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白い部屋に住んでいるのは

作者: 陽菜
掲載日:2026/03/25

 ここは、とある研究所。

 ベッドで点滴を打たれ眠っている男女が三人いた。

「フフフ……これで私の研究が完成する……」

 それを見ていた初老の男性が不気味に笑っていた。

 彼は電脳世界について研究していた。その中で違法な研究にも手を出していたのだ。

「しかし、まさかこんな結果になるとはな……これは次の研究に持ち込んでみるか」

 笑いながら、初老の男性は画面に映る動画を見ていた。

 そこに映っているのは白い部屋で座っている若い男性だった。



 キョロキョロと、周囲を見る。どこも白い壁で、何もない。

「……僕は……イア……」

 男性は呟く。そうだ、自分は「イア」。

 ここは何?と思っていたが、そんなことは頭の隅に追いやっておなかすいたとマイペースに考える。

(ハンバーグ、食べたいなぁ……)

 ハンバーグを思い浮かべると、目の前に頭に出てきたとおりのものが出てきた。

「……え?」

 イアはキョトンとしていたが、食欲には勝てず恐る恐る口に入れてみた。……いたって普通のハンバーグだった。

 食事は気にしなくていいことが分かった。ふと気づくと扉があり、そこを開けるとトイレと風呂だった。

 キッチンも出せるのかな?なんて思って念じてみると本当に出てきた。

「おー……すごい……」

 それを見て、イアは目を輝かせる。

 それにしても、ここは本当にどこだろうか?ここに来るまでの記憶すらない。自分が、何者だったのかさえ。

「……まぁ、いいか」

 どんなに考えても分からない。イアはそのまま、横になった。

 天井も白い。まるで吸い込まれるような……。

「……一人だと暇だなぁ」

 そう言いながら、目を閉じた。


 目を開くと、やはり白い天井が映った。イアが起き上がると、

『よう』

 どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。その声の主をキョロキョロと探していると、

『あー、その……言いにくいんだが……』

 また声が聞こえた。どうやら自分には見えない存在らしい。

「そもそも、君誰?」

 事情を説明しようとする声を遮って尋ねると、その声は言葉に詰まった。

『……あぁ、なるほどな……』

 うーん、とその声は考え込み、

『俺はヒロ。一応、お前と共同体だ』

 そう、名乗った。

「きょうどうたい?どういう意味?」

 疑問に思ったことをそのまま聞いてみると、

『多重人格って分かるか?俺は一応、その人格の一つなんだよ』

「あー……そうなんだ?」

『お前、何も分かっていないな……』

 まぁいいけどな……とヒロはため息をつく。そして『まぁ、話し相手ぐらいにはなってやるから』とだけ言ってヒロは黙ってしまった。

 イアはとりあえず、もう一度部屋中を歩き回る。……しかし、やはり何もない。部屋の隅に座って考え込む。

 ……怖い……。

 突然、不安が襲ってくる。当たり前だろう、何もない白い部屋に閉じ込められているのだから。

 ――誰でもいいから、来てよ……。



 女性が目を開き、周囲を見る。

「……あぁ、「また」か……」

 ここが白い部屋であることを確認し、小さく呟く。そして「拳銃」と言って拳銃を出した。それを懐に入れ、考え込んだ。

「……今回はどうしようかしら……」

 壁にもたれながら、女性は天井を見る。

 女性はこの世界が何なのか知っていた。だからこそ、何もかもを覚えていた。

「……死ぬ時は痛いんだけどなぁ……」

 しかし守るためならば、自分の命など軽いものだ。その考えは、彼女の母親に似ていた。



 しばらくして、イアがうずくまっていると不意に顔をあげる。

「イア君、僕がいるから大丈夫だよ!」

 イア……いや、ヒロとはまた違う人格の子が出てきた。

 彼はサリー。イアのことが大好きで常に彼のことを考えている精神年齢は十歳の男の子だ。ヒロとは違い、イアは彼のことを把握していないようだ。……いや、出来ていないと言った方が正しいか。

 コツ、コツ、と足音が聞こえ、サリーは足音の方を見る。そこには白衣を着た茶髪の女性が近付いてきていた。

「こんにちは……って、坊やか」

 その女性が挨拶し、顔を見て微笑んだ。

「坊や?」

「イア君じゃないでしょ?君」

 言い当てられ、サリーはビクッと震える。それを見て女性はフフッと微笑んだ。

「別に、取って食おうとは思っていないよ。私は君の味方だ」

「し、信じられないよ!イア君は絶対守るから!」

 サリーが立ち上がり、拳を握り締める。そして走って彼女を殴ろうとするが、その前に腕を掴まれ止められてしまった。

「はいはい、イア君が大好きなのは分かったからお姉さんの話を聞こうね」

「うー……」

 サリーが涙を浮かべると優しくその頭を撫でる。

「分かったよぉ……」

「ありがとう。……まずは私の名前からだね。私はエミリー、よろしくね」

「お姉さん、悪い人じゃない?」

 サリーがウルウルさせながらエミリーを見上げると、エミリーは「うん、少なくとも君達に危害を加えることは絶対にしないよ」と頷いた。

「さて……この部屋、どうしようかなぁ……」

 キョロキョロと見ながら、エミリーが呟く。

「ねぇねぇ、服を収容するところが欲しい!」

 サリーの言葉に「あぁ、そうだね。それじゃあ……」と言うと同時にクローゼットが出てきた。

「この服でいい?坊や」

「うん!ありがとう、お姉さん!」

 中身を見せながら尋ねるエミリーにサリーはすっかり心を開いたようだ。

「イア君は……これでいいかな?どう思う?坊や」

「うん、これが似合うと思うよ!ほかには何が出せるの?」

「いろんなものを出せるよ」

 言いながらエミリーは他の服を準備している。

「それは誰の?イア君はそんな服、似合わないし……」

「んー?誰かさんのためだよ」

 フフッとウィンクするエミリーに、サリーはキョトンとした。


「……あれ?」

 イアが気付くと、クローゼットが置かれていた。なんでだろうと思っていると、

「こんにちは、イア君」

 声が聞こえ、ビクッとイアは震える。

 いつの間にかあった椅子にエミリーが座っていたのだ。

「き、君は……?」

「私はエミリー。君の味方だよ」

 クスクスと笑いながら彼女は立ち上がり、イアの前まで来た。そしてしゃがみ込み、

「体調はどう?」

「あ、その……まぁ、大丈夫、だけど……」

 ビクビクしていると、「そんな緊張しなくていいよ」と微笑んだ。

「一応、私は研究者で薬の処方も許されてるから何かあったら相談してね。変なものは絶対渡さないから安心して」

「け、研究者?」

 こんな若そうな人が?とジッと見る。実際、目の前の女性は二十代前半だろう。

 不思議に思っていることに気付いたのだろう、エミリーは笑った。

「もともと研究者の家系なんだ。私の両親も研究者だしね」

「あ、そうなんだ……」

 そうして話しながら、彼女が腕時計を見ると、

「あ、そろそろ戻らないと。電話も設置しておいたから、私にかけたいと思ったら頭で念じて。そしたら電話を通して私に繋がるから」

 それだけ言って、彼女は去ってしまう。慌ててそのあとを追いかけるが、やはり白い空間だけが広がっていた。



「……ねぇ、お母さん」

 エミリーが通信機のようなもので呼びかける。

「アップデートって出来そう?白い空間だけじゃ多分また死ぬと思う」

『……やってはみるよ。でも時間かかると思う』

「了解。私も出来る範囲のことはするね」

『うん。こっちも早めに出来るようにするよ』

 二人の会話はそこで終わる。

 エミリーが壁にもたれかかり、懐に入れていた拳銃を自分の頭に突き付けてみる。

「……はぁ」

 別に、死のうとしているわけではない。その証拠にこの拳銃には弾が入っていない。

 カチッと引き金を引くが、やはり弾丸が頭を貫くことはない。

「……撃ち抜くって考えてないからね……」

 この世界は「バグだらけ」だ。ウィルスだってたくさんある。

(……まぁ、ウィルスとは違うけどさ)

 さて、と背筋を伸ばす。まだまだやることは山積みなのだ。

(まったく……あんの意気地なしが……)

 頭に浮かんだ男に怒りを覚えながらも、エミリーはパソコンに向き合った。



 イアが絵を描いていると、ゆらりと後ろから影が出てきた。

 ハッと振り返ると、そこにはニヤニヤしている男が立っていた。

「だ、誰……」

「そうビクビクすんなよー、楽しいことしてやろうとして」

 その男が何か言おうとしたと同時に発砲音が響く。いつの間にか目の前の男は血を流して倒れていた。

「ったく……イア君に変なことをしようとしないでよね」

 そこには拳銃を持ったエミリーが立っていた。どうやらそれで撃ち抜いたようだ。

 そのままそれをしまい、彼女はその男の足を掴んでポイッと投げ捨てる。そしてイアに近付いた。

「大丈夫だった?変なことされてない?」

「う、うん……大丈夫だよ。でもあいつ、なんだったの?」

 問答無用で始末するぐらいだ、相当やばい奴なのだろう。事実、彼女は嫌そうな顔をしながら、

「あいつは害虫だよ。ウィルスって言ったら分かるかな?」

 なんてボロクソに言うほどだ。

「害虫?」

「あいつが出てきたら即始末していいからね。何も聞かなくていいから」

 シッシッと何かを払う動作をしながらイアの様子を確認する。優しく腕を握られると、彼女は顔をしかめた。

「……リストカットしちゃったね?」

 イアの腕は包帯が巻かれていた。近くにはカッターが落ちている。

「その……不安で……」

「まぁ、不安なのは分かるけどね……そうだねぇ……」

 その不安な心に付け込まれたら大変だ。エミリーは少し考えて、

「それなら、しばらく私もここにいようかな」

 そう言って、イアの隣に座った。

「え、いいの?」

「うん。話し相手ぐらいは出来るからね」

 エミリーが微笑む。イアは「ありがとう」とようやく笑顔を浮かべた。



「おい、ヒロ」

 イアの精神世界の中。サリーがヒロに声をかける。

「なんだ?坊や」

「お前、お姉さんと会おうとしないけどなんで?」

 純粋な質問だ。ヒロは顔を背けながら、

「大人にはいろいろあんだよ」

 そう答えるだけ。もちろん納得いかないサリーはさらに問い詰める。

「どんな関係なの?お姉さんもお前のこと、知ってるみたいだけど」

 サリーが詰め寄ると、ヒロはため息をこぼして、

「まぁ、知り合いだしな。あいつとは」

 詳しいことは教えようとしないが、知り合いであることだけは告げた。納得いかない答えしか返してくれないヒロにムスーとしながら、「いいもんね!お姉さん、遊んでくれるし!」と離れた。

「……どんな顔して会えって言うんだよ……」

 複雑な心情を抱えながら、ヒロは呟いた。



 それからイアは、エミリーと一緒に話すようになった。

「エミリーちゃん、本当にいいの?」

「うん、私も仕事以外なら自由にしていいって言われてるし」

「仕事?」

 イアが首を傾げると、「いろいろと依頼があってね。すぐに終わるものだから大丈夫」とエミリーは笑う。

「依頼……」

「あ、難しいものじゃないよ。ここですませられるものだし」

「そうなんだ……ねぇ、僕も何か仕事してみたい」

 彼の言葉にエミリーは目を丸くする。少し考え込んで、

「じゃあ、私の仕事手伝ってもらおうかな?」

 そう、告げた。

「え、でも研究でしょ?見ていいものなの?」

「見られたら困るものは任せないから大丈夫。確かにこの空間で話すだけって言うのもあ精神病むもんね」

 そう言いながら、彼女は目の前にパソコンを出した。こういう時、念じるだけで出てきてくれるのはありがたい。

「エミリーちゃんも、不安になることがあるの?」

「まぁね。何もない空間って本当に怖いよ」

 そう言いながら、エミリーはイアの方を見る。

 ――その瞳は、彼の心の中さえも見ているようだった。


 少しして、イアの雰囲気が変わったことに気付いた。

「あら、坊やじゃない」

「……お姉さん」

 サリーがエミリーに抱き着く。

「どうしたの?」

「ねぇ、なんでイア君は僕に気付いてくれないの?」

 そう聞かれ、エミリーは考え込む。

 「サリー」という人格は、イアがこんな異常な空間の中で自分の心を守るために生まれたものだ。しかし彼の愛情は深すぎて、やがてはイアの精神を蝕んでしまう。

「……きっと、話せないからだね。そうだ、お手紙を書いてみようよ」

 エミリーは彼にそんな提案をする。サリーはキョトンとして、

「お手紙?」

「うん。もしかしたらイア君に伝わるかもしれないよ」

 そう言いながら紙とペンを取り出す。

「僕にも書けるかな?」

「うん、書けるよ。私も坊やが納得いくまで付き合ってあげるから」

「ねぇ、坊やじゃなくてサリーだよ」

「フフッ、そうだね、サリー君」

 ギューと優しく抱きしめながら、エミリーは寂しげな瞳をした。



 しかし数日後、事件は突然起こってしまった。

 エミリーがイアのもとに行くと、手首を切って倒れているイアの姿があった。

「イア君!?大丈夫!?」

 慌てて脈を確認する。既に脈が弱く、もう助からないだろう。かなり深く切ってしまったようだ。

 一体何が原因だろうと周囲を見る。

「……あぁ、これか……」

 そして隅に落ちているぬいぐるみを見て、納得する。それを掴むと、途端に不安感と絶望感が流れ込んできた。

 そのぬいぐるみは呪物のようなものだ。エミリーですら、油断すると自殺してしまうほどに強力なもの。これのせいで何度正気を失ってしまったことか。

「チッ……」

 舌打ちをしながら、それを燃やすためにマッチを出す。そして遠くでそのぬいぐるみを燃やした後、どうするか考える。

「……はぁ、また「再起動」かなぁ……」

 せっかくイア君も安定していたのに。エミリーが指を鳴らすと、世界が元通りになっていった。

「……おい、意気地なし」

 それを見届けている間、エミリーはイアの身体を睨む。

「お前がいながらなんで……なんて言っても無駄か。サリー君が止められないのに、お前が出来るわけないもんね」

 それはイアやサリーに向けてではなく、もう一人の人物に向けてのものだった。

「お前には期待してないよ。……はぁ、そんなんだからお嫁さんに浮気されて逃げられるんでしょ?」

 冷たく言葉を紡ぐ彼女に、彼は言い返さない。

「本当に守りたいなら、すべてを捨てる覚悟を決めないとダメでしょ。私だってすぐに駆け付けることが出来るわけじゃないんだから」

 そこまで言って、世界がもとに戻る。イアが目を開いたことを確認し、エミリーは優しく微笑んだ。

「こんにちは、私のこと、分かる?」

 彼女の質問に、イアはコクッと頷いた。



 エミリーが去った後、イアが心の中でしょげているヒロに声をかける。

「どうしたの?ヒロ君」

「……別に、何でもねぇよ」

「そう?それにしてはかなり落ち込んでいるみたいだけど」

「お前が気にすることじゃねぇよ。そっとしててくれ」

 ヒロに言われ、イアは黙り込んでしまった。

 先ほど、エミリーに言われたことを思い出す。

 ――本当に守りたいなら、すべてを捨てる覚悟を決めないとダメでしょ。

「……全員がお前みたいに、命をかけることが出来るわけじゃねぇんだよ……」

 エミリーは確かに、年齢の割には大人びている。自分なんかよりずっと。それは、彼女の母親がすごい人だからだろう。

 でも、彼女の理論はすべての人にとってはただの「理想論」であり彼女や彼女の母親のように、実際に行動に移せるわけではない。

「……俺だって、死ぬの怖いんだよ……お前の方がバケモンだよ……」

 膝を抱えながら、ヒロは呟く。

 ――しかし、「期待していない」って言われてしまうとは。

 それが何よりショックだった。元妻や子供のことを言われることよりも、ずっと。

「……そう、だよな。本当に腹、くくらないといけないよな……」



 次の日、エミリーがやってくるとイアの顔に傷がついていることに気付いた。

「イア君?どうしたの、その怪我?」

 これは自分で傷つけたわけではなさそうだとすぐに気付いたエミリーは彼に尋ねる。すると彼は怯えた様子で、

「い、いつの間にか、ついていたんだ……」

 そう答えた。あぁ……とエミリーは頭を抱えてしまう。

 こんなことをするのはあの害虫か、サリーだけだ。で、覚えていないとなるとサリーだけになる。

 サリーはヤンデレだ、気付いてほしいという純粋な心からイアの身体を傷つけてしまう。

(ヤンデレは愛情が深い分、反動が大きいのよね……)

 しかし、多重人格は本人に自覚がないことも多い。事実、彼はサリーになっていた時の記憶はないのだ。だから「いつの間にか」怪我していた、ということになってしまう。

「おいで、手当てしてあげるから」

 エミリーが手招きすると、イアは震えながら彼女のもとに来た。

 彼女が状態を見ながら手当てをしていく。

(サリー君も、傷つけたいわけじゃないだろうけどね……)

 こちらからしたら、状況が分かるため「あぁ、またか」程度にしか思わない。しかし当の本人はそうではないだろう。

「本当に、なんでだろ……?僕、何かしたかな……?」

 どうやら情緒が不安定になっているようだ。これは目を離してしまうと、また自殺しかねない。

「イア君、今日は私もここに寝泊まりするね」

 エミリーは優しく微笑みながら告げる。

 夜、イアが寝たことを確認して掛け布団をかける。

「えっと……?イア君は確か若干のうつがあるんだったよね……」

 カルテを見ながら、彼女は薬を出していく。本来、医者でなければ薬の処方は許されないがここに医者などいるわけない。だからこそエミリーが既存の薬のみを処方するという条件のもと、医者の代わりになっているのだ。

「はぁ、お母さんにある程度教えてもらっててよかった……」

 そう呟きながら準備していくと、後ろから視線を感じた。振り返ると、イア……いや、雰囲気的にサリーだろうか、彼がエミリーの方を見ていた。

「サリー君、寝ないの?」

「うん……眠れなくて……」

「そっか。おいで」

 優しく微笑む彼女に、サリーは頷き近くに来る。そして隣に座ると、エミリーにもたれかかった。

「……イア君、まだ僕に気付いてくれない……」

「うん……気付かれないのは悲しいよね」

「なんで気付いてくれないの?僕、イア君のことこんなに大好きなのに……」

 彼も相当不安定になっているようだ。エミリーは彼の頭を撫でる。

 ――いっそ、人格を分離させることは出来ないのかな……?

 何度も言っているが、サリーの人格は確実に必要なものだ。しかし行き過ぎて傷つけてしまうのはいただけない。イアを追い詰めるだけだし、何よりサリーがかわいそうだ。

「……少し、研究してみようかな……?」

「え?なんか言った?」

「ううん、何でもないよ。……イア君が好きなのは分かったけど、あまり傷つけたらダメだよ。サリー君も痛いからね」

 不安そうな瞳を向ける彼に、エミリーは安心させるように微笑んだ。



 珍しく、ヒロが表に出ているとイアが『なんか魔法みたいだね』と精神世界から言ってきた。

「魔法みたいって?」

『うん。だって僕、髪の色は青じゃん?でもヒロ君は髪の色が黒になってる』

「あ、あぁ、まぁそうだな?」

『エミリーちゃんの茶髪もいいけど、黒髪もいいよね』

 エミリー、という名前にヒロは悲しげな表情を浮かべる。

『……どうしてそんな顔をするんだい?エミリーちゃんと何かあったの?』

「いや、なんでもない」

『そんなことないよ。だってエミリーちゃんの話を出すといつも悲しげな顔するじゃないか』

 イアに言われ、ヒロは目を伏せる。そして、

「……あいつとは、言ってしまえば仕事仲間みたいなもんなんだ」

『へぇ、ヒロ君も研究者なんだ?』

「あぁ、そうだ。……あいつの母親に引き抜かれてな、今は一緒の研究所で働いてる」

 意外だった、かなり気が弱そうだから普通の会社員だと思っていたのに。

「もともと、両親を亡くしてから身寄りがないんだ。そこからいろいろあってな……あいつもそうだが、あいつの母親には頭が上がらん」

『へぇ……』

 そんな関係が……とイアは目を丸くする。ヒロは時計を見て、

「お前、そろそろエミリーに処方された薬を飲む時間だろ?入れ替わるぞ」

『もうそんな時間?分かった』

 そう言って、二人は入れ替わる。

「ねぇ」

『なんだ?』

「身体が同じだったら君が飲んでもよかったんじゃないの?」

『ダメだ。エミリーに言われただろ?本人じゃないと効果がないって』

「うー……苦いから嫌なんだよぉ……」

『子供みたいなこと言うな』

 嫌々ながら、イアは薬を喉に流し込む。そしてあくびをして、

「ふぁあ……ちょっと眠いや……」

 そう言って横になった。ヒロは小さくため息をつきながら、『おやすみ』と微笑んだ。

 さて、イアの身体は疲れてしまっているのだろう。三人で一つの身体を使っているのだから当然だ。何をしようか考えていると、エミリーがやってきた。

「……あら?イア君、寝ちゃってるんだ。ちょっと報告したかったけど、あとでいいか」

 彼女は寝てしまったイアを見て、ブランケットをかける。そして、近くの椅子に座って本を読み始めた。

(……本当に、美人だよなぁ……)

 口こそ悪くなるが、根はいい子なのだ。……心が惹かれてしまうほどに。

 ふと、彼女がイアの方を見る。そして、不意に微笑んだ。まるでヒロが見ていることを知っているかのように。


 イアが目を開けると、それに気付いたエミリーが「おはよう、イア君」と声をかける。

「エミリーちゃん、来ていたんだ。起こしてくれたらよかったのに」

「ゆっくり休むことも大事だからね。あ、そうそう。ちょっと出かけない?」

 エミリーに誘われ、イアは首を傾げながら頷く。

 彼女が扉を開くと、外には自然があふれかえっていた。

「え、これ……」

「フフッ、私達、頑張ったんだよ?」

 私達、というのが気になるが、それでも久しぶりに自然を見ることが出来たことに感動していた。

「ありがとう、エミリーちゃん」

「いいよ、自然を見ると落ち着くもんね」

 イアが目を輝かせている。それを見て頑張ったかいがあったとエミリーは小さく笑った。

 しばらく二人で自然を満喫していると、「お姉さん!」と隣から声がかかった。

「あら、サリー君」

「すごいね!あ、この花って何?」

 純粋な瞳で聞いてくる彼に、イア君に対する想いもこんな感じだったらいいのになぁ、なんて思いながら教える。

「これは「サルビア」だよ」

「サルビア?」

「うん。花言葉は「家族愛」なんだ」

「家族……」

 それを聞いたサリーが寂しそうな顔をする。

「……僕、家族なんて分からないや……お姉さんの家族ってどんな感じなの?」

 確かに、サリーからしたら家族なんて分からないかもしれない。エミリーはうーん、と考えて、

「私の家族はね、みんな頭いいんだ。それに優しいんだよ」

 そう、答えた。興味を持ったのか、サリーは目を輝かせて「もっと聞いてみたい!」と身を乗り出してくる。

「そうだねぇ……お父さんもいろんなところ連れて行ってくれるし、お兄ちゃんは優しいよ。お姉ちゃんは頭いいし、弟も努力家でいろんなことを挑戦しているんだ。何よりお母さんがすごくてね、研究所の所長の他にもいろんな仕事をしているんだよ」

「所長?」

「つまり偉い人ってこと。忙しい人だけど、ずっと私達のことを気遣ってくれているんだよ」

「そうなんだね!会ってみたいなぁ」

 そう言う彼を寂しげに見つめていた。



 事件と言うのは、突然起こってしまうものだ。

 イアがいつものようにゆったり過ごしていると、外が騒がしくなった。

「な、何!?」

 慌てて見ると、そこには兵隊のような人形が何体も立っていた。どうやらイアを狙っているようだ。

 イアはエミリーに教えてもらったようにナイフを握る。身体が震えているが、それをごまかすようにナイフを構えた。

 じりじりと、人形が詰め寄ってくる。一歩、また一歩を後ろ下がっていると、突然一体の首が斬り落とされた。

「イア君に手を出す奴は、絶対に許さない!」

 そう、サリーだ。突然出てきた男の子に戸惑いながら、イアも覚悟を決めて足を踏み出した。

 人形を斬り捨てていくと、イアに拳銃が向けられていることに気付く。

「危ない、イア君!」

 サリーが前に出てイアを庇おうとすると、その人形の頭に銃弾が当たった。

「よかった、危なかったね、二人とも」

「エミリーちゃん!」

「お姉さん!」

 そう、エミリーが助けに来てくれたのだ。二人が駆け寄ると、彼女は庇うように拳銃を人形達に向ける。

「おい、意気地なし」

 不意に言われ、二人はビクッと震える。しかし彼女は二人に言っているわけではない。

「そこにいるんだろ?出て来いよ」

 彼女の言葉に、おずおずとヒロが出てくる。拳銃を持っているあたり、戦う意志はあるようだ。

「……エミリー」

「お前、無駄に頭はいいんだろ?だったら、指示だけしてろ」

「は……?」

 何を言っているのか、とヒロが彼女の方を見る。

 彼女は笑っていた。それは彼を信頼しているということだった。

「今回だけは、あんたの手駒になってやるよ。だから指示を出せ」

「……まったく、お前は相変わらずだな」

 ヒロがため息をつく。そして、

「あいつが司令塔だと思う。だから真っ先に狙え」

「了解、サリー君、一緒に戦える?」

 協力した二人は強かった。指示を出していくヒロに、その通り以上に倒していくエミリー……まるで息のあった親友のようだ。

「消えろ」

 エミリーが司令塔を手早く倒す。それと同時に、人形達の動きに変化が起こった。

「エミリー、危ない!」

 焦ったような声でヒロが声をかける。それもそのハズ、後ろから人形が襲い掛かってきたからだ。

 しかし彼女は慌てる様子もなく、懐にしまっていたナイフで斬り捨てた。そのまま、三人のもとまで戻ってくる。

「あとはどうしたらいい?」

「あとは、核のようなものがある。そこを壊すだけだ」

「分かった、多分あれだよね?」

 エミリーが指差した先にあるのは怪しい機械。ヒロは頷き、

「司令塔が消えた今、奴らはあの機械に操られているだけだ。だからあれを壊したら動かなくなるハズだ」

「了解」

 それを聞いたエミリーは拳銃を構える。かなり集中しているらしく、絶対に外さないという心意気を感じた。

 しかし、それだと隙が生まれるのも確かだ。周囲にいた人形がエミリーに向かって拳銃を向けていた。

「エミリー!」

 ヒロが叫ぶ。しかし彼女は一切視線をそらさない。

 人形が銃弾を放つ。ひるんだすきを狙おうとしているのだとすぐに気付いた。

 銃弾はエミリーの左目に向かっていた。彼女自身も、それに気付いているハズだ。――しかし、彼女は決して避けようとはしなかった。

 左目に当たると同時に、エミリーは引き金を引く。

 機械が壊れると同時に、人形達も動きを止める。

「あー、いた……」

 左目を押さえながら、エミリーは呟く。サリーとイアが慌てて彼女に駆け寄った。

「だ、大丈夫なの!?」

「うん、平気だよ」

 心配するのだが、彼女は特に気にした様子がなくそのまま包帯を巻いていた。それを見ていたヒロが「なぁ、少し聞いていいか?」と声をかける。

「何?」

「なんで俺とサリーに実体があるんだ?」

「あ!それ気になった!」

 その質問にサリーも身を乗り出す。イアだけが「え、どういうこと?」と首を傾げていた。

「そうだね……どうにか実体化できるプログラムを作り出したって言ったら分かる?」

「あぁ、なるほど……でも俺なら分かるが、サリーはイアのもう一つの人格だろ?どうやったんだよ?」

「サリー君に関しては、どうにかして作ったんだ。イア君から切り離すのは苦労したけど」

 ヒロは事情を知っているため、彼女の言っていることも理解出来る。しかしあとの二人はわけが分からず、疑問符を浮かべていた。

「えっと……つまり?」

「あぁ、イア君は知らないんだよね。ここは言ってしまえば「電脳世界」……あぁ、詳しく教えた方がいい?」

「聞いたことはあるけど……」

「電脳世界って言うのは、ネットの世界で現実のような生活を送ること……ネットの世界だからプログラムにあるものなら自由にものを出せるし、自由に世界を作れるの」

「じゃあ、この白い部屋は……」

「実験のために作られた部屋だよ。……そしてその被検体に選ばれたのはイア……いや、立垣 生愛君だった」

 名前を呼ばれ、イアは思い出した。

 ――実験と称して、怪しげな薬を無理やり飲まされたことを。

「そんな君を守るためにこいつと私も電脳世界に入ることにしたんだ。でも、あのクソ野郎が変なプログラムを仕込んでね……こいつだけイア君の人格の一つになったの」

「しばらくして、違う人格が出来るという予想外が出来た。お前の不安定な心を守るために生まれた人格がサリーなんだ。まぁ、こんな世界に急に閉じ込められたら仕方ないことではあると思うけどな」

「そう、だったんだ……その、博実さんと恵美ちゃんだよ、ね?」

 イアが確認するように尋ねると「あぁ、そうだ」とヒロが頷いた。

 この三人は親友同士だ。イアとヒロは小さい頃からの知り合いで、親同士が仲良かったからかよく一緒に遊んでいた。そんなヒロが転職したと同時に連れてきたのがエミリーだった。

「あの、二人ってどんな関係なの?」

 その質問に、ヒロは言葉を詰まらせる。

「あー……えっと……」

「もしかして仲悪い?」

「そうじゃなくて……」

「婚約者だよ」

 いつまで経っても言おうとしないヒロに呆れながら、エミリーが答える。それに今度はイアとサリーが目を丸くする番だった。

「え、こんやく、しゃ……?」

「そう。ほら、この人両親を亡くしてから身寄りがないでしょ?前の奥さんとも離婚してるし」

「あ、うん……それは知ってるけど……婚約?え?」

 イアが戸惑うのも当たり前だ。なぜならヒロは三十五歳でエミリーは二十二歳、かなり年が離れている。

「いろいろあったんだよ。……こいつが所属していた研究所は、それはそれは非人道的な実験ばかりしていてね。こいつは嫌々ながらそれに付き合わされていたの。それを見たお母さんが彼を助け出すために考えた結果だよ。婚約しますよー、婿入りしてほしいからこっちに引き抜いていいですかー?って交渉しやすかったしね」

「な、なるほど……?」

 理解したような、しないような……?

「まぁ、彼さえ助け出せたらそれでいいからね。あとは訴えて……って思っていたんだけど、イア君が誘拐されてね……ホント、姑息な手を使いやがって……」

 エミリーが再びため息をつく。しかし顔をあげて、

「でも、もう大丈夫だよ。こっちもある程度の準備が出来たからね」

「思ったより早かったんだな」

 微笑みながら告げる彼女にヒロが驚いた表情を浮かべる。

「うちの研究所を何だと思ってるの?あの「ホープライトラボ」よ?」

「……そうだったな、お前含め、天才ぞろいだもんな」

「……私は、天才なんかじゃないよ」

 ヒロの、天才という言葉にエミリーは目を伏せる。

「いや、十分天才だろ。大学生で受け持っている研究があるなんて」

「うちのきょうだいなら、それぐらい当たり前だよ。……お母さんやお姉ちゃんなんて、同じ年の頃には既に……」

 うつむいている彼女にイアは首を傾げる。

 医者じゃないのに薬を処方することが出来る時点で、相当頭がいいハズだ。それより頭のいい彼女の母と娘ってどれぐらい頭いいんだ?

「どうせお前だって、私よりお姉ちゃんの方がよかったんじゃないの?年も近いし、私より美人だし」

 エミリーがヒロを睨む。イアも、彼女のきょうだいを見たことがある。

 彼女のきょうだいは父親に似ているか母親に似ているかという違いだけで、全員かなり似ている。正直、全員が美男美女で彼女がそこまで言う理由が分からない。

「そんなわけ……」

「だってお見合いした時、まだ大学生だったもん。あの時だって、お姉ちゃん見てたじゃん。どうせ私は子供っぽいしお姉ちゃんと比べたら何も出来ないもんね」

 フンっとそっぽを向くエミリーの手首を、ヒロは掴む。

「だから!お前はなんでそんな勝手な想像するんだ!」

「事実じゃん。お姉ちゃんが結婚してなかったらよかったのにね」

「あのなぁ……」

 はぁ、とヒロがため息をつく。そして、

「俺からしたら、お前の両親に逆にお前と見合いしていいのかって何回も聞き返したんだぞ。考えてみろ、まだまだ未来のある女子大学生を、こんなおっさんに渡していいのかってな」

「フン、子供っぽいもん」

「そうじゃないって。……むしろ、うれしかったんだ。バツイチのおっさんにそこまでの価値を見出してくれるなんて、てな」

「え……」

 目を丸くする彼女にヒロは言葉を続ける。

「そりゃあ、お前の言う通り俺は意気地なしのおっさんだけどよ。俺はお前のことが」

『おーおー、未来の義母の前で堂々としているねぇ?』

 ヒロがエミリーに何か言おうとする前に、どこからか女性の声が聞こえてきた。この声は……。

「え、す、涼恵さん?」

「お母さん、見てた……?」

『うん、見てたよ。こっちは何とか片付いたから報告ついでにこっちを見たんだけど、もしかしてお邪魔だったかな?』

 クスクスと笑うその声の主――涼恵に二人は顔を真っ赤にした。

「もうおなかいっぱいだよ……」

 サリーが苦笑しながら、イアに抱き着いている。実際、これ以上あれを見ていると本当に胃もたれしてしまいそうだった。

「えっと、サリー君、だっけ?距離が近いよ……」

「だってイア君のこと、好きなんだもん!」

「そうだ、お母さん。サリー君も現実世界に連れていけそう?」

 二人の様子を見ていたエミリーが母に尋ねると、『そっちもどうにかなりそうだよ』と答えた。

『もう少しかかりそうだけど、大丈夫?ちょっと世界が変だけど……』

「うん、大丈夫。一度「再起動」するから」

『……なるほどね、分かった。……あぁ、そうだ。あの害虫は無理やり引き戻したから』

「ありがとう」

『それじゃあ、こっちの準備が終わったらまた声をかけるからね。それまで耐えて』

「うん」

 涼恵との話を終えて、エミリーは三人を見る。

「おい、再起動って……」

「分かるでしょ?誰かが死ぬことで一度この世界を作り変えるの」

 実際、イアが死んでしまった時はそうやって何度も何度も作り替えていった。だから何事もなかったかのように過ごすことが出来たのだ。

 三人が見合わせる。エミリーの考えていることが分からない。

「なぁ、でも今回は……」

「誰も死んでいなくても、世界が壊れていくんだよ。一人の人間の想像力にはどうしても限界が来るし、そもそもプログラムが持たないからね」

 ヒロが何か言おうとすると、エミリーはかぶせるように言葉を重ねた。そして彼女は自身の頭に銃口を突きつけ、

「そのたびに、私がこうして自殺して再起動していたの」

 それを聞いた三人は、頭を白くしてしまった。

「は……?でも、そんなの……」

「再起動したって分かるのは私だけなんだから、当たり前でしょ」

 一度銃口を離し、エミリーはヒロに告げる。それにヒロはうつむいた。

 確かに、この空間の管理者は「秋原 恵美」だ。だから自分が把握していないことを知っていてもおかしくはない。しかし……つまり、ずっと一人だけで何でも抱えていたということなのか?

「ヒロ……さん」

 エミリーが声をかける。

「……なんだ?」

「再起動の仕方は、一度教えたから分かるよね?」

「あぁ……一応な」

「よかった。覚えていないなんて言われなくて」

「……おい、まさか」

 そのまさかだった。

 エミリーは再び銃口を頭に向け、笑顔を浮かべる。

「任せたよ」

 そのまま、ためらいなく頭を撃ち抜いた。

 時間が止まっているように思えた。ドサッ……と音が遠くから聞こえたような気がした。

「……え、み……?」

 ヒロがへなへなと座り込み、彼女の手を握る。血だまりが広がるにつれて、彼女の手は冷たくなっていった。

「ひ、ヒロ!ど、どうしよぉ……!」

 サリーがパニックになる。突然、慕っていた人が自殺したら頭が追い付かないのは当然のことだ。

 イアが胸の前で拳をギュッと握る。そして、

「ねぇ、ヒロ君。早く再起動した方がいいよ」

 ヒロにそう、声をかけた。彼は涙を浮かべながらイアを見る。

「さい、きどう……」

「うん。僕はよく分からないけど……そうしたら、どうにかなるんでしょ?」

「……あぁ、そう、だな……」

 彼の言葉にヒロは目を伏せる。

 再起動する……言葉だけ聞けば、かなり簡単だろう。だが、世界を作り変える……思っている以上に、身体に負担がかかるハズなのだ。だから本当は軽々しく出来ない。

 ――どうしたら……。

 ヒロは考え込む。彼女の身体の負担にならないようにするためには……。

(そうだ、これなら……)

「イア、サリーを見ていてくれ。すぐに再起動してくる」

「う、うん。分かった……サリー君、ちょっとあっち行こうか」

 ヒロの言葉に頷き、イアは泣いているサリーの手を優しく握って少し離れた。

 さて、と彼は指を鳴らす。するとエミリーの傷が癒え、元通りになっていく。

(こいつみたいにうまくは出来なくても……負担は減らせるだろ)

 彼は目を閉じ、集中させる。……体力がなくなっていく感覚があるが、これぐらいならまだまだ耐えられる。

 しばらくして、体力がなくなり身体が震え始めた時、

「……何してるの?」

 下から、エミリーの声が聞こえた。ハッと目を開くと、エミリーがヒロの方を見ていた。

「……恵美」

「いつもより負担がないけど、あんたが代わってくれたの?」

「あぁ。結構きついな……」

「当たり前でしょ、年齢考えなさいよ」

 はぁ、とため息をつきながらエミリーは起き上がる。そして、

「……ありがとう、ちょっとだけ見直した」

 そっぽを向きながらお礼を言う。耳まで赤くなっている彼女を見て、ヒロは微笑んだ。


「ねぇ、大丈夫かな……?」

 サリーに聞かれ、「きっと大丈夫だよ」とイアは笑った。

 もちろん、イアとて友人がどうなるか分からないという不安がある。それでも……信じるしかない。

「……ねぇ、サリー君」

「何?イア君」

「君は、僕のどこか好きなの?」

 イアの質問に、サリーは「うーん、あのね」と考え込む。

 彼は自分のもう一つの人格だ、だから全部と言ってもおかしくない。

「もちろん、全部好きだよ?」

 やっぱり、とイアは悲しく微笑むが「でも」とサリーは続けた。

「どうしてもって言うなら……優しくて穏やかで、安心できるところが好き。瞳の色も海の色みたいで好きだし、何より心がきれいなところが大好き」

「……え?」

 それは、ヒロとエミリーがいつも言ってくれていたものだった。

 ――お前の隣にいると本当に安心するよ。

 そう言って笑うヒロの表情。

 ――深い青だね。まるで海みたいで私は好きだよ。

 ジッとイアの顔を見て、小さく微笑むエミリー。

 ――本当に純粋なんだね。悪い人に騙されそうだ。

 そして、心配そうに笑うエミリーの母親。

「そうなんだ……ありがとう、教えてくれて」

「えへへ……ちょっと恥ずかしいけどね」

 サリーが照れた様子でイアにもたれる。

 ――もう少し、自分に自信を持ってもいいのかも。

 そんなことを考えているとヒロとエミリーが二人のもとに来る。

「あ、うまくいったんだね」

「あぁ、なんとかな」

 困ったように笑うヒロはどこか疲れているようだ。……でも、無事であることの喜びの方が上回った。

「ねぇ、この後はどうしたらいいの?」

 サリーがエミリーに引っ付きながら尋ねると、「お母さんからの知らせを待つしかないかな?」と答えた。

「それまではこの世界が崩壊しないように守らないとね」

「なるほど……そういえば、一つ聞いていい?」

「何?」

 イアが疑問に思ったことをエミリーに尋ねる。

「今回はヒロ君が再起動してくれたけどさ、もし全員死んでいた時ってどうなるの?」

「確かに、それは気になるな」

「あー……その時は外部からしないといけないから、お母さんがしてくれていたよ」

 エミリーが目をそらしながらその質問に答える。……あぁ、多分これは何回も経験あるんだとすぐに察した。

「ねぇねぇ、僕はどうなるの?」

 サリーが涙を浮かべながら聞いてきた。確かに、三人とは違いサリーはイアの「人格」だ。現実に肉体があるわけではない。

 しかしエミリーは「お母さんが今、その準備をしているよ」と答えた。

「準備って……人形にでも入れる気か?」

 ヒロが首を傾げるが、彼女は「そんなわけないじゃん」と笑った。

「「認知を変える」」

「認知……?」

「サリー君には「もともと肉体があった」っていう認知にするんだよ」

 これまた突拍子のないことを言い出す。だが彼女はいたって真面目に答えた。

「そんなこと現実で出来ないって思ってるでしょ?」

「当たり前だろ。そんな、神とやらでもない限り……」

「幻想怪盗団って知ってるでしょ?」

 不意に話を振られ、イアとヒロは顔を見合わせる。

 幻想怪盗団……かつて世間を騒がせた義賊だ。しかし、それと何の関係があるのだろう?

「認知世界、という現実とは違う世界があるの。分かりやすく「異世界」としましょう。

 異世界は、言ってしまえば「人間の欲望の集合体」のような場所よ。もちろん、「神」なるものも生まれることがある」

「……それが、なんだ?」

「つまり、別人格を「生きている人」として現実に出すことも可能ってことよ」

 まぁ、ある人に頼まないといけないけどね、とエミリーは答える。

「本当はこういうこと、しないけどね……無理言ってやってくれることになったんだよ?」

「へぇ……よく分からん」

「まぁ、今後そんなことないだろうから覚えていなくていいよ」

 正直、分かる気がしない。むしろそれを理解していそうなエミリーの方がおかしいのかもしれないが。

「あ、そうだ。サリー君、私のいとこっていうことになるけどそれでいい?」

「うん!イア君やお姉さんと過ごせるならいいよ!」

 エミリーがサリーに聞くと、彼は笑顔で頷いた。

「アハハ……イア君が大好きなのは分かるけど、あんまり変なことはしないようにね……」

 苦笑しながら告げるエミリーに「はーい」と分かっているのか分からない返事が返ってきた。



 数日後、四人で一緒に過ごしていると涼恵から『準備出来たよ』と声をかけられた。

「本当?」

『うん。そっちはどう?』

「こっちも準備出来てるよ」

 それを聞いて、涼恵は『了解。それじゃあ、実行するよ』と告げた。

 少しして、世界が明るくなっていく。それに思わず目を閉じてしまった。

 気付けば、ベッドの上で寝かされていた。

「あ、イア君……じゃなくて生愛君」

 それに気付いたらしい恵美が声をかける。

「……恵美ちゃん、現実に戻ってきたんだね」

「うん、そうだよ」

「博実さんとサリー君は?」

「二人なら……」

 生愛の質問にチラッと扉の方を見ると、「おう、起きたか」と博実がサリーを連れて部屋に入ってきた。

「イア君!」

 サリーが生愛に抱き着く。本当に現実に具現化できるとは思っていなかった……。

「生愛君も起きたね」

 そこに、恵美によく似た女性――涼恵が入ってくる。そして優しく微笑んで、

「無事でよかったよ。ごめんね、もう少し早く助け出せたらよかったんだけど……」

「いえ、仕方ないですよ。むしろ任せてしまってすみません」

 博実が頭を下げると、「これぐらいなら簡単だし、いいよ」と彼女は笑う。

「とにかく組織としては解体させたよ。……まさか、「モロツゥ」の残党だったとはね」

「モロツゥ?」

 聞き慣れない組織名に首を傾げるが、詳しく聞く前に「しばらくは休んでて。私の方で住宅は押さえておくようにするから」と涼恵が退室した。

「あー……まぁ、今は言うとおりにするか」

 博実の言葉に頷き、しばらくはゆっくり過ごすことにした。


「博実さん、恵美ちゃんとうまく行ってる?」

 数日後、一緒にお茶を飲んでいた生愛が聞いてきた。お茶を吹き出しそうになるが、間一髪でとどまった。

「きゅ、急になんだよ……」

「だって、二人は婚約者なんでしょ?気になるじゃん」

 目を輝かせながら聞いてくる彼に頬を染めながら、「ま、まぁまぁだよ……」と答えた。

「仲良くなった?」

「……前よりは?」

 目をそらしつつ疑問符付きで頷いた。

 実際、前より恵美との仲は改善していっている。それこそ、気軽にデートに行くようになるぐらいには。

 その時、テレビにニュースが流れた。それは男性を誘拐した研究員が逮捕されたというものだった。

「この人は……」

「あぁ、今回の黒幕だな」

 その男は生愛を誘拐した男だった。どうやら涼恵達が通報してくれたらしい。

「本当にありがとう、助けてくれて」

「ん……それは恵美に言ってくれ」

 生愛がお礼を言うと、博実は優しく笑った。


 恵美が報告書を書いていると、コーヒーを置かれた。

「お疲れ、恵美」

「お父さん」

 入ってきたのは父親である蘭だった。彼は恵美の隣に座る。

「大変だっただろ?母さんが報告書を書き終わったら二週間ぐらい休みを取っていいって言っていたぞ」

「いいの?」

「あぁ。あんな仕事をした後だしな。父さんからもお小遣いはあげるよ」

「ヤッター!」

 父の言葉に笑顔を浮かべる恵美は子供のようで、蘭は小さく微笑んだ。

「そうだ、博実さんにも休みを取らせるみたいだからな。デートにでも行っておいで」

「本当?それじゃ、そうしようかな……」

「うん、そうしな。それと、生愛さんはうちで働くことになった」

「そうなんだね、よかった」

「そっちの方が父さん達も守れるからな……サリー君も守らないといけないし」

 困ったような、それでいて優しく微笑む蘭を見て恵美も笑い返す。きっとこの報告を真っ先にするために来たのだろう。

「ありがとう、お父さん。お母さんにも言ってて」

「了解」

「お姉さん!」

 そんな二人の間に、サリーが割り込んで来る。彼は蘭を見て目を丸くした。

「お姉さん、この人は?」

「私のお父さんだよ。かっこいいでしょ?」

「うん。……でもイア君の方がかっこいいかな」

 恵美にギューと抱き着きながら、サリーはそう言う。蘭は「本当に生愛さんが好きなんだな」と彼の頭を撫でる。

「なんか、もう一人子供が出来たみたいだ」

「そう?サリー君、私達の弟みたい?」

「僕がいたら迷惑じゃない……?」

 サリーが涙目になりながら蘭を見る。

「そんなことないぞ。子供はある程度手のかかる方がいい。母さん……涼恵も同じことを言っていた」

 父さんも母さんも、あまり手のかからない子供時代を過ごしていたからな、と蘭は懐かしそうな表情を浮かべる。

「よかった!これからよろしくね、「お父さん」!」

「はいはい、こちらこそよろしくな」

 サリーが笑うと、つられて二人も笑顔を浮かべた。



 涼恵が頭を抱えていると、「お母さん」と高校生の少年が声をかけてきた。

「陸、どうしたの?」

「なんか悩んでるみたいだからさ」

「大丈夫だよ、ただこれ、どうしようかなぁって思ってさ」

 そう言って涼恵は目の前の機械を見る。それは電脳世界に繋げるために作られた機械だった。

「非人道的な実験さえしなければ持っていていいって言われているんだけどさ……」

「あー、なるほど……まぁ困るよね……」

「一応、研究として使うけどさぁ……」

 はぁ、と涼恵はため息をつく。陸はそれを見て考え込んだ。

「ねぇ、これさ……研究したら、犯罪者を更生させることも出来るんじゃない?」

「更生?」

「うん。ほら、いろんなプログラムを組み込めるでしょ?それを使ったら出来そうじゃない?」

「なるほどね……面白そうな案だ。陸も一緒に研究する?」

「いいの?お母さんが一人で研究した方がいいと思っていたんだけど」

「一緒に研究するのもいい勉強になるでしょ?こういうのはお母さんの方が適任だし」

 そう言ってクスクス笑う母親に陸は「それなら、お願いします」と頭を下げた。

「それじゃあ、早速始めようか」

 涼恵が立ち上がると、陸もそのあとをついていった。

 しばらく歩いて、不意に彼が涼恵の袖を握った。

「……お母さん」

「ん?何?」

「……その、ある程度完成したら……」

 陸が目を伏せながら何かを聞こうとする。何を言いたいのか分かった涼恵はクスッと微笑んだ。

「……分かってるよ。早めに完成させようね」

 そう言って陸の頭を撫でる。

「……うん」

 そんな母の優しさに、彼は涙を浮かべながら頷いた。



「姉さん、電脳世界ってどんな感じだった?」

 陸に聞かれ、恵美は「まぁ、基本的には現実とあんまり変わらないね」と答えた。

「でも、何回も死んでは蘇ってが出来ちゃうから死に対する感覚がおかしくなるね。実際、今でもたまーにやっちゃいそうになるもん」

「なるほど……じゃあ、「再起動」は外側の人と電脳世界に入っている一人だけが使えるようにした方がいいって感じかな?」

「あとは、一部を残して記憶を消した方がいいかも。ずっとあそこにいると本当におかしくなるよ」

「そうなんだね。……もう少し聞いていい?」

 弟の質問に恵美は頷く。それを確認して、彼は口を開いた。

「電脳世界って、犯罪者の更生に使えると思う?」

 これは、実際に電脳世界に入ったこの姉じゃないと分からない。恵美は少し考え、

「……使いようによる、かな?悪い人だけを電脳世界に入れたら、何でも出来ちゃうから逆に悪化するだろうしね」

 そう言って恵美は足を組む。

「だから、そうだね……更生させたい人は最高二人までにするとか、ルールを決めたらいいんじゃないかな?それで成功したら少しずつ増やして……ってしていけばいいと思う」

「なるほどね。ありがとう、姉さん」

「風お兄ちゃんと叶恵お姉ちゃんにも意見を聞いてみたらいいと思うよ」

「うん、そうしてみる」

 恵美のアドバイスに陸は頷き、自分に与えられた研究室に入った。


 ――その数年後、再び電脳世界での物語が始まるとは、この時は誰も思わなかった。

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