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Hold【夢の跡】実穂高と水師


Hold ホールト(優しく愛らしく)(独)


数日その宿に泊まっている。今日は冷たい雨が降っている。雪に変わるかも知れない


あの後、二人は鬼討伐隊の足跡を追って旅をし、山の中腹で激しい死闘が繰り広げられた場所に辿り着いた。一番近くの村の人々が、何人かの討伐隊の者を葬ってくれていた。全員の遺骸は確認出来なかった。それは仕方ない。恐らく戦いの最中に鬼化してしまったのであろう。事情を話すと、村人は喜んで場所を案内した。そこには大きな石が据えられていた。村人も供養のつもりで碑を建てたが、あまりの惨状に祟りがないか恐れていたので、祈祷して欲しいと言われた

翡翠の玉を持っていた遺骸は無かったか尋ね、確かに逸彦であった事を確認し、葬った場所も教えて貰った。その遺骸を見た者の話で、様子は自らの腹切りだったと聞いた


祈祷が終わると、実穂高は村人に渡された翡翠を握りしめて泣いた。それから村に一泊し、翌日最後に玉記からの最後の文に書かれていた宿に向かった。文には津根鹿(つねか)が原因不明の病により、やむなく宿に預けたとあった。宿で尋ねると津根鹿も亡くなって共同墓地に埋葬されていた


津根鹿の弔いを済まし、各遺族と天鷲に文を出すと、もうする事が無かった。そうなると実穂高は張り詰めていた糸が切れたようだった。

実穂高は一日中ぼんやりと過ごしていた。毎日のように先見や占いをしていたのに、もうそれもやらなくなった。促さなければ食事も摂らず、ただ、遠くの山を眺め、また翡翠を見ては涙を流した。この翠玉を渡した時が唯一の、想いを伝える機会だった。あの時義父の視線を感じて、躊躇してしまい機を逃したのだ

水師は加茂の家の者が捜しに来る事を危惧し、移動を勧めたが、実穂高は動けなかった


時々、実穂高は急に不安になるらしく、水師に尋ねる

「水師、京に帰らなくて良いのだろうか。父上が心配して居られるかも知れん」

「実穂様。恐らく我等はもう京には戻れませぬ。納戸に閉じ込められ、縄で縛られた実穂様を探す為に、我はお父君を刀で脅しました。あれを父と思わぬと言うたのは実穂様でございます」

「そうか、そうであったな…酷い事だ。思い出すとまた怒りが込み上げて来る。あんな事をする父上と思うと哀しい」

どうしてか、義父を思い遣って居るかのように聞こえる。実穂高は榊に納戸に閉じ込められた時の記憶が曖昧になるらしい。このままでは本当に京に帰ると言い出すかも知れない。あの時榊が言っていた事は本当なのだろう

榊をころして置けば良かったとすら水師は思う


実穂高の心は既に砕けていた。それでも那由の教本にあったように、実穂高は己の心の痛みを感じてみようとはしてみる。だが痛みがあまりに深くて、いつもならば、感じ続けていればそれが尽き気分が変わる時が訪れるのに、今回は一向にそうはならなかった。どこまでも深淵に引き摺り込まれそうで、怖かった。様々な感情が次々と湧き、もう飽和状態でそれを眺める他無い


また加茂の義父への怒りと憎悪が湧いては、そのような感情を持っている己に嫌悪を感じた。それでも義父に恩義があるのではと思い後悔の念に駆られ、京に戻る事を考える。またされた事を思い出して、戻るまいと思う。その葛藤は異常な程で、何か暗示めいた事もされていたのかと思うが、それを己で解明して外すまでの意欲にも至らない


夜寝る時には、このまま死が己を連れ去って、再び目を開けずに済む事を微かに期待し、何事も無く目覚めた事にまた気落ちするのを繰り返した。しかしもし己も死んだとしても、自害という方法を取った逸彦が、来世一体いつまた転生して来るのか見当も付かない。心はそういった想いで一杯で、他の亡くなった者を悼む余裕すら無い己ももどかしかった。亡くなった皆に対し責任を感じ己を責めてもいた。彼らの事だってもっと知りたかった。話したかったのに


逸彦の死と等しく実穂高を苦しめていたのは神の使命をやり遂げられなかったという失敗感だった。実穂高の力になりたいと思う神の声も愛の声も実穂高に届かなかった。今は聴こえなかった。失敗した以上、もう己は助けて貰えないしその資格にも値しないだろうと思い込んでいたのだ



水師はこんな美穂高を見るのは初めてで心を痛めていた。気丈な師匠に生きる気力が無いのは見るに明らかだった。水師はそんな実穂高をこれ以上見るに耐えられなかった


板戸を開けて山を見ている。寒い筈なのに、上衣も掛けずに座り込み、己の膝に肘を乗せて居る。そんな師匠は酷く小さく見える。あの山を見ているのは、其処が決戦の地であり、皆が眠った場所だからだ


「実穂様」

実穂高は虚ろな目をして水師を振り返る。髪も結って居ない。散ばらの髪が青白い顔に掛かっている。水師は上衣を持って近寄り、実穂高の肩に掛けた。身体が冷たかった。水師は板戸を閉めた

「風で身体が冷えて居られます」

水師は後ろから冷たい実穂高の身体を己の身体で包み、せめてもと温める。香りがした

着物を通して感じる温もりに、実穂高は己の身体が寒かったと気付き、震える

水師は震える身体を抱き締める。このところ食が細っていたので、より一層華奢になってしまった。


「実穂様、もう少し食べてはいかがですか」

「…充分食べて居る。彼らが(おん)を殲滅してくれたから、もう体調も随分と良いのだ」

「そのような事を言われて、このまま食を断とうなどとお考えではありますまい」

実穂高は暫し黙した

「温もった。もう良い」

「いえ、まだ震えて居られます」


実穂高は水師の腕を解きながら振り返ると、少し姿勢を正す

「汝に言うて居らぬ事があった。麻呂は性を偽って居った。麻呂は女ぞ」

少し申し訳無さそうに実穂高は言ったが、水師に驚いた様子は見えない。納戸で逸彦の死を霊視した時に口走っていた事を、覚えていないのだろうか、と水師は思った


「男と女には対というものがある。麻呂と逸彦は対だった。我は逸彦を失ったのだ。対を失った以上、もうこの先に道が見えぬのだ」

「恋うておられたのですか、逸彦を」

「うむ、多分。だがその自覚すらも無いのだ。もっと話したかった。父上に話す機会を奪われてしまった。もっと逸彦の事を知りたかった。浸る程の思い出も無い。ただ、ほんの数回交わした言葉を、目に焼き付けた姿を、ずっと反芻して居るだけだ。それなのに、我が半身を失ったように、空虚で哀しいのだ。彼に会うて初めて己が女だったと思い出した。今まで考えた事も無かったのに。だがもう遅い。手を触れる事も叶わなかった…」

声を震わせた


水師は実穂高の手を取る

「我はもうこのようなお姿見て居れませぬ。実穂様、どうか亡くなった者を忘れ、我と生きて頂けませぬか」

実穂高は目を瞬いて水師を見詰めた

「水師、麻呂が女と…」

「知って居りました、ずっと以前から。我に悟られないなど思われますか」

「そうだな、汝は勘が良いからな。長いし」


「ずっとお慕いして居ったのです」

実穂高の肩を抱き寄せる

「このまま我と契り結ばせたもう」

実穂高は驚き水師の顔を見た


水師が顔を寄せて接吻しようとすると、実穂高は顔を背け拒んだ

「そのような気持ちを抱かせていたなら、済まんかった。麻呂が甘え過ぎたのだ。汝にも辛かろう。水師にはもっと相応しい者が居る」

実穂高は水師の手を抑えた。また涙が込み上げそうになる


「我では及びませぬか、逸彦殿に」

懇願する水師を実穂高は精一杯笑顔を作り、諭した

「比べてなど居らぬ。麻呂が汝を好いて居るのはそういう意味ではあらぬ。既に家族のように思うてる。もし汝が男としてそう想うてくれても、我が心は逸彦に占められて居る。それで傷つくのは汝の方だ」

「それでも構いませぬ。我は貴方様を、菫青様を、生涯お仕えする方と定めて居ります。それより他は考えられませぬ」


実穂高は溜息をつき哀しみを拭えぬままに水師を見詰める

「我はもう何も持って居らぬ。水師に何の得も与えてやれん。暇をやるから対たる誰かを探してみては如何だ。もう我に側付きは不要だ」


「側付き要りませぬか」

「うむ、要らぬ」

「誠でありますか」

「……」

「こんな貴方様を置いて行けと言われますか」


実穂高はそれ以上答えず、無言のまま目を合わせなかった

実穂高の胸が詰まっていた。己の心が散り散りなのに、ここに独り置き去りにせよと言っても何の説得力も無い。水師に幸せになって欲しいと思うが、何が彼の真の幸せなのかを考えるには、己の穴が大き過ぎた


「実穂様、逸彦に触れたかったのでありましょう。目を閉じてくだされ。我を逸彦と思って、我に触れてくだされ。このまま…」

水師はもう一度実穂高の手を取り、それに口付けする。実穂高は黙ってそれを見た。

水師の唇が手の甲から手首に移っても、もう抵抗しなかった。水師はぐいと実穂高の手を引き寄せ、何か言おうとしたのか動いた実穂高の唇を己の口で塞ぐ。二人は何かが壊れるような音の無い音を聴いた。それは実穂高が薬草が何処まで薬で何処からが毒なのか知ろうとして飲んだ時の感覚と似ていた

実穂高は翠玉を握り締め目を閉じた



雨は雪に変わった。粉雪が音を静める

水師は実穂高の身体を己の肌で温めた。実穂高の身体は小さく頼りなげで、強く抱き締めたら壊れてしまいそうに思えた



水師は隣で眠る実穂高を見た。最後まで実穂高の身体が強張っていたのは、初めての痛みに耐えて居るからなのか、心を閉ざして居るからなのか

乱れた髪が掛かって、寝顔は幼く見える。水師には、ずっと実穂高だけだった。このまま見捨てられない。離れて忘れる事など出来ようも無かった。実穂高を手放したくなかった。出会ったばかりの頃、川を渡る時に手を引いた事を思い出す。己にとって実穂高の手はそういうものだった。小さく、柔らかく、高潔な心を純粋な気持ちでくるんだようなこの人を…。だがもうそのように触れる事も叶わなくしてしまった。男と女になってしまったのだ。ずっとそう願っていた筈だったのに


結局は己自身を慰める為に抱いたのだと、実穂高が気づかぬ筈が無い。だが実穂高は本当の事を言わぬだろう。誰よりも己を偽わる事が嫌いな実穂高に、嘘を強要してしまった。これからもう実穂高は己を愛する振りをするだろう。己を傷つけない為に。気付きを真っ先に話し、本心を吐露してくれる事が嬉しかった。だがもうそのような事は無いだろう

声無く水師は泣いた


募る想いに歯止めが利かなかった。死の誘惑にも、加茂の榊にも、実穂高を奪われたく無かった。逸彦と幸せになってくれるなら幾らか納得はいったのに、その道も閉ざされた。誰かと婚姻せねば実穂高は加茂の邸から離れられぬのなら、己がと思った。結局、榊に唆された通りになってしまった。これが正しいのかわからない。もう残りの命の全てを捧げ実穂高を守ろうと決めていた。

心の何処かで誰かが、罪悪感を無視しなければならない事を悲しんでいた。役を逸脱した行為である事を薄ら感じていた


逸彦を失った実穂高の運命には加茂の家に閉じ込められ飼殺しになるか、他の誰かと結ばれて家を出るかしか無かった。ただ、本当はその相手は天鷲だった。お互い対を失った同士であれば、新たにその哀しみを乗り越える目的で対を結ぶ事は出来た。実穂高ならば天鷲を癒す中でそれを鏡に己を癒して行く事も出来た。そのように道は作られようとしたが、機を逃してしまったのだ


「…どうしたのだ」

水師が泣いているのに気付いて声が掛かる。実穂高の伸ばした手が水師の涙を拭った。その腕が闇の中で白く浮いて見えた

「我らは夫婦(めおと)になったのでろう…」

実穂高の優しい問いに、水師は口角を上げる

「そうです。…少し思い出した事がありまして。まだ夜は明けておりませぬ。どうぞお眠りください」

水師は実穂高の手を(ふすま)に入れ、肩口を掛け直す

「そうか…」

それを聞くと実穂高は言及せず、また天井を向き目を瞑る。

夜は長く夜明けは遠かった


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