1-14 通り雨
昼下がり。この日、私はジョイさんとクリフさんに手伝ってもらって、よいしょよいしょと床板を運んでいた。
領主の屋敷の中の、一番大きな部屋。ここの床板の修理はまだ手つかずだったけど。直すなら今だと、早速手伝ってもらっている。
「なんでまた急に修理し始めたの?」
無事に運び込まれた床板を物色している私に、クリフさんが不思議そうに言った。聞かれるだろうなと思っていたから、準備していた答えを返す。
「ここね、クリフさんの部屋」
「は?」
「広い方がいいでしょ?」
張り替える床板の長さを測りながらそう答えると、クリフさんは案の定、予想通りの答えを返してきた。
「別に今までの小さい部屋でいいのに」
「そう言うだろうなと思ってたから勝手にやり始めたのよ」
「……じゃあなんで」
「だってここのほうがみんな貴方を護衛しやすいでしょう?」
ピタリと止まったクリフさんが、ちら、と探るように私の方を見た。そんなクリフさんにほんのり笑いかけてから、古い床板の状態を確認するように手を伸ばす。
「ここの両脇は修繕済みの部屋よ。それから、この部屋の周りは見通しも良くて、隠れるところもあまりないわ。元々領主の寝室だった場所だし、クリフさんみたいに護衛が必要な人が寝泊まりするにはここが一番いいはずよ」
恐らく、この部屋は護衛をすることも考えて設計されている。クリフさんが命を狙われてることを知ってから、短期間であってもここに移ったほうが良いと判断していた。
「きちんとした護衛の体制を取ることはもちろんだけど、それに適した場所にできるだけいることも護衛対象には必要なことだわ。それに合わせて人員配置も効率的にできるし、船の修理に人を充てることを考えると、この方が良いと思うの」
「……さすが筆頭聖女アーシェだね。良く分かってる」
ふぅ、と何故か疲れたようにそう答えたクリフさんは、一拍置いてから新しい床板に手を伸ばした。
「……アーシェは、何者なのか良くわからない奴らに、なんでここまでするの」
「うーん……なんで、かぁ」
確かに、そう言われてみればそうだ。あまり深く考えていなかったけど、まぁいいかと思いながら別の場所の長さを測る。
「単純に、クリフさんたちのことは守りたくなったのよ。自分が決めて助けたからっていうのもあるけど……もうそれなりに長く一緒にいるし、仲間意識も芽生えちゃって」
床板の長さを測り終えて、よっこらしょと立ち上がる。それから、クリフさんの方に顔を向けた。
「だから、仲間だと思ってるみんなが傷つくのは嫌なの。クリフさんが私が傷つくのが嫌で魔力結晶をくれたみたいに、私だってクリフさんやみんなが傷ついたら嫌だもの。クリフさんだって、同じように命を狙われてるんだから。護衛してくれるみんなもいるけど……護衛するみんなにも傷付いて欲しくないし」
それから、ちょっとかっこ悪いなぁと思いながら、一応明るく見えるようにニコっと笑って答えた。
「少なくとも、みんなが帰った後は、めちゃくちゃさみしいだろうなぁぐらいにはみんなのこと思ってるよ?」
「――――…………」
クリフさんは何故か何も答えなかった。静かな空気に耐えきれず、重い鉄の工具で、べり、と古い床板を剥がした。
手には古い床板を触った時にできた小さな傷がいくつかできていた。力を入れて棒を握ると、じわ、と血が滲む。よく見るとあちこち手が荒れていた。
もはや貴族の令嬢には見えない、日に焼けた肌と手荒れ。それをクリフさんに見られるのが少し恥ずかしいなと思いつつ、もはや気にする立場では無かったなと、そのまま床板を剥がしていく。
「すぐ終わるから。何度もやってる作業だし――」
「少しそこどいて」
急にクリフさんが動いて、私を古い床板の場所から離れさせた。不思議に思って様子を見ていると、クリフさんはそこから少し離れた位置から、床板の方にスッと手を伸ばした。
クリフさんの手の周りに、一気に魔法陣が現れた。床下からぶわりと強い風が吹き、床板がバリンバリンと外れていく。
「このほうが早いだろ。釘が残った所外すから、道具貸して」
「ありがとう……」
「……俺の部屋だから」
手際よく釘を外したクリフさんは、そのまま床板の束の前まで行って、私の方を振り返った。
「この板を切るの?」
「うん、床の傷んだ部分の大きさに合わせて印がつけてあるから、」
「これでいい?」
スパン!と風の刃が木材を一気に切り刻んだ。
無詠唱の高度な魔法。明らかに一般人とは違うその姿に、驚いて声が出ない。
今まで一度もそんな姿を見せなかったのに。
急に、どうして。
驚いて動きを止めた私をよそに、クリフさんは手際よく床板を直していく。
明るかった空には、いつの間にか雲が満ちていた。気がついた時には、パラパラと雨が地面を打っていた。それは程なくして、一気に強い雨に変わる。
離島特有の激しい通り雨。クリフさんのおかげで張り替え作業はあっと言う間に終わってしまった。土砂降りの中行く宛もなく、私達は張り替えた床板の上に二人並んで座って、ただ雨が地を打つ音をぼんやりと聞いた。
屋根付きのテラス側に大きく開け放たれた扉の向こうには、土砂降りに濡れる緑の庭が見えた。雨に濡れた庭からは緑と土の香りが立ち上り、ざぁざぁ石畳を打つ雨の音が、何も無い部屋の中に響く。
「……島の時間は、本当にゆっくりだね」
しばらくしてから、クリフさんは外を見たまま、ポツリとそういった。
「そうだね……」
そう答えて、クリフさんと二人並んだまま、再び無言で雨を眺める。
私達は違う事を考えていそうだったけど。
――船が嵐にあってから、ちょうど一ヶ月。船の修理の終わりが見えてきた今、私たちの間には、なんとなくこの暮らしの終わりが見えてきていた。
この奇妙な共同生活も、きっとあと少しだろう。
祭りの夜に襲われて、私が追放された聖女だと告げた時には、この暮らしももうお終いかと思ったけれど。結局変わらずこの生活を続けているのは、きっと私達がどちらも、この暮らしを気に入っているからだろう。
もしかしたら、私がこの部屋を直したのは、もうすこしこの日々が続けばいいと、そう願っているからかもしれない。
土砂降りの雨が庭の緑の葉を濡らし、石畳の上を雨水が小さな川を作って流れていく。カエルが一匹草むらから飛び出して、水たまりの中をぱちゃぱちゃと泳いでいった。
雨音が響くがらんとした部屋の中は、そこだけが外界から切り離された空間のようで。
――このまま、ずっと一緒だったらいいのに。
ふと、胸にそんな気持ちが浮かんでしまって。そんな事を考えたらいけないと、心の中で必死で首を振った。
私達は、あの嵐の夜が無ければ、本当は出会わないはずだった。
クリフさんが、どこの誰なのかはわからない。そしてきっと、知ることもないのだろう。
船が直れば、この穏やかな暮らしは終わる。いや、終わらせなければいけない。
――陰謀に巻き込まれ、国を追われた元聖女が共にいて良いことなど、何一つ無いのだから。
「――アーシェはこの島でこれからどうするの?」
急に問われたその言葉に、はっと現実に引き戻される。問いかけたクリフさんにそっと視線だけ向けると、クリフさんはテラスの向こうの砂降りを静かに見たままだった。
「どうって……」
「君は本当はここにいるべき人間じゃない」
クリフさんの声は、落ち着いているのに、何故かとても重く響いて。そっとこちらに向いた視線は、静かな強さを孕んでいた。
「……ここから出たい?」
その言葉に、私は息を呑んだ。それから、答えようとして――開きかけた口を、もう一度閉じた。
島を出て、どこへ行けるというのか。私は国に追われている身。自由に自国を歩けない上に、腕に刻まれた呪印のせいで、国外にも出られないのだから。
ひやりと吹く風からかばうように、呪印が刻まれた腕をさする。外からは見えないように、私はずっと肘まである服を着ていた。だから、時々その影響力を忘れかけていたけれど。
今になって、宰相が私に呪印を刻んだ理由が、痛いほど分かった気がした。
そんな私を、クリフさんは少しだけ静かに見守っていた。それから、ふっと空気を和らげて外に視線を向けると、爽やかに言った。
「なんてね。答えなくていいよ」
通り雨が止んで、濡れた庭に光が差して。瑞々しい緑の上に、光の粒が輝いて。
クリフさんは、それ以上何も言わずに立ち上がった。
庭に出て眩しそうに雨上がりの空を見上げたクリフさんは、少しだけ立ち止まった後、そのままどこかへ行ってしまった。
読んでいただいてありがとうございました!
遂に終わりが見えてきた……?
「続けてくれぇぇ!」と思ったスローライフ大好きな読者様も、
「一緒につれてってよ!」と前のめりなあなた様も、
引き続き見守ってくださると嬉しいです……!
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どれもとてもうれしいです!
ぜひまた遊びに来てください!