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第五節

 十二月も半分を過ぎ、本格的に毎日が冷えてきたころ。


 僕が玄関で靴を履いているときだった。


 「どこに行くの? 京介」


 内心盛大なため息をもらしながら振りかえると、神経質そうな母の顔が目の前にあった。いつも通り、白髪混じりの気難しそうな顔をしている。この人が満面な笑顔を僕に向けたのは、果たして何年前が最後だっただろうか。


 「……別に」


 なるべく話したくないため、僕は急いでかかとを靴の中に収める。


 「どうでもいいけど、早く学校に行きなさいよね。もう数カ月行っていないんだから」


 「……分かってるよ」


 形容しがたいもやもやが腹に落ちる。


 「全く、どうして美鈴がこんな良くできて、貴方はダメなのかしら」


 またそれだ、と僕は奥歯をかみしめながら、無言のまま家を出た。





 不登校になったのは、二年生の九月からだった。


 母が言うから受験し、受かった、東大まっしぐらの中学校。


 あの頃は希望があった。人並みの生活ができる。そういう自信があった。あったはずだ。


 だけど、僕の実力を、両親や僕自身、過信しすぎていた。授業についていけず、ひねくれた性格故、友人すらできない。華やかな中学生ライフとかけ離れた、理想と現実のギャップに、疲れてしまっていた。


 一年半、頑張った。なんとかなるという淡い期待があったんだろう。


 しかし、そんなうまく行くようなら苦労していない。コミュ力も、学力も、何もかも、僕は平均以下だった。姉よりも。そりゃそうだ。姉と比べ物にならないほど、僕は劣った存在だ。


 姉のことはもちろん恨んでいないし、それどころか尊敬している。しかし、何かと比較し、嘲り、軽んじるあの人だけは、赦すことができなかった。


 そして、それに言い返すこともできず、引きこもりの自分が、最も大嫌いだった。殺したいほどに。


 自覚してから一層、僕は学校に行く気力すら持てず、堕落生活を送り続けていた。早く高校生になりたかった。高校生に対する無限大な可能性。このくそみたいな状況のリセット。しかし、ずっと勉強をしていない頭で、どんな高校へ入学できるというのだろう。現実逃避も甚だしい。


 勉強しなければならない。しかし学校には行きたくない。矛盾は焦燥となり、そのはざまで僕の一日は無駄に過ぎていく。





 基本、休日では無い平日の午前や午後は、昼や夕方時を除いて彼女と会うことはない。常時ここにいる僕を、三森さんは不登校なのかと尋ねない。プライベートにはたがいに立ち入らない。そう言う暗黙の了解に囲まれているところも気楽でいい。


 結局僕達はどこまでも他人のままなんだろう。あの契約通り、三森さんは僕をパシリとして見、僕は不本意ながらも居場所を提供してもらっている。三森さんは、恐らく僕が不登校だと気づいているだろう。別に黙っていてくれる限りなら、これでいいのだ。





 その日もいつも通りに僕は廃墟に訪れた。


 どうせいつも通り三森さんがいて、グダグダと時間を浪費しているのだろうなと思いつつ、二階に上がる。


 「おはようございます、三森さ――」


 扉を開け、そのまま硬直する僕。


 そこにいたのは、三森さんではなく、バリバリヤンキーという風格をした、金髪の男だったからだ。


 乱れた制服に、いかつい体格。そんなヤンキーが地面に転がって読書をしていた。


 ちらりとこちらを見るヤンキー。


 真ん丸な双眼が、俺をとらえる。


 「……失礼しました」


 「いあいやいやいやいや待て待て! ちょっと待て!」


 本を置き、背を起こすヤンキーを無視し扉を閉めようとした時、僕の頭の上に肘が乗った。


 「君原、怯えられてるぞ。いい加減に黒髪に直して来いよ」


 コンビニ袋を吊り下げながら――中身はチョコレートの山である。――三森さんは舌打ちする。……知り合いか?



「うっせえなこのスタイルの方がしっくりくるんだよボケ」


 「何がしっかりくるだ……悪いな。こいつは君原。不良っぽい外見なのは認めよう。私も最初はDQNかと思った」


 「不良っぽいって、相変わらずひでーな糞ババア」


 「事実だろう君原。というかなんでお前はここにいるんだ。招待した覚えはないが」


 「ああ。招待はされてねーけど、時たまお前がここに立ち寄るの見たからよぉ。こりゃついていかない手はないっしょってことでなぁ」


 へらへらと対応する君原先輩に、黙れと三森さんは頭を小突いていた。


 「なんと言うか、類は友を呼ぶって嘘だったんですね」


 不良に、変人。なんというか、正反対だ。どういう化学反応が起きてこの二人が知り合ったのか。


 「つーか俺この後女の子と遊ぶ予定だったんだけど~」


 スマホを片手に唾棄する君原先輩に、三森さんは肩をすくめる。


 「じゃあ何できたんだ間抜け。東京湾に沈める」


 「お前よぉ、一年前はもっと柔和な対応だっただろうがよ」


 「柔和? 殺し合ったの間違いじゃない?」


 罵詈雑言を苦笑で返す君原先輩。そんな二人の間には、恋人ではないけれど、それ相応の深い関係があることを匂わせていた。


 「……で、こいつがお前のカモか? なんだ可愛いじゃねーかよ。どこの高校の奴だ?」


 「高校生じゃないわ。中学生だ。柏木京介」


 「ぶは! マジかよ。どういう手を使って拉致ったんだ?」


 「拉致したのではない、望んでここにきて私の部下になったんだ」


 ムキになる三森さんは、決して僕の前では見せないようなふくれっ面を見せる。動じない人のような印象を受けたけれど、気心の知れた人に対しては感情豊かなんだな、と漠然と思った。あと部下になった記憶はない。


 「でもなんか大人びてねーかこいつ?」


 「それは私も思ったわ」


 「へー。よろしくなぁ、柏木!」


 ニカッとごつごつした手を差し出してくる君原先輩は、凶悪というより、かみつくような笑顔で握手を求めてきた。


 「よろしくお願いします」


 突如現れた三森さんの友達の君原先輩。……僕は果たして、仲良くなれるだろうか。正直ものすごく不安だった。なんかへまして怒鳴られるんじゃないかという不良に対するイメージが先行していたから。





 五分後。


 「でよー、初めて会った時俺が絡んだらよ、あいつなんて言ったと思う?」


「全く想像できないです!」


 当の本人は、やれやれと言いたげな流し目を送ってきている中、君原先輩の人一倍大きい声が威勢よく響く。陽キャというのはすごいもので、初対面の僕でさえ、彼の明快な語り口に魅了されていた。


 「挽き肉かドラム缶か好きなところに就職して良いぞ。だってさ! 爆笑だっつーの!」


 で、挑んだら半殺しにされた。君原先輩はからからと笑っていた。されたんだ……と突っ込んではいけない。というか強面の君原先輩が敗北するなんて三森さんはどれだけ強いんだ?


 「三森さんのナルシストってやはり初めからなんですね」


 「ああ。みう毎日鬱陶しいくらいだよマジ! で、どうだ? お前も三森さんに振り回されてんじゃねーの?」


 「毎日コンビニまでチョコを買いに行っています」


 「だよな~あいついつもチョコを食べてるから。依存だってもうマジ」


 「依存じゃない。それがないと生きていけないからやむを得ず摂取しているだけだ」


 「いやそれ依存です」


 見れば、回転いすをくるくる回しながらチョコ食べてる始末。口元をぺろりと舐める姿は、どこか官能的な色気がある。本当に高校生かよと突っ込む君原先輩に、お前は小学生だろと返され、軽い小競り合いが始まった。


 「先輩のこと誤解していました」


 意外と君原先輩は親しみやすい。外見がチャラいだけで、中身は一般人そのものだ。……三森さんが僕の中で基準となっているため、控えめに言って神だ。


 「おうよ! 少なくともミモリンよりはましな性格してるぜ」


 「暴力沙汰を何回繰り返しているんだ? 本当にウチの名門高校に籍を置いている人間かあやしいわ」


 「あ? お前生徒会長のくせして何回俺と一緒に戦争起こしてるか分かってる?」


 再び二人の軽い小競り合いが始まる。相変わらず仲がいい。


 「先輩方仲がいいんですね。三森さんとか、友達出来なさそうな性格してるのに。どうして仲良く?」


 「さっき言った通り殴り合ったら友達タイプだったからな、俺の場合」


 「そ、そうなんですか」


 「ま、だけど俺はお前の子と気に入ったでー! 友達な、俺達!」


 「迷惑なら断ったっていいんだぞ」


 「いえ。……恐縮です。よろしくお願いいたします、先輩」


 互いに三森さんに対して苦労している臭いをかぎ取ったせいだろう、ものの数分で僕は君原先輩と打ち解けることができた。


 「イヤーでもよかったなぁ三森。高校生になって友達が増えてさ」


 「まあ、互いに中学まではボッチだったからな」


 チョコを食べ終わってから、カラカラと回転いすをまわす三森が苦笑する。二人ともキャラが濃いし、というか、普通に暴力も辞さないスタイルだし。そりゃ孤立する。孤立したからって、それを気にするタイプではないことは重々承知なのだが。


 「というか柏木もどう? 学校楽しい?」


 「学校、ですか……」


 突然降られた話題が話題なだけに、ついどうこたえるか思案するために黙り込んでしまう。数秒、気まずい沈黙が僕らの間に漂った。


 「……まあいいや。まあ本番は高校生からだぜ? なあそうだろミモリン」


 君原先輩が絶妙なフォローを飛ばす。空気を読む能力にはたけているようだった。少しだけ胸を撫で下ろす。


 「そうだな。再来年はウチの学校に入学する逸材だ、今大切なのは勉強することだよ」


 ん?


 「ちょっと待ってください! 僕の学力でなんか入れませんよ」


 「入るのではないのか?」


 予想外という顔されても困る。だって三森さんの高校って偏差値七十くらいですよね。僕無理ですよ。不登校ですよ。


 ああもうあり得ない。マジかーと君原先輩が物珍しそうに僕に注目する。好奇の視線にたじたじになりながらも、小声で三森さんに囁く。


 「僕まったく勉強できませんよ」


 「なら私が教えてやろう。高校学年首位の私がね」


 どうやら彼女は本気で不登校の僕をこの学校に入れるつもりらしい。


 「まあ三森がいるなら安心だな、ホント」


 先輩も先輩で真に受けてるし……。というか、君原先輩、三森さんの呼び方を統一したほうがいいんじゃないのか?


 「……そうだよな」


 いつまでも不登校のままなんかじゃ、僕はどこにも行くことができない。高校進学がすべてではないことは分かっているけれど、けど僕は、また初めからやり直したい。


 どうしようもない、自分のすべてを。


 思ったところで、学校に行く気力も勇気もないのだけれど。


 三森さんと君原先輩は急に黙り込んだ僕を見、互いに顔を見合わせていたが、やがて再び話題を変え、僕たちはまただらだらと中身のない会話を展開させ続けた。


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