第七節
「部屋を掃除しよう」
「突然ですね」
回転椅子をクルクル回しながら、唐突に三森さんが言った。この世界はお金と顔だよと力説していた流れをぶった切ったいきなり発言。本当に三森さんの思考回路はよくわからない。
「いつかはやろうと思っていたんだ。一階の様子、お前も知っているだろう」
ゴミ置き場状態の一階を思い出す。初めて来た時、わずかに異臭を発していた。
「ですが僕たちがやる必要は無くないですか? 使うのは二階だけですから」
「そうだが実に不快だ。私の家が汚れているという事実が私をいらいらさせる」
「貴方の家ではありませんが」
まあなんとなく分かる。僕達がいるすぐ下がゴミダメなんて、どこか気持ち悪い。
「ですが、どうやって処理するのですか?」
「窓から放り出す。お婆ちゃんの家とは反対方向に放置する」
「それ根本的な解決になっていませんよね。分別しないんですか?」
「え?」
未知なる言語と相対した感じの顔をする三森さん。どうやらゴミを室内から吐きだすことしか考えていないらしい。
「いいかな。全ては土に還るのだよ」
「言い訳になっていませんが……。まあ、分かりましたよ」
あの有象無象のごみを一つ一つ分別するのは骨が折れそうだった。それに長時間いつから放置されているか分からないゴミと対面するのは僕としても本意ではない。
「そう言うことで、善は急げ。京介、ダッシュでゴミ袋を持ってこい」
「前もって準備しておいてくださいよ」
そういうぶっちぎり気分主義な所も、何だかんだ付き合ってあげる。慣れとは恐ろしいものだ。
いくつものゴミ袋と軍手、ついでにヘアバンドを家から持ってきた。ヘアバンドは長髪の三森さんようだ。
「遅い」
「……すいません」
いやじゃあ自分で撮って来いよ、なんて意地悪、僕はしない。仁王立ちに構える三森さんに、手袋とヘアバンドを渡す。
「これで髪をまとめてください」
「気がきくな。さすが私の部下」
「部下じゃないです」
話しながら、彼女は慣れた手つきで腰まで伸びた、ややパーマ掛った髪をまとめた。現れる、真っ白なうなじ。つい目を逸らしてしまうが、三森さんは気づかなかった。
そして、いざ、一階のリビングに立つ。やはり臭い。あたかも近所のゴミ捨て場のような有様を呈している。三森さんが不快そうに鼻に手を当てる。……千里の道も一歩から。気のりはしないが、やるからには本気でやって――。
「気がめいった。中止だ、中止」
は?
「だって面倒だし、軍手でも触りたくない」
リターンしようとするこの人。
「せっかく色々持ってきたんですからやりましょう」
「次に気が向いたらね」
「それいつになるんですか?」
彼女の言葉を真に受けて家と廃墟を往復ダッシュした僕の苦労は?
「三森さん」
「なんだ……うわ、どうしたその顔。顔面パニック障害?」
慄く三森さんに、僕はブチ切れ一歩手前で迫る。
「やりましょう?」
「お、おう」
コクコクと三森さんは子供のように頷いていた。
作業を始めると、かなり骨が折れる。目の前に転がったゴミを袋に詰め、栓をする動作を、僕と三森さんは延々と繰り返す。よくわからん汚い液が地面に零れている。雑巾を三重にしてふき取る。こうなったらやるしかない。
「なんで私がこんなことしなきゃならないのだよ」
「最初に提案した貴方のせいですよ」
もはや三森さんの綺麗なうなじに構う余裕はなかった。いや、元々ないのだけど。
会話が途切れ、シャカシャカと袋がこすれる音だけが空間を支配する。三森さんは綺麗な顔の造形を引きつらせてる。ゴミを指先で摘みあげて、そっと袋に入れる。さながら爆弾処理班みたい。
「今失礼な事考えただろ」
「いえ。全く」
恐るべき勘の鋭さよ。
「はぁ。終わる気がしないぞ」
「頑張ってください。早く終わらせましょう」
少しだけだが、ごみが減ってきている。三森さんはぶうぶうと文句を垂れながら、それでも手を休めることなく。臭いもやがて慣れていき、先ほどよりは不快だと感じなくなってきて来た。
一時間くらい黙々と掃除を続けると、少しは綺麗になった。異臭はするものの、大半のゴミは片付いた。今度カビキラーと消臭剤を持ってこよう、と三森さんは一人愚痴る。
「貴女に嫌いな物は無いと思っていました」
掃除中、僕の発言に、三森さんは呆れたように肩をすくめた。
「私も人間だ。嫌いな物は幾らでもあるさ。ゴミが好きとか私だったらドン引きだ」
「それもそうですね」
そう言いながら、ひどく驚いていることに気付く。……ひょっとしたら、僕は彼女に対し、完璧を見ていたのかもしれない。
「君は、嫌いな物はあるのかい?」
「まあ、一応」
「それは?」
「言いませんよ。先輩はゴミ以外に何かありますか?」
「私か……。う~ん」
暫し考え込む三森さん。軽い質問にも、一生懸命答えようとする態度が見て取れる。
「……強いて言えば、死、かな?」
長考の末に導き出したのは、ありきたりであり、そしてこういう軽い雑談の時に出してくるには相応しくない物であった。
「死、ですか」
表情には出さないものの、初めて出会ったとき、僕は死のうとしていた。まあ、未だに死んだっていいのだけれど。
ひょっとしたら、暗に自殺を止めるべきと諭されているのか? いや、違うだろう。あの三森さんが人の死を止めるとは思えない。むしろ過程をじっくり観察しそうだ。彼女は一見親しげだけれども、容赦なく人の死を見届ける非情さも持ち合わせている。しかし、胸の奥にどこか彼女に対し後ろめたいような、そんな感情を抱いているのも、確かだった。
「どうしたって抗えない。自分が自分で無くなる感覚と言うのを、私は知りたくない」
そう言えば、三森さんは初めて会った時、死ぬ時、何を考えているのかと聞かれた。
「まあ、いつかは全員死ぬのだがな」
あっけからんと言い放つ三森さんに、そうですね、と僕は頷いた。この部屋にいる僕ら二人は、いずれ消えてしまうのだ。昔、ここに住んでいた人々が消えていったように。そして、初めて、三森さんの瞳が闇に沈んでいることに気付いた。何も映さない、闇の瞳に、一体何が宿っていたのか。
その意味を知るには、後数カ月を要する。




