6.
現在の俺が得ている立場は、砂上の楼閣であり、脆く危ういモノである。
そう正しく認識できている筈なのだが、近代日本での平和ボケした感覚にどうしても引き摺られてしまうのか、今一つ危機感に欠ける。
今世での、貧困とシビアな社会に揉まれ苦労してきた実体験がありながらも、経済的にも時間的にも多少の余裕が生じた途端に、生き残るための努力に緊迫感を持って取り組めなくなってしまっている。
ダメ駄目だよな、俺。
という訳で。偶然の産物である優雅な現状という微温湯に首までどっぷり浸かり、怠惰な生活に慣れ親しみ堕落しきっていた俺は、遅まきながらも一念発起し、手当たり次第の自己開発を励むことにした。
あれこれ理由をつけて、現在の俺にとってはスポンサーに相当するお馴染みのお偉いさんと、交渉。
剣や槍などの、武術。
ナイフや暗器などの、護身術。
ダメ元での魔術や精霊術など、ファンタジーな技能の修得。
など、など。
お偉いさんが持つ様々な伝手を辿って駆使し、粘り強く折衝した結果、それなりに高名な専門家の方々から教えを乞うことになった。
のだが...やっぱり、俺はダメな奴、だった。
鍛錬によって得られるようなカテゴリーの技能が開花する才能が無い、という厳しい現実を改めて突き付けられてしまった、俺。
うん、心が痛いぞ。しくしくしく。
かなりの無理筋を押し込んで相応の犠牲まで払って得た、乱世を生き抜く為には必須な技能を修得できる絶好の機会。
そんな千載一遇のチャンスを、俺には活かせる土壌がない、といった理由で諦めざるを得ない状況に陥るとは、トホホホホ、だった。本当に、泣けてくるぜ。
けど、まあ。不幸中の幸いとして、カナさんには護身術の才能がある、という驚愕の事実が判明した。
ははははは。
ちなみに。何故にカナさんの才能が発覚したかと言えば、俺の鍛錬での一時的な補助役として駆り出された際に筋が物凄く良いと感付いた講師の先生が、強引かつ無理やり俺の相方として鍛錬のメンバーに引き摺り込んだから、だったりする。
ただ、まあ。そのお陰で、カナさんの隠れた才能を伸ばすことが出来る。
いや~。ある意味、幸運だったと思う。
そう。この弱肉強食な世界では、戦闘能力は、大きな武器となる。
だから。この機会を存分に活かしておくべきだ、と俺は考えているのだ。
そう。例え、俺が鍛錬を続けても然したる成果は得られない、というのが自明の理であったとしても、だ。
俺は、乱れた息を整えつつ疲労した身体を休ませながら、目の前で繰り広げられる、カナさんと護身術の講師である熟練の女性兵士さんとの一対一の訓練という名の武力衝突を、ホケっと眺めていた。
キン。
カン、コン、ガン。
カキン。
バキ、ゴン。
カンカン、カンカンカンカンカン。
いや~、何だか演武でも見ているかのような、お見事な鬩ぎ合い、だ。
唯々、凄いな、と思う。
けど。はっはっはっはは...少し、悔しい、かな。
本日の護身術の鍛錬を終え、カナさんは、俺からの業務命令という建前でのお願いを受け入れて、先程から暫しの間、入浴と着替えと休息の時間を取ってくれている。
当初は俺からのお願いというだけでは頑として頷いてくれず、激しい運動をした後であっても完璧な侍女さんと化してメイドさん業務にそのまま戻ろうとするので、致し方なく、業務命令という形を取らせてもらっている。
そんな、カナさん不在の状況を目聡く見つけたナツさんが、今日もまた、俺の前へとぴょこんと現れる。
「せんせい、こんにちわ」
「やあ...」
「偶然ですね。お部屋に帰る途中ですか?」
少し茶色っぽい黒髪を、毛先が軽く内側にカールしたショートカットの、可愛い女の子。
合法ロリ、ではない、のかな?
俺は正しい定義など知らないのだが、ロリと言うには少し成長し過ぎ、と言われそうな感じの体形。
ボンきゅんバンではないけれど、それなりに、女の子らしい体つき。
出っ張りは大きくないが、華奢な感じで要所はキュッと締まり、柔らかそうで緩く丸みを帯びた女性的なプロポーション。
そして。少し癖はあるが、普通に整っている奇麗な顔をした、美女ではなく可愛いらしい女の子。
うん。外見だけなら、完全に、俺のストライクゾーンに入っている。
けど。苦手、なんだよなぁ...。
「ね、せんせい。ご一緒させて?」
「えっと...」
スッと自然な感じで俺に身を寄せ、軽くしな垂れ掛かってくる、ナツさん。
うん。この妓楼に所属する女の子は、皆さん、身に付けている基本技、だよね。
けど。俺に対して使うのは違う、と思うんだよなぁ...。
攻めるナツさんと、躱し逃亡を計る俺。
何を勘違いしてしまったのか、貪欲に機会を見つけては俺に迫ってくる。
隙あらばと、俺に、身請けするか庇護下に入れるよう執拗に求めてくる。
いやいやいや。誤解してるよ、ナツさん。
そう言ってみた事もあるのだが、ジト目と作り笑顔のコンボでスルーされてしまった。
俺の不安定な立ち位置が正しく理解できないのか、パッと見には優遇された地位を得ているように見える現状に騙されてしまっているのか、頑なに、俺を好物件と見定め攻勢を仕掛けてくるのだ。
正直、困っている。
当初は、俺の好みにバッチリと嵌っている見た目に惑わされそうになったものの、気を引き締めて誠実な対応を心掛けているうちに、そこはかとなく随所に小狡い感じがフッと滲み出てくる難儀な性格が垣間見えるようになり、今では対応に苦慮する人物としての地位を立派に確立してしまっている。
本当に申し訳ないのだが、俺の守備範囲内ではあるが微妙に苦手なタイプとして分類されてしまったナツさん、だった。
初めのうちは、カナさんを完全に無視して俺の傍へと躙り寄って来ていた。
のだが、俺が困っているのに気付いたカナさんが、強引に排除するようになる。
と。それ以降は、カナさんの不在を突くかのようにしてナツさんが現れるようになった、のであった。
困った人である。
ナツさんは、可愛いのだから、もっと良い人を探せば良いのに。
俺がチョロそうなのは確かだが、そこまで美味しい獲物ではない、と思うよ。
ナツさん程の人気者であれば、俺なんかで妥協する必要など無いと思うのだけど...。
まあ、確かに、世間の主流というか、この手のお店で持て囃されるのは、ボンきゅんバンでグラマラスな女性だったりするので、ナツさんの現在の地位が安泰とまでは言えない。
けども、特定の層には根強い人気があり、常連さんも一定数は付いていて、ランキングの割と上位につけているとも聞くので、より一層の高みを目指しては如何だろうか?
アグレッシブで可愛いナツさんに、良い出会いがあることを切に願う、俺であった。