1-15 静かな夜
ケビン視点です。
「ってことで、出港できるまであと二週間ぐらいだな。刺客に見つからなきゃもうちょい早かったはずだけど、まぁ仕方ねぇだろ。お前とアーシェちゃんがこの建屋を修理してくれたお陰で警備人数が一人減ったし、いいところだと思う」
「――そう、分かった。ありがとう」
急げ急げと言っている割に、全く嬉しく無さそうなその返答を聞いて心の中でため息を吐く。
船が難破してから一ヶ月。今いるメンバーでなんとか船を直し始めてから、それなりの時が経った。幸いにも船の損傷は大したことはなく、船大工の経験がある奴が一人いたお陰で修理も進み、問題なく航海に戻れそうだった。
船の修理に、衣食住の日々の暮らしと日常の警備。船が難破した時にはどうなることかと思ったが、独立した複数の住居と食料のサポートをしてくれるアーシェ嬢がいたことは、本当に幸運だった。店すらほぼ無いこの離島でなんとか資材や食料を調達し、島民と適切な距離感を持って交流と物々交換ができているのは、全てアーシェ嬢と出会えたお陰だった。
まさか、アンナちゃんがトルメアの筆頭聖女アーシェ嬢だとは思わなかったけれど。あの嵐の中船が助かり、S級魔術師のいる奇襲から限られた警備体制で傷の一つもなく逃れられたのは、間違いなくアーシェ嬢がいたからだ。だから、皆本当にアーシェ嬢には感謝している。命を狙われていると聞いて、皆が忙しい中文句の一つも言わずアーシェ嬢を警備したのも、皆が本当に感謝し、アーシェ嬢を信頼しているからだった。
だから、アーシェちゃんを大切に思う気持ちはみんな一緒だ。
でも、と頬杖をついて真っ暗な窓の外を眺める男の背中を見つめる。
――この男の心の中は、俺達の胸の中にある気持ちとは、全く違うものが渦巻いているのだろう。
「…………どうすんのお前」
「……何が」
「……アーシェちゃんのこと」
しばし、無言の時が過ぎる。俺は穏やかな離島の夜の中、この生きづらそうな男の返事を静かに待った。
生まれた時から近くにいたこの男は、少ししてからポツリと俺の問いに答えた。
「……別にどうもしない」
「…………いいの?」
「何がだよ」
「多分、今を逃すと二度と会えないよ」
「…………分かってる」
重いため息を吐く。なんとなく、そういう返事をする事は分かっていたけれど。
何故か、それが正解だとは、どうしても思えなかった。
「お前はもうちょっと我儘になってもいいと思うぞ」
「…………そういう訳にはいかない」
「なんで?先代だって、非公式の恋人ぐらいいただろ」
思わずそう言うと、やんごとなき幼馴染は、俺を振り返ると綺麗な青緑の目を細めて睨みつけてきた。
「そんな無責任な事できるか」
「真面目か。そんな事言ってると、お前は永遠に想い人に近寄れないぞ」
「……仕方ないだろ」
そう言い捨てると、ムカつくほどに綺麗なブロンドの髪を揺らして再び窓の外に目を向けた。
少しの沈黙。やれやれと天然パーマの頭を掻いてもう一度口を開く。
「まぁ、お前がいいならそれでいいんだけどな。――でも、後悔するなよ」
幼馴染は、返事の代わりに少しだけ頷いたが、もう振り返らなかった。
国に帰ったら、信頼できる者を選び、離島に船を出すように。こいつがそう言ったのは、少し前のことだった。俺達はアーシェ嬢に助けられた大きな恩がある。だから、命を狙われているアーシェ嬢に人を派遣することも、アーシェ嬢が望めばこの島から連れ出すことだって何一つ文句が無い。
でも、皆が描いた未来は、本当は少し違っていた。
一緒に行こう。こいつがそう言うんじゃないかって、小さな望みを持っていた。
俺達は、いつも真面目に――でも窮屈そうに生きてきたこの男のことをずっと見てきた。周囲に気を遣い、時には先頭に立ち、そして陰謀や暗殺を掻い潜りながら、己の役割を果たしてきた。そんないつも完璧だったこの男の様子は、離島では少し違っていた。明るくはつらつとしたアーシェ嬢を引き連れて、魚を釣ったり、料理をしたり、果物をとったり。楽しそうにアーシェちゃんと話すあいつの表情は作り笑いじゃない、無邪気さが混じった笑顔で。
もっとあの二人が共にいる時が続けばいいのにと、船を直しながらそう思っていた。
離島の美しい星空を見上げる。きっと国に帰ったら、あいつはもうアーシェ嬢に会う機会は無いだろう。
「……アーシェちゃん……フェルメンデ家のアーシェ嬢なら、連れ帰ってあいつの隣に立たせても上手くやりそうだけどな。……苦労はするだろうけど」
それを決めるのは俺じゃない。
残された時間はあとわずか。
自由に生きられない幼馴染の内心を慮りながら、夜の警備に戻る。せめて、ここにいる間は穏やかな時を過ごして欲しい。そう願いながら、静かな離島の夜の中、変わらず海に佇む船の方へと向かった。