(3)アス・ドロップ(前編)
引き続き、翡翠の貴公子と赤の貴公子の視察の御話です。
テルフォードの視察を終えると、二人は次にウォルヴァフォードの第一の都、
西のスウィンへと向かった。
半日、辻馬車に乗ってスウィンへ入ると、外は生憎の雨だった。
馭者に金を払うと、二人は雨の中、馬車を下りた。
スウィンはテルフォードに比べると、ずっと都会的で、ウォルヴァフォード人が多い。
日の暮れた街路には火が灯され、着飾った人々が早足で馬車へと乗り込んでいく。
二人は外套のフードを被ると雨から身を庇い乍ら、今夜泊まる宿を探して歩いていた。
道先に並ぶ宿は、どれも高級宿だった。
テルフォードとは全く違う。
第一の都なだけ在って、ウォルヴァフォードで最も栄えている街なのだろう。
「華やかな街だ」
雨に濡れ乍らも、街の景色を眺めて翡翠の貴公子が呟くと、赤の貴公子も頷いた。
「旅でテルフォードに着いた者は、大抵、次の港の北西のハルに移動する。
此処スウィンに来られるのは、金の有る者だけだ。
云わば此処は、ウォルヴァフォードの中心地だと云える」
二人は雨の中、手頃な宿を見付けるべく歩いた。
だが数件在る二流宿は何処も満室で、二人が仕方なく高級宿に泊まろうかと考えている時だった。
慌てた婦人が二人の脇を走り抜けて行った。
其の時。
パサ・・・・と、婦人の手元から何かが落ちた。
其れは薄紫の扇子だった。
翡翠の貴公子は其れを拾い上げると、
「御婦人。扇子を落とされた」
ゲル語で声を掛けた。
婦人は馬車の馭者に傘をさして貰い乍ら振り返ると、
「あら?? まぁ、有り難う」
にこりと笑って扇子を受け取る。
歳は四十歳と云ったところか、派手な薄紫のドレスを纏っている。
婦人は直ぐに馬車に戻ろうとしたが、翡翠の貴公子の顔に声を上げた。
「あら・・・・!! まぁ!!」
婦人は、まじまじと翡翠の貴公子を見ると、
「其の格好は旅の御方なのかしら??」
目を輝かせ、興味津々の声を掛けてくる。
「そうだが」
翡翠の貴公子がゲル語で答えると、婦人は目ばかりでなく顔中をも輝かせ、
「もしかして宿を探していらっしゃるのかしら?? 此の雨ですもの」
上品な声音で問うてくる。
「もし、そうなら・・・・どうかしら??
わたくし、明日の夜のパーティーのパートナーを探しているの。
パートナーになって下さるのなら、宿代わりに、わたくしの屋敷へ御案内致しますわ」
「・・・・・」
其れは予想外の助け船だった。
翡翠の貴公子は暫し考えると、
「連れが居るのだが・・・・それでも構わなければ、御言葉に甘える」
隣の赤の貴公子を見ながら言った。
婦人は赤の貴公子に視線を向けると、其の背の高さに驚嘆の声を上げた。
「まぁ・・・・!! なんて背の高い・・・・!! 構いませんわ!!
是非、わたくしの屋敷へ来て下さいな」
そうして二人は今夜の宿の宛てを見付けると、婦人と共に馬車に乗り込んだ。
だが其の選択が、二人に最悪の危機を招いてしまったのである。
ウォルヴァフォードの第一の都スウィンで、貴婦人に拾われた翡翠の貴公子と赤の貴公子は、
貴婦人の屋敷へと招かれていた。
婦人の名はサラブレッシュと云い、茶色の髪に同色の瞳のふくよかな白人で、
高級宿を営んでいた主人の未亡人であった。
雨の中、街路で翡翠の貴公子と赤の貴公子に出逢ったサラブレッシュは、
明日の夜会に二人を自分のパートナーとして連れて行こうと思い付き、
其の代わりとして二人を屋敷に泊める事にしたのだ。
屋敷は大きく、内装は豪華で派手な装飾品が飾られており、商人の屋敷そのものだった。
二人は個別の部屋に案内されると、其の部屋も広く、高級な家具が並んだ豪奢な部屋だった。
部屋に一人になった翡翠の貴公子は荷物を床に置くと、窓辺へ行き、
壁に凭れ掛かって窓の外を見た。
外はどしゃぶりの雨で、街灯がぼんやりと闇に浮かび上がっている。
雨が酷くなる前に今夜の宿が見付かって良かったと、内心思った。
しかも明日の夜は夜会に出席出来るのだ。
交易の全く無い国の社交界に出られる機会など、まず無いと云うものなのに、
此れは又とない視察が出来るチャンスだ。
夜会で得られる情報は、町中をただ歩いて調べるだけでは判らない情報が多々在る。
所謂、其の国の裏社会だ。
翡翠の貴公子は夜会自体は苦手であったが、今回ばかりは良い機会だと思っていた。
明日、徹底的に此の都の情報を手に入れよう・・・・そう密かに胸に決意し、
翡翠の貴公子は窓に滲む街並みを眺めた。
翌日、二人はサラブレッシュに一つの部屋に呼ばれた。
部屋は広い衣裳部屋で、大きな姿見が幾つも並べられており、
色形様々な軍服がハンガーに何着も掛けられていた。
「さぁ、どれがいいかしら??」
サラブレッシュは声を弾ませると、早速、二人に服を当て始める。
「貴方は本当に背が御高いのね。此れじゃ、小さ過ぎるわ」
赤の貴公子を見上げ乍ら、服をとっかえひっかえ当ててみる。
「ううん。此の黒い軍服なんか、どうかしら?? ちょっと着てみて」
黒に金の刺繍が施された軍服を差し出され、赤の貴公子は無言で袖に腕を通す。
其のきっちりと軍服を纏った赤の貴公子の姿に、サラブレッシュは声を弾ませる。
「まぁ、良かった!! ぴったりだわ!!」
がっしりした体躯に黒い軍服を着た赤の貴公子は、正に男の中の男と称せる程に格好良かった。
「此れで決まりね!! では・・・・貴方は」
今度は翡翠の貴公子に目を向けると、サラブレッシュは再び衣装を選び始める。
「貴方は、どんな服でも似合いそうね。黒髪に翡翠の瞳が本当に綺麗・・・・」
うっとりと言い乍ら白の軍服を取り出す。
「黒と白のコントラスト・・・・ううん」
翡翠の貴公子に白の軍服を当て乍ら言う。
「白も似合うけれど・・・・いっそ二人とも、黒の軍服と云うのも素敵だわ」
貴婦人はハンガーから普通サイズの黒の軍服を手に取ると、翡翠の貴公子の身体に当ててみる。
すると茶色の瞳を見開かせて声を上げた。
「まぁ!! いいわ!!
二人とも黒い軍服だと慎ましくて品が在るのに、なんて映えるのかしら?!」
此れにしましょう!! 一人笑顔で頷くサラブレッシュ。
「じゃあ、靴やアクセサリーは、どれにしましょうかしら??」
はしゃぐ乙女の様に声を弾ませるサラブレッシュに、二人は実に二刻もの間、
大人しく着せられるが儘になっていた。
二人の目的は夜会に出席する事だったので、着せ替え人形の様に扱われるのも今は我慢だと、
自分に言い聞かせていた。
全ては任務である視察の為・・・・其れが二人をマネキンの如く黙らせた。
昨日から降っていた雨は夕方には小雨になり、路は馬車が走り易くなっていた。
翡翠の貴公子と赤の貴公子は言われるが儘にめかし込むと、
サラブレッシュと共に馬車に乗って夜会へと向かっていた。
二人の貴公子を連れたサラブレッシュは上機嫌で、馬車の中ではぺちゃくちゃと話していた。
「今日は皆に大自慢出来るわ。貴方たちの様に素敵な紳士を連れて来るのは、きっと、
わたくしだけですもの。しかも二人も・・・・!! ふふ。今夜はテラ婦人にも負けないわ」
扇子で口許を隠し乍ら、くすくすと笑うサラブレッシュに、翡翠の貴公子が訊ねた。
「テラ婦人とは??」
サラブレッシュは、にこにこと微笑み乍ら答える。
「テラ婦人は、本の出版を経営する旦那様の奥様でね、度々サロンに、
皓月の貴公子と云う紳士を連れて来るの」
「皓月の貴公子??」
翡翠の貴公子と赤の貴公子は思わず目を合わせる。
皓月の貴公子・・・・ゲル語には似つかわしくない名前である。
興味を示す二人に、サラブレッシュは説明する。
「皓月の貴公子は、とても美しい紳士な上に、大変博識で有名なのだけど、何より、
こっそり囁かれている事が在るの」
「??」
「何とね・・・・異種だって噂が在るの」
「・・・・!!」
其の言葉に一瞬、驚愕の眼差しを見せた二人には気付かず、サラブレッシュは声を潜めて言う。
「でも此れは噂だから、口にしては駄目よ。異端者と思われてしまうわ」
あくまで平静な顔で二人は頷く。
すると、サラブレッシュが問い掛けてくる。
「貴方たち、異種って御存知??」
二人は少し黙っていたが、翡翠の貴公子が答えた。
「噂で少し聞いた事が在るだけだが・・・・」
「そう。異種と云うのはね、翼在る民の事を云うらしくて・・・・
でも皓月の貴公子の翼を見た者は誰も居ないのだけどね、
でも皓月の貴公子は大変美しい紳士なのよ。まるで月光を紡いだ様な髪をしていてね・・・・」
「・・・・・」
黙って聞いている二人に、サラブレッシュは笑った。
「あらあら、わたくしったら、ついつい。でも貴方たちも本当に美しいわ。御世辞じゃなくてね。
貴方たちなら、あの皓月の貴公子にも決して劣らないわ」
くすくすと笑い乍ら口許を扇子で隠す、サラブレッシュ。
だが翡翠の貴公子と赤の貴公子は、未だ内心で驚愕していた。
まさか視察に来たウォルヴァフォードで同族の話を聞くとは・・・・余りに予想外であった。
今夜・・・・其の男に出逢えるだろうか??
二人の胸が密かに逸る。
だが、そんな二人の様子に気付く事なく、サラブレッシュは御喋りを続けた。
それから間もなくして馬車は大きな屋敷へと入り、館の大扉付近に止まった。
翡翠の貴公子は先に下りると、下車するサラブレッシュの手を握ってエスコートする。
其の慣れた手付きに、サラブレッシュは、こっそりと言う。
「貴方、本当は何処の国の人なの?? 良い所の出なのでしょう??」
惚れ惚れした目で訊ねてくるサラブレッシュに、翡翠の貴公子は「しがない旅人です」と、
ゲル語で答えるだけだった。
会場に入ると、其処は年末を感じさせる華やかな空間だった。
壁々には赤や金のリボンが飾られており、会場の隅々までキャンドルが並べられている。
其の煌めく空間に、派手な衣装を纏った紳士淑女が酒を飲み踊っている。
其の笑い声の響く輪の中へ、サラブレッシュが翡翠の貴公子と赤の貴公子を付き添えて入ると、
途端に会場中の女たちがざわめいた。
「まぁ!! 見て!! サラブレッシュ婦人が・・・・!!」
「まあぁ!! なんて素敵な殿方を御連れなのかしら!!」
「まあぁ!! なんて背が高いんでしょう!!」
「黒髪の方も素敵だわ!!」
黄色い声を上げる貴婦人たちに、
「皆さん、こんばんは」
サラブレッシュは満面の笑みで挨拶する。
すると貴婦人たちが直ぐに集まって来る。
「サラブレッシュ婦人、こんばんは。其の殿方は誰ですの??」
「御紹介して下さいな」
目をらんらんに輝かせて訊ねてくる貴婦人たちに、サラブレッシュは勝ち誇った様な笑みで言った。
「ふふ。遠縁の親戚ですのよ。此方が、ルイス。此方が、アレックスよ」
紹介されて、翡翠の貴公子と赤の貴公子は目礼する。
無論、名前は偽名だ。
視察先では本名は隠す事になっており、翡翠の貴公子がルイス、
赤の貴公子がアレックスと名乗っていた。
「今日は、テラ婦人は来ていらっしゃらないのかしら??」
扇子を広げ乍らサラブレッシュは会場を見渡したが、其れらしき人物は見当たらない。
「今夜は、いらしていないみたいですわよ」
「あら、そうなの?? 残念ね」
テラ婦人にこそ自慢したかったサラブレッシュは少々残念な声になる。
だが貴婦人たちは、サラブレッシュ達を取り囲んで声を弾ませる。
「是非、ルイス様とアレックス様の御話を聞かせて下さいませな」
「何をされている御方なの??」
「こんなに素敵な殿方を隠していただなんて、サラブレッシュ婦人も人が御悪いですわ」
次から次へと貴婦人たちに話し掛けられ、翡翠の貴公子と赤の貴公子は内心対応に困ったが、
翡翠の貴公子は一人の貴婦人の手を取って、ダンスへとエスコートする。
夜会慣れしていない赤の貴公子とは違い、翡翠の貴公子は、こんな時の対応は身についていた。
楽の音に合わせて、ゆっくりと踊り乍ら、翡翠の貴公子は会場を観察する。
サラブレッシュが言っていた同族を探してみたが、其れらしき人物は見当たらない。
其の同族を連れているテラ婦人が居ないのなら、今夜は来ないのかも知れない。
それでも着飾った紳士淑女の姿を見ると、
ゼルシェン大陸の南部のサロンに引けを取らない程であった。
最初に訪れた都、テルフォードの治安の悪さが嘘の様だ。
そう会場を観察していると、流れる曲が終わり、
翡翠の貴公子は今踊っていた貴婦人から手を離し、一礼した。
すると新たな貴婦人がダンスを申し込んで来る。
其れに応え乍ら翡翠の貴公子が赤の貴公子を見てみると、彼は、まだ貴婦人たちの輪の中に居た。
どうやら婦人をエスコートする事が出来ない様だ。
とは云え、今、自分が助け船を出せる訳でもなく、翡翠の貴公子は目の前の貴婦人の相手をする。
そして一曲終わると又、別の貴婦人が、其の相手が終わると又、別の貴婦人が・・・・
と云う様に何度も女たちの相手をして、おそらく十人は相手にしたであろうと思われると、
次の声を掛けられない内に翡翠の貴公子はダンスの輪から出て窓辺へ行った。
其処で、ふう・・・・と溜め息をつく。
久々に大勢の貴婦人の相手をした。
赤の貴公子を見ると、未だに貴婦人たちに囲まれている。
あの状態で、ずっと遣るつもりなのだろうか・・・・と遠目に眺めていた時だった。
ふと視線を感じて、翡翠の貴公子は顔を上げた。
窓の外に目を向けると、高い樹の枝に一羽の梟が留まっていた。
真っ白な梟だ。
人の視線かと思ったが、どうやら違った様だ。
梟は、ホホウ、と一声鳴くと、白い翼を広げて飛んで行った。
残された暗がりの庭木を翡翠の貴公子が暫し眺めていると、後ろから声が掛かった。
「いや~、こんばんは」
翡翠の貴公子が振り向くと、黒髪に黒髭を生やした中年の紳士がグラスを片手に居た。
視線は此の男だったのか?? とも思ったが、しかし、やはり違う様な気もする。
男はにこにこと笑い乍ら話し掛けてきた。
「私は、トライアス。此れでも男爵のはしくれなんだよ」
「はじめまして」
ゲル語で挨拶をし乍ら、内心、翡翠の貴公子は安堵した。
また婦人に声を掛けられればエスコートせねばならなかったが、男ならば会話だけで済む。
「いやぁ。立て続けに貴婦人たちの相手をするのは大変でしたでしょう。
さっきから見ておりましたよ。まぁ、私の様な男には経験の無い羨ましい事ですがねぇ」
ははははは!!
一人可笑しげに喋る、トライアス男爵。
だが急に笑い声を止めると、二歩翡翠の貴公子に近付いて声を潜めてきた。
「失礼ですが・・・・」
トライアス男爵が小さく囁いた。
「貴方は異種なのでしょう??」
「!!」
其の囁きには翡翠の貴公子も目を瞠った。
だが彼の其の反応こそが、トライアス男爵を確信させた。
「やはり・・・・いえいえ、大丈夫。誰にも言いませぬ。
しかし何故、異種の貴方が、こんな処に??」
「・・・・・」
翡翠の貴公子は返答に迷ったが、小さく言った。
「何故、異種だと??」
すると、トライアス男爵はくすくすと咽喉を鳴らした。
「それは判りますよ。異種は大変美しい・・・・完全なシンメトリーの肉体を持っている。
意識して見れば一目で判るものです」
「・・・・・」
翡翠の貴公子は暫し黙ったが、最早、隠しても意味が無いと悟り、逆に問い掛けた。
「此処に皓月の貴公子と云う者が、よく来ると聞いた」
翡翠の貴公子は同族の情報を訊く事にした。
トライアス男爵は頷くと答えた。
「よく御存じで。そう、皓月の貴公子・・・・彼は時々、夜会に現れる。
大変美しい長い銀髪の美青年」
「・・・・・」
「宜しければ別の部屋で、もう少し詳しく御話を御聞かせしましょう。此処では何ですので」
「判った」
翡翠の貴公子は頷くと、トライアス男爵と共に広間を出た。
間も無くして、翡翠の貴公子が会場に居ない事に気付いたサラブレッシュが首を傾げた。
「あら?? ルイスが居ないわね??」
何処へ行ったのかしら??
其の声に赤の貴公子が反応する。
群がる貴婦人たちを無視して広間を見渡してみる。
見慣れた同族の姿は何処にも無い。
「主・・・・?!」
一瞬にして顔色を変える赤の貴公子に、サラブレッシュが宥める様に言った。
「ちょっと小用で離れただけかも知れないわ」
だが異種には其れは有り得ない事だった。
翡翠の貴公子が夜会を早々に抜け出す癖が在る事は知っていたが、視察の為に訪れてい乍ら、
途中で抜ける事は考えられなかった。
「主・・・・!!」
赤の貴公子は貴婦人たちの輪を抜けると、サラブレッシュの止める声も聞かず、広間を出た。
この御話は、まだ続きます。
上手く夜会に入る事に成功した二人ですが、
トライアス男爵に声を掛けられた翡翠の貴公子は・・・・。
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