1-10 祭り
「じゃあ流すぞぉ〜!」
「おうよ!」
夕暮れの小さな港には、沢山の島民が集まっていた。簡易的ないかだには、飾り付けられた大きな松明。火がつけられると、それはあっという間にパチパチと燃え上がった。穏やかな海面に炎の光の筋が幾つも浮かび上がる。
今日は島の祭りの日。村では美味しそうな料理の匂いがあちこちに立ち上り、飾られた提灯がゆらゆらと揺れていた。
「ハァッ!!」
「うわぁー!!凄い!!!」
「なんて腕だ!」
向こう側で歓声が巻き起こった。ジョイさんが積み重なった古い煉瓦を素手で粉々に粉砕している。島の子どもから大人たちまでが楽しそうに歓声を上げた。私はクリフさんと一緒に振る舞われたお酒を飲みながら、少し離れたところでその様子を眺めていた。
「ジョイさん大人気ね」
「あいつは口下手だけど、こういう時強いんだよな。分かりやすいだろ?これ壊してみてとか、りんご握りつぶしてとか、お願いしやすいから」
「確かに」
案の定、ジョイさんは子供にフルーツを手渡されている。もう片方にはコップを持たされているから、生搾りジュースでも作らされているのだろう。
「ケビンさんも凄いね」
「逆にあいつは人懐っこいからな」
ケビンさんは村の男たちと腕相撲をしていた。勝ったらお酒をもらえるらしいのだけど、残念ながら、農作業と漁で鍛えられた村の男はとても強かった。意気揚々と挑戦したケビンさんは、今のところ全敗で、一滴もお酒を飲めていない。
「だぁぁぁ、ダメだ!全然勝てない!」
「一勝ぐらいしろよケビン」
「くっそー!」
そんなケビンさんの背後では、煉瓦割りとジュース絞りを終えたジョイさんが腕相撲に参戦していた。両腕どころか大人数人でジョイさんを倒そうと団子になったが全くジョイさんは動かなかった。
「おいクリフ!お前高みの見物してんじゃねぇ!お前もジョイに挑め!」
「いや無理だろ」
「じゃあ俺と!」
「瞬殺だけどいい?」
「言ったな!」
クリフさんが笑いながら輪の中に入っていく。ケビンさんは気合を入れてクリフさんに挑んでいたけれど。残念ながら、あっと言う間に負けてしまった。
「楽しかったねぇ」
とっぷり日が暮れて、ほろ酔いのご機嫌な足取りで領主の屋敷へと帰る。手には戦利品の山盛りのフルーツやお菓子。私のじゃなくて、クリフさんにもらったものだけど。
「クリフさん、強かったね」
「アンナちゃん、掘り返さないでよぉ!」
ケビンさんが悔しそうに戦利品の無い両腕をブンブン振り回した。その横でクリフさんがわざとらしく顔をしかめて腕をさすった。
「本気でやったから腕が痛い」
「最低!嘘つき!」
「嘘じゃない。お前にじゃなくて子供たちに本気出したから」
「んぐぅ〜〜〜!」
「あはは、子供たち全員で挑んできたもんね」
盛り上がった腕相撲大会は、最終的には子供たちのハチャメチャな何かの戦いになった。思ったより腕の力が強かったクリフさんは村の男を5人抜きしたのだけど、テンションの上がった子どもたちがクリフさんの腕や体の上に何人も乗っかり始めて、さすがのクリフさんも必死そうだった。
「あいつら背中にも乗ってきてたぞ」
「そりゃあ負けちゃうよね」
「あれ負けになるの?」
もはや腕相撲とは呼ばないかもしれないけど。最終的にぺしゃんこんになって降参!と叫ぶクリフさんの上で、勝ったぁぁぁ!と飛び跳ねる子供たちは、とても可愛かった。
「俺もジョイみたいに腕立て伏せとかやるかなぁ」
ケビンさんがしょぼくれている。その横で、結局誰にも負けず子供たちを全員持ち上げたジョイさんが、真顔で頷いた。
「ぜひやるといい」
「えっ」
「筋肉は裏切らない」
よりげっそりしたケビンさんの顔が可笑しくて。私達は笑い声を上げながら夜の道を歩いた。
そんな、騒がしい祭りの後。真っ暗な海には祭りの松明の明かりがチラチラと揺れている。
「あの火で穢れや欲を祓うんだってね」
両手にいっぱいのお米を抱えたクリフさんが、木の間から見えた海を眺めてそう呟いた。私も隣でそれを見ながら、ドムさんに聞いた話を繰り返す。
「そう、みんなでつけた飾りごと燃やして、悪いものと一緒に海に流すんだって」
「俺のダメなもの、全部流れたかな」
「もちろん!クリフさんのダメなところも、私の弱さも全部流れてったわよ!」
「アンナに弱いところなんてあった?」
「……魚釣りの能力とか?」
「それ流れてったら一匹も釣れなくなるだろ」
「確かに」
ケラケラと笑うと、クリフさんも釣られたように笑い出した。
「アンナは笑い上戸なのかな」
「酔ってないわよ?いつもよりご機嫌なだけで」
「それを酔ってるって言うんだ」
「クリフさんはお酒強いのね」
「まぁね」
空は満天の星空。広い水田は真っ暗だけど、明るい月に照らされてぼんやりと柔らかな小麦色が揺れて見える。少し前の方では、木箱を二つ担いだジョイさんに、ケビンさんが食って掛かっていいようにあしらわれていた。
「ジョイさんとケビンさん、また戯れてる」
「ケビン、全身でジョイに挑んだけど、指一本動かせてなかったな」
「どんな鍛え方したらジョイさんみたいになるのかしら」
「あいつは常に筋肉のことしか考えてないから」
「子供たち大喜びだったね。あんなに腕にぶら下がってるの初めて身たよ」
「まだいけるんじゃないか?」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶ島の子供たちは満面の笑みだった。ドムさんも嬉しそうで、タリアさんはニコニコしながら山盛りの料理を皆に振る舞っていた。
王都では、こんな風に祭りに参加することはなかった。私の仕事は祭りに参加する王族の護衛。普段と違う人の動きに、終始気を張ってたっけ。
「楽しかったなぁ」
「ほんとだね」
「子供たちは大きくなるけど、来年のお祭りはジョイさんの腕に何人ぶら下がれるかな――……」
そう言ってから、はっと口を紡ぐ。
私は、何を言っるんだろう。
来年、みんなはこの島にはいないのに。
「っ、じゃなかった。ごめんね。ジョイさんの分まで、私の腕にぶら下げるわ!」
「……腕折るなよ?」
「失礼ね。二人ぐらいいけるわよ」
「ほんとかよ」
クリフさんは、私の横でふっと笑った。なんとなく、その顔を見れなかった。
クリフさんの言う通り、飲みすぎただろうか。続く言葉がどうしても口から出てこない。
一時の仮住まい。もちろんそんな事は分かっている。
ただ、とても居心地が良くて。孤独な島暮らしが、賑やかになって。
――寂しい。
無意識に見て見ぬふりをしてきたそれが、夜風に誘われるように浮かびあがる。
感傷的になる心をかなぐり捨てるように空を見上げた。自分の心の中を、直視したらいけない気がした。
「――アンナなら、大丈夫だよ」
「……え?」
「きっと上手くやれる」
思わず立ち止まった私の方を見て、クリフさんは優しくその目を細めた。
「この島の人達、みんないい人だから」
ざぁ、と風が吹いて、クリフさんの流れるような髪の毛が、水田の穂と共にさらさらと揺れる。
励ましてくれるその言葉は、とても優しかったけれど。
癒やされるどころか、余計に胸の中の寂しさが際立つようだった。
「おーい!何してんの?戦利品が重いなら持つぞー!」
ケビンさんが少し向こうでブンブンと手を振っている。感傷的な気持ちが少し薄れて、ほっとそちらへ足を向けた。
その時だった。
ざわり、と空気が揺れた。はっとして足を止める。
――――術を放つ前の空気のゆらぎ。僅かな殺気が肌に刺さる。
「――っ、伏せて!」
反射的に両手を広げ、光魔法を展開する。眩しい光が頭上を覆い、降ってきた大量の岩をせき止めた。それと同時に術者の方へ向かって拘束の光の綱を放った。五、いや、十人はいる。木の陰に隠れた者も一気に拘束し、残りの気配を探った。
動きが途絶えたのを確認し、水田とは逆の林の中に岩を逃す。一瞬で、辺りには静けさが訪れた。私の近くで倒れていた男が、血走った目で私を睨みつけた。
「なぜこんな所に貴様のような――っぐ、」
何かを話しかけた男の口を布のように編んだ光の束で塞ぐ。
――そうだった。なにを寂しがっていたのだろう。
私は、国を追われた聖女。そして、命を狙われている身だった。
それを忘れ、無関係な人たちを巻き込んでしまった。その事実がじわじわと黒く胸に広がる。
みんなのことを危険に晒してしまった。私が命を狙われているのだから、共にいれば同じように危険が伴うのは当然なのに。なぜ、もっと距離を取れなかったのだろうか。
離島の穏やかな暮らしに完全に気持ちが緩んでいた。とんだ失態に、何から話していいかも分からず、みんなの方を振り返る事が出来ない。
「――アンナ、それじゃ息できないよ。外してあげて」
クリフさんの声に、はっとして男の顔を覆っていた光魔法を解除する。それと同時に、船の乗組員さん達が何処からともなく現れ、光魔法で拘束していた男たちを縛り上げ猿ぐつわをしていった。全員処理が終わったのを見計らって光魔法を解除する。
「――――ごめんなさい」
クリフさんに、情けない声でそう告げる。
「危険な目に合わせて、ごめんなさい」
振り返って頭を下げる。これで許されるようなことでは無いけれど。皆の命を危険に晒してしまったことを、謝る以外になかった。
もう、潮時だろう。私は、覚悟を決めて顔を上げた。
「――私は、トルメアの元聖女。追放されて、この離島に逃げてきたの」
腕をまくり、上腕に刻まれた呪印を見せる。クリフさんがはっと息を呑んだのが分かった。
罪人の印。その薄汚れた黒い印は、受け入れがたいものだった。それでも、自分を戒めるように、それを人の目に晒す。
「覇権争いに巻き込まれて、呪印を刻まれたの。見事に嵌められて、裁判もできなかったわ。それで、追放された先で殺されそうになって……身分を隠してここで暮らしていたの。名前も、本当はアンナじゃくて、アーシェよ」
不完全な罪人の印。裁判ができなかったせいで、あちこち呪印が欠けている。でも、そんなのは普通の人にはわからない。みんなが私の言うことを信じてくれるかは分からなかった。
だから、顔を上げて、クリフさんを見た時。クリフさんが、厳しい表情を私の腕に向けているのが分かっても、心の中で強く、仕方がないと自分に言い聞かせた。
それなのに、ずきりと強く胸が痛む。
私は、何を期待していたんだろう。
私には、今はもう何も無い。そんなの分かっていたじゃないか。
――だけど、本当は。こんな視線で、クリフさんに、見られたくなかった。
耐えきれず、呪印を隠してからもう一度俯いて先を続ける。
「……いつか見つかって命を狙われるのは分かっていたの。だから、本当は、皆を巻き込まないように距離を取るべきだったのに……皆を危険に晒してしまって、本当に、ごめんなさい」
そうして、もう一度しっかりと頭を下げた。これで許してもらえるかは分からない。もしかしたら、このまま拘束されて国へ突き出されるかもしれない。
その時は、私はみんなから逃げないといけない。身を隠し時を待つのが、今の私に課せられた役目だ。お兄様や逃がしてくれた皆の努力を水の泡にするわけにはいかない。
厳しい視線に晒され、胸が苦しい。
それでも、ちゃんと謝らないと。そうじやないと後悔する。これが、私の精一杯の誠意だった。
静かな沈黙の時が流れる。それから、じゃり、とクリフさんの足が動いた音がした。
「……アーシェ」
その私の本当の名を呼ぶクリフさんの声にぴくりと肩が揺れる。その声は静かで、穏やかだった。
「頭を上げて、アーシェ。巻き込んだのは、俺達だ」
何のことか分からず、不思議に思って顔を上げる。無表情のような、なにかを押し殺したような表情のクリフさんは、拘束した一人の男に手を伸ばすと、男が持っていたナイフを取り出した。
月明かりに、鋭利なナイフが冷たく光る。
「こいつらが狙っていたのは俺だ」
「――え?」
「この武器はこの国のものじゃない。それに、服装も。こいつらは俺の国の者だ。それから、攻撃対象はアーシェじゃなくて俺だった」
その言葉にハッとする。言われてみれば、落下してきた岩の位置は、わずかにクリフさん寄りだった。
「じゃあ……クリフさんも、命を狙われてるっていうこと……?」
青ざめながらそう声を上げると、クリフさんは静かに私を見つめた。
「……大丈夫、ずっと影に護衛がいたから。本当は今の攻撃も防げたはずだ――アーシェのほうがずっと早かったけどね」
その言葉を聞いて、ちょうどクリフさんの後ろで捕まえた男を引きずっていた護衛さんが苦笑いをした。
――そうか、ずっと統率の取れた動きをしているなと思ったら。きっとこの人たちは船乗りと言うより、本来はクリフさんの護衛なんだろう。
「俺達の事情に巻き込んでしまってすまなかった。助けてくれてありがとう、アーシェ。誰も怪我をしなかったのは、君のおかげだよ」
ほんのり困ったように笑ったクリフさんの表情に急に緊張の糸が解れて、は、と息を吐き出す。途端に、一気に足の力が抜けた。どさっと地面に膝をつく。
「っ、アーシェ!?」
慌てて私に手を差し出すクリフさんを申し訳ない気持ちで見上げる。
「ごめんなさい、力が抜けて……」
「怖かった?」
「ううん……なんだろう。緊張してたのかな。……怪我させちゃ駄目だって思ったし……みんなに、拒絶されるかもって、思ったから」
ヘロヘロになりながら、情けない顔で笑った。
「――でも、みんなが無事で良かった」
「――――…………」
クリフさんは、暫し言葉を失ったように私を見下ろした。不思議に思って首を傾げる。
「……クリフさん?」
「…………ほんと、君はさ」
「え?」
「……大人しくしててね」
そう言うと、クリフさんは突然私を抱き上げた。
「っ!?クリフさん!?」
「いいから。これぐらいさせて」
想像以上に男らしい腕の感触に一気に真っ赤になる。おまけにクリフさんの顔が近い。慌ててぎゅっと目を閉じながら必死でクリフさんに言う。
「いやでも、魔力切れでもないし、」
「あんな巨大な光の壁作ったのに?」
「え、あぁ……うん」
「規格外だね」
そう言ってクリフさんは暴れる私をしっかりと抱き直した。半ば諦めながらポツリと言葉を返す。
「……みんなが傷付くよりは良いかなって」
「もうちょい自分の事考えなよ」
「考えてるわよ!」
「どこが」
呆れたようにクリフさんは言った。微妙にムッとして今度はキッと間近のクリフさんに視線を向けた。
「誰よりも早く防御したわ!」
「……部屋には鍵かけないのに不思議だね」
「そ、それとこれとは別よ!」
「とにかくこれは今回の詫びってことで」
「そんなのお互い様じゃない!」
「じゃあいいだろ」
クリフさんはそう言うと、間近で私を見下ろしてニヤリと笑った。
間近でキラリと光りを跳ね返した翡翠の瞳が、優しく細められて私を見ている。
思わずドキリとして、私は悲鳴のような声を上げた。
「恥ずかしい!下ろして!」
「ちょっと暴れないで」
クリフさんは、何を言っても私を下ろしてくれなくて。結局私は最後まで抱き上げられたまま、小屋まで運ばれてしまった。
クリフさん、アーシェを抱っこしちゃいました。
「きゃぁぁぁ!」と盛大にニヤついてくださったあなたも、
「アーシェ強ぇ」と筆頭聖女をライバル視してくださった方も、
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