Narrante【取り篭み】
Narrante ナッランテ(語るように)(伊) 音楽記号です
「何故麻呂が現地に赴くのが駄目なのですか」
実穂高が食い下がる
「駄目だ。汝は我が家の大切な子だ。そんな危なき所には行かせられぬ」
もう先程から何度もこの会話を繰り返している。義父の榊に霊視内容の報告後、胸騒ぎがあるので現地に行って彼らに危険が近づいていると知らせたいと申し出、それを反対されていた
「汝は鬼にも襲われたでは無いか。たかが胸騒ぎに一々赴いては命が幾つあっても足りぬだろう」
「それは、霊視では恐らく彼らが退治して確実に減っているので問題とならぬ筈」
実穂高は己の霊視の確実さを買ってくれていた義父が、どうしてここまで反対するのか理解出来なかった。
側付きの水師は天鷲に亡くなった榮の霊視した件の文を届けるように使いに出した。また旅支度に必要な物の買出しも頼んでいるので暫くは居ない
「気になっている事は麻呂に任せれば良い。汝の鬼討伐に関する役割は終わったものとせよ」
義父に任せていたら、対処は後手の上細やかでないから、己がこうやって関わろうとしているのだ。苦々しく思う
「いえ、納得出来ませぬ。そもそも、今回の討伐の要となる逸彦殿を探し当てたのも麻呂、鬼の減った地域とまだ居る地域割り出したのも麻呂なのです。麻呂に任すと言われていたのに、急に変更されたりして、今回の父上の対応、全体におかしう思うて居ります」
榊の目がぎらりと光る
「ほう、彼奴が要か。何故肩を持つ。むしろ我等と隊長の玉記殿が要では?」
義父の態度に実穂高はたじろいだ
「いえ、肩持つなど…」
「では教えてやろう。実穂高、汝は逸彦に懸想していたのであろう」
実穂高は言葉を失った
あの日、加茂榊と実穂高は並んで座り、噂の鬼退治の逸彦を待っていた。もう間も無く日が暮れる。僅かずつ点いてる灯が目立って来る
その時、襖が開いて、童部に案内された一人の男が入室した。男の背後の残光が彼の引き締まった身体を浮き立たせている。全く想像と違う
その男は身分も無く穢れた身の上にも関わらず、何一つ臆する事なく入室し、宮の面々を一様に眺めた。恐らく礼儀作法を其れ程知らぬだろうと思うのに、そんな事を思い出させぬ位にひとつの無駄も迷いも無く凛とした動作で、我等の前に座した。ただ真っ直ぐに直向きに生きる芯が香る。それを見た時に何故か己の心の奥で恥じ入るような感覚が起こった。下位の者に恥をかかされたような気分に顔が赤らむのを感じた
微かな吐息が漏れるのを聞いた。聞いた事も無い、実穂高の。榊は思わず隣の実穂高を振り返る。そしてその表情と目が、恋に落ちた女のそれだと直観する
まさか、結ばれるべき相手とは、この男なのか。こんなに大事に育てた子が、こんな粗暴な事を生業にし何の地位も無い者に奪われてしまうのか
榊は衝撃を受けた。それだけは何としても阻止しようと思った。そしてそれは実穂高を守る目的であると己に言い聞かせた
「汝は高位の霊から預りし宝、あのような穢らわしい男の為に育てた訳ではあらぬ。そんな事になっては今までの投資が全部無駄だ」
実穂高は茫然と義父を見詰める
気付かれていたのか、逸彦に対する我の想いを
「麻呂は汝を守る為なら何でもやるぞ」
義父は立ち上がって実穂高を見下ろした。初めて己に執着する義父を恐ろしいと思った。いや、気づかぬ振りをしていたのだろうか…唯一の味方だから
榊は実穂高の手を掴むと、強引に引っ張り、部屋から引き摺り出す。そして長い外廊下を早足で歩く
「父上、何処へ…」
途中、使用人の女二人がすれ違うが、恐ろしい形相の主人を見ると目を伏せた
榊は履物を突っ掛けると、実穂高は裸足のまま、庭を横切り、離れて建てられた納戸に入る。其処で頑丈で重たい長持ちに実穂高を押し付けると、の把手と両手首を縄で縛った
実穂高は義父の狂気じみた行動に、恐怖で抵抗も出来ず、足はかたかたと震え力が抜けて立って居る事も出来なくなった
長持ちにすがって座り込んだ実穂高の顔を上から見、榊は言う
「実穂高、何も心配要らん。汝はこの父が守る。汝の恋心も秘密にしてやる。朝廷に知られてはならぬ。何しろ、帝が直接、鬼討伐隊を亡き者にせよと命じられたのだからな」
「何…」
「そうだ。だから我が子が朝敵となるのは何としても避けねばならぬ」
榊は決して己の敵わぬ高みにある実穂高に、己の正しさを証明出来る機会に酔う
「まさか父上が進言を」
「いや、麻呂は何もしては居らん。ただ逸彦が後々天皇の脅威となり得るかと問われて同意しただけだ」
「酷い事を。彼らは真摯に使命を果たさんと」
「これは全て愛しき我が子を守る為だ」
榊は床に跪き実穂高の頭を撫でた
ぞっとする。己の心が嫌悪と恐怖で息も止まらんばかりと感じる。思わず顔を背けるが、己の目から涙が滲むのがわかった
「な、直ぐに汝もこれで良かったと思う筈だ。だから事が全て終わるまで、ここに居れ。汝は優しい子だ。この父を裏切るような真似はするまい」
榊はそう言うと立ち上がって、小屋の戸を閉め、外から鍵を掛けた
実穂高は義父が此処までとは思っていなかった。これが彼の本性だったと気づいた。己に対する嫉妬と所有欲。己の才能は義父の利に貪られ利用されていた。もっと早く気付くべきだった。今まで義父に与えられて来た愛情は、その対価引き換えだったのだ。最初からそうだったでは無いか。実子にでさえそうなのだから
己の成果は義父と兄弟に持って行かれる。我が霊視の内容を如何にも己が降ろした言葉のように語る。目立つ仕事は回して貰えぬ。幼少の頃に聞かされていた跡取り候補という言葉は最近もう口にせぬ。己が女だから、仕方ないと思ってやり過ごして来た。兄弟は皆敵にも等しく、頼れるのは義父だけだった。それで薄々感じていた事に眼を瞑ってしまった。全ては一人で立つ勇気が無い己が招いた事だ…。己の息が荒く小屋の中に響いた。恩に報い義父の願いを叶えようと、本気で思っていた。実穂高は己の心を義父に流されて誤魔化していた事を振り返って悔しさを噛んだ
ひとしきり啜り泣いたが、怯えている己の気持ちが鎮まると、冷静に状況を考えた。兎に角、この縄を解かねば何も出来ぬ。案の定、傷つけるつもりは無く、縄巻き付けもきつく無く結び目も緩かった。恐らく戸を閉める間の時間稼ぎだ。だが義父の様子に恐怖を抱いて従う事しか出来なかった実穂高に、そもそも縄は必要無かった
高窓からの光は少し薄暗くなって来ている。見えなくなる前にと、灯を点ける。高窓の下に長持ちを移動して窓から出られないか思案したが、窓は明かり取りと風通し程度の大きさのものが複数並んでいるだけで、実穂高の身体は通りそうに無かった
溜息をつくが、今出来る事を考える。此処は邸の建物から少し離れていて、叫んでも声は届かないだろう。夕餉に出ないのを心配した者が探しに来る事を期待するしか無い。水師は早めに気づいてくれるか。もしや結界が張られてあるのか…。何故此処迄する
ああ、逸彦らに何かあったらどうしよう。朝廷が彼らを亡き者にすると言う事はその命を帯びた者が居る筈。まさか、後から討伐に加わった西渡と草薙か。だがそうとは言え、凄腕の逸彦が誰かに害されるとは考え難い。それに数日前に占いをした時、愛なる霊に言われ逸彦に関する理を宣言したではないか
実穂高はその場を座り易いように整えると、胡座をかいて霊視を始めた
逸彦の心と共鳴する。逸彦の感じているものを感じる…
ーーー
使いから帰って来た水師は、実穂高の部屋を訪れたが、空だった。邸内を捜し回ったが何処にも見当たらない。水師の特技は目指す人物が何処に居るのかを探し出す事だ。それなのに、どうしてか今は霧が掛かったように定まらぬ。何か邪魔する力が働いている、と思った。見つけた使用人に片っ端から実穂高を知らぬかと尋ねる。その内、見かけたという二人の女に会った
「何処へ行ったか知っているか」
「何処かは存じあげませんが、榊様がお連れに…」
「何、榊様が」
「はあ、何やらお怒りの様子で、実穂高様の手を強引に引いて」
水師は背に括った荷も降ろさず、急いで榊の部屋に行く
入室を許されると、水師は榊と面向き合い、実穂高の行方を尋ねた
「何処か知らぬ」
「されど、使用人の女子らが実穂様を連れた主様を見たと申しました」
榊はちっと舌打ちした
「水師、汝の主人の為思うならば、此処は堪えて、暫し見過ごせ」
「主様、実穂様は何処です。安全なのですか」
「無論安全だ。最も安全だぞ、一生だ」
水師は不穏なものを感じ、榊を睨みながら強い口調で言う
「榊様。何を企んでおられる」
榊は水師の気迫に少々驚いたが、口元をにやつかせて言った
「企み?水師、汝程ではあらぬよ、実穂高を狙っておったろう…」
榊は己の口髭を撫でながら言う
「おどれ、実穂高が欲しかったのであろう、女と見ていたな。側付の分際で」
「そんな事は…」
水師は固まった。否定し切れなかった
「汝ら、麻呂を莫迦にしてたろうな。陰陽師の技も大した事無いと。だが、麻呂だって長年勤める汝の気持ち位読めるぞ。色恋に全く興味無かった実穂高に、この頃急に色香が漂うようなったな、汝も堪らんだろう」
「そんな物言い…」
榊は少し身を乗り出し囁いた
「何なら叶えてやろうか。実穂高は汝を信頼してるからな、鬼退治の逸彦なんぞより幾分かましだろう。ずっとこの邸に留まり、実穂高が加茂家に尽くす事を条件に…」
ぐらっと来た。そうして仕舞いたいと言う誘惑に揺れたのだ。水師は耳まで真っ赤になった。見透かされた事以上に、そんな餌に心揺らぐ己の弱さに
手応え有りと思ったのか、榊は続ける
「もし汝が駄目なら兄弟の誰ぞと妻合わせようか。ま、麻呂がもろうても良いがな。あれは神の恵みを受けた特別な女だ。どんな味か興味あるだろ、水師」
榊は目を細めながら、舌で唇を舐めた
激昂した水師は立ち上がり、腰に携えている刀の柄に手を掛けた
「何だ、抜刀するのか、主人に向かって」
「黙れ、我が忠誠尽くす主人は実穂高様のみだ」
「汝の事だ、実穂高の言う通り鬼討伐の現地へ行こうと言うのだろう。だが実穂高はこの邸から離れられん。我が養育の契約は実穂高の婚姻までだ。実穂高が結ばれる相手が死した上は生涯この邸から離れられんぞ」
水師は何となく分かった。今回の鬼討伐が榊の謀りで実穂高が主要人員から外され、思うように動けなかった理由、その背景に榊の実穂高を囲い込みたい意図があった事。そしてそれによって実穂高と逸彦の運命が交わるのを阻止された事
遂に怒り頂点に達した水師は刀を抜いて、その剣先を榊に向けた。榊は仰け反る
「ひいっ、み、水師、人斬った事など無かろう、そんな度胸など…」
「ああ、だが鬼は斬ったぞ。何体もな。試してみるか。鬼の如き心根の持ち主を斬れるかどうか」
水師は両手に刀を持ち直す。榊は息を呑んだ。水師は尚も問い詰める
「実穂様は何処だ」
「庭の西の納戸…」
水師は刀を振り上げた。刀は身を庇おうと両手で頭を覆う榊の肩をかすめ、傍らの飾棚に撃ち下ろされた。棚板と其処に並んでいた壺が砕け散ると、榊は避けた勢いで後ろの壁に当たり気絶して倒れた
「実穂様…」
水師は部屋の戸を閉めると納戸へと急いだ
「実穂様!」
納戸の戸に手を掛けるが錠が掛かっている
「実穂様ご無事ですか」
中から実穂の呻くような声がする。泣いているのか?急いで錠の棒を引き抜く時に何か突き刺すような痛みを感じた。しまった、何か結界があったのを無理に外したか。だがそんな事に構っていられない。水師は戸を開くと薄暗い中に入って行く




