表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/60

Ruing【奪われたもの】

Ruing ルーイヒ(静かに) 音楽用語です



階段を上がっていくと、強烈な明るい日差しと夏特有の肌に纏わりつくような熱気が襲う。前回のデートから一週間のうちに、夏は突然夏である事を思い出したかのようだ

「外は暑そうだ」

「夏だからね」

凛は心底嫌そうな声を出す颯雅を見て思わず笑ってしまう。冷房の効いた地下鉄を降りて2番出口までは寒い位だったのに、階段を一段ずつ上がるにつれて強い日差しとその暑さが襲ってくる

「ふゲェ〜、暑い」

登りきったところで颯雅は顔を顰め手をパタパタさせて顔を仰ぐ

「そんなことしても涼しくならないでしょ」

「そうなんだけどさー。ここからは殆ど日陰もないし」

颯雅は振り返り、地下鉄の駅名が書かれた「二重橋前」の文字を見てため息をつく。たった今出て来た地下に通ずる階段は、強い日差しに強調されて既に真っ暗に見える。凛は颯雅の何気ない仕草一つ一つに頰を緩ませる

二人は皇居の二重橋が見える広場を目指して歩き出した

「今回はここで何があったの?」

「取られた」

颯雅は何がと尋ねようと凛を見ると不機嫌オーラ全開だった。駅降りた時と雰囲気が違う。ここは少し様子をみたほうが良いと思い、何も言わなかった


二人はお堀の近くまで来ると見張り所の前で歩みを止めた。空からは焦がすような陽光が二人を照らし、立っているだけでも汗ばんでくる。周囲にはたくさんの人がおり、二重橋を背景に記念撮影のポーズを取っている。観光名所の少し浮かれた雰囲気の中で、凛だけは黙って皇居の方を睨めつけていた。颯雅はどうしたものかと凛の様子を伺っていたが、ここに棒立ちしていてもただ暑いだけなので、思い切って聞いた


「何があったの?」

凛は更に不機嫌さを増し、低い声で答えた

「取られた。颯雅君を()()()お姫様に取られた」

颯雅は凛の背中からゴゴゴゴと何かが炎上してする音を聞いたように思った

「そのお陰で私は独身のまま30代半ばで死んだの。それが二回目のやり直し」

「それは…」

何と言っていいか分からなかった


凛によれば、二人は高校三年時に予備校で出会った。お互い惹かれ合ったものの、受験生でもあったのでそれ以上のことはなかった。颯雅は北海道の獣医学部を、凛は幼稚園の先生になる為に都内の大学を目指していた。共に現役で合格したものの、遠距離になってしまった。お互いに相手の重荷になってはと遠慮して、確約はしないながらも文通による交際を続けていた


「二人とも惹かれあっていの。友達以上恋人未満の関係を続けて、颯雅君が卒業したら本格的に結婚を前提にお付き合いをしたいと思っていたの」

颯雅は獣医学部なので六年間で獣医師に、更に博士課程を二年かけた

「博士になれば就職に有利で給与も高くなるからと言われて、私はあなたを待っていた。先に就職して、ある程度お金貯めておけば直ぐに結婚だって出来るし」

凛は自分の中の怒りを何とか抑え込む

「なのに颯雅君が無事博士になって教授から就職先を斡旋して貰える矢先、北海道へ旅行へ行ったここのお姫様が颯雅君に一目惚れしてあなたを掻っ攫った」


凛は更に声が低くなった

「何が一目惚れしましたよ!週刊誌にリークして颯雅君が断れないように周囲を固めて有無を言わさず翌年に結婚した。ああ、腹が立つ!」

凛は地面の砂利を蹴った

颯雅は何を言っても凛の怒りは収まらない、いや何か言えば火に油を注ぐと本能的に察知してひたすら地蔵になっていた。凛はここにはとても書けないような独り言をぶつぶつとひとしきり言ったあと静かになった


「最初の世界は指導者としての能力を全面に出したら颯雅君は暗殺された。だから私は二つ目の世界を再構築して、今度は私が天皇家の血筋を引いて後から颯雅君と合流する計画を立てた」

凛は何かの記録を読んでいるかのようで目の焦点が合っていなかった

「だけどこの世界は陰陽道がまだ盛んで、私が強い霊力を持って生まれてきたことを悟られた。それは天皇家を裏で支配する者達にとって都合が悪いので、赤ちゃんの時にすり替えられた」

「えっ?すり替えられた?」

「うん、ここのお姫様と道が入れ替わった。本当は私がここの血筋だった。この時点で失敗だったけど、私とあなたが出会って結婚できれば修正は可能だった」

颯雅は凛の怒りの理由に納得し始めた

「だから…」


「そのまま他の誰かと結婚していれば良いものを、どうしてわざわざ颯雅君を狙ったかな!」

凛は再び怒りが湧いてきたようで、声にドスが効いてきた。これはマズい。このままでは自分に火の粉が及ぶと颯雅は話題を変えようと思った瞬間、凛は颯雅を振り返って言う

「颯雅君も颯雅君よ。何でOKするかな!逃げればいいのに。あなたがどこまでも逃げるなら私はちゃんとついていったよ!」


颯雅は諦めた

「申し訳ありませんでした」

腰の角度は45度。これがお詫びの角度である。身に覚えが無いがここは謝るべきだろう。ああ、俺も親父の気持ちが解る側に立ってしまった。母の機嫌を損ねるような事を、そもそもしなければ良いのにと鼻で笑っていた自分を返上した。凛の怒りは冷却されたが、まだ納得できないのか一人ぶつぶつ言っていた。普段凛が怒りを表すことは殆どないし、むしろ弱気なタイプだ。だが颯雅が絡むと人が変わる


やっと怒りが鎮まったのか凛は話を続けた

「颯雅君の姓は橘ではなく、別の姓だった。敢えて言わないけど天才軍師の部下の一人の家系。戦国時代のね。颯雅君は東京の大学の獣医学部へ講師として就職、最後は教授だった。子供は出来なかったみたいよ」


周囲の人達は男性が女性を怒らせ謝っている、ああ痴話喧嘩か、と思っていた。普段の凛ならそれに気づくが、その余裕がない程に頭に来ていた。その状況に凛が気付く前に、颯雅は凛の腕に手を絡ませると話の続きを聞く為に少し離れた場所に誘い歩き出した



少し歩くうちに凛が落ち着いたのを見計らって颯雅は疑問を投げかける

「ところで凛、二つ目の世界の構築とは?さっきやり直し二回目って言ったけど」

凛は颯雅の顔を見て一瞬何を言っているのか判らなかったが、ああそうかと思い出した


「私達は出会い結婚することになっている。だけどそれが妨害され違う結末になる度に、私はまた生まれて人生を送った。今世は七回目の人生なの」

颯雅は一瞬何を言われたのか理解出来なかった

「いや、そんな簡単に言わないで。凛は七回繰り返し生きたということ?」

「そう。目的から変えたから結果も世界も変わる。たとえばさっき言った二回目の颯雅君の姓も大学も今と違うとかね」

「この前言った並行世界とは違うというのは?」

「時間の概念が間違っている。時間は川のように流れていて、どこかで行動を変えると結果が変わると皆は思うけど、実際には変わっている訳ではない。それをどう説明したらわかってもらえるのかわからない」


「世界を作り直したのは凛なの?」

凛はまた何かを見ているようだった

「私だけど私ではないの。私の中にはただ記録が残っている。それはこの前の颯雅君の前世みたいな感じと思う。思い出すとその時の感情や考えが自然と出てくる。それが重要みたい。どうしてずれた結末になったのかを分かれば良いんだと思う」

「記録を読めばいいの?」

「読むって言っても、自分でどこを読むか選べなくて、向こうから来る感じだから、こうやってヒントになる場所やシチュエーションに導かれているのよ。その場にならないと思い出せない」

颯雅は凛が(おこな)ってきたことを思う。一回やり直すだけでも大変だと思うのに、七回も繰り返した。自分と出会い結婚する為に。その途方もない労力に感謝の念しかなかった


「ありがとう、凛」


凛は思わず颯雅の顔を見た。自分の内側から湧き上がる寂しさや辛さ、そして失敗するたびに絶望し何をするにも自信がなく揺れ動く自分がいたことに気づいた。度重なる失敗に恐れ何をするにも臆病な自分が居て、今も自分を邪魔していた。それが今生の著しい引っ込み思案と決める時の葛藤だったのだ


「何をやっても駄目だった。どうしても駄目だった。何で、どうして、私が悪いの?あなたが悪いの?目的は単純なのに到達できないのは何故?この回だって最初は失敗だけどやり直せる見通しがあった。でも限りなく(ゼロ)に近い確率で邪魔される。まるで嘲笑うかのように」

凛は下を向いて涙を流す。颯雅はそっと凛の肩に手を置いて慰めた

「凛、聞いてくれる?誰かが言っているのが聞こえるから」


道ゆくものは

その光の中にある

知らずとも道は運び愛のかいないだかれる

愛は共にあり苦楽を共にする

神はしるべとなり先へといざな

あなたが手折たおるものはそのあかし

何一ついらぬものはない

願いがひらくその先は

いかようにもざいは綴られる


凛はその言葉と共に颯雅から風が流れてくるのを見た。遠く光の中から煌めく風が絡み合い、様々な色合いを持ちながら近づいてきて凛を包んだ。その風は凛に愛を伝えた


凛 あなたは私

多くのものが紡ぎ成した事を纏める者

あなたの思いは私の思い

受け取りなさい果実を

それが愛の思い


凛は内に愛がいることを感じた。どこまでも広がる深く透き通った青

そちらへ目を向けるだけで身体の内から湧き上がる歓喜


「…感動する」

凛は颯雅のそのつぶやきに驚いて視線を上げた

「颯雅君も感じるの」


「うん。爽やかな風が来たと思ったら綺麗な青色が広がった。それを見るだけで感動する。本当の歓喜って、これなんだろうね」

颯雅の目はどこか遠くを見ているようだった


「その風は颯雅君が運んでくれたのよ」

「僕が」

「そう、あなたが」

凛は嬉しそうに笑うと颯雅の手をとってその腕に顔を寄せた。今ここに彼がいることが重要なのだ。自分の手で彼の腕を抱きしめられる程近くにいることが

「ここのお姫様のことはもう、どうでも良くなった。いま、颯雅君の隣にいるのは私だから」

凛は安堵したように笑う


「そうだね」

颯雅はその向けられた笑顔を見て、常若とこわかを体験していた



「もう終わりみたい。光の道が出てきたから」

「よかった。このまま茹で上がるかと思った」

颯雅は顔を歪めて手をパタパタさせる。凛は行きとは違う道を歩き始めた。光る道を辿っているのだ

「来た道を帰るのではなさそうだね」

途中で右に曲がると横断歩道を渡り、木が茂る公園の中に入る

「やったー、木陰だ」

颯雅はアスファルトの照り返しから逃れ、嬉しそうに木陰に入る

「颯雅君は暑さに弱いね」

凛はおかしそうに颯雅を覗き込む

「寒いより暑い方がいいけど。今日は何故か暑さが堪える」

「後ろめたい事でもあった?」

颯雅は一瞬ギョっとした様子で

「え?いや、そんなことは…あった、のカナ?」

うーんと悩む颯雅を見て凛は声をたてて笑う

「本当は判っていたとか?私が怒り狂うことを」

またギョッとした颯雅は凛の顔をまじまじと見ると

「多分そうだと思う」

と言った


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ