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1-21 茜色

「いい感じに潮が引いたね」


「ほんとね!よし、いっぱい取るわよ!」


 遠浅の海に目を細めたクロヴィスに、溌剌と声を掛ける。そして、岩場に打ち寄せる穏やかな波に、一緒に足を浸けた。


 日が傾き始めた岩だらけの海岸。この日、私とクロヴィスは晩ご飯の貝を拾いに海岸へ来ていた。


 岩と岩の間は透明な海水がエメラルドグリーンに透けていて、時折見える青色のスズメダイの群れが、より海の青さを際立たせていた。


 ざぁざぁという波の音を聞きながら、岩に張り付いている貝を剥がして小さな樽の中に入れていく。そんな黙々とした作業の合間に、私はちらりとクロヴィスの姿を盗み見ていた。


 整った顔。さらさらのブロンドの髪。適度に引き締まった、少し背の高い身体。


 よく考えたら、圧倒的にモテる男だろう。きっと国に帰ったら、クロヴィスの帰還を待ち焦がれているご令嬢が群がってくるはずだ。


 樽を持つ自分の腕を見る。真っ白だった腕は日に焼け、擦り傷や切り傷がちらほらとついていて、随分と逞しくなっている。きっと顔も同じだろう。巷で言う、素敵な女性とは程遠いはずだ。


 店すらない、離島の生活。クロヴィスが華やかな都会で暮らしていたのなら、暇を持て余し身近にいた女に少しの気を持ったとしても不思議ではない。


 でもきっと国に帰ったら、私のことなんてすぐに忘れてしまうだろう。


 遠い水平線を眺める。私は国を自由に歩けない上に、国外へも出ていけない、国を追われた聖女だ。あまりにも穏やかで心地の良い日々に忘れてしまいそうになるけれど、私の穏やかな生活だって、いつ終わるのかわからない。近い未来、また暗殺者が来るか、お兄様が迎えに来て、国のために戦う日々が戻ってくるはずだ。


 クロヴィスがこの島を出たら、私たちが再び会うことは、きっと二度とないだろう。


 肩に刻まれた呪印をさする。


 隠れ、時を待ち、使命を果たす。それが、私のこれから先歩まなければならない未来だった。


 離島での、ひと時の思い出。クロヴィスとのことは、きっとそうなるのだろう。


「アーシェ、これも食べれる?」


 貝を持ち上げたクロヴィスの声にはっと我に返って顔を上げる。


 キラキラとした海を背に、クロヴィスは少し不思議そうな顔で私を見ていた。


 だめだ、またぼんやりしてしまっていた。気を使わせてしまったかと、気を取り直してにこやかに顔を上げた。


「そう、そっちは焼いて食べて、あっちの小さいのは塩茹でしてスープにするよ」


「美味しそうだけど、小さいから沢山取るの大変だね」


「ちょっとでもいいのよ?貝の風味が出て美味しいスープになるから」


「なるほど」


 そう、スープにこの小さな貝はぴったりだった。


 なるべく、島の美味しいものを皆に食べてもらいたい。その気持ちで小さな貝を取っていく。


 ――そう、みんなが旅立つまで、あと少しなのだから。


 一通り取り終えて、一休みしようと岩に腰掛けた。静かにしていると、岩のくぼみに取り残された海水の水たまりの中の穴から、小魚がそっと出てきて、小さな海の中を泳ぎ出した。小ぶりなイソギンチャクが、ゆらゆらと水たまりの中に触手を伸ばす。


 小さな海。こんな小さな場所にも、命が息づいている。この小魚も、もう少し大きくなったら満ちた潮の流れに乗って、広い海へと出ていくのだろう。でも、共に過ごした小さなイソギンチャクはそのままだ。


 別れは、誰にでもやってくる。大したことじゃない。そう自分に言い聞かせた。


 傾いた夕日が、海の色を深く染めて、水面を眩しく光らせていく。


 いつの間にか近くに来ていたクロヴィスと、二人並んで静かに夕日を眺める。


 うっかり転がったヤドカリが、ポチャンと水音を立てて水たまりの中に落ちた。慌てて腕を動かしてもがくヤドカリを頬杖をついて眺めていたクロヴィスは、物思いに耽った様子で、ぽつりと言葉をこぼした。


「――自分で採って料理して食べると生きてる感じがするって言ってたよな、アーシェ」


「うん」


「それ、ほんとだなって思ったよ。生きてるってすごいよな。この水たまりの中の生き物も……俺達も」


 向こう側に、クロヴィスの船が激突しそうになった岩場が見える。引き潮で、普段は海面の下にあって見えない岩が少し見えていた。


 あの尖った岩に船がぶつかっていたら、確実に船底に大穴が開いていただろう。


「――あの時、なんで助けてくれたの?追放された聖女だって知られたく無かったんだろ」


 その海を見ながら、クロヴィスが静かに問いかけた。打ち寄せる波の音を聞きながら、ぼそりと答える。


「…………見捨てたら後悔すると思ったから」


 私は少し考えてから、あの時思ったことをそのままクロヴィスに伝えた。


 なんだかんだ私の原動力は、困った人を見逃せないおせっかい精神なんだろう。


「厄介なことになるかもとは思ったけど。私が追放された聖女だっていうのも、知られたくなかったけど……自分が持つ力は、自分が正しいと思ったように使いたいじゃない。後で振り返って、後悔したくなかったの」


「……アーシェは強いね」


 その言葉に、胸に鈍い痛みを覚えた。


 ――強い女。でしゃばりで、可愛らしくない女。いつか言われた言葉が胸に湧き上がる。


 きっと、そうなんだろう。


 そっとクロヴィスの横顔を盗み見る。夕陽にあたったその横顔は、すごく綺麗で。その隣りにいる日に焼けた自分が、ひどくくすんで見えて。でしゃばるなと、可愛らしくないと言われた過去が、勝手に胸の中に広がり、気持ちを曇らせていく。


 私はなんとなく惨めな気持ちになって、笑い飛ばすように答えた。


「なんか、保身で動けなくなるのが嫌で。だから気が強い女だって国の男たちには敬遠されてたわ。でしゃばりで、可愛げがない女だって。後悔はしてないけど……もうちょっと女磨きをしたほうが良かったのかもね」


 必要なことを真面目にやってきた。駄目なものは駄目だと言ったし、改善したほうが良いと思ったら臆さず提案した。


 認められたいという気持ちが無かったと言えば嘘になる。それでも、皆のためになることをしたかったし、恥じることは何も無かった。


 ――ただ、女として求められる事が無かっただけで。


「……馬鹿な奴らだな」


「え?」


「俺は、アーシェの芯のある美しさが分からないほど落ちぶれてない」


 クロヴィスが、夕暮れの潮風に金の輝く髪を揺らしながら、私の方に顔を向けた。夕日に染まったその顔が、しっかりと私を見ていて。ふざけた様子のない表情に、息が止まる。


 クロヴィスは、茜色に輝く瞳で、じっと私を見つめた。


「――アーシェは綺麗だよ。俺が出会ってきた誰よりも、ずっと」


 その言葉に、思わずふわりと目を見開く。


 クロヴィスは、驚く私を夕陽に染まった顔でじっと見つめてから、何かを思い出すように、潮風に揺れる私の銀の髪を手に絡めた。


「……嵐に立ち向かう君は、本当に綺麗だった」


「そん、なの……気の迷い、じゃ」


「俺は気の迷いでこんなことできないよ」


 さら、と銀の髪がクロヴィスの手の上で踊る。クロヴィスはそれを眩しそうに見つめてから、そっと口付けを落とした。


「……自覚してる?アーシェは、俺に振り回されてると思ってるみたいだけど……振り回されてるのは、俺の方だ」


 低く響く、甘い声色。ふるりと震えて、溺れそうになる。自分を見失いそうになって、それが怖くて思わず声を上げた。


「っ、からかわないで。クロヴィスなら、国に帰ったら、綺麗な人が沢山言い寄って来るんでしょう!?」


「……だから何」


 ほんの少し怒った雰囲気のクロヴィスは、私の首元へ手を伸ばすと、しゃら、とネックレスを取り出した。


 クロヴィスの瞳と同じ色のその結晶は、今はどちらも夕日に染まって茜色と混じり合い、透明で不思議な色合いを放っていた。


「俺がこれを渡したのは、アーシェだけだ」


 クロヴィスの瞳と同じ色に輝く魔力結晶。それを手にしたクロヴィスの、吐息がかかるほど近い距離。


 私を間近で覗き込むその表情に、胸が熱くなって、締め付けられる。


「……どうして?」


「ん?」


「どうして、私にくれたの?」


 思わず聞いてしまった。今のは、核心に触れる言葉だ。不用意に踏み込めば、ひと時のこの関係など、すぐに終わってしまうかもしれないのに。


 聞いたことを後悔して俯く。何を真に受けているんだろう。こんなの、今この時を愉しむためのものだ。


 期待してしまったらだめだ。もしかしたらそこに、特別な意味があるかもしれないなんて。


 クロヴィスは、何か言ってくれるかもしれない。でも、それに意味はない。


 だってもうすぐ、クロヴィスはこの島からいなくなってしまう。そんなの、分かりきったことなのに。


「アーシェ?」


「――っ、ごめん、今の忘れて」


「……こっち見て、アーシェ」


 俯いたままの私の頬にクロヴィスの手が触れる。


 その指が、そっと私の頬を撫でた。泣いていたのに気がついて、慌てて目を拭う。


「……アーシェ?」


「っ、うん、ごめん、」


「…………そんな風に唇を噛んだらだめだ」


 そう言ったクロヴィスは、私の唇に触れた。びっくりして思わず視線をクロヴィスに向ける。


 でも、すぐに後悔した。


 瞬きの音が聞こえるほど、すぐ近く。熱さを湛えた瞳が、少しずつ訪れた夕闇の中で不思議な色合いできらりと光り、私をじっとみつめていた。


「知りたい?アーシェ」


 その声に、胸が大きく音を立てる。


「……もっと知ろうとして。もっと俺の近くに来て、アーシェ」


「っ、で、も……」


「もっと踏み込んできて。――俺から、逃げられなくなるぐらい」


 少し骨ばった、でも綺麗な指が、私の唇を撫でる。その動きに、その熱い瞳に身動きが取れなくなって。呆然と見上げる私に、クロヴィスは静かに言った。


「――君の唇を奪ったことがある男はいる?」


 ひゅ、と息を呑む。問いかけるその言葉には、少しの圧があった。思わず、正直にゆるゆると首を振る。


 そんな私を少し見つめて。それから、クロヴィスは、そっと囁いた。


「……俺にくれる?」


 ざぁざぁと波の音が響く。


 少しの沈黙と、何も言えずに止まってしまった私の表情に、クロヴィスはあっと言う間に答えを見つけてしまって。ゆっくりと顔を寄せると、クロヴィスはそっと囁いた。


「目、閉じて」


 そう言われて、慌ててきゅっと目を閉じた。


 必死な私を見たクロヴィスが、ふ、と笑った息遣いが聞こえて。頬に触れていた手が後ろに回り、私の頭を優しく引き寄せた。


 次いで初めて触れたクロヴィスの唇は、思っていたよりもずっと、柔かくて。


 それなのに、優しく私を抱き寄せる腕は、何故か少し、怯えているような気がした。


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