロヴィス?」


「…………アーシェは怖くない?」


「え?」


「ここを出たら、俺と同じ目に――いや、もっと酷い目に合うかもしれない」


 おもむろに手を持ちあげられて、緩く指が絡む。甘い仕草。でも、クロヴィスの表情は憂いが滲んでいた。


「いろんな奴がアーシェに近づく。その中には、多分アーシェを殺すつもりの奴もいる」


 クロヴィスは私の手をきゅっと握った。


 ――この三日で、何があったんだろう。確かに、襲われるのが怖くないと言えば嘘になる。でも、本当に怖がっているのはクロヴィスのほうだ。


 これまでのことに思いを馳せる。私は、離島であっという間に拐われてしまった。良く考えたら、怖がられて当然だ。信頼が足りないのかもしれない。


 私はぎゅっとクロヴィスの手を握り返した。


「ごめんね、クロヴィス。もう同じ過ちは犯さないわ」


「え?」


「私は今まで誰かを守るばかりで、自分が狙われることなんてほとんど想像してこなかったもの。前回の反省を糧に、これからは囮になる自分自身を護衛対象にするわ」


 きょとんと顔を上げたクロヴィスに、心配はいらないと勝ち気な笑みを向ける。


「筆頭聖女の守備力を舐めないでよ?あ、元だけど」


「――――…………」


 ぽかんと私の顔を見つめたクロヴィスは、次いでふはっと笑った。


「えっ、なんで笑うの!?」


「ふふ、いや……アーシェらしいなって」


「どこが?」


「ちょっとは俺に守られなよ」


 一通り笑ったクロヴィスは、優しい翡翠のような目を細めて私の顔を覗き込んだ。


「忘れてるかもしれないけど、一応俺は軍隊も動かせる皇太子だよ」


「わ、わかってるわよ!分かってるけど、ほら!自分のことは自分で守らなきゃでしょ!?」


「うーん、それは素敵な考え方だけど、少し改めようか」


「え?」


「自分を護衛対象だと考えるなら、周りの人間も使わなきゃ」


「…………確かに」


 なかなか慣れない。うーんと頭を悩ませる私をクロヴィスは面白そうに眺めた。


「まぁいいや。とにかく、この離宮を出るならその前に一つお願いがある」


「お願い?」


 クロヴィスは、ほんの少し私を見つめてからカタンと立ち上がった。


「クロヴィス?」


「印、つけさせて欲しいんだ」


「印……?」


「そう。ここに」


 私に近づいたクロヴィスは、私が座っている横のテーブルに手をついた。ぐっと距離が縮まる。はっと息を呑んだ私を包み込むように身をかがめたクロヴィスは、ゆっくりと手を持ち上げた。


 その手がとんっと触れたのは、私の左胸の上あたりだった。


「こ、ここここに!?」


「そう。ここに。アーシェが俺のだっていう印をつけさせて」


「は……はぁ!?」


 思わず裏返った声で叫んでしまった。胸元に付ける『俺のだ』という印なんて、あれしか無いじゃないか。真っ赤になっていると、クロヴィスはふっと妖艶に笑った。


「アーシェ……勘違いしてるみたいだけど、閨でつけるあれじゃないから」


「はっ!??!?」


「くくっ、なるほど、アーシェも意外と知ってるんだな」


「〜~〜っ、ばか!からかわないでよ!」


「からかってないよ。かわいいなって思っただけ」


 一通り笑ったクロヴィスは、私のおでこにちゅっとキスを落とした。甘い仕草。だけど、唇を離した時にはもう、クロヴィスは真面目な表情になっていた。


「皇家にはいくつか秘術がある。胸に刻む印は、その一つだ。アーシェには魔力結晶を渡したけど、帝国にいるならそれだけだと足りない。だから、つけさせて」


「足りないって……?」


「ここには魔力結晶で何ができるか知ってる奴が多いからね。外されてしまったら、『外れた』ことは分かるけど、術も発動しなければアーシェの所在も分からなくなる」


 そう言うと、クロヴィスはそっと私の左の鎖骨の下を撫でた。


「……だから、ここに直接、印をつけさせて欲しい。そうしたら、例え魔封じの結界の中にいても、アーシェに何かあったらすぐにアーシェの所に行ける」


「でも……いいの?秘術なんて、私にそんなことして……」


「なんで?」


「だって、クロヴィスは皇太子様よ。私はただの属国の令嬢で、」


「関係ない」


 クロヴィスは被せるようにそう言った。それから、熱さを湛えた深い青と緑に輝く瞳で、間近で私を見つめた。


「――この印は、俺が愛する人にしかつけられない」


 ひゅ、と息が止まる。呆けたように見上げる私を、クロヴィスはとろりと甘い――でも、真剣な表情で見下ろした。


「俺の印、受け取って、アーシェ」


 クロヴィスは囁くようにそう言った。胸元に触れる手からじわじわ熱が身体中に移るようだった。俺が愛する人。その言葉が、私を全部溶かしていく。


 真っ赤になったままこくりと頷くと、クロヴィスは嬉しそうに微笑んだ。


 クロヴィスの顔が胸元に近寄る。服に指がかかって、少しくいっとずらされて。クロヴィスの金の髪が私の頬を掠めて。その唇が、鎖骨の下に触れる。


 ぴり、と刺すような熱を感じる。少ししてクロヴィスが離れたその場所には、美しい花のモチーフが浮かび上がっていた。


 柔らかな曲線を描く丸みのある大きな花びらが重なり合う。それは、高い空に手を伸ばすように上を向き、崇高な空気をまとっていた。


「マグノリアの花……」


「皇族は生まれた時に自分の花のモチーフを与えられるんだ。だから、これは俺の印」


 クロヴィスは今度は私の手を取った。クロヴィスの少し硬い手が、私の手をクロヴィスの胸元に持っていく。


「え……?」


「次はアーシェの番」


 ぷちぷちとシャツのボタンが二つ外される。ぐいっとシャツをはだけさせたクロヴィスは、じっと私を見つめた。


「俺にもつけて、アーシェ」


「…………えっ!?」


「大丈夫、アーシェは同じところにキスするだけでいいから」


「だっ……だけって!?」


 ばっくんばっくん胸が音を立て始めた。目の前にはクロヴィスのはだけた胸元。想像以上に男らしい鍛えられた胸元に、もはや目が回りそうだ。


「アーシェ?ほら、早く」


「でっでっでも」


「大丈夫、ちゅって触れるだけでいいから」


 爽やかににっこりと笑うクロヴィスをまじまじと見上げる。


 さっきの雰囲気よりもずいぶんと爽やかだ。そうだった、これは印をつけるだけの話。意識し過ぎていた。


 そうだ、女は度胸。大丈夫、これはスケベな意図はない。ただの印をつけるための作業だ。私はそう自分に言い聞かせながら、ぎゅっと目を閉じて、クロヴィスの胸元に唇を押し付けた。


 それでも、クロヴィスの香りに思いっきり包まれて。唇に触れたところから、クロヴィスの温もりを感じてしまって。私はふわふわとした気持ちのまま、名残惜しさも感じつつ、ちゅっと唇を離した。


 そこには私と同じマグノリアのモチーフが、美しく花開くようにしっかりと浮かび上がっていた。


「せ、せいこう……?」


「………………」


「クロヴィス?」


 クロヴィスは固まったように自分の胸元を見つめていた。不思議に思ってクロヴィスを見上げていると、クロヴィスは何かをぐっと飲み込んでから、私を抱き寄せた。


「――ありがとう、アーシェ」


 めちゃくちゃ腕の力が強い。苦しい。慌ててバシバシとクロヴィスの背中を叩く。


「いたいいたいいたい」


「あ、ごめん」


「ふぅ……へへ、そんなに嬉しかった?」


 やっと離れたクロヴィスに笑顔を向ける。クロヴィスは、そんな私にびっくりするほど幸せそうに微笑んだ。


「うん」


「そう、良かった」


「……このままアーシェを俺の部屋に連れて帰ってもいい?」


「えっ!?だっ、だめよ!私は客人でしょう!?」


「……だめか」


 クロヴィスは残念そうにそう言うと、名残惜しそうに私の頬を撫でた。とろりと甘い空気にどきりと胸が音を立てる。


「クロヴィス……?」


 つ、とクロヴィスの親指が私の唇を撫でる。息遣いを感じる距離。甘い瞳が間近で私を見つめる。


「…………いつまで持つかな」


「え……?」


「……こっちの話」


 ふ、と笑ったクロヴィスは、急に雰囲気を和らげると身体を離した。それから、私の胸元をきっちりとしまい、自分も服を整えると、気を取り直したように立ち上がった。


「とりあえず、これでもう大丈夫。どこにでも自由に行っていいよ」


「えっ?あ、そう……?じゃあ予定通り騎士団の診療所に行ってみようかな」


「分かった。案内も含めて護衛もつけるから、一緒に行ってね」


 クロヴィスは何か吹っ切れたように笑った。よっぽどこのマークを付けたかったのだろうか。クロヴィスは、気持ちよさそうにうーんと伸びをした。


「じゃあ、帰るね」


「えっもう?」


「うん。ここにいたらアーシェに何するかわからないし」


「…………はっ!?」


 まさか、さっきのいつまで持つかな発言は、そういう色っぽい話だったのか。やっと分かって再び真っ赤になった私に、クロヴィスはにやりと笑って、ぽんぽんと私の頭を撫でた。


「またすぐ来るよ」


「……うん」


「………………やっぱり一緒に俺の部屋行く?」


「だめ」


「だめかぁ」


 残念そうに笑ったクロヴィスは、何故かエントランスではなく奥まったキッチンの方へとスタスタと歩いていった。


「……どこ行くの?」


「ここ」


 グイッと食器棚を押すと、隠し通路が現れた。ギョッとして棚の中の揺れる食器を確認する。


「なんでこんなお皿が割れそうな隠し扉にしたの!?」


「んー……敢えて本棚みたいなそれっぽい場所避けたんじゃない?俺が子供の頃からここだったよ」


「そ、そうなの……」


「基本この隠し通路は皇族しか知らないから、内緒にしててね」


「えっ私に見せてよかったの!?」


 驚いていると、クロヴィスは少し不満そうな顔をした。


「…………ほんと、自覚が足りないよね」


「自覚?」


「良く考えて」


 何を?と言おうとした時には、クロヴィスの手が私の頭の後ろに回っていて。抱き寄せられて、唇が重なる。


 少しして、クロヴィスはほんの少し顔を離した。前髪が触れ合い、混ざりそうな距離。離島の海のような瞳が、すぐ目の前で私を見つめている。


「――ちゃんと自覚してよ」


 こん、と額が合わさった。


「…………俺の、一番大切な人」


 クロヴィスはもう一度私に軽くキスをすると、優しく微笑んでから隠し通路で帰っていった。


 へなへなと床に座りこむ。


「――――私、誰よりも先にクロヴィスに殺されそうな気がする」


 顔どころか身体中が熱い。キッチンの床の上で真っ赤になった顔を覆う。カーラさんがへたり込む私を見て慌てて具合を確認しに来るまで、私は暫くその場から動けなかった。



読んでいただいてありがとうございました!


クロヴィスお兄さん、ドロ甘になってきました。

「私も殺されそうな気がする」とドロ甘に召されそうな方も、

「まだまだー!ドロ甘おかわり!」と意気込む超甘党な方も、

クロヴィスがどこまで甘くなるか……じゃなくて、どんなお話の展開になるか、この後も見守ってくださると嬉しいです!


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まだまだ2章は前半戦です。ぜひまた遊びに来てください!

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