Narrante 【相談と連絡】
Narrante ナッランテ(語るように)(伊)
「橘君、夏休みは取らなくて良いの?パートさん達に先に取られちゃうよ」
本屋のバイトに出勤すると、店長が尋ねて来た
「今のところ、構わないです」
「そうなの。いつも最優先で旅行日程出して来るのに」
店長が意外そうに言う
颯雅はエプロンを着けながら考える
どうせなら凛と一緒に旅行したいな。会えないならば、今のうちに稼いでおこう。気も紛れるし。でも気になるな。凛の性格にしても話した内容にしても、周りに相談してわかってもらえそうな人は思い当たらない。困ったな。まさかこのままフラれるなんて事はあるまいと思うけど…
悩みながら書籍の束を抱えて運ぶ
思い浮かんだ人がいる。東さんだ。凛の伯父さん。初めて見かけた時も、画廊で会った時も彼が取り持ってくれた
颯雅は本を棚に置くと、ポケットから財布を取り出し、名刺を探す
あった
いつでも連絡してくれて良いよ、凛はちょっと難しい子だからね、とちょっといたずらっぽく笑っていた東さんの顔を思い出す
翌々日、颯雅はファミレスで東を待っていた
二人共の都合が合う時間帯は夜になってしまい、颯雅は席に座ってメニューをテーブルに広げながら、暗くなり始めた窓の外を見る。この時間になっても、まだ空気は暖かい。去年はこの時期、北海道を巡っていた。何処行ったっけ?利尻とか…懐かしいな。店長ああ言ってくれたけど、今年は凛と一緒に旅行なんて…出来るか?
歩み寄って来る足音がある。スポーティーなシャツを着た、顔濃いめの男性が此方を見ている
「橘君。お待たせ。注文はまだ?」
「今晩は。一応まだ。待っていました」
「良かった、今日はお母さん達が直ぐに迎え来てくれて。今日会う事は凛に内緒の方が良いのかなと思って、凛より先に園を出たよ」
東は手を挙げると店員を呼んだ
二人の注文を済ませると東は尋ねる
「何、相談て。喧嘩した?」
「そう言う訳では無いんですが、何で機嫌が悪くなったのかわからなくって」
東はうんうんと頷き、そうだろうと言う
「あの子、心の中での妙なこだわりが強くって、何が気持ちに引っ掛かっているのか良く分からないところがあるのだよ」
で、何があったの、と東は話を促した
店員が颯雅の前にハンバーグとライスのセットを、東の前には唐揚げ定食を置く
東は颯雅の話を聴くと、箸を運ぶ手を止めて目を閉じた
「うーん、聞く限り、二人はもの凄く上手くいってると思うよ」
「え、何でですか」
東は明るい表情で言う
「あの子がそれだけ他人の前で笑ったり怒ったりするのを見た事がない。そもそも、人前ではいつも表情堅い子なんだ」
「そうなんですか。僕の前では結構笑ってますよ」
「ふふ、そうなんだね、凛は君の前では幸せなんだね」
東は颯雅の悩みを、軽く吹くように笑った
「颯雅君、凛は本当に良い子なんだ。純粋で優しい。ただ頭の回転が早いのか、勘が良いのか、他者の気持ちを計り過ぎる。先読みして気疲れする。それで友達少ない」
「分かります」
「多分ね、自分の表現するもので周りの人に影響を与える事が怖いんだろう。誰のことも憎みたくない、怒りたくない。自分がそう感じる事で、颯雅君がその相手を一緒になって憎んだりしたら、凛はそれはそれで嫌なんだよ。そんな事になったら自分を責める方に思考を持っていく。難しいだろう
普通の人は自分の味方になって相手を一緒になって憎んで欲しいと思うんだろう。自分が傷ついていたら、可哀想がったり、慰めて欲しいとか、守られたいとか思うんだろう。でもあの子にはそういうのは一切無い」
東は言葉を切って、颯雅を見詰めた
「橘君を信頼しているか、信頼すると決めているからこそ、君にはなるべく正直に自分を曝け出そうと思っているんじゃないだろうか」
颯雅は黙って聞いていた。東の言う言葉は、なんだか凄く新鮮でありながら、既に知ってる事のように聞こえた。颯雅が凛に無意識のうちに感じていた事と近かった。ただ、感情を表現しているのが、相手が自分であるからこその信頼なんだとは思っていなかった。自分が凛の特別である事が、他者から改めて言われると嬉しかった
その事に感じ入っていると、声がかかる
「食べてよ、温かいうちに」
「あ、そうですね」
颯雅も食べ始める。気を使っていた訳ではなく、東の言葉に聴き入って手が止まっていたのだが。
「それで、凛が橘君の前で激昂した相手って、誰なの。まさか恋敵とかいたとか」
少しにやついて東が尋ねる
颯雅は言葉を探す
「えっと、どこから話したら良いものやら…分離不安症って言うやつです」
「分離不安症?なんでそれがここで出て来るの」
「いえ、凛さんがなんですけど、僕と離れるのを異常に寂しがるんです」
「え?凛が?」
東は随分と驚いた様子だった
「子どもの頃親と離れても何とも思わず、迷子になっても自分から親を探し出すような子だが…」
「そうだったんですか。…それで、二人でそれを解決したいねって話していて、それについて凛が夢で見る内容を解消したら軽くなるんじゃ無いかって」
東が怪訝な顔をする
「意味がさっぱりわからん。夢の内容の解消でどうして軽くなるの」
颯雅は軽く冷や汗をかく。これは、話の核心を外しながら説明するのは難しい
「あの…前世とかの記憶です。凛が夢で見て、二人でその出来事を辿る場所に行って思い出そうとしているんです」
東は一瞬止まったが、ややあって声を立て笑った
「あっはっは、前世かあ、それは凄いなあ…」
体勢を立て直した東は前のめりに、颯雅に顔を寄せた
「君、もっと詳しく話してよ。俺ものすごく興味ある」
ああ、めっちゃ地出して来た、この人…
一通り颯雅の話を聴いて、東はとても納得したように頷いていた
「そうかそうか。凛は前世の記憶がある子だったのか。どうりで、妙に大人びてる訳だな」
同じ人生を繰り返している事は言わなかった。説明しようにも、理解しているのは凛だけなので、そこは機会あったら凛自身に聞いてもらう方が早い
「それで、橘君も前世覚えているの?」
「いや、言われるとそうだなって思ったりするけど、はっきり自分からは… あっ」
あれ、なんか俺もそう言えば夢見たな、鬼追いかけてた夢。
「何、何か思い出した?」
「いや別に…」
「でも二人は前世の縁で巡り逢ったんだね。おお、ロマンチックだな」
東は店員を呼んだ
「俺呑みたい気分になった。どう橘君も」
二人は瓶ビールを頼んだ
運ばれて来たビールを自分と颯雅のグラスに注ぐと、東はそれを持ち上げて言う
「これは何に乾杯すれば良い?運命の出逢いか。橘君、凛をくれぐれも宜しく頼むよ」
「はい」
颯雅もグラスを持ち上げて東のそれに軽く当てる
「でもさあ、凛の感性って普通では無いからな、うちの親沖縄出身なんだよ。聞いた事あった?」
「初めてです。でも言われたみたら顔立ち、そうですね。美人多いんですよね」
「うん。ユタとか言うだろう。今の世代はあんまり言わないけど、婆ちゃん位の世代ではそう言う人も結構いたんだけどね」
東はビールをまたひと口呑むと、ちょっと懐かしそうに言った
「何年行って無いんだっけ。爺ちゃんの葬式以来か。俺はこっちで生まれたから、そんなに故郷って感じでも無いんだけど。やっぱり空も海も綺麗でさ。あの色が良いね」
颯雅の脳裏に二人一緒に感じた青い色と風の感触が蘇る
その顔を見たのか、東は言う
「二人行って来たら?凛もその時就学前で、どうせあんまり覚えてないんだろうし」
その時、メールが届いた音が鳴った。凛のメールだ。凛からメールが来た時だけ音がするように設定してある。東に断ってメールを確認する
「凛から?なんだって?」
「近々会いたい、渡したいものあるからって」
「ほら、二人は何も心配する事無いさ」
東はにやりと笑った
「沖縄行きの件は妹には言っておいてあげるけど、誠時には内緒の方が良いかな。まあ、橘君を信頼するけど、一応、嫁入り前だって事は念頭に置いてね」
颯雅はポテトフライにむせ込み、コップの水を飲んだ