1-26 銀
少し前に戻り、旅立ちの朝、クロヴィス視点です
その日の離島の朝は、輝くように美しかった。
白い砂浜。エメラルドグリーンに輝く海。透明で吸い込まれそうなそれが、何度も打ち寄せ、気持ちの良い波の音を幾重にも響かせる。
そんな美しい浜辺には、もう手作りのキッチンはない。急ごしらえの石で作ったかまども、木箱を積み上げた簡易的な調理台も綺麗に無くなった砂浜は、嫌気が差すほどにスッキリとしていた。
準備を整えた騎士たちが、ほんのり陸地を振り返りながら小舟に乗り込む。名残惜しさのあるその姿を見ていられなくて、視界をそらすようにゴツゴツした岩場の方を眺めた。
一ヶ月半程前の、あの嵐の日。俺は真っ黒な海と嵐に立ち向かう、光魔法で輝くアーシェを見た。
きっとその時から、アーシェに惹かれていたんだろう。
ため息を吐いて振り返る。直ってしまった船は、広がる青空を背景に、輝く海にしっかりと浮かんでいた。
離島での暮らしは終わり。それを告げるように、白い鳥が水平線に向かって飛んでいく。
――自分が歩む道は、普通の人とは違う、険しい道だ。探り合いと権力の均衡。帝国で力を持たない属国の令嬢が、安易に踏み入れていい道ではない。
保証のない、不確かな未来。今それしか示せない自分は、本来はアーシェに手を伸ばしてはいけない。
それは、わかっている。
わかっていて、誘ったのだ。
穏やかな幸せを願えば、手を出してはいけない。そんなことは、全部分かっていた。
「……来るかな、アーシェちゃん」
「…………行くぞ」
「はっ!?待てよ、一応まだ時間は、」
「いいから」
諦めるように船に足を向ける。船に乗るための小舟には、ジョイが口を真一文字に結んで乗っていた。その大きな図体が、俺の行く手を遮るようにそびえ立っている。
「ジョイ……?」
「…………待ちましょう」
「いや、だから、」
「待ちましょう」
ジョイは小船に乗せてくれなかった。あんなに従順だったのに。
「俺に反抗するなんて珍しいね、ジョイ――いや、ジョセフ」
「まだ離島にいるんで俺はジョイです」
「そんなに気に入ったの?」
「…………本当に、いい島です」
「まぁ、そうだよね。海も綺麗だし、いい人たちばっかりだし」
そう返すと、ジョイは厳つい顔を少しだけ歪めて、ボソリと呟いた。
「――クロヴィス様が幸せそうだからです」
「は…………?」
ジョイは、ほんのり涙を滲ませながら、厳つい顔を更に歪めた。
「お前――、」
「――っ、クロヴィス!」
その声に、ハッとして振り返る。
息を弾ませたアーシェが、砂浜を駆けてくる。あの日嵐の中で輝いていた銀の髪が、真っ白い砂浜の上で波のように揺れている。
もう、会えないと思っていた。別れの言葉も無く去る事を覚悟していた。
元気でね。その一言がどうしても言えなかったことを、さっきまで後悔していたのに。
全力疾走したアーシェが、俺の前で立ち止まる。はぁはぁと肩で息をして、苦しそうだった。
なぜ、ここに来てくれたのかは分からない。でも、結局、別れの言葉は口からは出てこなくて。
俺は黙って手を差し出した。
別れの言葉なんて、言えるはずがなかった。
俺は、こんなに君を求めている。
俺の人生で、初めての、我儘。
それでも、君を連れて行きたい。
「……クロヴィス」
「………………」
何も言えないまま、静かな時が流れる。
アーシェの深い海のような瞳が俺を見つめる。
波が、沈黙を際立たせるように、ざぁざぁと波音を立てた。
アーシェは、息を整えるように一つ深く呼吸をして。
それから、パシッと、俺の手を取った。
驚いて、目を丸くしてアーシェを見つめる。
アーシェは、少し恥ずかしそうに――でも吹っ切れたように、可愛らしく笑った。
急に世界が色付いて。白い砂浜が輝いて。息を吹き返したような潮風に、アーシェの銀の髪が揺れる。
俺はアーシェの手をキュッと握り返すと、その眩しい笑顔を見つめながら、同じように笑みをこぼした。
「――――行くか」
「……うん」
波の音が、ザブンと気持ちよく聞こえる。ジョイが目をこすりながら、今度は船に乗れるように場所を開けてくれた。その横で、ケビンがニヤニヤとしながら――でも嬉しそうに笑っている。
茶化すなよ。そう思いながらも、思わず溢れだすように笑みを浮かべてしまった。
船の上からは大歓声が聞こえる。
爽やかな朝。気持ちの良い船出。
大丈夫、君が覚悟してくれるなら――きっと、誰よりも幸せにしてみせる。
そんな気持ちを胸に抱いて。
俺は朝日のように輝くその人を腕の中に閉じ込めて、心ゆくまで、思いっきり抱きしめた。