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うちの主は、今日もあざとい。

正直、あざとくないかもしれません(笑)

だけど、このタイトルにしたかった。タイトル詐欺になったらすみません。


※こちらは素人が趣味で書いているものになります。苦情や批判は受け付けておりません。それをご了承の上、ご覧いただけると幸いです!

 うちの主は、あざとい。


サリナは机に向かう自分の主を見ながらそう思った。


ここは、情報を商売道具とする会社、サブア社の一室。


この会社は、貴族の子息の戯れとして始まったものだ。次男という家督を継がない自由な立場の子息は暇を潰すようにわずかな資金で商売を始めた。


それが思いのほか益をあげるため、年々注目を集めている。


貴族の次男というのがサリナの主、ユーマ・ドリファだ。


ドリファ公爵家の次男であるユーマが17歳の時に立ち上げたこの会社は、顧客が知りたい情報を集め、それを提供するいわゆる探偵事務所のようなものであり、今年で6年目となるサブア社の最近の依頼はもっぱら素性調査である。


一時期、貴族社会で婚約破棄が流行り、あふれかえった。


「真実の愛を見つけた」、と大勢の前で婚約破棄を声高々に宣言する貴族の子息、令嬢たち。無計画な結婚破棄は恋に酔う若者が満足するだけのもの。


破棄された側は「婚約破棄をされた」というレッテルを貼られ、噂される。


破棄をした側は、信用を失い、貴族社会での立場を危うくする。


双方にとって、なんの利点もないこの行為は、けれど一部の成功した例のみが美談として語られ、大衆小説となり、若者の中に広まった。


真実の愛の結果、幸せになれるのならそれでもいいのかもしれない。


けれど、人を傷つけて得られる真実の愛などないことを多くの若者たちは証明してきた。


そんな謎のブームの中できたのがサブア社である。


相手の素性を調べあげ、それを報告する。その情報で未然に危機を回避してきた貴族たちが口コミで広めていった結果、多くの貴族がサブア社を知ることとなった。


婚約破棄のブームは一時期に比べ、格段に少なくなったが、それでもまだ夢を見る若者たちが「真実の愛」を企てる。


そして、そんなものに巻き込まれてはたまらないと、多くの貴族がサブア社を利用し始めたのだ。


サブア社の調査の主な方法は、変装をして対象者に近づき、素行を探るというもの。


対象者の恋愛対象となることもあれば、友人として近づくこともあった。親密な関係となり、情報を集める。


そして、これまでにサブア社が調査した結果、実際に結婚を取りやめた事例もいくつかあった。


サリナは手元にある書類をパラパラと捲り、業務実績に目を通した。右肩上がりで日々上がる業績。社長であるユーマの先見の明にサリナは感心する。


ユーマのすごさはそれだけではなく、調査員としても有能だった。


相手を観察し、それに合わせて行動する。23歳をいくつか過ぎた大人の男であるはずなのに、どこか幼く見える顔は「かわいい」と評判だ。


端正な顔立ちに、大きな目、ふわふわの茶色い髪。笑うときにできるえくぼがよく似合っている。筋肉質なではあるが細身の身体に、中性的な声。


けれど身長は高く、時に見せる真剣な顔は格好良くそのギャップにやられるという声も多い。  


ユーマの調査対象者は主に女性だ。サリナは自分の主を見て、これに「流されるな」という方に無理があるな、と思う。


ユーマが近づき微笑めば口が緩くなるのもうなずける。


けれど、そんな簡単に口を緩める人とは結婚できないという依頼人の気持ちもわかるのだ。


6年前、たまたま職員を募集していたチラシを見つけた。こういう仕事がしたかったというわけでもなければ、ユーマとの接点もなかった。


けれど、今はここに務めることができて良かったとサリナは思っている。


あの頃は、社長のユーマとサリナを含め事務員2人の計3人だけだった。けれど業績を伸ばしている現在では、社長のユーマと6人の調査員、事務員の3人、そしてサリナは事務員から社長秘書になり計11人で会社を回している。


「サリナ~、なんか喉渇いちゃった。ちょっと休憩しない?」


机の上で資料とにらみ合いをしていたはずのユーマがこてりと首を傾げながら、大きな目でサリナを見た。


自分の魅力を十二分に理解しているユーマの言動にサリナは一つ息を吐く。あざといな、と思う。


サリナより2歳も上の男性であるのに、かわいいとすら思えてくるから不思議だ。庇護欲をくすぐる言い方は人に何か頼むときに有効的である。けれど、サリナは首を横に振った。


「明日の下準備がまだのはずです。それに、30分前に休憩を入れたばかりじゃないですか」


サリナはそう言うと、ユーマに向けていた視線を自分の手元に戻した。


明日の調査対象者は見た目麗しい男爵令嬢。伯爵家の三男が一目惚れをした相手で、彼女と一緒になるために結婚破棄を考えているとのこと。


依頼人は男の両親だった。


家を継ぐ立場にない彼が好きな相手と結婚することを反対はしていないらしい。


けれど、男爵令嬢には、複数の男性と出歩いていると噂がある。そのため素性を知っておきたいとのことだ。


それに、婚約破棄には当然、正しい手順がある。それを守ろうとしていない息子の様子も調べてほしいとの依頼だった。ユーマはもうすでに数回、男爵令嬢と接触していた。


今までの調査報告は、サリナがまとめている。


「え~」


「え~、じゃ、ありません」


「だってさ~、疲れたんだもん」


「かわいい顔してもだめです」


「ふ~ん、ならさ…」


そこまで言うとユーマはおもむろに立ち上がった。サリナの前に立ち、机に手をつく。


「格好いい顔、しようか?」


先ほどまでとは違う低い声。その手がサリナの顎を掴み、上を向かせる。近くにある端正な顔に、サリナの心臓は激しく音を立てる。


けれど、顔に出さず、そっとユーマの手を外した。


「どんなに言われても無理なものは無理です」


「ちぇ~」


雰囲気ががらりと変わる。あまりの変わりようにサリナはつきそうになるため息をなんとか堪え

た。


「普通なら流されるんだけどな~」


「普通じゃなくてすみませんね」


「つれないね。ま、そこがサリナのいいところだけど」


まっすぐサリナを見つめ、さらりと褒め言葉を付け加える。相手を掌握するのに長けたユーマにサリナはどんな顔をするのが正解かわからず、机の書類に視線を移すことで顔を隠した。


「でもさ、マジな話、これ以上調査しなくていいくらい、あの子問題あるよ」


あの子とは、もちろん男爵令嬢のことである。サリナはユーマの今までの調査結果を見返しながら頷いた。


「噂」であった他の男性との密会は事実であり、さらには他国の貴族を装うユーマにも色目を使ってきている。相手の地位とお金しか見ていないだろう彼女の素性はすでにサリナが報告書を作っているところだ。


「ええ。報告書を依頼人に渡す用意はもうすぐできます」


「ならもうよくない?あの子と会うの疲れるんだもん」


「でも、彼女の人生のためにもあなたとの別れを綺麗に終わらせる必要がある。ですよね、社長」


「…確かにそれは俺が決めたこの会社の方針だけどさ」


情報の集め方は調査員に任せている。


けれど一つだけ、共通ルールがあった。


それは、「調査員はあくまでその人の人生において登場しない人物」というものだ。調査対象の中には、調査員に本気で心を奪われるものもいる。けれど、それは彼らの人生を混乱させるものでしかない。


だからこそ、綺麗さっぱり消える必要がある。


それがユーマの決めたルールだ。


もちろん、何もなかったことにするということはできない。ならば、未練を残さない形で立ち去らなくてはならないのだ。


「早くその方法を考えてください」


「ん~でもさ~」


「彼女と明日、会う約束しているんですよね?」


「…じゃあ、こうしよう。彼女は浮気相手で、俺には本命の彼女がいるっていうの。どう?」


「え?」


「だから、明日会うときに、彼女役に来てもらって、浮気相手なんだってわからせるの。たぶん、

自分が一番じゃないなんて認められないタイプだと思うからさ、俺の存在なんて記憶から消すと思うんだよね」


「そうですね、確かに、あの手の女性は自分が1番だと思っているでしょうからね。自分が浮気相手だったという事実なんて消し去りたいかもしれませんね」


「よし、決まり!じゃあ、サリナが俺の彼女役ね」


「…はい?…なんで、私が?」


「そこにいたから?」


「…」


「っていうのは冗談だけど。でも、いいでしょ?頑張って考えた方法なんだから」


目を輝かせてユーマがそう言った。どこか幼げのある言い方に、今度は耐えきれずため息を吐

く。


「あまり適当だと、本命になれると思ってもっと積極的に来る可能性がありますよ。もっと綺麗な

人の方が適任です」


「それなら、サリナでいいよ。だって、サリナ綺麗だもん」


「…」


「それに、俺が好きな人の方が演技しやすいし」


ユーマは時々今のように「綺麗」や「好き」という言葉を何気なく出してくる。


そんな思わせぶりな態度にサリナの心臓は激しく脈を打った。けれど、上がってくる体温に気づかないふりをして、サリナはユーマから顔を逸らす。


何か言おうと思ったが、何かを口に出す余裕はない。頷く以外の選択肢を奪われ、サリナは渋々ユーマの提案に乗ることとなった。


「決定!じゃあ、明日の設定でも考えるかな~」

 

そう言いながらユーマは自分の席に戻った。どこか楽しそうな笑みを浮かべるユーマから目を離し、サリナも自分の仕事を進めた。


空は鮮やかな青で、白い雲が風に流されゆっくりと動いていく。頬を撫でる風は心地よい。それなのに、サリナの目の前はまるで地獄のようだった。

 

ユーマが男爵令嬢セリカとのデートに選んだのは、最近若者に人気のカフェテリア。今年18歳になったばかりであるはずのセリカは報告書で見るより大人っぽく見えた。


ブロンドの長い髪を綺麗にまとめ上げ、ユーマの瞳の色である青を基調としたドレスを身に纏っている。


ユーマの言葉ににこにこ笑う彼女は、報告書で知っている人物には見えなかった。楽しそうに笑う2人はさながら愛し合う美男美女のカップル。


あまりにお似合いの2人にサリナの胸は小さく痛みを覚えた。この2人の中に入っていける自信がない。


けれど、とサリナは軽く自分の頬を叩いた。


気合いを入れ、2人の座るテーブルへ向かう。


カツカツとヒールの音を鳴らしながらサリナは2人の前に姿を見せた。そんなサリナにセリカはその大きな目を怪訝そうに細め、ユーマは気まずそうな演技をして見せた。


「ごきげんよう」


挨拶をしながらサリナはユーマの隣に当たり前だという顔をして腰をかける。


ユーマを見ずにまっすぐ目の前に座るセリカを見た。


自分にできる一番の綺麗な笑みで笑って見せる。自信が伝わるようにゆっくりとセリカに尋ねた。


「あなたがユーマの浮気相手、かしら?」


「…どちら様でしょうか?」


「ユーマの彼女よ。本命の、ね」


サリナの言葉に先ほどまでにこやかに笑っていたセリカが雰囲気をがらりと変えた。


サリナを睨むように見ると、そのままその目を今度はユーマに向ける。


ユーマは言葉を発さず背中を丸くした。それとは相反するようにサリナは背筋を伸ばす。


セリカは端正な顔をゆがめるだけで何も言わない。重苦しい空気が3人を包み込んだ。


その空気に耐えられなくなったサリナが再び口を開く。


「ごめんなさいね、この人、浮気性で。でも必ず私のところに戻ってくるの。…だから、そろそろ返してもらえる?」


「…かわいそうな人」


「え?」


「かわいそうな人だと言ったんです」


 セリカはサリナに負けじと満面の笑みをその顔に浮かべた。自分に自信があるそんな態度に、サリナは場違いだとは思いながらどこかうらやましさを感じた。


ユーマは調査対象者だとしても相手に触れることはしない。おそらく今回もそうだろう。


それでも、これほどまでに愛されていると疑わない気持ちが、自分こそが愛されて当然だとそう思えるほど自分を信じることのできるセリカをサリナは嫌いではなかった。


けれど、立場や財産を見てすり寄り、用がなくなれば捨てる、そんなことを繰り返すのは間違っていると思う。


そんな愛もあるのかもしれない。けれどそれは同意の上に行うべきで、どれだけ綺麗でもどれだけ愛されていても誰かを傷つけていい理由にはならない。


今回は、セリカが依頼人の三男にすり寄ったことで少なくとも三男の婚約者である令嬢は傷ついている。


自業自得とは言え、捨てられる未来が目に見えている三男も傷つくだろう。


だから、とサリナはテーブルの下の拳に力を込めた。


「それは、あなたのことかしら?」


「は?」


「だって、ただの浮気相手じゃない。一時的に遊ばれるだけの存在」


「なっ!私は、あなたが!かわいそうだって、言ったの!」


堪忍袋の緒が切れたのか、セリカが声を張る。


喧嘩は冷静さを失った方の負けだ。だからこそ、サリナはただ微笑むだけでセリカの次の言葉を待った。


「ユーマ様は私が好きだって言ってくれたわ。もうあなたは振られているの。それなのに、本命だなんて勘違いして、かわいそうな人」


「そう、私、振られてるのね」


サリナはゆっくり顔を左に向けた。小さく背中を丸めるユーマを見る。


ユーマは恐る恐ると言った様子で顔を上げ、サリナに視線を向けた。


「ねぇ、ユーマ、私、振られたの?」


「…」


「…私は……こんなにあなたが好きなのに」


「俺が愛しているのは君しかいないよ」


愛を告げるユーマの顔はとろけそうなほど甘かった。そして、ゆっくりと手を伸ばし、サリナの頬に触れる。


愛おしいものに触れるようなその手つきは、心から愛を伝えているようにしか見えなかった。


頬からほのかに伝わる温かい体温に、サリナは赤くなりそうになる自分を心の中で諫めながら、ユーマの手に自分の手を重ね、ユーマに向かって幸せそうに微笑んだ。


そんな2人の様子を見たセリカはその大きな目を丸くする。高いプライドが崩れる音が聞こえたきがした。


サリナはユーマに重ねていた手を下ろし、セリカの方に身体ごと向ける。


一つ息を吐くと、勝ち誇ったような表情を浮かべた。


「だそうよ」


「…」


「これで諦めてくれるかしら?」


「…弱みでも握ってるんでしょ。…家が格上で断れないとか、そんなことよ、どうせ」


負け惜しみのようにそう言うセリカにサリナは首を左右に振る。


「いいえ。私は子爵の次女。子爵といっても爵位があるだけで、ほとんど平民と変わらないわ」


これだけは作り事ではなく事実であった。


サリナはかろうじて爵位がある程度の子爵家の娘だ。サリナの父と母は領民たちと同じように汗水流して農作業に勤しみ、サリナもサブア社に入社し、お金を稼いでいる。


本来なら公爵家の子息は雲の上の存在で、深い関係でなくては名前で呼び合うことなどできない間柄でだ。


ここで本当のことを言った理由は2つある。


1つは言葉に真実味を出すようにするため。


そして2つ目は、万が一素性が知られてしまった場合を考えてのことだった。


「…」


「それでも、…ユーマは私を愛してくれているわ」


「そ、それなら、どうして今日ここで私といるのよ!」


 セリカの言葉にサリナはにこりと笑みを浮かべた。


「殿方ですもの、時々遊びたくなるのでしょうね。あなただけではないわ。今まで何人もいた。けれど必ず私のところに戻ってくるの」


「な、何度も好きだと言われたわ」


「でも、愛しているとは言われていない。…違う?」


「…」


「勘違いさせてしまってごめんなさいね。でも、そんな遊びも結婚したらきっぱりとやめさせるから安心して」


 サリナの言葉にユーマは数回首を上下に振った。そんなユーマをセリカは睨みつける。


「ユーマとあなたは数回デートをしただけでしょう?そんなのなかったことにすればいいわ」


「…」


「あなたにはあなただけを愛してくれる人が必ず現れるはずよ」


 バッシャ!


 冷たさを感じたのは一瞬だった。


あまりにも突然のことで反応ができなかった。自分の顔からぽたぽたと落ちる水滴を見て、何が起こったのかをようやく理解する。


セリカが空のコップを割れるほど握りしめていた。


「サリナ!」


ユーマが声を出した。その声には怒りが含まれている。


ユーマはセリカを掴もうと右手を伸ばした。


それをサリナが掴んで止める。驚いたような顔でユーマがサリナを見た。


そんなユーマにサリナは首を2,3回左右に振って見せる。


ユーマは軽く睨むようにセリカを一瞥したが、再びサリナを見ると、一つ息を吐き、出した手を引っ込めた。


 サリナは濡れた顔のままセリカを見る。怒りで顔を赤くしたセリカは鋭い視線を向けていた。


「それで満足ですか?」


「…」


「この人を返してくれるのなら、水をかけられるくらい安いものです」


 サリナの言葉にセリカは、今度はユーマの前にあるコップに手を伸ばそうとした。けれどその手をユーマが止める。


睨みつけるセリカにユーマは申し訳なさそうに切り出した。


「セリカ嬢、実は俺、君に伝えてないことがあったんだ」


「…?」


「実は、俺、親父から勘当されて…」


「…え?」


「家の支援受けられなくなったんだ。セリカ嬢は、そんな俺でも一緒にいてくれるの?」


「…」


 流れていた空気が明らかに変わった。セリカは伸ばしていた手をそっと戻す。


何かを考えるような表情に、サリナとユーマは次の言葉を静かに待った。


「…勘当されたからといってユーマ様への気持ちがなくなることわありませんわ。けれど…今日、あなたたちの話を聞いて、これほどまでに想いあっているのなら、私が身を引くしかないと気づきました。…どうか、お幸せに」


そう言って立ち上がるとセリカはスカートの両端を掴み、綺麗なお辞儀をした。最後にユーマを一瞥し、すぐに背を向ける。

 

痛いほどの空気が緩むのを感じた。


サリナは思わず息を吐く。


ユーマはセリカがカフェから出て行くのを確認し、店員を呼んだ。


「迷惑をかけて申し訳なかった。他のテーブルの伝票も全て俺に回してくれ。すべてを払える持ち合わせはないから後日、ここに請求書を送ってほしい。もちろん色をつけてくれてかまわない」


名刺を渡しながらそう告げる。


名刺に書かれている「ドリファ」の名前は信頼を得るには十分で、ウエイターは恭しく頭を下げた。


「それから、悪いが、彼女に何か拭く物を」


「かしこまりました、ミスター。すぐにお持ちします」


 ウエイターは一度下がると、すぐにタオルを持ってきてくれた。


「レディ、これを」


「ありがとうございます。ありがたくお借りいたします。…変なものに巻き込んでしまって本当に

すみませんでした」


「お連れ様が代金を払っていただけるとのことで、他のお客様も逆に喜んでおいでです」


「それならよかった」


サリナが微笑むとウエイターも笑みを浮かべ、頭を下げた。


「何事もなくうまくいって良かったですね」


「…何事もなくはないだろう」


ユーマの声色はどこか落ち込んでいた。受け取ったタオルで顔を拭きながらユーマの態度に合点がいく。


「ああ、これですか?気にしないでください。社長が悪いわけじゃないですし」


「…」


「びっくりしましたがただの水です。気にしなくて大丈夫ですよ」


「…」


「それより、彼女すごかったですね。ドレスを社長の瞳の色と合わせるなんて。相手に合わせて服装まで変えるなんて、社長に本気だったんですかね」


「……本気だったなら勘当されたってだけで引き下がらないよ」


「あ、それもそうですね」


けれど、最後のセリカの視線はどこか悲しげだった。想いを断ち切るようなそんな視線に思えて、少しだけ本気だったのかもしれないなとサリナは思った。


「でもよくとっさに思いつきましたね」


「お金と爵位にしか興味はない子だからね。後ろ盾がなくなったと言えば手を引くのはわかってた

よ。伊達に調査してない」


「え~、そんな手があったなら先に使ってくださいよ」


「…本当に、君の言うとおりだ」


ユーマはサリナの方に身体を向け、頭を下げた。軽い冗談のつもりで言った言葉に返されたそんな反応にサリナはかえって慌ててしまう。


「こんな目にあわせてごめん」


 そう言ってユーマはサリナに手を伸ばした。サリナの首にかけたタオルを掴み、サリナの濡れた髪を拭く。


「え?あの…大丈夫ですよ、自分でやりますから。それに、コップ一杯だから、そこまで濡れてい

ませんし」


「本当にごめん」


「社長…?」


いつもとは様子の違うユーマにサリナは戸惑った。


「早く事務所に帰ろう」


立ち上がったユーマはそのままサリナの手を掴む。突然のことに戸惑いながらサリナはユーマの

後ろをついて行った。


静かな風が吹いた。


小さなくしゃみが一つ出る。振り返りサリナを見たユーマの顔を見て、サリナは失敗したと思った。


いつも飄々としているユーマがやけに気にしているからだ。今のくしゃみも濡れたからだと勘違いしているようだった。


コップ一杯の水はほとんどが顔にかかっており、すでに拭っている。


もう気にする必要はないというのに。


「ごめん」


何度目の謝罪かを口にすると、ユーマはさらに足を速めたため、サリナはついて行くだけで精一杯だった。


事務所につくと、すぐにソファーに座らされた。ユーマは新しいタオルを手に同じようにソファーに座ると、タオル越しにサリナに触れた。


顔の近さに思わず体温が上がる。サリナは思わず、両手を顔の前で左右に振った。不要であることを訴える。


「あの、社長!もう大丈夫です。本当に、少しだけだったので、もう乾きました」


「…本当?」


どこか疑うような表情にサリナは安心させるように笑みを浮かべる。


「はい。もう、気にしないでください」


「…」


「社長がずっと気にする方が、私にとっては居心地が悪いんです」


サリナの言葉にようやくユーマはサリナに伸ばしていた手を下ろした。


「…わかった。本当に、ごめん」


「謝罪も何度も聞きました。本当にもう大丈夫ですから」


自分の主に対し、少し強い口調だとは思ったが、はっきりとそう言った。ユーマの顔に少しだけ安堵が浮かぶ。


それに安心し、サリナは小さく息を吐いた。


「これで終わりなんでしょうか?」


先ほどまでのことを思い出しながらサリナはそう口にした。依頼のあった男爵令嬢の素行は報告

書にまとめ、明日、依頼人に渡す約束になっている。


セリカはきっとユーマのことを綺麗さっぱりと忘れるだろう。けれど、依頼人の息子とその婚約者はどうなるのだろうか。


三男の方は自業自得でもあるが、婚約者は不憫でならない。


「俺は、あのまま何も知らないで、あの三男坊と結婚する方が不憫だと思うけどね」


 心を読んだかのようにそう答えるユーマにサリナは少し驚く。その表情を見て、ユーマは小さく

笑った。


「すごく心配そうな顔してた。この中で心配しなきゃいけないのは婚約者の子だろう?でも、浮気男はあの男爵令嬢以外でも、ちょっとかわいい女の子がいればすぐに目を奪われると思うよ」


「そうかも…しれませんね。依頼人は、もし自分の息子に非があるのなら、他国に留学に出させるとおっしゃっていました。今回の場合、おそらくそうなるのでしょうね。手を貸さず、一人の力で生きる力を養わせるとおっしゃっていました」


「そんなことで成長するのかな?あれはそういう性分なんだろうし」


「さあ、そこまでは」


「まあ、きっかけがあれば変わるのかもしれないね。なんにせよやってみないとわからない」


「ええ」


「彼が戻ってくるまで待つか、新しい人を探すのか、婚約者に決める権利が与えられるってことだろうね。婚約破棄をするにしても、三男坊の方に非があるのは明白だから、きっと悪いようにはしないだろうし。彼に恋をしていたとしたらかわいそうだけど、さっき言ったみたいに何も知らずに夫婦になって浮気を繰り返されるよりは十分いい結果になったと思うよ」


「…そうですね。そうだといいです」


それでも好きな相手が他の人に目を奪われるのは、そしてそれが婚約破棄を企てるほど真剣だったと知るのはつらいだろうなと思った。


けれど、とセリカを思い出す。


あんなに綺麗で、それでいて相手に合わせるのが上手な人に気持ちが揺らぐのは仕方がないのかもしれないとも思った。


「男性というのは、そういう性分なんでしょうね」


「男ってだけで一括りにされたくないな。俺は浮気なんてしないよ、絶対」


ユーマの目があまりに真剣で、思わず胸が一つ音を立てる。


「で、でも、社長なら、向こうから寄ってきますからね。相手の人は心配だと思いますよ」


「それでも俺が見てるのは一人だよ」


「…あの、前から思ってたんですけど、社長、その思わせぶりな発言やめた方がいいですよ?もしかしたら私のこと好きなのかも、って勘違いする人出てくると思うんで」


「サリナは?」


「え?」


「サリナもそう思った?俺が、私のこと好きなのかも、って」


「思いませんよ、今更。家柄も、容姿も不釣り合いですし、社長のあざとさも知ってますから。ちゃんと、人心掌握術の一つだって理解しています。そんな勘違いはしません。でも、他の人は…」


「してよ、勘違い」


「…え?」


「勘違いじゃないから、してよ」


「…社…長?」


あまりに予想外の言葉に理解が追いつかなかった。


「家柄とか容姿とかそんなどうでもいいことなんて考えずに、俺の言葉を信じてよ」


「何…言って…?」


「家柄が心配?でも、俺はこの6年間で会社も大きくしたし、いろんな貴族に恩を売ってきた。もう誰にも何も言わせないし、家を出たっていい」


「あの…社長…?」


「容姿?ねぇ、サリナ、俺がどれだけ君に向けられてきた不埒な視線を遮ってきたと思ってるの?サリナは綺麗だよ。綺麗だし、かわいい。少なくとも俺にとっては。……それにもし綺麗じゃなくたって、かまわない。見た目なんてどうでもいいんだよ。俺は、サリナがいいんだから」


「…」


「ねぇ、サリナ。だから、いいでしょ?俺と結婚しよ?」


「…はい?」


「俺と、結婚、しよ?」


「えっと…結婚もなにも、私たちは、婚約者でも恋人でもない、ですよね?」


「でも、俺のこと好きでしょ?」


そう言ってユーマはこてりと首を横に傾けた。その瞳は自信に満ちている。


「…私は、そんなこと…一言も…」


「言ってないね。うちの秘書は優秀すぎて、俺ですら本心はわからないよ。だから、嫉妬してるところが見たくて、金と権力にしか興味ないってわかりきってる女を利用して今日呼んだのに。完璧にこなすわ、相手に同情するわ。その上、あんな目に遭わせるわで…」


「…」


ユーマの必要以上の落ち込んだ態度にやっと合点がいった。けれど、それを口にする余裕はない。ユーマの言葉は理解できるのに、どうしても自分の中に入ってこなかった。


「俺のこと好きでしょ?」その言葉が頭の中で繰り返される。


ユーマのことを格好いいと思っている。容姿はもちろんのこと、性格も、生き方もすべてが格好いい。


それなのにかわいいから目が離せないのは事実だ。


けれど、2人の間には大きな壁が立ち塞がっていて、「恋」や「愛」を考えたことすらなかった。


だから、自分がユーマのことをどう思っているのか、サリナにもわからない。


そんなサリナの気持ちを見透かしたように、ユーマは言葉を並べた。


「あの男爵令嬢と俺が2人でいて、嫌だなって思わなかった?」


「…」


「俺から愛しているって言われて嬉しいと思わなかった?」


「…」


「君の口から出た好きだって言葉は本当に全部作り物だった?」


「…」


「ねぇ、そんな顔をして、俺を好きじゃないなんて、俺が信じると思うの?」


 自分はどんな顔をしているのだろうか、サリナは考えたが想像すらできなかった。


ただ、心臓の鼓動は早くなり、頬は熱を帯びてくる。目の前にいるユーマがさらに魅力的に見えて瞬きを2回した。


ユーマはまっすぐサリナを見る。サリナの気持ちを信じて疑わないその目から視線を外すことができない。


もしも、家も容姿も「どうでもいい」と言えるのなら。


もしそうならば、サリナはそこまで考え、一度小さく息を吐く。


それが合図になったようにそっとユーマはサリナにその腕を伸ばした。


指まで綺麗なその手がサリナの背中に回る。


「俺のこと好き、だよね?」


ささやくようなその声に、くやしいなと思いながらも、サリナは頷く以外の選択肢を持ち合わせていない。


「サリナ、愛してる」


私の気持ちなんてとっくに知っていたのだろうな、と思いながらも、サリナは降参するようにユーマの背に腕をまわした。


「私もです…社長」


「社長は禁止」


「え?」


「さっきみたいに、俺のこと名前で呼んでよ」


「でも…」


子爵家の令嬢であるサリナが公爵家の子息であるユーマを下の名前で呼ぶには、親密な関係になる必要がある。だからこそ、サリナはためらった。


その反応が気にくわなかったのか、少しだけ不機嫌な声が降りてくる。


「呼べないの?」


「いや、あの、でも…」


「サリナは、俺のこと好きじゃないんだ…」


「そ、そんなことないですよ」


「じゃあ、好き?」


おどけて見えるのに、その声はどこか真剣で、だからサリナは正直に頷いた。


「……はい」


「ちゃんと言葉にして」


「好き…です」


「じゃあ、さっきみたいに呼んでくれるよね、俺のこと。好きならさ」


「…」


「サリナ」


 自分の容姿の良さも、相手の恋心も全て利用して、欲しいものを手に入れるため、かわいらしくこてりと首を傾げる。


 サリナはどこか悔しそうに、けれど心を込めて言った。


「……ユーマ」


 聞き取れないほど小さな声だった。


 それでもユーマは呼ばれた自分の名に嬉しそうに笑みを浮かべる。


 そんなユーマの姿を見てサリナは思った。



 やっぱり、うちの主は今日もあざとい。


読んでいただき、ありがとうございました。

「ふ~ん、ならさ、」

「格好いい顔、しようか?」

のフレーズが自分的に大好きです笑


久しぶりに小説書けて楽しかった。当社比ですが、まあまあ長くできたし。

長編も書きたいけどなかなか難しいですが、楽しかったので良かったとします。

ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] テンプレートである婚約破棄の裏側視点楽しかったです。 [気になる点] 創業当初のユーマとサリナと事務員2人という文章で4人では?と思ってしまいました。 読み進めれば最初はサリナが調査員では…
[気になる点] 小説そのもののことではないのですが、段落ごとに一行空けて下さると読者の目にかなり優しいレイアウトになるのではないかと思います。 [一言] 或いは少々鈍感?でも自惚れよりずっと好感の持て…
[良い点] この作品は、とてもあざとい。 [一言] はじめまして。 あざとさにほっこりしたのはおそらく本作が初めてです。 くすぐった過ぎる温もりをありがとうございました。
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