(6)視察の終わり(前編)
瀕死の翡翠の貴公子を、どうやって助けるのか・・・・。
星光の少年は祈っていた。
出逢ったばかりの同族が今、死に掛けている。
少年も少年の兄も医療の心得が有ったが、今回ばかりは対処のしようがなかった。
肉体の外傷ならば、どんな状態で在ろうと助けられる自信が兄弟には在った。
だが同族の・・・・異種の翼が損傷する事など、彼等でさえも考えた事がなかったのだ。
切断された翼から零れ落ちる光は、肉体で云うならば血液の様なものだろう。
ならば其の血液を補充し、傷口を縫合すればいい。
だが其れは、あくまで血液の話であり、光となれば、どうすれば良いのだろうか??
異種の翼は、すこぶる敏感で心臓の様な部分で在り、
縫合すれば更に死に追いやる事になるだろう。
そんな手段の無い状況で、今の星光の少年に出来る事は、
己の支配する精霊たちに助けを乞う事だけだった。
だが今宵は黒い雨雲が空に立ち込め、なかなか精霊たちとの交信が出来ない。
月は愚か、星さえも見えない。
それでも星光の少年は屋根の上で待ち続けた。
僅かでもいい、雲間に隙間が出来れば、其処から星の精霊たちと会話が出来る。
凍えそうな寒さの中、星光の少年は待った。
其の想いが漸く届いたのか、遂に雲間に僅かな割れ目が出来ると、幾数もの星の光が見えた。
星光の少年は碧い瞳を瞠ると、星に呼び掛ける。
「我が司る星たちよ・・・・どうか教えて下さい。
翼が傷付き死せんとする同族を、どうすれば助けられるのか・・・・」
雲間から覗いた星たちはチカチカと光った儘、なかなか応え様としなかった。
それでも星光の少年は辛抱強く待った。
「幾億の世界を見てきた貴方たちなら、知っているでしょう??
どうすれば同族を助けられますか??」
星光の少年は真っ直ぐに星たちを見上げ、応えを待つ。
其の彼の心が届いたのか、一つの星が強く輝き出すと、
ゆらゆらと光の尾を引いて黒い空から降りて来たではないか。
流れ星と云うには、とてもゆっくりと其れは星光の少年の上に落ちて来た。
星光の少年は咄嗟に両手を伸ばすと、そっと光を受け止めた。
「星が・・・・」
星が落ちて来た。
手に掬えるだけの星の光が。
「此れは・・・・」
此れは一体、どう云う意味なのか??
其処まで考えて、星光の少年は、はっとした。
両手に光を乗せたまま背中の翼を解放すると、青銀の翼を羽ばたかせて屋敷の窓へと降りる。
そして早歩きで兄たちの居る部屋へ向かうと、肘で取っ手を動かし扉を開け、
部屋に入るなり声を上げた。
「兄さん!! 此れです!!」
星光の少年は高鳴る鼓動で息荒く言った。
「此れを・・・・!! 此れなら、きっと!!」
両手にキラキラと光る球を乗せた弟に、皓月の貴公子の銀の瞳が僅かに見開かられた。
「此れは・・・・・星か??」
「そうです!! 星です!! 此れを・・・・!!」
「うむ。翼へ」
「はい!!」
星光の少年は両手に乗せた光の球を翡翠の貴公子の翼へと落とした。
すると、どうだろう。
光は、ぽわりと膨らむと、翼の中へ滲み込む様に消えていった。
「!!」
其れには皓月の貴公子も星光の少年も赤の貴公子も目を瞠る。
翡翠の翼に光が溶け込むと、途端に翼から流れ出る光の量が減った。
「兄さん!! やっぱり星の光がいいみたいです!!」
「うむ・・・・その様だな。セイ。もっと光を」
「はい!!」
星光の少年は窓辺へ走ると、再び青銀の翼を広げて外へと舞い上がる。
皓月の貴公子は腕を組むと、やっと謎が解けた様に言った。
「成る程な。我々の翼は、そもそも光の粒子で構成されている。
傷を治すには、光の分子こそが最適と云う訳か」
すると赤の貴公子が問い掛けてきた。
「そうならば、火の光は使えないのか??」
赤の貴公子は火を支配する異種だ。
光が治療になると云うのならば、炎の光では駄目なのだろうか??
だが皓月の貴公子は淡々と答えた。
「火の光では無理であろう。現に、そなたの精霊は何の反応も示していないのであろう??
必要なのは、おそらく神聖なる光だ。此の世界に在る神聖な光とは、正に星。
宇宙を渡り何億光年と奔って来た光こそ、正に神聖なる光。私が支配する月でも、
又は太陽でも駄目であろうな。そなた等は我が弟が居て運が良かったな」
「・・・・・」
皓月の貴公子が言う事は、赤の貴公子にも何となく判る気がした。
異種の翼とは煌々と光る太陽や火よりも、
何億光年も生きた静寂なる星の光に近いものなのだろう。
漸く翡翠の貴公子を助ける術が判り、赤の貴公子は深く溜め息をついた。
すると星光の少年が光を持って舞い戻って来、翡翠の貴公子の翼に落とし、
また窓から舞い出て行く。
其れを六度繰り返すと、ずっと光が流れ出ていた翡翠の翼から光が止まり、
荒かった翡翠の貴公子の呼吸が静かになった。
「どうやら峠は越した様だな。セイ。暫くは、いいぞ」
「はい」
星光の少年は頷くと窓を閉める。
明らかに容体の良くなった翡翠の貴公子に、赤の貴公子は傍に膝を着いた格好で安堵した。
赤の貴公子は心底、胸を撫で下ろしていた。
ずっと愛する人を失う恐怖に胸を締め付けられていたが、其の恐怖から漸く解放されたのが判る。
翡翠の貴公子を抱き締めたい衝動に駆られたが、流石に其れは今は堪えた。
すると後ろから皓月の貴公子が言った。
「少しずつだが翼が再生してきている。もう大丈夫だろう。後は私が看ている。
と云う事で、そなたには遣って貰いたい事が在る」
いきなり何を言い出すのかと、赤の貴公子は皓月の貴公子を見た。
「何だ??」
「此の屋敷は弟と二人で住むには広くてな、なかなか家事が大変なのだ」
「??」
「此の翡翠の同族が完治するまでには、まだ時間が掛かるだろうしな、治療代と家賃の代わりに、
そなたには家事をして貰いたいのだが」
「・・・・・」
一変して抜け目のない銀の瞳で言ってくる皓月の貴公子に、
赤の貴公子はなかなか返事をしなかった。
すると。
「嫌なら此の同族を連れて、何処へでも行けばいい。
そうなると、弟の持って来る星の光は得られんがな」
厭味たらしく、だが酷く現実的な事を言われて、赤の貴公子は立ち上がった。
「判った。何をすればいい??」
あくまで従順な態度を見せる巨体な男に、皓月の貴公子は三日月の様に笑うと、
「弟から訊いてくれ」
実に可笑しそうに言った。
「判った」
赤の貴公子は頷くと、星光の少年について部屋を出て行った。
部屋は皓月の貴公子と寝台に眠る翡翠の貴公子だけとなり、暖炉の火がパチリ、
パチリと鳴る音だけが響いている。
皓月の貴公子は寝台に横たわる翡翠の貴公子に近付いて、改めて見下ろした。
「追い出すと言ったのは、少々悪かったな」
よく見ると大変美しい同族だ。
男にしては、かなり線が細い。
閉じた瞼の翡翠の睫は長く頬に濃く影を落とし、薄紅色の唇はふっくらとしている。
此れまでに何度も同族に出逢って来たが、此れ程に美しい同族は初めてだった。
「・・・・実に美しい」
ふと本音を零し、眠る翡翠の同族を見詰める。
すると・・・・。
僅かに翡翠の睫が動くと、ゆうるりと瞼が開いた。
「・・・・・」
焦点の合わない翡翠の瞳は、暫しぼんやりと宙を眺めると、ゆっくりと皓月の貴公子を見る。
「誰・・・・だ・・・・??」
薄紅色の唇から僅かに言葉が零れた。
皓月の貴公子は間近で翡翠の貴公子を見詰め乍ら答える。
「私は、そなたを助けた。皓月の貴公子と云う、そなたと同族の者だ。
そなたの仲間の赤の貴公子は今、他の部屋に居る」
見ず知らずの男の言葉に、だが翡翠の貴公子は疑いもなく素直に言った。
「そうか・・・・礼を言う」
そして又、ゆっくりと瞼を閉じる。
まるで警戒心のない男に、皓月の貴公子は暫し寝顔を見下ろしていたが・・・・
毛布を掛け直してやると立ち上がり、棚からウィスキーのボトルを持って来る。
そして椅子に座り、グラスに注いだウィスキーを口に含んで、ほくそ笑む。
「良いものを見た・・・・」
開かれた翡翠の瞳は想像を遥かに越えて美しかった。
しかも全く警戒心のない無垢な瞳だ。
思い出すだけで溜め息が出てしまいそうになる。
晧月の貴公子が、眠る翡翠の同族を肴にでもする様に、眺め乍ら酒を飲んでいると、
暫くしてノックと共に弟の星光の少年が入って来た。
「兄さん、翡翠の貴公子さんの様子は、どうですか??」
また光を取って来ましょうか??
真面目に訊いてくる弟に、皓月の貴公子は首を振る。
「今夜は、もう大丈夫だろう。よく休んでいる」
「そうですか」
星光の少年は家事をしていたのか、袖を捲り上げた儘だ。
「兄さん、遅くなってしまいましたが、夕食は、どうしますか??」
弟の言葉に、夕食がまだだった事を思い出す。
「うむ。悪いが明日、食べよう。今日は、もういい」
「判りました」
星光の少年は頷くと部屋を出て行こうとしたが、
「兄さん、何だか嬉しそうですね」
ふと可笑しそうに言った。
すると皓月の貴公子は、ふん、と鼻を鳴らした。
「私は今、恋をしているのだ」
「恋ですか??」
「そうだ」
其の相手が誰かなど、問うまでもない。
「いい恋になるといいですね」
笑い乍ら弟が部屋を出て行くと、皓月の貴公子は酒を口に含み乍ら、
眠る翡翠の同族を再び眺めるのだった。
翌日。
皓月の貴公子は実に容赦の無い男であった。
出逢って間もない赤の貴公子をメイドよろしく使い始めると、それは五月蠅かった。
「赤の貴公子。暖炉に灰が溜まっている。掻いてくれ」
「・・・・・」
「赤の貴公子。咽喉が渇いた。蔵から赤ワインを持って来てくれ」
「・・・・・」
「赤の貴公子。此の服と此の服を、洗濯して来てくれ」
「・・・・・」
此処ぞとばかりに赤の貴公子を使う、皓月の貴公子。
本来、口よりも手が先に出る赤の貴公子だったが、未だ伏せている翡翠の貴公子の事を思うと、
従うしかなかった。
そんな218センチの巨体の男の姿に、皓月の貴公子は実に御満悦であった。
「赤の貴公子。隣の部屋のクローゼットに在る、夜着を持って来てくれ。
翡翠の貴公子を着替えさせるのでな」
「・・・・・」
赤の貴公子は黙って白い夜着を持って来ると、だが皓月の貴公子に渡そうとしなかった。
「主の着替えは俺がする」
鋭い赤い瞳で、そう言ってきたが、皓月の貴公子は全く臆せずに断った。
「着替えは私一人で十分だ。そなたは昼食作りを手伝って来い」
だが赤の貴公子は首を縦に振らなかった。
「主の事は俺がする」
断固として部屋を出て行こうとしない赤の貴公子に、皓月の貴公子は笑った。
「ところで、そなた、此の翡翠の貴公子を此処まで追い遣った相手を、どうした??」
「・・・・・」
赤の貴公子は暫く黙っていたが、
「殺した」
抑揚の無い声で答えた。
皓月の貴公子は可笑しそうに嘲笑する。
「随分と物騒だな。
ゼルシェン大陸は未だ荒れていると聞いていたが、異種でも其れ程に殺生早いのか??」
「・・・・・」
「まぁ・・・・大方、トライアス男爵だろう。彼は最近、目の色を変えて私を見ていたからな。
丁度良かった」
「・・・・・」
其の声は全く、トライアス男爵の死を悼んではいなかった。
皓月の貴公子は赤の貴公子の手から、ぱっと夜着を奪うと、追い払う様に手を振る。
「好い加減、部屋から出て行け」
だが赤の貴公子は、やはり其の場を動こうとしなかった。
「着替えは俺が遣る」
しかし皓月の貴公子も引かなかった。
「別に獲って食いはせん。言う事を聞く気がないなら、弟の星はやらんぞ」
「・・・・・」
意地悪とも云える皓月の貴公子の言葉に、漸く赤の貴公子は頷いた。
「判った。だが主の何を見ても他言はするな。主にも言うな」
「・・・・?? 判った。約束しよう。医者は口が堅いのでな」
「・・・・・」
赤の貴公子は皓月の貴公子を見て、次に翡翠の貴公子を見ると、とうとう部屋を出て行った。
「漸く出て行ったか」
皓月の貴公子は、ふんと鼻を鳴らすと、早速、毛布を剥ぐ。
昨日の着替えは赤の貴公子がしたので、皓月の貴公子にとっては今日が初めての着替えだった。
何故こんなに彼が着替えに執着したのかと云うと、
其れは此の美しい翡翠の同族の裸を見たかったからである。
翡翠の貴公子は既に翼を仕舞える程に回復し、寝台に横になっていた。
皓月の貴公子は喜々として唇の端を吊り上げ乍ら、
其の翡翠の貴公子の汗に濡れた夜着を脱がしに掛かる。
すると翡翠の貴公子が目を冷ました。
この御話は、まだ続きます。
何とか一命をとりとめた翡翠の貴公子。
其の翡翠の貴公子を、気に入ったらしい晧月の貴公子は・・・・。
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