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Nichit eilen【懐かしの】


Nichit eilen ニヒトアイレン (急がずに)(独)


飛行機は緩やかに旋回しながら高度を下げる。飛行機の窓から見えるエメラルドグリーンの珊瑚礁に、凛はじいっと見入っている。これは凛の感動の最上級なんだろうと颯雅は思う。きっとこの色は絵の具のどの色を混ぜたら出るんだろうとか、絵では結局この一瞬の感動には敵わないだろうとか考えて、一生懸命この瞬間を目に焼き付けているんだ。そんな凛を愛おしく思う


飛行機は宮古空港に降り、二人は荷物を預けて居ないので、直接出口に向かう。貝殻で出来た人の背丈程の大きなシーサーの歓迎を受ける

(ついだね」

「そうね」


降り立った時に、何だか帰って来たような土地そのものに抱かれているような懐かしい感覚を覚える。初めて来た所なのに。それを言うと凛は答えた

「もしかして初めてではないのかもよ」

「前世とか?」

凛は頷く

「今更、偶然は無いと思うわ。どうして(あがり)さんがここへ来る事を私では無く、颯雅君経由で話したのか、とか」

「東さんの策略かと思うけど」

凛は笑って言う

「それもあるけど、その背景ではもっと大きな意図が働いて、それに動かされているのかも知れないわ」


二人は振り返って、カードを持って並ぶ迎えの人達を見回す。カードには「歓迎、〇〇御一行様」とか、「〇〇ツアー」とか書いてある。その中で、「ペンションやどかり」と言う微妙なネーミングセンスのカードを見つける

凛と颯雅はそのカードを掲げる、ちょっとだけぽっちゃりしたハンチング帽を被ったおじさんに歩み寄る


「こんにちは、美澄凛です」

「橘颯雅です。お世話になります」

「あ〜!凛ちゃんと颯雅君?ミッキーとユッキーの従兄弟のマイケルです」

二人は一瞬目が点になる。

「オーナーの(あがり)匡行(まさゆき)です。あの凛ちゃんが、十年以上経つとこんな美人になっちゃうのかあ、ミッキーが心配するわけだ」

マイケルは凛を上から下まで眺める

「あの」

「あ、ちょっと待ってね、同じ飛行機で後三人来るからね。それで二人は英会話出来る?」

「ちょっとなら。話す事決まっていれば何とかなると思います」

凛の答えを聞いて颯雅は意外そうな顔をする。人見知りなのに?

「僕もその程度なら。出来れば避けたいですけど」

「それは良かったわ、外人さんも来るから。殆どダイバーのリピーターが多いしアットホームが売りだから、あんまり緊張する事無いよー」


マイケルは視線は到着ゲートに向けながら口は喋り続ける

「それで凛ちゃん大学で何やってるの」

「心理学です」

「あらそう。私この頃鬱っぽいからカウンセリングしてもらおうかなー」

いや、全然無いだろうと颯雅は心の中で突っ込む

「颯雅君は何勉強してんのお」

「僕は農学です」

「のうがくってお能?」

「は?」

「能狂言の能楽よ。ちょっと通じなかったかな、まあいいか。あ、来たみたいお客さん」


スーツケースを引いた男女の二人組と、一人の男性がマイケルの持つカードを見て歩み寄って来る。手を振ったのは一人の男性で、どうやら常連らしい

マイケルは三人のお客さんの名前を確認すると、全員を連れて駐車場に案内した

五人がマイクロバスに乗り込むと、マイケルは大袈裟な動作を付けて前方後方を確認し、車を走らせる


マイケルはお客さんそれぞれに話を振っては、上手に相手の心をほぐしていく

またその中で宮古島に来た目的を聞き出し、興味ありそうな通りすがりの景色の観光名所やダイビングスポットをアピールする


凛は窓の外を眺めながら、小さい頃に来たこの地の記憶を探った。だが殆ど思い出せない。ただひたすら透明な海の色だけは覚えていた。この中のどこかの海水浴場で、浮き輪に掴まって海中に目を凝らすと、魚が泳ぐのが見えた。それがひたすら美しく見入って、身体がすっかり冷えて唇が紫色になっていた


「もう実穂高と繋がれるみたいよ」

「あ、本当だ、賑やかになった」

「やっぱり大地と離れるのは本当は不自然で、霊体は全速力で走って追いかけて来るらしいわ」

「え、海の上も?」

二人は自分達の霊体や実穂高が海の上を凄いスピードで走る様を想像して笑った

“汝らの想像とはちと違うのだがの”

実穂高の声がした


ペンションに到着すると、お客さんを誘導して、チェックインの手続きをする

凛達も加えて、全員に海水浴から帰った後に直接入るシャワールームの場所、食堂と全員が使える共同のミニキッチンを案内すると、お客さんを見送る

凛と颯雅を連れて、食堂の椅子に腰掛け、二人も座るように促した


「ミッキーに別部屋でねって頼まれているけど。良いよね、颯雅君」

「はい」

「じゃ、これ鍵ね」

そこは仕方ない

「勤務時間は、朝は5:45〜9:45と、7:00〜11:30遅番は朝食の賄い食べてから部屋の掃除もあります。午後は17:30〜21:30。ずれる事もあるけど、合計時間は大体同じ。賄いはそこにも書いてあるけど二食は出るよ、お客さんが終わった後になるけど。朝出勤前食べたいなら自分で用意して。ただし白米はお釜にあれば食べて良いし、夜朝の分取って良いからね。カップラーメンとかの軽食やスナック菓子はいくつか売店にもあるから、必要ならばスタッフ割で買えるよ。電子レンジとお湯は共同ミニキッチンで。洗濯はコインランドリー使ってね

従業員は事前にメールしたように自前の黒Tシャツだけど、その上にエプロンして、頭は髪が入るようにバンダナしてね」

マイケルは藍色のエプロンとバンダナを二人に渡す。

「二人足が無いだろうから、もし買出し行きたい時あれば、前日までに言って。昼休憩時間に、他の人と申し合わせて乗せて行く事は出来るよ。凛ちゃんは携帯持って無いって聞いてるけど、颯雅君持っているならば何かあった時の為に教えてね」


颯雅が電話番号のメモを渡し、二人が雇用契約書にサインをすると、マイケルは言う

「じゃ、今日はこの後ゆっくり休んで、明日朝からお願いね。朝5:45までにここに来てタイムカードに時間をあの時計基準で記入してください。一日の終わりには私がサインをします。二人今日勤務じゃないからご飯出ないけど、今日の晩御飯は持って来た方が良いって伝わってる?」

「はい、レトルトカレー持って来ました。大丈夫です」

「そう、良かった。何かあったら聞いてね」


二人はそれぞれ荷物を部屋に持って行く。荷物を整理したら颯雅の部屋に集合と言う事にしている。颯雅は荷を解くと、衣類をハンガーに掛けて、荷物を整理し、いつでも凛が来ても良いように部屋を整える。折り畳みのローテーブル、布団。部屋を見渡すと、必要最低限は揃っているようだ。畳の感触を楽しみながら、颯雅は仰向けになる。…凛遅いな


やがてノックの音がする

戸を開けると不安そうな凛が覗く

「あの、颯雅君。コインランドリーってどうやって使うか知ってる?」

颯雅が靴を履いて出ると、凛はもじもじとさっき案内されたコインランドリーの方を指差す


「うーん、わかるけどいちいちお金掛かるから、一緒に僕が洗うよ。それにTシャツなら手洗いしても構わないし。夏だし直ぐ乾くんじゃない?」

凛はほっとした表情になった。あれ、もしかして凛はこう言う機械の操作(オペレーション)が不得意なのか。

「凄い、颯雅君わかるんだ、おうちで家事やるの?」

「うん、結構やるよ。と言うか弟生まれた時に、弟が可愛いからやるようになったんだ」

「えー、すごーい」

凛の尊敬の眼差しを受けて、颯雅は得意になって良いのか残念に思って良いのかわからない。凛は家事をやらないらしい…

「私、洗濯機の操作が良く分からなくて、母に教えて貰っても良く分からなくて、それで任せっぱなしなの」

そうなんだ…。機械操作が分からなくて家事出来ないんだ。これは、マジのド天然なんだな

「家のは全自動洗濯機?」

「ええと、多分そう。全自動じゃない洗濯機ってあるの?」


颯雅はコインランドリーの向こうに肩身狭そうに置いてある、かなり古い洗濯機を指差す。爺ちゃんの家にあるから分かる。多分以前はこれを使っていたんだろう

「二槽式洗濯機は?これは洗濯槽と脱水槽に分かれていて、ダイヤルで時間を設定するんだ」

試しに回してみると、動きには問題無く、現役のようだ。今は使い方が分からない人が増えただけなんだろう。中を見ると、洗濯槽も黴びている訳ではなく、ちょっと洗えば使える。コイン式の方が故障したり混んだ時の為に捨てずに置いてあるんだ、きっと。


凛もそれをいじくって安堵したように言った

「ああ、これなら操作方法の意味が分かるわ、大丈夫」

「こっちなら、手洗いした物の脱水だけって言う使い方も出来るから、少量なら逆に便利だと思うよ。後でマイケルさんに二槽式使って良いか聞いて許可取ってみよう。代わりに洗濯槽洗うからとか何とか言えば、きっと使わせてくれるよ」

機械のメンテナンスが好きな颯雅は、洗濯槽を外す事を考えてわくわくするが、それを始めたら凛と過ごす時間が減る事を考え、堪える。軽く掃除するだけで良いか


凛は、恐らく頭の構造的に、機械が苦手なんだろう。機械操作、譜面、数学、携帯電話と同じ系統なのかな。凛は携帯電話も持っていないから家にかけてる。外で友達と待ち合わせが少ないなら持つ必要ないけど、もしかして使いこなせないのかも。でも二槽式は使える、きっと見て感覚で操作方法が分かるのと、パネルに表示されて選ぶのと頭の使う場所が違うんだ…

うーん、これって、世の中便利だと思われているのは本当の便利なのか疑った方が良いのかな。だって年寄りは機械操作分からない人が多いし。必要ない機能が付いてる製品も多い。当たり前を当たり前と思うのは、違うかも知らない

前に言ってた、文字文化が無い時代なら、絶対こう言う機械は作られない。それは身体や心や愛の声が聞こえない現代だからこそ生まれている文明じゃ無いか…


「やっぱり、今までバイト誘われても、一人では無理だったわ。こんな物の操作が分からないなんて、恥ずかしくていちいち人に聞けない。颯雅君一緒で本当に良かった」

凛は心から颯雅を頼もしく思って言う

「僕も、凛を一人にしない方が良いなって思うよ」

颯雅も答えた


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