夢の中で憧れだった先輩に告白したら無理って言われたけど実はタイムリープしたっぽかった
地元の高校からの親友、宮下敦から連絡があった。
都内への転勤で、近くに引っ越してくるそうだ。
せっかくだから都内にいる当時の部活仲間を誘って飲み会しようと提案された。宮下が先輩や後輩も含めた元部員達に声をかけてくれるらしい。元々部員の少ない軽音楽部なので、それほど多くは集まらないだろうとの事だった。
俺、梶谷涼平は、都内勤務のサラリーマン。
12年前からの恋を引きずって、28歳彼女無し。
宮下の言う『当時の部活仲間』には、憧れだった先輩、橘ゆかりは含まれているのだろうか。あの頃の思い出が蘇ると、きゅっと胸が苦しい。都内の大学へ進学した事は知っているが、どこに就職したかまでは知らない。会いたい気持ちはあるけれど、正直なところ複雑だ。
今更だけど、橘先輩が卒業した時に断ち切った思いが、また湧き出てしまったらどうしよう。もう結婚しているかもしれないし、結婚していなくても彼氏持ちかもしれない。そんな近況は聞きたくない。
飲み会は上野のジンギスカン。仕事を定時で切り上げてお店へ向かった。
駅を出て高架下を歩きながらお店を探す。駅前広場の一つ先の路地を右に曲がる。雑居ビルに掲げられた赤い看板に店名が書かれてあった。ここだ。
今日の飲み会に誰が来るのかは宮下からは聞いていない。橘先輩が来るかどうかは運命に任せようと思ったからだ。
地下への階段を降りて店のドアを開ける。店員の挨拶に軽く会釈をしたところで、正面に見えるボックス席に宮下の手を挙げる姿が映った。
その様子を察した店員が、宮下の居る席へ案内してくれた。宮下の正面にはセミロングヘアの女性が座っていた。はやる気持ちを抑えるよう『平常心、平常心』と心の中で唱える。が、橘先輩じゃなかった。野川彩香だ。同じ元部員の同級生。ショートヘアの記憶しかないので、ぱっと見では誰だかわからなかった。
「ええと、今日はこれだけ?」
宮下の隣に座りながら尋ねた。
「みんな何かと忙しいんだってさ」
宮下は肩をすくめて見せた。三人での飲み会になるのか。
「あと橘先輩も来るよ!遅れるそうだけど」
野川はニッと微笑んだ。ショートヘアだった頃の笑顔と同じだった。
そうか、橘先輩は来るのか。こうなったらもう、会いたい気持ちしかない。
「ま、とりあえず1回目の乾杯しようぜ」
宮下が泡の付いた空のジョッキを持ち上げた。それ絶対1回目じゃない。
野川も飲んでたのかとテーブルの向かい側を見ると、ちょうど野川のスマホにメッセージが入った。
「橘先輩、『まだ時間かかりそうだから先に始めておいて』だって」
野川は残念そうな顔をしてスマホをテーブルに置いた。
「しょうがない、先に始めますか」
宮下は店員を呼んだ。
結局、橘先輩は来なかった。意外だったのは俺以上に宮下と野川が残念がった事だった。理由を聞いたら驚きの事実が発覚した。この飲み会は仕組まれていたのだ。
宮下は俺が橘先輩に好意を持っている事を覚えていた。当時、たまたま女子がいなくなっていた部室で『どの子がタイプ?』って話題になった。宮下が『梶谷は橘先輩だよな?』と言ったのを否定できずに顔を真っ赤にしてしまった。そこでばれた。
野川は橘先輩と今でも交流がある。橘先輩を飲み会に誘う時に、俺が参加することを伝えたら異様な盛り上がり方だったそうだ。そこで野川は高校時代を思い出した。部室で、橘先輩が俺のことをずっと見ていたことを。橘先輩は何故か今までずっとフリー。モテそうなのに。
宮下と野川の二人は、あらゆる考察をした結果『ひょっとすると梶谷と橘先輩はくっつくんじゃね』と結論に至って、他の元部員に声をかけるのは止めて、俺と橘先輩を会わせるための会にした。
余計なお世話のような有り難いような、もんもんもやもやするけども、次こそはという期待がこみ上げて来た。そんな翌日の昼下がり、早速宮下からメッセージが来た。もう次の飲み会の予定が決まったのかもしれない。期待いっぱいにスマホを見る。
『橘先輩が入院。意識不明。病院は分かり次第連絡する』
会社を早退した俺は、病院へ駆けつけた。橘先輩の病室には既に宮下と野川の姿もあった。橘先輩のお母さんの話では、歩道橋で足を踏み外して転がり落ちてしまい頭を打って意識が戻らないという事だった。検査の詳しい結果は橘先輩のお父さんが医師から説明を受けているところだそうだ。
頭に包帯を巻いてベッドに寝ている先輩は、憧れていたあの頃のままで印象はまるで変わっていない。まさかこんな形で再会するなんて。
野川は、橘先輩が何の連絡も無しに飲み会をキャンセルすることはあり得ないと思って、ずっと連絡を入れていた。今朝になってやっと橘先輩から電話があった。ところがその電話に出てみると母親と名乗る女性からで、昨夜に緊急搬送されて入院したことを知らされた。その事は野川から宮下へ、宮下から俺へと伝わった。
病室に戻ってきた橘先輩のお父さんと入れ替わるように、『また来ます』と言い残して病院を後にした。本当は検査結果を聞きたかったけれど、部外者が聞いてよい雰囲気ではなかった。
野川は宮下の腕をつかんで、ずっと下を向いて歩いていた。途中の駅で宮下、野川と分かれた。別れ際に宮下が言った。
「こんな時に言うのも何だけど、転勤になったのをきっかけに野川と一緒に住むことになったんだ。結婚も考えてる。梶谷と橘先輩の前で伝えるつもりだった。そうすれば梶谷と橘先輩はくっつくかなって思ってさ。まさかこんな事になるなんて」
宮下と野川は、相当責任を感じているようだった。
最寄り駅を降りて家路についた。立ち寄ろうと考えていたスーパーもコンビニもスルー。何かを食べないといけないが、喉を通りそうにない。賃貸マンションの階段を登り、ドアを開け、部屋の灯りをつける。部屋の片隅には、12年前に橘先輩から貰った赤いセミアコースティックのエレキギターがスタンドに立てかけてある。手に取ってベッドに座った。もう随分と弾いていないので弦も錆びていて、ひりひりと指に引っかかる。
橘先輩はギターが上手だった。お兄さんもギターを弾いているそうで、その影響だと言っていた。ギター初心者だった俺に教えてくれたのも橘先輩だった。
「人差し指でセーハするなら、フレットの近くだよ。そんなに力入れなくていいから。ふふ、それだとBマイナーだよ。Fは指をここ」
耳元で橘先輩の優しく落ち着いた声が心地よかった。憧れが恋に変わったのはこの頃だった。
野川の思い出では、橘先輩は俺をずっと見ていたと言っていた。けど俺の記憶では、橘先輩にギターを教えて貰っていることばかりだ。部室でも、空き教室でも。ああそうか、二人きりだったな。
「そのギター、気に入った?
いいよ、梶谷君にならあげても。
その代わり、……と思って大切にしてね」
あの時、聞き取れなかった言葉が『わたし』だったなら。その応えとして、勇気を出して告白していたら。未来が変わって、橘先輩の意識が戻らないような事にはならなかったかもしれない。
橘先輩から貰ったギターを抱いたまま、ベッドに横たわって目を閉じた。あの時の情景を鮮明に呼び戻すように。願わくはあの頃に戻って橘先輩と向き合いたい。
「……くん、梶谷君」
目を開けるとブレザーを着た橘先輩が立っていた。高校の制服だ。
日が差し込む空き教室の後ろの方の窓際の席で、俺はギターを抱えて座っていた。一緒に練習していた懐かしい風景が広がっている。これは夢だ。橘先輩を思ってベッドに横たわってそのまま寝てしまったんだ。
「そんなに大事に抱きしめて。そのギター、そんなに気に入った?」
橘先輩は、少し前かがみになって顔を近づけてきた。
「え、あ、貰ってからずっと大事にしてました」
夢の中でも久しぶりの会話だから、緊張してしまった。
「あれ?もうあげてたのだったっけ、これ」
橘先輩は姿勢を戻し、少し斜め上の方を向き、口先に左手人差し指を押し当てて、考えている風な様子で言った。
「え?」
「え? いや何でもない。こっちの話、こっちの話」
橘先輩は慌てた様子で、両手のひらを前に出してぶんぶん振っている。こんな姿見たことない。なんだかかわいい。そうか、夢の中は高校時代だけど中身の俺はアラサーなんだから、そう思うか。
夢の中……だよな。グランドから聞こえてくる運動部の声や教室内を取り巻く空気がヤケにリアルだ。抱きしめていたギターを持ち替えて鳴らしてみる。チューニングはだいたい合ってそう。6弦がやや低いか。少し巻いてGコードを鳴らしみる。弦が真新しいのでひりひりしない。音が生々しい。ピックが見当たらないので指で弾いたけど、感触がダイレクトに脳に伝わってくる。Fコード、Gコード、Eマイナー、Aマイナーの順に弾いてみた。音が、感覚が、リアルすぎる。
「梶谷君、こんなに弾けたっけ?」
「ええ、まあ。先輩に教わりましたし」
「この頃、ここまで教えたかなぁ。うーん」
橘先輩は随分と不思議そうだ。
そうだ。夢だろうとなんだろうとせっかく橘先輩に会えたんだ。あの時の心残りを今ここで晴らしておこう。例え叶わなくても目が覚めれば元通りだ。もし叶ったなら、橘先輩の意識が戻った時に今度こそ本当に思いを伝えよう。この夢から覚める前に伝えておきたい。
「先輩、聞いてください」
「曲?」
「違います。俺の気持ちです。ずっと先輩に憧れていて、それが恋だと気が付きましました。好きです。ずっとずっと好きです」
「えっ、えっ、そんな急に。えっ?」
橘先輩は狼狽えている。わかる。唐突だし脈略も無い。でもこれはアラサーの俺の思考がある以上は夢の中だと思っている。そうだと思えば大胆に行動できる。
「付き合ってください!」
「え、どうしよう。こんなの記憶に無い。ごめん、無理!」
ああ、流石に唐突過ぎたか。けれどもこれは想定内。どこが無理かを教えて貰えばラッキーだ。夢の中の橘先輩の言葉が俺の脳内で作られたものだとしても、神の啓示として記憶にとどめよう。
「理由を教えて貰っても?」
橘先輩はびっくりしたような顔をしたが、深呼吸するように気持ちを整えて俺に向き合ってくれた。
「梶谷君、信じてくれないならそれでもいいの。驚くかもしれないけど私ね、昨晩までは30歳の社会人だったの。今朝、目が覚めて高校時代に戻ってて、夢の中で夢を見た?いえ、夢から醒めたらまた夢だった?なんて思ってたんだけど、違ってた。間違いなく30歳の私が18歳の私の体に入ってるの」
なんて事だ。橘先輩も俺と同じ状態になっているのか。
「梶谷くんの告白は凄く嬉しくて夢にも思う気持ちなのだけど、いつ消えるかわからない30歳の私が気持ちに応える訳にはいかないの。だからごめん、無理なんだ」
「先輩、昨晩まで社会人だったって、ひょっとして飲み会へ行く予定でした?」
「え、なんで知ってるの?」
橘先輩は両手で口を押さえて驚いている。
これは本当に俺の中の夢なのか。まるで小説であるような“意識だけが過去の自分に乗り移るタイムリープ”が橘先輩と俺に巻き起こっているようだ。
橘先輩に、俺がこの教室で目が覚める前までに起こったこと、つまり、昨晩の飲み会に橘先輩が来れ無かった理由と病院で意識が戻らない事を説明した。自宅で橘先輩から貰ったこのギターを抱いて寝ていて、目が覚めたらここだったことを。そしてこの現象は夢ではなくタイムリープの可能性があることを。橘先輩は話を深刻に受け止めていたが、前向きな解釈を見出していた。
「つまり、私があげたこのギターが、梶谷君を過去に戻った私のところに連れてきたって事ね」
超常現象なので根拠なんて無いが、その考えで合っているような気がした。
「嬉しい。『わたしと思って大切にしてね』って言ったの、聞こえてたんだ」
ギターをくれた時に橘先輩が言った言葉はうまく聞き取れなかったけど、何度もポジティブに想像していた言葉と一緒だった。『わたし』で合っていたんだ。とすると、元の時代へ戻る鍵はこのギターなのかもしれない。橘先輩にも話してみた。
「確かに梶谷君に対してはそうかもしれない。だとすると梶谷君が元の時代に戻る前にお願いしたいことがあります」
橘先輩は俺の前に立ち、少し顔が赤くなってるけども覚悟を決めた顔をしてかしこまっている。
「お互いタイムリープしてきたなら立場は一緒。だったら受け入れる事ができると思います。もう一度告白してください」
めちゃくちゃ可愛いこと言ってる。
「ずっと好きです。付き合ってください」
「はい」
二人の12年越しの恋が成就した。橘先輩も俺のことをずっと好きでいてくれていたんだ。
その時、机の上に置いていたギターのブリッジやテイルピースと言う金属パーツが眩い光を発した。教室の天井がキラキラと明るく照らされている。ファンタジー世界のような超常現象が目の前で起きている。ああ、この状態のギターを抱きしめると元の時代へ戻れるんだ。それでギターを橘先輩の病室へ持っていけば意識が戻る……そんな気がして、ギターに手を伸ばした。
「待って!付き合ってくださいって言っておきながら、なに一人で元の時代へ帰ろうとしてるの!」
ギターに手を伸ばそうとした手を橘先輩に阻止された。
「ええ?」
「よく考えて。今ここで戻ったらあなたは28歳、私の意識がすぐ戻ったとして30歳よ。元の時代はあなたのいない青春を無駄に過ごしてきたの。戻らなければやり直しができるんだよ?戻らなくてよくない?」
橘先輩は、タイムリープを利用して俺との青春をやり直したいと考えた。
「先輩に同意です。俺も元の時代に帰らない」
橘先輩は満足げに頷く。
「はい、じゃあこの光ってるギター、なるべく触らないようにギターバッグに仕舞いましょう」
橘先輩はギターバッグを広げて、まるで野生の生き物を捕まえるかのような感じでギターを仕舞い込んだ。窓の外はもうかなり日が暮れかかっており、教室も暗くなってきた。ギターバックのファスナーを閉じると漏れていた光は消え、もっと暗くなった。内廊下の照明だけが、橘先輩の顔を照らす。
ギターは橘先輩が自宅に持って帰るという。俺がうっかりギターに触って元の時代に戻ってしまうのを避けるためだそうだ。橘先輩はギターバックを背負って、嬉しそうに内廊下をくるくる回っている。清楚で優しく穏やかな橘先輩の印象がどんどんと崩れて、可愛いが上塗りされていく。
橘先輩が階段を踏み外そうになったので、慌てて手を引っ張って抱き寄せた。
「先輩こそ、階段を踏み外して先に元の時代に戻らないでくださいよ」
先輩はそのままぎゅっと俺を抱きしめた。
宮下が都内への転勤で、近くに引っ越してくるそうだ。せっかくだから飲み会しようと提案した。宮下は聞いてほしい事があるそうだが、俺はその内容を察していた。
飲み会は上野のジンギスカン。店のドアが開き、店員に軽く会釈をした宮下の姿が見えた。その後ろにセミロングの野川の姿もあった。俺が手を挙げると宮下と目があった。その様子を察した店員が、宮下と野川を俺らの居る席へ案内してくれた。
宮下が『よっ』と言い、手を挙げる。
野川がニッと微笑んで言った。
「梶谷と橘先輩……じゃなかった、ゆかり先輩、お久しぶりです。お二人夫婦の仲の良さに当てられちゃいました」
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作中のセミアコースティックギターは、エピフォンのES-335を想定しています。12年前にエピフォンから発売されていたかまでは調べられていません。けど、そのくらいの価格帯のセミアコースティックギターとお考えください。ギブソンとかグレッチなどの何十万もするようなギターではありません。