(5)月と星の兄弟
翡翠の貴公子を助けたものの、彼は瀕死の状態で・・・・。
街の一角の大きな建物の屋上に舞い降りた赤の貴公子は、腕の中の翡翠の貴公子に呼び掛けた。
「主、大丈夫か?!」
だが翡翠の貴公子の返事はない。
翡翠の貴公子は既に意識を失っており、身体はガタガタと震えている。
額に触れてみると凄い熱で、赤の貴公子は息を飲んだ。
切られた翡翠の左翼からは夥しい量の光が溢れ出している。
其れは赤の貴公子から見ても危うい姿だった。
どうすれば・・・・??
此の儘では主が・・・・。
三次元的な困難は過去に幾らでも越えてきた。
だが翼を切られるなど、過去に経験した事などない。
「どうすれば・・・・」
赤の貴公子は、ぎゅっと翡翠の貴公子を抱き締めた。
「俺が馬鹿だった・・・・御前から片時も目を離すのではなかった・・・・」
翡翠の貴公子に何か遭った時の為に、夏風の貴婦人は自分を同行させたと云うのに、
こんな事態になってしまうとは・・・・。
後悔ばかりが赤の貴公子の胸に溢れてくる。
「どうすれば・・・・どうすればいいんだ??」
何としてでも此の翡翠の同族を助けなくては・・・・。
だが方法が見付からない。
「火精。どうすればいいんだ??」
自分の周りに浮かぶ火精たちに訊ねたが、返事は無い。
火精たちにも判らないのである。
翡翠の貴公子を抱き締めた儘、赤の貴公子は途方に暮れた。
熱かった翡翠の貴公子の身体から、今度は徐々に体温が落ち始める。
「・・・・!!」
其れは、もう、一刻の猶予も無い事を示していた。
「主!! 駄目だ!!」
赤の貴公子の身体が赤く光り、翡翠の貴公子の身体を温めようとする。
だが翡翠の貴公子の唇は既に青くなっていた。
此の儘では・・・・主は死ぬ!!
赤の貴公子は生まれて初めて全身がぞくりとするのを感じた。
かつてない恐怖に身体が凍り付きそうになる。
もう・・・・駄目なのか??
此の儘、翡翠の貴公子は・・・・。
其の言葉が脳裏で木霊している時だった。
ホホウ。
鳥の鳴き声がしたかと思うと、バサバサと一羽の梟が飛んで来た。
真っ白な梟・・・・と云うには美し過ぎる白銀の梟だ。
ホホウ。
白銀の梟は鳴き乍ら、赤の貴公子の周りを飛んだ。
其れに漸く気が付く。
「同族か??」
赤の貴公子が問い掛けると、梟はホホウと鳴いた。
そして何度か上空を旋回すると、街外れの方向へと飛んで行く。
赤の貴公子は赤い翼を広げると、翡翠の貴公子を抱えて後を追った。
梟が案内した場所は、そう遠くではなかった。
樹々に囲まれた屋敷が街外れに在り、一つの窓辺へと梟は舞い降りる。
其れに続いて、赤の貴公子も翡翠の貴公子を抱えて舞い降りた。
窓から屋敷の中に入ると、部屋には美しい男が立っていた。
「よくぞ来られた、同族よ。我が名は皓月の貴公子。月を司る主神の異種」
微笑する男は、まるで月光を紡いだ様な長い銀の髪に銀の瞳の、それは美しい長身の男だった。
明らかに同族だ。
しかも主神・・・・。
主神とは其の系統の精霊たちに一番愛されている異種の事を云う。
赤の貴公子は真っ直ぐに男・・・・皓月の貴公子を見ると、
「俺は赤の貴公子。火系だ。こっちは翡翠の貴公子。地系の主神だ。
主を・・・・翡翠の貴公子を助けてくれ」
同族との出逢いの感動もなく、単刀直入に言う。
「ふむ」
皓月の貴公子は何処か可笑しそうに微笑すると、
「其処へ置け」
長椅子を指差した。
赤の貴公子が言われた通りに長椅子に翡翠の貴公子を寝かすと、
皓月の貴公子は翡翠の貴公子を見下ろし乍ら言った。
「此れは、アス・ドロップだな」
「アス・ドロップ??」
聞き慣れない言葉に赤の貴公子が訊ね返すと、皓月の貴公子は戸棚へと向かい乍ら答えた。
「我々の羽根から作り出す毒薬の様な物だ。
魔術師の間で最近、出回っている異種狩り(アス・トリック)より質が悪い」
「異種狩り(アス・トリック)なら知っている。御前は医者なのか??」
「まぁ、其れを生業にして生活している」
皓月の貴公子は戸棚から一つの小瓶を持って来ると、杯に水差しから水を注ぎ、
小瓶の中の粉を少量溶かし込む。
「アス・ドロップに当てられた身体は此れで治せる」
皓月の貴公子が杯を差し出すと、赤の貴公子は理解して受け取った。
「口移しでいいのか??」
「ああ」
赤の貴公子は自分の口に水を含むと、ゆっくりと翡翠の貴公子に口移しで飲ませる。
其の作業を四回繰り返すと、赤の貴公子は言った。
「此れで助かるのか??」
皓月の貴公子は空の杯を受け取り乍ら、淡々とした声で答える。
「此れは、アス・ドロップの拘束を解く薬だ。残念だが翼の治療にはならない」
其の言葉に赤の貴公子が途端に睨んできた。
「なら、早く、翼の薬を出せ」
だが皓月の貴公子は抑揚の無い声で答える。
「翼の薬は無い。そもそも異種が翼を切られるなど、前代未聞だ」
「・・・・・」
「我々の翼は心臓の様なものだ。其れを切られるなど、普通は考えられない」
「だが今こうして切られて、こうなっている!!」
堪らず声を荒げる赤の貴公子に、
だが皓月の貴公子は至って冷静な眼差しで翡翠の貴公子の身体を触診する。
「肩から下の左半身が麻痺しているな。翼の切断から来ているのだろう。体温が低い。
此の儘だと死ぬであろうな」
あっさりと言う皓月の貴公子に、赤の貴公子の大きな手が胸倉を掴んできた。
「だから助けろと言っているんだっ!!」
「其れを今、考えている」
あくまで冷静な銀の瞳に見返されて、赤の貴公子は己の唇を噛んだ。
皓月の貴公子から手を離すと、赤の貴公子は翡翠の貴公子の傍にしゃがみ込み、
彼の震える手を握って言う。
「頼む・・・・主を助けてくれ・・・・」
其れは悲痛な呻きだった。
皓月の貴公子は腕を組むと、黙って翡翠の貴公子を眺める。
彼なりに何か方法を考えている様だ。
すると。
「兄さん。夕食が出来ました」
ノックが響くと、一人の少女が部屋に入って来た。
波打つ長い青銀の髪と同色の瞳の少女だ。
明らかに人間ではない。
いや、其れよりも、よく見ると、十三くらいの美しい少年だった。
「弟だ」
皓月の貴公子の紹介に、赤の貴公子は黙っている。
だが少年は赤の貴公子の存在に気付くと、礼儀正しく挨拶してくる。
「あ、御客様・・・・例の同族の方がいらっしゃってたんですね。はじめまして。
弟のセイと云います。
僕は星を司っていまして、巷では星光の少年と云われています」
星光の少年はにこりと微笑んだが、長椅子の翡翠の貴公子に目を向けると、
焦燥の顔で駆け寄って来た。
「兄さん・・・・此れは?!」
「アス・ドロップだ。そして羽根を損傷している」
「翼を?? どうしますか??」
「今、治療法を考えている」
「・・・・・」
深刻な表情になり乍らも、星光の少年もまた冷静だった。
「とにかく此の儘なのもなんだ。寝台へ移して着替えをさせよう」
皓月の貴公子がそう言うと、赤の貴公子は頷いて翡翠の貴公子を抱き上げた。
一方、ゼルシェン大陸では。
翡翠の館に残された金の貴公子は、主の居ない館で実に詰まらない日々を送っていた。
「主、遅いな。いつ帰って来るんだろう??」
「其の内ですよ、其の内」
赤ワインを持って来た執事見習いミッシェルが答えると、金の貴公子は眉を跳ね上げる。
「だーっ!! 誰も御前に答えて欲しくないんだよ!!」
「えー、そうですかぁ?? 背中が答えて欲しいと言っていたんで。
でも御酒、飲み過ぎないで下さいよ?? 最近、飲んでばかりじゃないですか」
「五月蠅ぇぇ!! いいんだよ!! 暇なんだから!!」
金の貴公子はグラスをぱしりと取ると、ごくごくと酒を咽喉に流し込む。
そして、ふう・・・・と一呼吸すると、ぼそりと言った。
「だってさぁー・・・・もう雪が降りそうじゃん。主・・・・何遣ってるんだろう??」
「だから其の内、戻られますってば」
「あー!! もー!! 御前に言った俺が馬鹿だったよ!! 其の内、其の内って、どの内だよ?!」
「其の内は其の内です!!」
両者睨み合うと、ぷいと、そっぽ向く。
翡翠の館は変わらず平穏であった。
だが其の館の主が今、正に死に際に在る等とは、誰も想像しなかったのである。
「何とかならないのか??」
寝台に横たわる、今にも呼吸が止まってしまいそうな翡翠の貴公子を見ながら、
赤の貴公子はしきりにそう問い掛けた。
だが皓月の貴公子は、
「今、考えていると、さっきから言っているであろう」
相変わらず淡々とした声で、そう答えるだけだった。
「貴様・・・・其ればかりではないか!! 医者なら何とかしろ!!」
痺れを切らす赤の貴公子に、だが、それでも皓月の貴公子の態度は変わらなかった。
「仕方ないであろう。翼の修復など過去に事例が無い。傷口を縫う訳にもいかんしな。
それに今、助手で在る弟も考えてくれている」
「・・・っ」
赤の貴公子はギリギリと歯軋りすると、翡翠の貴公子に向き直って黙り込む。
ひゅーひゅー・・・・と翡翠の貴公子が弱々しく息を漏らしている。
部屋には暖炉が点いているにも関わらず、彼の身体はひやりと冷たい。
仕舞う事さえ出来ない翡翠の翼からは、どんどん光が流れ出ている。
此のまま放っておけば・・・・
「・・・・死ぬ。主が死んでしまう」
赤の貴公子は拳を己の額に押し当てた。
「頼む・・・・早く何とかしてくれ・・・・」
翡翠の貴公子が死んでしまう。
夜は深まり、空気は一層冷たくなっていく。
ただ雨だけは止み、黒い雲間からちらりちらりと星が見え始める。
其の星たちに声を掛けんと、星光の少年はストールを羽織って屋根に上がっていた。
外は手が凍える程に寒かったが、星光の少年は指を絡めると祈る様に言う。
「夜空に浮かぶ沢山の星たちよ・・・・どうか教えて下さい。
やっと出逢えた同族を助けたいのです。どうすれば助ける事が出来ますか??
どうか声を聴かせて下さい」
大きな青い瞳で、じっと星たちを見詰める。
瞬く星たちは静かだった。
星たちにも判らないのか・・・・。
それでも声を聴こうと寒空の下、星光の少年は祈り待ち続けた。
黒いビロードに浮かぶ星たちはチカチカ光ってみせたが、やはり黙っている。
それでも星光の少年は待った。
寒さで身体が震え乍らも、待ち続けた。
すると・・・・一つの星が強く光ったかと思うと、
其の光はゆらゆらと光の尾を引いて星光の少年の下へと降りて来たのである。
この御話は、まだ続きます。
やっとこさ、同族の月星兄弟が出てきました☆
瀕死の翡翠の貴公子を前に、彼等は、どうするのか・・・・。
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