1-13 お昼ごはん
「お昼ご飯でーす」
護衛が外されて自由の身になってから数日。何だかんだ、以前と変わりのない穏やかな日々が戻ってきた。
一時遅れがてていた船の修理も、皆の調子が戻ってきたお陰か、順調にペースを取り戻してきたようだ。カンカントントンと響く木槌の音が心地良い。
そんな、穏やかな昼の砂浜。私は得意のお米とおかずの葉づつみを籠いっぱいに持って、頑張っている船のみんなに配っていた。
あらかた配り終えてから、砂浜でひときわ大きい機械をいじっていたジョイさんに近づく。
私の護衛の任務を解かれたジョイさんはクリフさんについていることも多いけど、力仕事になるとそちらへ駆り出されていることが多かった。ジョイさんはひん曲がってしまった鉄の板のようなものを器用に外して伸ばして真っ直ぐに直していた。その作業をのぞき込みながらジョイさんに話しかける。
「ジョイさん食べないの?」
「自分は後で食べます。機械油が手に付いているので」
「手を洗って食べたら?もうお昼時過ぎちゃうよ」
「……この汚れは洗うのが大変で、何度もやると手がボロボロになるので」
「そっか……それまだ結構かかるの?」
「……そうですね」
「じゃあジョイさんの分はあっちに、」
そう言ったところで、ジョイさんのお腹がグゥ~と鳴った。ジョイさんは目を丸くしてから、ゆでダコのように真っ赤になってしまった。
その様子があまりにも面白くて、思わず吹き出す。
「ジョイさん、めちゃくちゃお腹空いてるんじゃない!」
「っ、すみません、いい匂いがしたもので……」
「確かにそれはあるよね」
一通り笑ったあと、そうだとひらめいて葉包みを手に取った。
「わかったわ!口にいれてあげるよ!そうしたら食べれるでしょう?」
我ながらいい案だ。固めたお米とおかずだし、人の手からでも問題なく食べれるだろう。
が、ジョイさんはギョッとしたように目を見開いてもっと真っ赤になった。
「は!?いや、自分は、」
「だってお腹空いてると力仕事できないでしょ」
「っ、いや、でも……」
「遠慮しなくていいのよ?先日はお世話になったし。ほら」
そうして葉包みを開いて、ソースが絶妙に染みた美味しそうなお米の部分をジョイさんの口元に持っていく。そしてあわあわした様子のジョイさんが、覚悟を決めたように恐る恐る口を開いて近寄った時だった。
「アンナ、この魚――…………」
クリフさんとケビンさんが、釣った魚を手にして私達の真後ろにいた。
その声がけに気がついて振り向いたのだけど。
何故かクリフさんが凍りついたように固まっている。
その後ろのケビンさんは、非常に引き攣った笑顔だった。
何?一体何なの?意味がわからず、眉をひそめて首を傾げる。
「何?どうしたの?クリフさん……」
「…………なに、してんの?」
「え?あぁ、これ?」
お米のことだろうか。変なものは食べさせていないぞと、証拠のようにその綺麗なままのお米をクリフさんへかざすように差し出した。
「ジョイさんの手が汚れてて、ご飯食べれないから食べさせてあげようと、」
「あー!!!なるほどね!そういうことね!任せて!」
突然ケビンさんが私の持っていたお米をぶんどった。そして物凄い勢いでジョイさんの大きな口の中にそれを丸ごとズボッと入れた。
「ははは、美味いだろうジョイ!おかわりは!?」
「おふぇふぁいふぃまふゅ」
「わかったわかった、ゆっくり食え。次も俺が食わしてやる」
そうして私の籠から大量のお米の葉包みをぶんどったケビンさんは、私に釣った魚を押し付けると、異常なほどの満面の笑みを浮かべた。
「んじゃあ、二人とも、魚宜しくね〜」
魚。確かにこの大きい魚の下ごしらえは大変そうだ。鱗もなかなかのもんだなと思いながら、クリフさんへ視線を移す。
クリフさんははっと息を呑んだかと思うと、何故か気まずそうに視線を外した。
「クリフさん……?」
「いや……ごめん」
「何が……?」
「ほらほらほら!二人とも!俺早く魚料理たべたい!ということでさっさと働いてー!」
ケビンさんが妙なテンションで私達にけしかけてきた。不思議に思いつつ、砂浜にみんなが作ってくれた簡易的なキッチンに足を向ける。
クリフさんは、何故か少し混乱しているようだった。
何かあったのだろうか。
「……何作ろうか」
「え?」
「魚料理。何食べたい?」
「あぁ、そうだよね!私またクリフさんのハーブソルト焼き食べたいな」
「分かった」
どさ、と大きな魚をまな板の上に置いたクリフさんは、無心で鱗を取り始めた。何だろう。微妙に機嫌が悪い気がする。
とりあえず私も動こうかなと魚をもちあげてから、もう片方の手にあるお米の葉包みが入った籠に気がついた。
「ちょっとまってね、お昼ご飯全部配っちゃうから」
そう言って自分たちの分を残して、余ったご飯を皆に配った。食欲旺盛なみんなは笑顔でそれを受け取っていく。が、途中から何故かみんながよそよそしくなってきた。
何なんだ。疑問に思いつつ、ふと視線を感じで振り返る。
ふい、とクリフさんが顔を背ける素振りをした。どうやらこっちを見ていたらしい。
……何なんだろう。良く分からず籠の中に目を落とし……そして、気がついた。
ですよね。当たり前じゃない。クリフさんだってお腹空いたのよ。先に皆におかわり配って、クリフさんはまだご飯にありつけていないなんて可愛そうだった。申し訳なかったなと思いながら、急いでクリフさんの所に戻る。
クリフさんは、変わらず無心で鱗を取っていた。
「おまたせ!ごめんね、クリフさんもお腹すいたよね」
「……うん」
「…………どうしたの?そんなにお腹空いてた?」
「……大丈夫」
「そう?」
もしかして、お腹が空きすぎて元気が出ないのかもしれない。が、クリフさんのようなしっかりした人が「お腹空いたあぁぁぁ!」なんて騒ぐわけもない。きっと静かに待っていてくれたんだろうなと、お米を差し出そうとして気がついた。
クリフさんの手は、魚の鱗や血で汚れていた。
「ごめん、それじゃクリフさんも食べれないよね」
「え?」
「クリフさんには私が食べさせてあげるよ」
そう言って、はい、と口元に葉を剝いたお米を差し出した。煮付けたお魚がちょうど乗ったところだ。とても美味しそうだなと思いながらクリフさんの口元へ持っていったが……
クリフさんは、何故か目を点にして固まってしまった。
「……?どうしたの?」
「っ、いや、」
「これ嫌だった?」
「そ、んなことない、けど」
「じゃあなんで食べないの……?」
意味がわからず率直にそう聞くと、お米を見つめていたクリフさんは、ちら、と私の顔を見た。
揺れる翡翠のような目と、視線がぶつかって。それから、もう一度お米に視線を戻したクリフさんは、ほんの少し迷うような素振りを見せてから、ぐっと私の方に顔を寄せて。そして、私の手から、パクリとお米を食べた。
思ったよりも、クリフさんの顔が間近に迫って。
私の手に触れそうなほどに近づいた唇が、ほぐれたお米を攫っていく。
「……美味しい」
「っ、そう、良かった」
もぐもぐとお米と煮付けたお魚を食べたクリフさんは、お米を持って固まったままの私の手から、もう一度パクリと食べた。
それから、ごく、と飲み込んで。顔を上げたクリフさんは、私の方にもう一度明るい海のようなエメラルドグリーン色の目を向けると、ふ、と笑った。
「……アーシェの煮魚、旨いよな」
「っ、そう!?そ、それは良かったわ!」
「…………終わり?」
「え!?」
「もう一個欲しい」
「あ、はいっ」
慌ててもう一個取り出して、葉っぱを剝いてクリフさんの口元に差し出す。甘辛い、香ばしい香りが広がって。クリフさんは、今度は躊躇なく、私の手からパクリと食べた。
これは、一体何なんだろうか。ただ、食べさせているだけなのに。むずむずとする何かが身体中を駆け巡って、顔が熱い。
クリフさんの綺麗なブロンドの髪が、潮風を受けて目の前でさらさらと揺れる。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「っ、ほ、ほんと!?それは、よかったわ!」
赤くなったのを誤魔化すように力強くそう言うと、ぺろ、と唇を舐めたクリフさんは、悪戯っぽい笑顔でにやりと笑って首を傾げた。
「次は俺が食べさせてやろうか」
「はっ!?っ、いや!いいから!」
「なんで?」
「なんでもよ!!!」
大慌てで残った葉包みを剝いて口に頬張る。
可笑しそうに笑ったクリフさんは、今度はご機嫌そうに魚の下ごしらえを再開した。
本当に、一体なんなんだ。
私は熱い顔を潮風で冷やしながら、一生懸命お米を食べた。
それなのに、潮風はぬるくて、顔の熱は全然引かなくて。
美味しいはずの魚の煮付けの味は、何故か全く味が分からなかった。
――――――――
「……機嫌、治ったようですね」
「…………俺達、何見せられてたんだろう」
木槌を持った男たちは、気づかれないように遠巻きに二人の様子を伺っていた。
さっきまでチクチクと刺さっていた冷たい視線はどこかに消えて、あたりは生暖かい空気に包まれている。
「……とりあえず、明日からは要注意ですね」
「そうだな」
男たちは顔を見合わせる。髭の生えた年長の男は、厳しくも真面目な顔で皆に宣言した。
「いいかみんな。今後、アーシェ嬢からの『あーん』は禁止だ」
「御意」
そして、従順な男たちは、生ぬるい空気を振り切るように、きっちりと気を引き締めて、木槌をまた振り上げた。