勇者が生まれてしまったので、魔王様から婚約破棄されました
「キルヒ様、この反応はおそらく……」
「ああ、そうだろうね」
公爵魔族である私、シルビア・バーテンドは魔王キルヒと共に光輝く水晶玉を見つめていた。
その水晶玉は代々魔王一族に受け継がれている、大変貴重なものである。
水晶玉の用途はただ一つ。我々魔族を殺すためだけに生まれてきたといっても過言ではない勇者の誕生を知らせる物であった。
「……勇者が生まれてしまったか」
「そのようですね。ですがご安心くださいキルヒ様。私が臣下として……そして婚約者としてキルヒ様をお守りいたします」
魔王キルヒはこう言ってはあれだがあまり強くない。
歴代の魔王は勇猛果敢で向かうとこ敵無し、傍若無人で優しさは甘えだと考える者しかおらず、武力で多種属を従えさせようと躍起になっていた。
しかしキルヒ様は違った。生まれつき魔力量が少なかったため、魔王の子供でありながらビックボア程度の魔獣にすら劣る能力しか持ち合わせていなかった彼は、とても優しく穏やかな魔族だった。多種属と暴力による支配関係ではなく話し合いによる協力関係を築きたいと本気で考えていた。
本来ならば魔王になれるような能力は彼にはない。だが運が良いのか悪いのか、先代魔王はキルヒ様を授かったすぐ後に勇者と相打ちになって死んでしまい、そのため自動的に彼が魔王の座へ君臨することになったのだ。
今代の魔王は軟弱だと誰かが言う。今代の魔王は臆病者だと誰かが言う。しかし私はそうは思わない。
彼は自分の弱さをしっかりと理解し向き合っている。そして自分の信念に従って、他者を尊重して生きるその姿は、私にはとても眩しかった。
だから私が守るのだ。この方はこれから必ず新しい世界を切り開かれるお方だ。こんな所で死んでいい方ではない。
……死んで欲しくない。
「そのことなんだけど、その、シルビア。少し話があるんだ」
バツが悪そうな顔でキルヒ様は続ける。
「……僕は君との婚約を破棄するよ」
……え
「い、いまなんと」
「魔王キルヒの名において、シルビア・バーテンドとの婚約破棄を宣言すると言ったんだ」
「キ、キルヒ様。私が何か不快になるような事をしたのでしょうか」
何故?
その言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡る。
動揺のあまり口がうまく動かない。何だか目元もチカチカする。間違って毒物でも飲み込んでしまった気分だ。
「シルビアに何か落ち度があったわけではないよ。問題があるのはむしろ僕の方だ。ごめんね」
「キルヒ様に問題などあるはずがございません!もし何か抱えておいでなら私が微力ながら解決のお手伝いをいたします。ですから……」
「ありがとうシルビア、そしてごめんね。もう決めたことだから。君にはこれから非戦闘員として魔王城の管理を任せるよ。よろしく頼んだよ」
そう言ってキルヒ様は鍵の束をポンと私に手渡すと、ゆっくりと部屋の外に出て行ってしまった。
私は……動くことが出来なかった。
本当はキルヒ様に理由を問い詰めたかった。彼の手を握って、私から離れられないようにして。
でも体は重たい空気に拘束されたかの様で、私の言うことを聞く様子が全く無かった。
私はキルヒ様に見捨てられてしまったのだ。
私はキルヒ様に愛されていなかったのだ。
そのどうしようもない事実だけが、私の頭の中を支配して、グチャグチャにかき乱していた。
この日から私の世界は絶望の色に染まってしまった。
その後すぐ、勇者が成長しきる前に抹殺するための先行部隊が派遣された。
そしてその部隊にキルヒ様も加わることとなったので、魔王城で彼を見ることは一切なくなった。
本来であれば私も先行部隊に参加し、彼に危機が訪れれば身を挺して守る予定だったのだが……まあ役立たずの私には関係ない。城にある、使われていない部屋の掃除がお似合いだ。ほこりをかぶった部屋と同じように、私なんている意味もないのだから。
……そういえばキルヒ様がくださった鍵の束の中に、一つだけどの扉の物でもない謎の鍵が存在する。魔王の婚約者として魔王城によく来ていたのにもかかわらず知らないことがあるなんて、やはり私は自分が思うよりも不出来な魔族なのだ。
キルヒ様の婚約破棄は正しい選択だったのだ……
数ヶ月後、先行部隊が魔王城に向かってきている姿を確認した、との報告が城内に響き渡った。
魔王城で働いている我々は、急いで主を出迎えるため魔王城のホールで待機をする。ホールの中央に設置された玉座も、今か今かと主の帰りを待ちわびているように見えた。
報告から少しして、扉から先行部隊の者達が規則正しく整列しながら入ってきた。先行部隊に参加していた魔族は皆一様にどんよりとしながら、先頭にいる屈強な魔族に連れられている。確か先頭の方はハルド伯爵魔族。キルヒ様のご学友で、良く一緒に遊ばれていたのを覚えている。あの時キルヒ様はとても楽しそうに笑っていた。
……もう私の前でああして笑うことはないのでしょうね。
しかしなぜ彼が先頭に?キルヒ様はどこにおられるのだろうか。
部隊の中央にも後ろの方にもキルヒ様の姿は見受けられない。妙なざわめきが私の心をゆらす。
そんなことあってはならない。考えてはいけない。
なのに心の中で消しても消しても、不安は増大するばかりだ。
「敬礼!!」
先頭のハルド伯爵が大きな声を出し、誰も座っていない玉座に向かって敬礼をする。先行部隊全員がそれに習って敬礼をする。
「一体何事なのだ!キルヒ様はどこにおられる!」
魔王城の管理責任魔族がハルド伯爵に声を荒げて言う。
管理責任魔族の言うことはもっともだ。誰もいない玉座に向かって敬礼をするだなんて、まるで、まるで……
「……キルヒ様は人間の手によって殺されてしまいました」
城内の者達が驚きの声を上げ、ざわめきがホール内を覆い尽くす。
私には声なんて出せなかった。
まるで自分が空洞になってしまったような感じがして、ハルド伯爵が何を言っているのか理解出来なくて、彼の言葉が体内で何度も反響した。
「我々が勇者を狙っている事を知った人間は密かに罠を張り巡らせており、キルヒ様はそれに気が付くことが出来ずお亡くなりになられました」
キルヒ様が罠にかかった。だとしたらこの先行部隊は何をしていたのだ。
魔王の肉壁となるのが仕事ではなかったのか。どうしてこいつらが生き延びてキルヒ様が亡くなってしまったのだ。どうして、どうして……
どうして私なんかが生き延びているんだ……
「キルヒ様は子孫を残されておりませんので、本来であれば我々魔族は終わりです。このまま勇者に滅ぼされるのを口をくわえて見ているしか無かったでしょう。しかし、我々先行部隊は人間と交渉し、対等な同盟関係を築くことに成功したのです!」
ハルド伯爵は意気揚々と語る。まるでキルヒ様は死んで良かったとでも言いたげだ。
魔王とは我々のシンボルであり、我々の光だ。確かに魔王を失った我々には人間に対抗する手段も気概も残っていない。今の状況なら同盟は願ってもいない話だろう。
それに人間と対等な同盟関係を結ぶことはキルヒ様の念願でもある。本来ならば喜ぶべきなのかも知れない。
でも、私は喜べなかった。それどころか、今すぐ人間を一人残らず殺してやりたいという感情に支配されていた。
周りの魔族達は怒濤の展開に目を白黒させながらも、同盟が我々魔族にとって希望の光だと理解したのか、パチパチと手をたたき始めた。
先行部隊の生き残りは、魔王を殺した無能ではなく魔族を救った英雄であるかのように褒め称えられた。
そんな中私は、身動き一つ出来なかった。
今日という日は魔族社会にとってめでたい日なのかも知れないが、私にとっては人生最悪の日だった。
その後、英雄達を祝うパーティーが開催された。
誰かを祝うような精神状態ではなかった私は速やかに自室へ戻ることにした。
「ちょっと待ってくれ!」
私がホールと自室との間の廊下を歩いていると、後ろから追いかけてくる声がした。
振り返ると、先ほど英雄扱いをされていたハルド伯爵が息を切らしてそこにいた。
「ごめんよ。渡さなければいけない物があるんだ」
「すみません。急いでいるので」
私は再び背を向けて歩き出そうとした。この人とこれ以上同じ空間にいると気分が悪くなりそうだった。キルヒ様が死んだことで英雄扱いされている者など見たくなかった。
「キルヒから預かった物なんだけど」
私の体がピタッと止まる。もはや私の頭が言葉を理解する前に、勝手に体が止まっていた。
「これ」
そう言ってハルド伯爵は懐から鍵の付いた木箱を取り出し、私に差し出してくる。
私はそれをひったくるように奪い取った。
「じゃあ俺はこれで。やることがあるから」
ハルド伯爵はそう言ってホールの方へ戻っていった。
やることというのは英雄の様に扱われている自分に浸ることなのだろうか。
私は憤る気持ちを抑え込みながら、キルヒ様からの贈り物を大切に抱え込んで自室へと戻った。
やっぱり思った通りだ。
私は少し嬉しくなる。嬉しさを感じたのはいつぶりだろう。
木箱には、キルヒ様に渡された鍵束の中で唯一どこの扉の物か分からなかった鍵が刺さっていた。
蓋を開けると、木箱の中には手紙が入っていた。
間違いない。キルヒ様の字だ。丁寧ですこしカクカクした、とても読みやすい字だ。
私は早速手紙を読み始めた。
シルビアへ
この手紙を読んでいると言うことは、僕は命を失っているのでしょう。色々勝手なことをしてごめんね。なぜこうなったのか、君には知っておいてほしくて手紙を書きました。
君には前々から言っていたと思うのだけど、僕は人間と話し合いによる協力関係を結ぶべきだと思っています。でも今まで侵攻をし続けていた我々魔族から同盟を結ぼうと言っても、人間は信用してくれませんでした。
だから魔王である僕の首を彼らに差し出すことで同盟を結ぼうと考えてます。さすがに魔王が死ぬという対価があれば、同盟など屁でもないからね。
この話を知っているのはこの手紙を読んでいる君と親友のハルドだけです。ハルドには、先行部隊が魔王を見殺しにしたと罪に問われないよう、僕が勝手に殺された間抜けだと言うように指示をしています。
もしこれが成功したら、魔界はとても混乱するでしょう。僕はまだ子孫を残していないから、次期魔王が存在しません。なので今まで魔王中心で行ってきたもの全てを見直さなければならない次期がやってきます。
婚約破棄したのもそのためです。もし魔王の婚約者という肩書きを持ったままだと、どんな事に巻き込まれるか分かったもんじゃないからね。
相談もせずに色々突っ走って本当にごめん。君に相談しようと何度も考えたんだけど、そうすると一緒に死ぬなんて言い出すんじゃないかと心配になってしまって……
君にはこれからも魔界を支えてもらいたいから、生きてもらわなくっちゃ困るんだ。契約魔法は三十年で効果を失うから、それまでに国内を整えないといけない。
だから後追いなんて絶対にしちゃダメだよ。
最後に。
今まで照れ恥ずかしくてあまりストレートに感情表現できなくてごめんね。
君は僕の自慢の婚約者だよ。
愛しているよ、シルビア。
キルヒより
涙が頬を伝うのを感じる。
色んな感情がごちゃ混ぜになってて、悲しくて泣いたのか嬉しくて泣いたのかすら分からない。
でも泣いてばかりじゃいられない。
キルヒ様の思いを継いだ私がこんな所でクヨクヨしていてどうする!ハルド伯爵はやるべき事をしっかり全うしているというのに、私はなんて不甲斐ないんだ!
私は自室の扉に手をかける。
もう魔王様はいない。だけど私の心の中にはしっかりと彼の意思が宿っている。
私は自室から飛び出しホールへ向かう。
まずは今後英雄としてたたえられるであろう先行部隊の生き残りと仲良くなるべきだ。今後どのようになるにしろ彼らの発言力は馬鹿に出来ないだろう。
政治形態も魔王中心の物から国民中心の物に変えていくべきだ。今のままでは魔王に取って変わろうとする輩が生まれてきてしまうかもしれない。それはキルヒ様の望むところではない。
やるべき事はたくさんある。
私はもう迷わない。
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