1-19 離島の朝食
チピピピピ……と気持ちよく小鳥が鳴く。
爽やかな朝。
私はぼんやりとキッチンに立っていた。
目の前ではグツグツと煮え立つお湯に、たくさんの芋。特に混ぜる必要はないのに、それを意味も無くぐるぐると混ぜている。
一体、あれは何だったんだろうか。
寝ても覚めても昨夜のことが頭から離れない。
もしかしたら、拐われたショックでおかしな夢でも見たのだろうか。
ブンブンと頭を振る。しっかりしろアーシェ、何を色惚けているんだ。大体私はモテたことも無ければ、経験もない。良くわからないがちょっとしたアレで浮ついたらバカを見るだけだ。
そうだ。きっとそうだ。そう言い聞かせながら、余っていたお米をジュワァと鉄鍋に入れる。鉄鍋には先にお野菜やお肉の欠片が入っていた。少しの余り物でも、お米といっしょに炒めれば絶品になる。ちょっと水分が多いから、美味しくこんがりパラパラにするために、しっかり水気を飛ばさないと――
「おはよう」
「わぁっ!?」
「……驚きすぎじゃない?」
その声に、ギギギギギ、と古びたネジのように振り返る。
そこには、朝日を浴びて爽やかな笑顔を振りまくクリフさんがいた。
「おは、おはおはようございます」
「うん、おはよう」
何故かもう一歩私の方に踏み出したクリフさんに驚いて飛び退く。バクバクと心臓が波打つ。熱が出たように身体が熱い。
そんな私を見て、クリフさんはキョトンとした顔をしてから、申し訳無さそうに眉をひそめた。
「…………悪かったって。急に押し倒したりしないから」
「っ、あ、当たり前よ!」
「じゃあそんなに警戒するなよ」
「そ、そうは言っても……」
「まぁいいや。これ茹でればいい?」
ちょうど準備していた二つ目の鍋にぐらぐらとお湯が沸いたところだった。クリフさんはのんびりとした様子で、そこに芋を入れていく。
しばし、無言の時が流れる。耐えきれず、ごくりとつばを飲み込んで、恐る恐る口を開いた。
「……あの」
「本当は、君が普通の女官じゃないと分かってたから、最初からずっと警戒してたんだ」
その言葉にハッとする。やっぱり、最初からばれていたのだ。
クリフさんは私に背を向けたまま、静かに語り始めた。
「俺たちの事を探られるのは困るから。それから、船を直すまでここで安心して暮らす必要があったから。船の修理に限界まで人を割きたくて……だから、君と仲良くして暮らしと安全を確保する役割は、壊れた船に入れてもらえない俺が買って出た。アーシェは、そんなの分かってたと思うけど」
「……うん」
胸がズキンと音を立てる。
これは、きっと釘を刺されたのだろう。
船の上で見たことは忘れろと、私に優しくしてくれてたのは、そもそも利害があってのことなのだと。
――そして、昨日のあれは間違いで、熱で浮かされていただけだから、勘違いするなよって。
胸元をぎゅっと握る。でしゃばりで可愛げのない、色気のない女。ローランド殿下に言われたその言葉が不意に蘇り、胸の中を黒く濁す。
そう、何か間違いがあるはずがないのだ。私は追放された聖女。それに元々、大した魅力もないのだから。
どのみち、もうすぐさよならするのだ。
自分の胸の中を、直視したらいけない。
一つ深呼吸して、何とか笑みを浮かべながら、ゆっくりと口を開く。
「分かってるから、大丈夫よ。船でのことは誰にも言わないし、みんなを追い出したりしない。全部終わったら、これまで見たことも、こうして一緒に過ごしたことも全部忘れるわ。……だから、昨日みたいに、無理やり仲良くして私を丸め込む必要なんてないのよ?」
「…………そう言うと思ったから勘違いされる前に言ったんだ」
重いため息を吐いたクリフさんは、ぱさりと空っぽになった籠を置くと、私の方に向き直った。
「クリフさん?」
「……クロヴィス」
「え」
「クロヴィスと呼べって言ったろ」
真顔のクリフさんが、壁際に立つ私の前に一歩踏み出した。狭いキッチンでは、もうそれだけで距離が詰まる。
それなのに、クリフさんはもう一歩前に踏み出した。
トン、と私の背に壁が当たる。
「アーシェ」
クリフさんは、肩に落ちていた私のくすんだ銀の髪を一房手に取った。目を丸くしているうちに、それはゆっくりと持ち上げられて――クリフさんの口元で、ちゅ、と音が鳴った。
それを、まるで夢を見ているかのように呆然と眺める。
ゆっくりと私の髪から唇を離したクリフさんは、ほんのり上目遣いで私の顔を見ると、甘く目を細めた。
「俺が、口止めするために、昨日アーシェを抱きしめたんだと思ったの?」
「っ、そ、れは、」
「――俺はその気がないのにこんな事しない」
「クリフ、さん、」
「クロヴィス」
即座にそう言ったクリフさんの顔を呆然と見上げる。
間近に見えるクリフさんの明るい海のような瞳は、見たこともないほど熱を持っていた。
「――アーシェがクロヴィスと呼ぶまでこの髪の毛離さないよ」
「っ、え、」
たじろぐ私に、クリフさんは綺麗な顔でニコリと笑った。
「お米、焦げそうだね」
はっとして鍋の方を見る。ソースと野菜を混ぜて炒めていたお米は、水分が無くなり、パチパチと音がし始めていた。
「っ、あの、」
「いいだろ、名前ぐらい」
「っ、でも、」
「ほら、一言だけだろ?……あー、本当に焦げそう」
「――っ、クロヴィス!」
「よくできました」
ぱっと髪の毛から手が離されて、少し身体が離れた。慌ててそこから抜け出し、急いで木べらでお米を混ぜる。
ばくばくと心臓がうるさい。
一体……これは、一体、何が起こっているのか。信じられないぐらいに色気が増したクリフさんに、頭がついていかない。
とにかく、落ち着こう。それから私はなんとかクリフさんと距離を保ち、一心不乱に朝ご飯を作った。
そして、小一時間ほど経った後。山盛りの朝ご飯の横には――しゅんと肩を落とすクリフさんの姿があった。
さすがに避けすぎただろうか。恐る恐る声を掛ける。
「あの……クリフさん、」
「……ごめん」
「え……?」
クリフさんは私に背を向けたまま、ぽつりと謝罪の言葉を述べた。悲痛な背中に、やりすぎたと胸が痛む。
「クリフさん、その……」
「……そんなに嫌だった?」
「そ、そういうことじゃ、なくて」
「…………名前すら呼んでくれないだろ」
その沈んだ声に、おろおろと言葉を探す。
「っ、違うの、ごめんねクリ……クロヴィス、その、嫌なんじゃなくて」
「……嫌じゃないなら何?」
「だって、その……な、慣れてないのよ。今まで、男の人には気が強い女だって、敬遠されてばかりだったし……」
「……俺に触れられたくないんじゃないの?」
「そんなこと、ない」
「……そう」
沈んだ声と寂しそうな背中に、心配になってその顔を覗き込むと、クリフさんは――クロヴィスは、ちらりとこちらを見てから、ニヤリと笑った。
「!?」
「ほんと、心配になる」
そのまま腰に手が回って、ぐいっと抱き寄せられた。わっと思ったときには、クリフさんの体がすぐ目の前にあって。そのまま私の体は、ぽす、とクリフさんの胸の中に収まった。
「――!?」
「こんなんじゃすぐ変な男に捕まるぞ」
「っ、やめ、」
「さっき嫌じゃないって言ってた」
「い、言ったけど……!」
「アーシェ」
甘く名を呼ばれ、ドクンと胸が大きく音を立てる。
「……本当に嫌ならちゃんと抵抗して」
囁かれたその声に、ふるりと身体が震えた。
体は緩く抱き寄せられているだけだ。逃げようと思えば、逃げられる。
――でも、私を抱きしめる腕が優しくて、あたたかくて。私の中の強張っていたものを、全部ほぐしていくようで。
どうしても、拒絶できなかった。
結局、身動きが取れないまま、そのままゆるく抱き続けられる。赤くなって何もできなくなった私を見て、クリフさんはふっと笑ってから、今度はしっかりと、キュッと私を抱きしめた。
「……嫌じゃない?」
「っ、う、ん……」
「よかった」
そう言って、クリフさんは、もっとしっかりと腕に力を入れた。
ドキドキと、胸が早鐘を打つ。
「――あの時、アーシェに渡した魔力結晶の魔法陣が働いて……本当に、血の気が引いた」
間近で低く響いたその言葉に、ハッとして消え去っていた冷静な頭が戻ってきた。
そうだ、あの時。港でたくさんの傭兵に囲まれた時、突然結晶から魔法が弾けて、一気に男たちが吹き飛んだんだった。
「あれって、やっぱり、クリフさんの……」
「クロヴィス」
「え」
「言い直し。クロヴィスだよ、アーシェ。覚えて」
「っ、ク、クロヴィス……」
「ん」
しっかりと訂正された呼び名を聞いたクリ……クロヴィスは、私を抱きしめたまま、満足げに私の頭をぽんぽんと撫でた。あまりの甘い雰囲気に耐えきれず、話題を戻す。
「その……ク、クロヴィスの魔力結晶がなかったら、もっと危なかったと思う。ほんとうに、ありがとう」
「うん、役に立って良かったよ。……そうだ、もう一回魔法陣入れておかないとね。一度だけで無くなるから」
そう言うとクロヴィスは腕の力を緩め、私の首元からしゃら、とネックレスを取り出した。
綺麗な指先が、瞳と同じ色の魔力結晶にそっと触れる。すぐに、くるくると輝く小さな魔法陣が現れ、魔力結晶に吸い込まれていった。
こんな高等魔法が使えるなんて、この人は、本当に何者なのだろうか。その美しい魔法を眺めながら、ぼんやりと考える。
――クロヴィス……クロヴィスと言えば……
「あいつらに何もされてない?」
その声にハッと現実に引き戻された。ネックレスから手を離したクロヴィスの綺麗な翡翠のような目が、間近で私を見ている。
呆然として何も答えない私に、クロヴィスの瞳にギラリとしたものが宿った。
「――なにかされたの?」
「えっ!?いや、何も!何もされてないわ」
「……本当に?」
「本当よ!」
「…………じゃあ、どこを触られた?」
「っ、うで、と……」
「腕と?」
剣呑な光を宿した瞳が、じっと私を見つめている。
足も……もっと言えば、太ももまでまさぐられた。でも、これは……これは、本当に言わないほうがいいかもしれない。私の第六感がそう告げている。
私は少し震えながら、慎重に答えた。
「う、腕だけよ」
「…………本当に?」
「ほ……ほんとう」
「…………」
微妙に納得がいかなそうなまま、クロヴィスは私の腕を持ち上げた。それから、ちゅ、と腕に口づけを落した。びっくりしてひっと声が漏れる。
なんてことをしてるんだ、この男は。真っ赤になってふるふるとクロヴィスを睨みつけると、クロヴィスはほんのり悲しそうに顔を上げた。
「……すぐに行けなくてごめん」
「え……」
まさか、本当にそう思っているのだろうか。あの時、もう駄目だと思ったのに。海の真っ只中まで追いかけてきて、一番先に助けてくれたのは、他でもないあなたなのに。
「ものすごく、早かったよ?もうだめだって思ったのに……」
「……汚い手でアーシェに触れさせたくなかった」
「っ、そんなの…………むしろ、助けてくれて、ありがとう」
「ん」
ふ、と笑ったクロヴィスは、また私の頭をぽんぽんと撫でた。
「もう誰にもあんな風に触らせないから」
「っ、」
「さて。朝ご飯冷めちゃうね。そろそろみんなの所に持っていくか」
ぱっと雰囲気を変えたクロヴィスは、茹でたお芋をザルに上げはじめた。
一体、これは、どういう事……?
もはやこれが夢か現実かわからない。なんだかふわふわする。
そんな私の目の前には、山盛りの朝ご飯にホカホカの芋。爽やかな朝日の中、私はクリフさんなのかクロヴィスなのかわからないこの男と一緒に、二人並んで朝ご飯を運んでいった。
攻め攻め炸裂。
「あっっっま!!」と砂糖を吐き出した読者様も、
「甘党なめんな!おかわり!」と前のめりになった甘々好きなあなたも、
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攻めに転じたクロヴィスさんを応援していただけると嬉しいです!
読んでいただいてありがとうございました!
また遊びに来てください!