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第22話 心の内にあるもの 1

 俺はやりきれない気持ちで寝台に寝転がった。支柱の模様に結婚前に刻んだ文字が目に入る。


「寝台ハ私ヲ試ス。

 其ノ器二アル其ノ精神ヲ。

 孤独ハ私ヲ唯一人ニ成ス。

 神々ノ寝台ニ入レバ楽園ハ閉ザスダロウ」


 孤独は私を唯一ゆいつ人に成す、か。戒めに入れた文字もあんな事をしては意味を成さんだろ。



 元々、どんな相手が選ばれようとも夫婦関係を持つつもりは無かった。子どもは望まない。だが結婚は貴族の義務で避けようがない。


 結婚式で相性98%と宣言を受け、まぶしい笑顔を見せたアナ。素直に喜ぶ彼女は愛情を注がれ、順風な人生を過ごしてきたのだと思ったが、違った。

 壮絶な療養生活の果てに勝ち取ったのだ。そんな彼女が望むことこそ子どもだった。


『ニール、つまりわたくしはお飾りの妻として相性が98%だと仰りたいの?』

 

そう言い放つ彼女の眼は遠くを見ていて、施設の学舎裏で死んでいた下級生を思い出し、俺は冷たい対応をした。

 俺が望んだ冷え切った関係を引き寄せたはずだが、後味の悪さだけが胸を支配した。


『……それなら私の事はアナと呼んで。夫にしてもらいたい事リストの1つめだから』


身勝手な俺の要求に物欲ではなく対話のテーブルを用意したアナに心が引き寄せられた。どこまでも純粋で優しいひとだと感じた。


 無欲な彼女に何でも買うと宣言しても、茶菓子にスコーンと杏子のジャムを頼む? なんて可愛い欲望だ。そんな事、いくらでも叶えてやると思った。


 それに、新婚旅行の時には十二回も受胎テストを受けたと聞き俺は戸惑った。魔術の記憶創作による妊娠出産経験は、お産への恐怖を軽減すると推奨する産科医もいる。

 だが俺は否定派だ。肉体に刻まれる生々しい体感と子の不在。気を病んで治療院通いする女性たちを知っているからだ。


 さらに驚いたのは彼女の魔脈を見て分かったが、体中の臓器にある魔石だ。埋め込むには生まれた時から手術を繰り返さねばならない。おそらく6年ほどは手術と平行して受胎テストも受けている。その精神的負担は俺が産婦人科医なので理解できた。


 例えば俺には5歳から8歳までの記憶がない。脳は酷い記憶を忘れて心を守る。だが受胎テストは本番に備える意味ため魔術で忘れられないよう焼き付ける。生死を彷徨う大手術の中で、子を身籠り失った彼女の精神の強靭さに俺は驚きと畏敬の念を持った。


『アナスタシア、君はもう身体をいじらなくて良いんだよ』


 全身全霊をかけてアナの未来を守りたい。だがアナスタシアは視線をそらせた。


『……まだ頑張らなくちゃいけないわ。健康になれば次は人並みになる事が目標に置き換わるの……』


 子供を望まない俺が側にいる限り、彼女は人並みになれない。王室が離婚を禁じているこの国では、悲痛な魂の叫びのように俺に突き刺さった。


 ニール、可愛い女に情けを与えるべきではないか? 繁栄ではなく癒しの手段として与えてやれ、自制できる男だろ? 


 俺の中の悪魔がささやく。理性は欲望に支配され投げやりになりかけて、急患に救われた。


 翌朝アナがジャケットに包まって眠る姿にいたたまれない。悪いと思いつつソファーを繋げて眠り、目覚めた時には彼女は怒っていた。


 旅で満足させる自信はあった。旅の前に妖精にリ彼女好みを尋ねると「水槽、命、水槽、命」と繰り返していたから、アクアリウムを選んだ。


 だがアナの機嫌は最悪だった。それでも仲直りできた事で安堵した。マーケットの買い物も事前に調査済み、何か買ってやろうと思っていたがあんな事になるとは思わなかった。


 商売下手な労働者階級の男は明らかに知識を持たず、薪代わりの紙の本を売って日銭を稼いでいた。文化司書の職能を持つ彼女からすれば許し難い行為のはずだ。

 それでもアナは男に助言した。でも男はアナを侮辱した。男に腹が立ったがアナが彼に敬意を払い続けているのが分かったので怒りは堪えた。


 だが、騒ぎを聞きつけた自動人形の騎士に魔術を行使して庇った時はさすがに我を忘れた。


 せっかく生き抜いた命を、侮辱してきた男の為に容易に危険にさらすのか君は? わずかな石化も命取りになるのにどうかしている! 


 急ぎホテルへ向い、石化場所を確認するために彼女のドレスを脱がせる。


『大丈夫よニール……』


 裸のアナスタシアの方がむしろ俺を心配そうに見ているのは分かっていた。

 アナは俺が守ると言い聞かせても厄介な欲望が満ちてくる。色白の肌に黒髪を落としたアナは艶かしく、顔を赤らめ身じろぐありさまは俺の内にある生存欲求を刺激した。


 シャワーに逃げて冷静になると今度は不安がふくらむ。数%の確率で見えない所が石化した症例があったと思い出し、治療院での検査入院も提案するが彼女は取り合わない。

 本人が納得しない以上、無理に連れ帰ることもできない。最大限に妻の意向を汲むと決めたのに、心の内は落ち着かない。産婦人科医は数値に敏感だ。 


 それでも俺は冷静を装い、愚痴話すらアナは熱心に耳を傾け、立派だと称えたので手を彼女に伸ばす。俺よりも、君の方がとてつもなく優しい頑張り屋だ、そう思いながら髪に指をかめると、アナは目尻に涙をためた。


『泣いているのか?』

『違うわ、煙が目にしみたのよ』


 マグロから煙が立ち上ったのは本当だが、ごまかしたのは分かっている。俺は君を泣かすことしかできない。髪に付いた煙の匂いを君しているアナに頭皮の視診を見落としていた事に思い当たる。

 食後に温泉に彼女を誘い、彼女の柔らかな頭部を触診しながら洗い上げた。


 触診していて、もう一つ確認し忘れている場所に気づく。気になると抑えられないのは俺の悪い癖だ。


『アナスタシア、ひとつ頼みがあるんだが聞いてもらえないか?』


 安心するために利用したんだろう? 悪魔が俺の横で微笑んでいる。

 黙れ、医者として妻の健康管理は当然だ。衛生手袋に小瓶の潤滑剤を落とす。だが悪魔はささやく。


『ニール、無垢な彼女に教えてやれ。生殖だけが全てではないし触診だけが全てでもないぞ』


 アナの潤んだ瞳は完全に俺の理性を吹き飛ばそうと試みた。それでも医者であり続けた俺にアナは怒り、説明も聞き耳を持たず、叫んだ。


 手汗で脱げない衛生手袋をようやく外し、ハグしてなだめようとする腕をすりぬけ、彼女は酒をラッパ飲みした。クッションを投げつけられ、フラつく足でソファーを重ねるアナをさりげなく手伝うとそのまま倒れるように滑り込む。


 裏返したソファーはまるでヤドカリだ。隙間に身体を滑り込ませ気絶するように眠ったアナ。側に座り、隙間へ手を伸ばしてアナの手のひらを握る。

 握り返されて俺は息をのむ。初めて王城で差し出した手を握られた高揚感を思い出した。


 まいったな、これは。

 俺は君に心から惚れているのか。  


 ソファーの下をそっと覗きこむが、手を握られたアナは幸せそうに眠っているだけだった。俺は柔らかな手の内に温もりを感じてソファーに持たれて眠った。



 俺は彼女を自分のものにしたくなっている。だが、彼女と繋がったら決定的に世界が変わる。俺は支柱の文字に視線をやる。


「神々の寝台に入れば楽園は閉ざすだろう……か」


 だから俺は書斎に降り、魔法船ベッセルで魔法の国にある秘密部屋に降りた。

お読み頂きありあがとうございます。

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