9.
珍しい事に、先日、お偉いさんの方から俺に、新たな業務というか契約内容の追加についての打診があった。
流石にお偉いさんの方も俺の思考パターンをある程度は把握してしまったか、結果的に、多少の修正といくつかの条件を追加するだけで、すんなりと合意に至る。
うん。合意後のお偉いさんの微かに見え隠れする満足げな表情に、少し邪推してしまった俺は、悪くないと思う。何だか良いように掌の上で転がされている感がそこはかとなくして、何となく癪に障るのだ。
と、まあ、そんな訳で。本日は、その追加契約に基づく最初の案件で尚且つ初日の対応、という事もあって、いつもよりも圧倒的に早い時間から起床して準備を行っていた。
そして。今、まさに、出掛けるところ、なのだが...。
今日も安定の、お仕事が出来るプロのメイドさんを貫く、カナさん、が俺の傍に控えていた。
俺が、これから、お仕事という名目で他の女性の元へと行為を目的として訪れるのは明白なのだが、非難する素振りも、怒りの波動も、嫉妬している気配すら、カナさんからは綺麗さっぱり欠片も見受けられない。
そう。俺の目が腐っている可能性については全く以って一ミリたりとも否定は出来ないが、そのような雰囲気を一切感じさせない安定のお仕事モードを披露してくれている、カナさんだった。
う~ん。これって、つまり、俺はカナさんから好かれている訳ではない、ってこと?
散々、マリさんに煽られ揶揄され、一人で勝手に盛り上がった挙句にあれこれ色々と思い悩むも、結果的に碌な解決策を見い出すことが出来ず、カナさんに会わせる顔がないと追い詰められビクビクしていた俺は、自意識過剰な痛いヤツ、って事になるのだろうか...。
この国での女性の扱い、特に夫婦間における奥様の扱いは、ある意味で酷いものがある。
俺も、いくつかの実例を、目の当りにしたことがある。が、決して、気持ちの良いものではなかった。
更に言えば、反射的にその暴虐を止めようとして余計に事態を悪化させてしまった、という悪夢のような記憶さえ持っていたりする。
少なくとも、正面突破の正攻法で阻止しようとしても無駄、なのだ。弱肉強食が当たり前となってしまっているこの社会では、正論を唱えるよりも慎重に搦手で追い込み確実に退路を絶った上で強者の力を利用して止めを刺さないと、最終的には回りまわって必ず弱者である女性本人へと皺寄せがいく事になる。
世知辛い世の中、だった。
そんな理不尽で悲しい現実を知らない筈もないカナさんが、夫婦というモノに俺のような前世の記憶に引き摺られた儚い夢を持っている筈も無いだろうから、俺がカナさんにとって恐怖の対象っぽい感じであったとしても不思議ではない。
けど。それは、悲しい。
っていうか、そんなの、俺の求めている形ではない。
俺は、カナさんと、健全で良好な男女の関係を是非とも築きたい、と所望する。
のだが...俺って、存在自体が不健全?
いや、いや。職業やギフトに貴賤はない、と思いたい。
誠意をもって対応すれば、真心は伝わる、よね?
やはり、俺たちの明るい未来を実現する為には、カナさんとの真摯なコミュニケーションが必要だ。と改めて痛感する一方で、どのように意思の疎通を図れば良いのかについては全くのノーアイデア、だった。
そう。昨日は一晩ほど不眠症になりながらも色々と思索を巡らせてみたが、総論賛成で各論反対の議論みたいな感じで具体案を何一つ思い付けなかったのだ。とほほほほ。
と、まあ、なんだ。
様々な課題が滾々と湧いて出てきそうな新たな取り組みを始めようかという時に、あまり芳しくない精神状態で臨んだのが祟った、のかな?
どういう訳か、俺の目の前では、これぞステレオタイプといった感のある嫌らしい光景が、先程から大々的に長々と展開されているのであった。
お偉いさんの経営する系列とは異なる、この街でも中堅どころの娼館。
その支配人だというオッサンは、案の定というか予想通りというか、でっぷり太ったイケすかない感じの中年オヤジ、だった。
その上、定番の進行というかお約束の対応というか、そちらから依頼しておきながら上から目線で尚且つギラギラの疑いの眼差しを向けてきたかと思うと、何が何でもマウントを取るつもりなのか、いきなりの喧嘩口調での冒頭の挨拶から始まって恐喝紛いの怒声が随所に織り込まれた茶番が延々と繰り広げられているのだ。
ダメだ、こりゃ。
現実逃避して、俺の抱える現在の最優先事項であるカナさん問題に思考を割きつつ、でっぷりギラギラ中年オヤジの話を適当に聞き流していたのだが、もう潮時、かな。
まあ、そういう対応しかできない可哀そうな人である可能性も無きにしも非ずではあるが、舐められて契約違反をされても後で困るので、早々に虎の威を借りて潰しにかかる事とする。
うん。俺も、嫌な大人に向かって急成長中、だよね。ははははは...。
「はい、はい、支配人さん。契約内容は、読まれましたよね?」
「な、なんだとぉー」
「支配人さんと契約したのは、私ではなくて、私の雇用主ですが、その点は理解されていますよね?」
「お、おぉー」
「で、私の雇用主ですが、かなり苛烈な御仁だと思うのですが、ご存じないですか?」
「うっ...」
「私は、私の雇用主と支配人さんが結んだ契約に基づき、私の雇用主からの指示に従って行動します」
「だ、だから、ワシがだな...」
でっぷり支配人氏は、ここぞとばかりに、効果があるか眉唾だ、証拠を見せろ、と吠えながら、体調が少し良く無さそうに見えなくもないボンきゅんバンで美女なお姉さま三人、での実証を要求した。
あくまでも、高飛車に。真っ赤な顔を微妙に引きつらせつつも、口角泡を飛ばし、罵倒を織り交ぜながらの一方的な要求の言葉を連射する。
う~ん。でっぷり支配人氏、本当に理解しているのだろうか?
俺の雇用主殿が、俺との契約に基づき、契約違反が発覚したら念入りに精査して契約内容に基づいた相応の罰則を適用し、容赦なく取り立てを行うことになるのだが...。
ただ、まあ。俺の雇用主殿の経営する店でも、俺が直接、店の帳簿や書類を確認し、契約内容が順守されているかどうかを最終確認しているので、当然、この店でも同じ対応をするのが前提となる訳なのだが、俺を脅して誤魔化せば何とでもなる、なんて考えている?
いやいや、俺の雇用主殿がそんな甘い御仁な訳ない、って知らないのかなぁ。
これは、このギラギラでっぷり支配人氏の先が見えてしまった、って事なんだろうか...。
「はい、はい。苦情は、私の雇用主まで直接お願いしますね!」
「おい、こら」
「ちょっと、ごめんなさいね」
「あ、こらー」
「はい、はい。えっと、お姉さま方、そこを通して頂けます?」
「ま、またんか、ごらぁー」
「ほい、ちょっと失礼しますね」
俺は、オッサンが後ろに並ばせていた、この店では上位ランクの女性らしきお姉さま達をパス。店の内部を見せるようにと要求しつつ、ずんずんと、少し強引かつ勝手に、奥へ奥へと分け入っていく。
そして。
敢えて、完治しても店にとっての利益が薄くて冷遇されていそうなお姉さんを、探す。
お、いた、居た。
そう。この国では評価が低くなりがちな、美少女さん。
しかし、可哀そうに。かなり体調が悪そうなのに、雑に扱われているね。うん、この子にしよう。
俺は、適当に良さげな部屋を選択し、その女の子を連れて勝手に入り込み、他の人はオッサンも含めて全てシャットアウトするのだった。