Narrante【見送り】実穂高
Narrante ナッランテ(語るように)(伊) 音楽記号です
この話は「忘鬼の謂れ」と連動しています。逸彦の人となりを知りたい方はそちらをどうぞ
鬼の亡骸を通りの脇に置くと、実穂高と水師は自邸にむかう
牛の横腹で側付きの水師が片足を跪き、片膝を立てて足掛かりを作ると、実穂高はそれに足を掛けて牛に跨る
牛を引きながら、水師は実穂高が一瞬逸彦を振り返り呟くのを聞いた
「名も覚えられて居らんかったか…」
若干気落ちしたように見受けられる主人を乗せ、牛はのっそりと歩く
水師は何も言わず、京の通りの闇を縫うように道を進んだ
「されど本当に良いのか。当初は我等が止めても討伐に着いて行く気満々に見受けられたが」
「致し方無いのだ、玉記殿。父上が許してくれぬ」
「先日牛車で鬼に襲われたと逸彦に聞いた。京に居るのが安全とも限らぬ。鬼を操り故意に実穂高殿を狙ったものならば…」
「御心遣い感謝する。麻呂の一存で決められぬのだ」
「汝、お父君の言う事優先し過ぎると思うぞ。実穂高の言う事の方が大概合うて居るのに。あんなに剣術の腕上げたのにな…」
玉記は実穂高と水師の剣術の師であり、今回の討伐隊の隊長の任を預かっている
今日は鬼討伐隊の出立の日、実穂高は彼等を見送りに来たのだ
「玉記殿、彼らをくれぐれも頼む。出来れば一人も欠ける事無く戻って欲しいのだ」
「ああ、皆気の良い奴等ばかりだ…あれは後から加わった、西渡と草薙だ」
「強そうだな」
実穂高は首を傾げて新しい人員を見た
「兎に角、麻呂は術と霊視で援護はする。遠隔でしか出来ぬのが歯痒いのだが」
それから、実穂高は顔見知った一人ひとりと言葉を交わし、出立を送る挨拶をした
宮立父子、佐織の翁、津根鹿。それから、新しい人員と紹介された西渡と草薙
それから、逸彦…
不意に背後に義父の視線を感じる。鬼討伐には関わるなと言われたが、この位は構わぬだろう
「逸彦殿、此の度は鬼討伐に御協力感謝する」
「何故実穂高殿が礼言うのだ。鬼関わるが汝の仕事なのか」
逸彦は真っ直ぐな実穂高の謝辞に笑みを含んで応える
「今回、汝を探し出したのは麻呂なのだ」
「そうなのか。流れ者の我の居所如何に突き止めたか疑問だったが、陰陽師の術というものは大したものだな」
先日の牛車の件で、逸彦は陰陽師に対する見解を改めようと思っていた
「ああ、そうだな、それで、その…」
時が少ない。その内容について話したいのも山々だったが、今は説明に時間を割けぬ
「此れを…」
実穂高は懐から翠の石を紐で結んだものを取り出す。実穂高が守護の術を施したものだ
それを見て逸彦は目を細める。深い青翠色に、白い濁りが入って居るそれは滝壺を思わせる
「奇麗だな…それが?」
「護符を作った…」
実穂高は手が震えそうになるのを必死で堪える。後ろで見て居る水師も、何かを感じて実穂高を見詰める。師匠は何に葛藤しているのだ
「逸彦殿に、差し上げとう思うて」
「我に?我になど…」
「ああ、その為に作ったのだ。どうか持って行ってくれ」
「そうかそれなら折角だ、有り難く頂こう」
逸彦が差し出した掌を開くと、実穂高は翠玉をそれに落とした。その手はなかなか引っ込められず、もどかしそうに宙を彷徨う。幽れるような小声で俯いて言った
「どうか、戻って来てくれ…」
「え」
逸彦が聞き間違いかと思い返すと、実穂高は今度ははっきりと逸彦の目を見て繰り返した
「どうか必ず生きて帰ってくれ」
「ああ、無論」
実穂高の目が己を貫くように射った。その懐かしい温かさに心が震えた。実穂高の顔を改めて見た。今まで、己に関わり無い人と思い、あまり認識していなかったのだ。美麗な顔立ちの中の切なげな瞳が己を見詰めている
己はこの人を知らない。なのに知っている。宿世の何処かで会ったか。胸の鼓動が己の耳に煩く響いた
思わず視線を反らせた。目を合わせぬように礼を言うと、翠玉を握り締めて逸彦は実穂高から離れ背を向けた
半ば茫然とそれを見送る実穂高は、遂にその手にすら触れる勇気が無かった事を少しだけ悔いていた
僅かだが、不安を感じる。それが何かの兆しなのか、己の心が逸彦に囚われている所為なのかわからない
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ああ、逸彦って颯雅君の前世なのね。それで彼はどうなったの
“死んだ…自害した。我は彼の者を救えなかった”
実穂高の言葉に凛は悲しい思いに身を沈めた




