Unverziert【透明な身体】
Unverziert ウンフェルツィールト(装飾音無しで)(独)
助手席に座る凛は、涙は止まったものの、神妙な顔をしている
颯雅は黙って車を走らせ、港に着き、カーフェリーに再び乗る
船のデッキで、凛にどう問い掛けたら良いものか考えていた
「戻ったらさ、マイケルさんに勧められた岬行ってみる?」
凛は黙って頷く
二人がどんな気分で居ようと、空は真っ青で、海も青の中に珊瑚礁のエメラルドグリーンを映えさせる。その美しさと晴れやかさに、心が照らされない訳がない
「綺麗だわ」
凛は手摺りに身をもたせ、海を眺めながら言う
「薔薇の都は、青の中に浮かぶ島だけど、その青は空と海の境界がないの」
「空と海が分かれていない?」
凛はうなずく
「青は愛の色なの。愛の中にある国だったのよ」
それから凛はそこがどんな国なのかを話した。いかに素晴らしく、憂いの無い世界だったのか。全てが調和し、人々の体験が愛で満たされていたのか
そこで薔薇の姫君は大君と共に国を統べていた
「なぜそのままに存続しなかったの。ずっとそうしていれば良かったのに」
「なぜ…私が聞きたいわ。なぜあなたは、大君は姫君を置いてまた去ったのか。私はなぜこんなに颯雅君と離れる事を怖れるのか」
颯雅は黙っていた。離れると対の命が死んでしまう事以上に何かあるのか
自分はそれを思い出せない。それとも、思い出したく無いのか
「良いの。きっとそのうち思い出すわ。わかる時が来るわ」
凛は優しい眼差しで颯雅を振り返って、手を握った
その気持ちは凛のものなのか、その奥にある偉大な、本当は何もかも知っている事をまだ言えない姫君のものなのかを分からなかった
カーフェリーを降り、島を巡る
島のどこをどう走っても、そこに二人は双青の都の住人達の営みが重なって見えた
そこにはかつて、今とは違う風景があり、人々の歌と笑い声が響いていた
外からの襲来以外は、ここは平穏で心憂くものは何も無かった
そこかしこを二人は懐かしいと思えた
そこに自分らも居たと思った。あの包むように茂る菩提樹の蔭に、あの平原に一本立つ樹木に、丘の上の古い一軒家に、自分らの記憶を見出した
ヴェルーリヤは、視察だと言ってしばしば民間の村を訪れた。そうすると、当然護衛にラズワード隊長は着いて行かねばならない。その上、食事先を故意に決めずに、料理をこさえさせ弁当のように携帯した。草原に草で編んだ絨毯を敷いて、その上に座り、要するにラズワードとピクニックをしたいからだ
そのように過ごしたお気に入りの場所が至る所にあって、二人はそこに本当は愛し合いながらも、それを表現する訳にもいかない二人の像を見た
ラズワードは何度も何度も彼女を抱き締めたいと手を伸ばしかけては、その度に自分は護衛なのだと己に言い聞かせそれを思い留まった。姫王は彼に抱かれたかったし、愛されたかったし、結ばれたいと望んでいた。だが彼女は彼の望みも尊重した
二人がようやく結ばれたのは、いよいよ最後の敵襲が予想された後だ
もう先が無いかもしれないという焦りに後押しされ、やっとラズワードは姫王を抱き締めた
凛は二人の想いが切なかった。ヴェルーリヤはラズワードの子供を生みたかったが、やる事が山積みで、霊力をそこに注げないと分かっていたので、受胎を避けた。結局、その肉体で子供を生む事は叶わなかった
それで自分は赤ちゃんを生みたいと思うのか、と凛は思った。もしかしたら、私は対との間に子を儲けた事が無いのかしら。縄文の時も巫女だったし、実穂高も男装してたし
運転する颯雅の方を見たが、その同じ事を、女性と男性の立場で受けとめ方が違う事位は分かるので、何と言ったら良いのかわからない
第一、怖いし。怖いんだ、私。もしかして男性が怖い?あるいは、颯雅君の事も怖い。何が?
島を巡りながら、南東にある岬に向かう
「この岬には灯台があって、登れるらしいよ」
「灯台の中に入れるの?」
「そうみたい。そこから海が綺麗だとマイケルさんが言ってたから」
二人は途中のスーパーで軽食を買い込み、博物館の前に来た
「宮古島まもる君だ。ここにもいるね。何体あるんだろ?」
凛は段々と近づいてくる人形を見つめている
「マイケルさんの話によると、20体?いや20人いるらしいよ。一人は入院中らしいけど。でも地元の人は関心ないみたい」
「へぇー、そうなんだ。入院って、ね」
”島を守っていた隊員だ”
祖が言い始めた
「隊員?」
”そうだ。彼らはこの地を守っていた”
「祖が言うにはあの人達は隊員だったと」
「双青の都の?」
颯雅は頷く。丁度その時、一人のまもる君人形の前を車が通過した。颯雅は横目で見ながら、彼らの思いの深さに頭を垂れた
心の中でラズワード隊長が言う
“ラドンだ。あいつラドンだろ。もう役終わったんだから、さっさと大元に還れ。まさか乗り遅れたなんて言わねえだろうな”
一瞬、笑顔のラドンが見えた
“ちょっとだけ、お二人にご挨拶したくて。お目に留まり光栄です。では”
敬礼姿のラドンが見えた。人形のまもる君が動く筈も無いが、やがて視界から消えると、何かがまた去って行くのを感じた
颯雅の目からまた涙が溢れ、頰を伝う。凛はそれ見てティッシュを取り出すと、手を伸ばして運転する颯雅の頰に押し当てる
「ありがとう」
颯雅は片手で受け取り、運転しながら自分の目元を拭いた
一本道を進む。両脇の緑が狭まって来る。灯台の側まで来ると、近くにある駐車場に車を停めた
車から降りると凛は思わず歓声を挙げた
「ここからでも海が綺麗だね」
凛は目を輝かす。それを見て颯雅も気分が上がって来る
さっきスーパーで買ったお茶を一本持つと車から離れる。公園の入り口近くで、アイスを売る屋台が出ている。それを見て笑顔になる凛に尋ねる
「アイス食べたい?」
「今は良い。なんか胸一杯で…」
「だね。また戻る時にも食べたかったら、そうしよう」
「うん」
二人は一本道を見える灯台に向かって歩いて行く
焦がすように強く明るく注ぐ太陽がくっきりと二人を照らす。日陰が無い。手を庇にして歩く凛を、自分の日陰に入れようかと思うが、それにしては影が短い
「大丈夫だよ、颯雅君。隣歩いてよ」
「あ、ご免。帽子持って来なかったね」
「うん。思い出さなかったの。それもきっと意味があるのよ」
「そうか」
ここで起こる事の全てに意味があるんだ。颯雅はその言葉を反芻した
「もしも私の身体の粒子が全部太陽の方を向いていたら、本当に残らず光と同じ方を向いたら、影が出来ないんじゃないかな。そしたら私透明になれる」
颯雅はちょっとびっくりした。突然何を言い出すんだ
「双青の都よりどの位前かはわからないけど、人々はもっと霊的な存在だったみたいよ。今のような物質的な肉体は後から出来たみたい」
「そうなの?」
「薔薇の都の時は、肉体を持ったままそれ以前のような生活を出来るように作った都だったのね」
「へえ」
「そうよ。だって物質的な身体を作ったのは、神なんだもの」
「ああー、僕って事か。覚えてないけど」
「ええ。素晴らしいデザインだと思うわ」
「そうかな」
颯雅は凛が褒めてくれる肉体のデザインを、自分はそんなに良い出来に感じていないと思っている事に気付いた。何かわからないが
「もう少し身体が柔軟だった方が良かったと思っているみたい」
「柔軟?」
「うん。どう言う意味だかわからないけど」
「ふうん」
凛は目を細めて颯雅を見る。そんな風に見られても、思い出せないものを自慢する気にもなれない
そんな事を話しながら、二人は青い空に白く聳え映える灯台に辿り着いた




