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1-16 涙

「ありがとなぁ。いやぁ、楽になったよ」


 腕をさすりながら、日に焼けた初老の漁師さんが、よく鍛えられた腕をさする。


 穏やかな晴れのこの日、私は離島の港の近くで治癒を行っていた。


「昔痛めてからずっと、網を引く時に変に傷んでさぁ。動かせないわけじゃねぇけど地味に辛かったんだよ。ありがとなアンナさん」


「ううん、楽になってよかったわ!でも完全には治ってないから、無理はしないでね」


「分かった分かった」


 そう言った漁師さんは、いい笑顔でニッと笑うと紐にぶら下がった魚の干物を幾つも私にくれた。荷車には今日も山積みの米や野菜や魚。これでまた暫くは食べ物に困らないだろう。


 一通り治癒を終えて一人のんびりと港を歩く。クリフさん達はもう少し島の内側にある村の広場で資材調達中だ。何を物々交換しているか知らないけど、クリフさんの事だから、きっと難しい相談事を解決して皆を驚かせているだろう。


 キラキラと光る水面を眺める。


 クリフさん達がいなくなったら、きっとみんな寂しがるだろうな。


 波の音を聞きながら、寂しさに胸がチクリと痛むのを無視するように、青い空を見上げて歩いた。


 私はいつからこんなに寂しがり屋になったんだろう。


 ローランド殿下が、私に見向きもしなくても、何とも思わなかったのに。


「お嬢ちゃん!治癒士なんだって?悪いがアイツのこと見てやってくんねぇか?」


 慌てたように男が駆け寄ってきた。指さされた方向を見ると、交易でやってきたらしい船の近くで、血を流している男がいる。


「大変!どうしたんですか!?」


「悪ぃ、ちょっと引っ掛けちまって……」


 血に濡れた男の腕を取り、急いで止血の術をかける。少し身体に負担が掛かりそうだが、光魔法で治癒したほうが良さそうだ。綺麗な切り傷だし、きっとそんなに――


 そう思ってからハッとした。


 その切り傷は、何かに『引っ掛けた』と言うには美し過ぎた。まるで、手入れをされた鋭利なナイフでスパッと切ったような――


 そう思ったのと同時に、ガチャンと硬質な音がした。瞬時に光魔法が消え、ふっと力が抜ける。


「――へへ、悪ぃね、あんた相当強い光魔法の使い手だって聞いてるからさ」


 血だらけの男は、そう言うとニヤリと笑った。私の腕には魔封じの腕輪がはまっていた。気がつけば、何人もの男に囲まれている。どの男も船乗りや商人風だったが、間違いない。この者たちは、金で雇われた傭兵だ。


「……宰相の差し金ですか」


「まぁ、そんなとこだな。運が良かったよ。どこにいるかわからねぇってんで見つけたら儲けもんだと思ってたんだが。俺達も別件で追われててね。国境近くまで逃げてきたが、幸運にもあんたを見つけたってわけだ。お陰様で、これで王都に舞い戻れる」


 背後から現れた男が、節くれ立った手で私の腕を掴もうとした。それをパンッと跳ね除ける。


「おぉ、噂通り威勢がいいな。なら、悪いがちょっと痛い思いをしてもらわねぇとだめかもな!」


 そう言って男が手を振り上げた時だった。ぶわりと強い魔力か胸元に集まり、あっと思ったときには、それは一気に弾けとんだ。


「グァッ!?」


「ギャア!」


 強烈な風圧が弾丸のように男たちに命中し、身体ごと吹き飛ばすように地面に叩きつける。一瞬にして訪れた沈黙。唖然としながら胸元を見る。


「――クリフさん、の……」


 胸元では、翡翠色の結晶が明るい海のように美しく輝いていた。


「貴様、魔封じの腕輪をされているのになんて技を使いやがる」


 ひた、とナイフが首元に充てられた。思わず息を止める。視界に入った古傷だらけの太い腕は、日に焼けてどす黒い。


「貴方がこの者たちの頭ね」


「そうだ。わざわざ面倒な思いして叩き上げた奴らなのに、一瞬で駄目にしやがって。まぁいい、もう何もできないようだな」


 グイッと後ろ手で拘束され、無理やり引き摺られる。遠くからは慌ててこちらに駆けつけようとしている村のみんな。男はチッと舌打ちすると、私を乱暴に船に乗せた。


「仕方ない、出せ。ここでお縄を頂戴する訳にはいかねぇ」


「残念っすね。あいつらそれなりに使えたのに」


「破落戸に金と女を覚えさせて使えるようにしただけだ。幾らでも替えがきく」


「おぉこわ。俺も気をつけよ」


 船に残っていた数人の男たちが帆を張り船を出した。動力に魔法石を使っているのか、船は大した風もないのにあっと言う間に港を出ていく。


 乱暴に放り込まれた船の一室は、カビと埃の匂いがした。手を縛られ自由にならない身体でなんとか起き上がり、雑然と積まれた木箱の向こうの窓を見る。


 港を出た船は、沖の風を捕まえてスピードを上げて走り出した。島がぐんぐんと遠くなっていく。


 ――こんなに陸から離れてしまったら、みんながこの船に追いつくのは難しいだろう。


 その事実に行き当たり、目の前が暗くなるようだった。


 連れ去られた先で、できることはまだ何かあるはずだ。トルメアや、私を助けてくれたみんなのためにも、諦めるわけにはいかない。その気持ちは変わらない。だけど。


 島のみんなには、もうきっと会うことは無いだろう。


 ドムさんやタニアさんにも、船のみんなにも――クリフさんにも。


 塩水に晒され薄汚れた小窓の向こうで、青空に映える美しい離島がどんどん小さくなっていく。


 感謝も伝えていない。さようならも言えていない。せめて、一言でもいいから、伝えたかった。


 ありがとう、さようならって。


 そう言ったら、きっとクリフさんは……笑顔でまたねって言ってくれたはずだ。


 そうして、笑って握手をして、手を振りたかった。


 こぼれだした涙が頬を伝う。


 嘘でも、また会おうねって、約束したかった。


 それが、永遠に叶わない約束だとしても。


「へぇ、気高い筆頭聖女様も泣いたりするんだな」


 その声にハッとして振り返る。髭を生やした日に焼けた男が、ニヤついた笑みを浮かべながら部屋に入ってきた。扉にガチャリと鍵が掛けられる。


「別に今すぐ殺して首だけ持って帰っても良かったんだけどな。まぁ、あれだ。愉しませてくれるなら、多少は生きながらえさせてやるよ」


「なにを――っ!?」


 ドンッと強く押され、床に転がる。痛みに顔をしかめながら起き上がろうとしたが、男は私の足を掴んで、その動きを封じ込めた。


「なんだ、お前まさか生娘か?まぁ貴族のお嬢さんだもんな。なーんも知らなさそうだけど……いいぜ。俺が手取り足取り教えてやるよ」


 ベロリと口を舐めるニヤついたその男の顔に、まさか、と息を呑む。


 そうして動きを止めて青ざめた私に気を良くしたのか、男は更にニヤニヤと目を細めると、私の服に手を伸ばした。


「いいねぇその顔。愉しませてくれよ」


 びりびりと胸元の服が破られ、スカートがたくし上げられる。あまりの恐怖に、思わず悲鳴を上げた。


「やっ……やめてっ」


「ふはは、泣け泣け」


「っ、嫌――」


 男の臭い息が近づいた時。慌てたようにドンドンドン!とドアが叩かれた。男が険しい顔で舌打ちをして身体を起こす。


「頭!!やべぇ、船が追いかけてきた!」


「はぁ?追いつくわけが、」


「もうすぐそこだ!」


 その声に窓の外に目を向けると、帆を張った小型の漁船が、物凄いスピードでこちらに向かってきていた。


「っ、大砲だ!ぶっ放せ!」


 ドゥンドゥン、と鈍い音を立てて船が揺れる。少しして向こう側で水柱が上がった。


「当たらねぇ!」


「下手くそが、お前ら――」


「ギャア!」


 鍵の閉まったドアの向こうで、ドン、ガタガタ、と音がした。一切聞こえなくなった声に、息を呑んで様子をうかがう。


 男は、焦ったように私を立たせると、背後から私の首元にナイフを当てた。


「……動くなよ、お嬢さん」


 じり、と男が後退りする。


 次の瞬間、スパン、と扉が切れた。バラバラと崩れ落ちる切れた扉の向こうには、全身ずぶ濡れのクリフさんがいた。


 逆光で、その表情は分からない。


「クリフ、さん……?」


「動くな!この女の命が惜しければ、」


『――武器を捨てろ』


 キィンと、聞いたこともないような声が、空気を切り裂くように聞こえた。


 魔力を帯びた声。その強い威圧感に、息もできない。


 張り詰めた空気の中、男は震えながら武器を落とした。


『――跪け』


 そのまま、男は崩れ落ちるように膝をついた。ガタガタ震える男の顔は汗だくで、焦点が定まっていない。


 ピチャ、と水音がして顔を上げる。いつの間にか部屋の中にいたクリフさんが、男を冷たく見下ろしていた。


「うわっ!?ちょっと、クロ……クリフ!やり過ぎ……――――っ、……」


 びしょ濡れのケビンさんが部屋に走り込んできて、バラバラのドアを驚いたように飛び越してから、ハッとして口を噤んだ。それから静かに状況を確認すると、何かをぐっと堪えるように跪いたままの男を拘束する。


「……大丈夫?クリフ」 


「…………迎えの船は」


「もう着くよ」


「そう」


 ふっと空気が和らいで、ゆるゆると座り込む。そのまま立ち上がることもできず、ただ気の抜けたようにクリフさんを見上げた。


 クリフさんは、男が縛られたのを見届けると、そっと私の前に跪いた。


「……怪我は?」


「だ、大丈夫……」


「…………そう」


 クリフさんは何かをぐっと飲み込むように目を細めると、近くにあった古びた毛布で私をやさしく包み、そのまま横抱きにした。


「っ!?あの、」


「すぐだから」


 扉の外ではバタバタと他の足音がする。きっと、さっきケビンさんが言っていた迎えの船が来たのだろう。


 毛布を頭から被せられて、周りの様子は分からなかった。ただ、しっかりと私を抱き上げるクリフさんの腕や胸の感触だけが身体に伝わる。


 私は結局島に着くまでクリフさんに横抱きにされたままだった。でも、クリフさんは道中ずっと黙ったままで。


 ただ、私を抱き上げる腕が、時折しっかりと私を包みこんで。私はその慣れない感触に、最後までうまく息ができなかった。

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[良い点] 無事でよかった。 [気になる点] 防犯グッズが一回限り!? [一言] ほら、やっぱり護衛、必要じゃないですか! なぜに頑なに断るかな!? 守る側、とかいうなら、気を付けましょうよ!? ちな…
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